2025.06.19
本日6月19日は桜桃忌。
そこで、太宰治の言葉を紹介したいと思います。
太宰治『正義と微笑』から
勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。
太宰治は私にとって「大嫌いなんだけど大好き」といった感情にさせる唯一の作家です。
「何のために勉強するの?」
誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?
勉強は、私たちが夢や目標に向かって努力する様々なことを、そのまま置き換えた行為です。
情報を手に入れて、プランを練り、しっかり準備し、集中して、丁寧に素早く確実に実行し、難局にくじけず、そして目的を成功させる。
もちろん勉強はテストの点数や暗記のみが重要なのではありません。
勉強という行為そのものに、意義があるのです。
太宰の言う「カルチベート」された人間になること。
今、世の中は大きな転換点を迎えています。
終身雇用はすでに崩壊し、非正規雇用が増え、賃金は上がらず、逆に物価は上がり、格差が生まれ、政治も頼りになりません。
「この社会をサバイバルする」「生き抜いていく」という意味でも、勉強や基礎学力は大切な武器になります。
城南コベッツ仁戸名教室では、
目標にチャレンジする大切さと
学びや成長の楽しさ
を伝えられる指導をしていきたいと考えています。