城南コベッツ流山教室

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2023.06.09

「近頃物騒になりましたから......」会話中にしばしば出てくる表現です。特に生徒さんの保護者の方には、お子さんへの心配と相まって、この台詞を実感されている方は多いのではないでしょうか。

 特に、マスコミ経由で流れてくる情報は、ロシアの戦争であったり、猟銃立てこもり事件などというショッキングなものであったり、SNSで若者に強盗を指示するような闇バイトであったり――。

「物騒だなあ」と感じるには枚挙に暇がありません。

 しかし、実は、警察庁が発表しているデータ上では、「近頃物騒になった」どころか、「戦後、日本の犯罪件数は減少し続けている」のです。(2022年は2021年に比べ微増だったようです。しかし、それでも2020以前より犯罪件数は減っています。)

つまり、「近頃物騒になった」というのは錯覚で、正しくは「日本に限って言えば、近頃平穏になっている」ということです。

にも関わらず、最初に書いたように、「近頃物騒になった」は、わりと実感のこもった常套句として、しばしば会話に登場するのです。

それは何故なのでしょう? 私見ですが、理由を考えてみました。

ひとつ目は、上記にもありますが、「マスコミの情報」です。マスコミは、当然ですが商売として、みんなが欲する情報を流します。「未曽有の凶悪犯罪」と、「うちの赤ちゃんが今日つかまり立ちをした!」というニュース。どちらが報道されるかは火を見るより明らかです。しかも、マスコミは次のショッキングなニュースが出るまで、同じニュースを掘り下げてこすり続けます。かくして、本来日本には、そこらじゅうで「赤ちゃんがはじめてつかまり立ちをした」というような明るいニュースで溢れているのに、マスコミは一件しか起こっていない「未曽有の凶悪犯罪」を流し続け、コメンテーターも「未曽有の凶悪犯罪」だけを見て社会の現状を語るのです。これでは「近頃物騒になった」と考えるのは、至極当然と言えます。

ふたつ目なのですが、そもそも、冷静に考えれば、「"近頃"物騒になった」という台詞は、近頃のみならず、昔から言われていたと気づきます。

実際、明治時代の新聞の広告欄を見てみると、「この物騒な世の中でも、ピストルがあれば安心して居られます。」というキャッチコピーの、銃砲店の宣伝がありました。

どうも人は、いつの時代も「近頃物騒になった」と考えるようにできているようなのです。年齢を重ねるほど、現在よりも過去がまぶしく見えてしまう。これは、「近頃の若者はけしからん」という台詞と似たような考えなのかもしれません。ちなみに、「近頃の若者は――」という言葉、実は古代エジプトのピラミッド労働者が、壁に書いた落書きにも残っていたそうです。

つまり、「近頃物騒になった」という事実はなく、人類は文明の黎明期から「近頃物騒になった」と感じる生物なのかもしれません。

みなさんも次に「近頃物騒になったし、心配だなあ」と感じることがあったなら、そのまま世間に対してストレスを感じるより、この記事を思い出して、「物騒と感じるのは何千年も前からだし、よく見まわせばニュースにならないだけの明るい出来事はいっぱい起こっているわ」と、すこし息を抜いてみてはいかがでしょうか?

2023.05.25

5/12に、「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム(以下ゼルダtotk)」が発売されました。......前回に続いてテレビゲーム、それも任天堂のゲームの話題が連続していますが、これは筆者の趣味ゆえということで、ご容赦ください。

 さて、この新作ゼルダtotkですが、主人公であるリンクが、ハイラル王国を滅ぼそうとする魔王ガノンドロフに立ち向かい、ついにはそれを倒して、王国に平和をもたらす――。という、物語です。新作のゼルダtokに限らず、ほとんどのゼルダの伝説のシリーズ作品はこのようなストーリーになっています。従って、何も目新しいことはありません。

しかし、ゼルダtotkは、全世界で飛ぶように売れ、発売3日でソフト売上1000万本を突破するスマッシュヒットになっています。

もちろん、ゼルダの伝説シリーズは30年以上続く息の長い作品であり、多くのファンを獲得してきています。さらに、前作「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」は、ソフト売上累計2000万本を超えるヒット作であり、その数年後を描いているゼルダtotkは、無条件で購入を決めているという方も多かったと思われます。

 それにしても、本作がここまでの快進撃で売り上げを伸ばしている原因は、本作の"新しい要素"にあると、発売日から作品に触れている筆者は感じているのです。

 その新しい要素とは、「クラフトワーク(工作)」です。ゼルダtotkのリンクは、「ウルトラハンド」という能力を持っています。これは、フィールド上のオブジェクト(モノ)を動かしたり、くっつけたりすることができます。丸太を組み合わせてイカダを作ったり、動力を取り付けてモーターボートにすることもできます。橋を架けることもできるし、クルマだって、飛行機だって、巨大ロボットの如きものまで、好きに作ることが可能なのです。

 これは、教育に非常に有益です。ゲームを通して創造性を刺激し、問題解決能力を向上させることがき、ゲーム内で、設計、デザイン能力も向上させることができます。また、空間認識能力、そして工作に際してもルールを把握することで、論理的思考能力を身につけることができます。実際、工作系ゲームとして先駆けであり、大人気でもある「マインクラフト」は、教育の現場に取り入れられています。

 もちろん、楽しいゲームには、止め時がわからないため、学業に割く時間が足りなくなるというデメリットが生じる可能性はあります。しかし、上記のようなクリエイティビティや論理的な思考能力は、これからの時代に生きる我々にとって益々貴重になると思います。子を持つ親の皆様には、おこさんが「ゼルダがやりたい」と言ったら、なるべく与えてあげて欲しい、というのが、今回のテーマでした。

 最後に、そのうえで学業に不安が出てしまったという方は、是非我々城南コベッツまでご相談ください。ゲームで培う各種能力向上と学業の成績向上の両立をさせて頂くお手伝いができるかと存じます。

2023.05.08

 429日に映画「スーパーマリオ」が封切られました。マリオは日本の企業「任天堂」の生み出したキャラクターで、言わずと知れた日本のゲームのアイコンと呼べる存在です。生み出されたのはもう40年以上前のキャラクターですが、この映画「スーパーマリオ」は、世界興行収入10億ドルを突破し、世界的な成功を収めています。

「マリオ」のような、日本の生んだコンテンツや文化などを世界に広める「クールジャパン戦略」という、日本政府の施策があります。おそらくこの施策を聞いたことがある方は、同時にこの「クールジャパン」が、あまり上手くいっていないことを連想するのではないかと思います。実際、googleに「クールジャパン」と入力したときに表示される予測変換の一覧には「クールジャパン 失敗」と出てきます。映画「スーパーマリオ」が大成功しているにもかかわらず、です。

 内閣府公認のクールジャパン・アンバサダー(202210月にクールジャパン・プロデューサーに名称変更)で、「日本はクール!? 間違いだらけの日本の魅力発信」の著者、ベンジャミン・ボアズ氏は、今までのクールジャパン戦略によるコンテンツや文化の売り込み方を「もったいない!」と断じます。

 人生のほとんどを日本で過ごしていれば、海外の方の描く日本像の「正しくない」ところには敏感に気づくことができます。相手が「日本が好き」なのにも関わらず、「FUJIYAMAGEISYA」的な日本のイメージを持っていれば、「正してあげよう」という気にもなるのもむべなるかな、というところです。

 また、我々日本人は、「他の人にも人気があるか」ということを非常に気にします。日本におけるマーケティングでは非常に重要です。「みんな持ってる」と、持っていないことが不安になって自分も買ってしまう、なんて経験を持つ方もいるかもしれません。当然、日本のモノをオススメするのにも。「大人気」という修飾語を当然のようにつけてしまうと思います。

 しかし、ボアズ氏は、「海外の消費者は、「 正しい」 楽しみ方とか、 他の人が何を欲しがっているかといったことは、気に留めません。」(ベンジャミン・ボアズ. 日本はクール!? (Kindle の位置No.233-234). 株式会社クロスメディア・パブリッシング. Kindle . )と、綴っています。その認識のずれが、クールジャパン戦略がうまくいっていない一因である、と。

 ボアズ氏も、もちろんただ警鐘を鳴らして終わり、ということはありません。しっかり「では、どうすればよいか?」も書いてくれています。「外国人に知識を押し付けるのではなく、彼らの視点を理解し、そこに橋を架けることが効果的だということです。」(ベンジャミン・ボアズ. 日本はクール!? (Kindle の位置No.1069-1070). 株式会社クロスメディア・パブリッシング. Kindle . )というものです。

 中学の社会科では、「世界のグローバル化」を学びます。そこでは他文化の理解や共生が大切である、と教えるワケですが、なんのことはない、政府の施策であるクールジャパンには、その視点が欠けていた。ということです。

 一方で、売り込み方がよろしくなくとも、マリオのように、世界中で人気を博するコンテンツを生み出すことができる力が、日本にあるわけです。(今回の映画スーパーマリオは、米イルミネーションが製作していますが)

 いっそ、クールジャパンの失敗を教科書に載せて、改めてグローバルなもの考え方とはどういうことか? いかに大事なのか? を学ばせることが効果的かもしれません。

 生徒の皆さんも、「日本を愛する外国の方」と友達になったときには、その方の語る「間違い日本」を正すのではなく、相手の立場で考えてあげてください。

2023.04.07


 毎回、なんとなく書き出しをスタッフで話し合って出しているのですが、今回は「那須川天心」で行こう、ということになりました。

 那須川天心選手は松戸市出身。私たちの教室にも松戸市からの生徒さんもおり、我々にとっては地元のヒーロー的なイメージを持つキックボクサーでした。

 そんな彼が、ボクシング転向を電撃的に表明したのが一昨年前、2021年の今頃でした。そして来る48日、彼のプロボクシング初試合が行われます。

 当然、わくわくしながら試合の日を待ち望んでいるワケなのですが、生徒さん、保護者の方には、「他人様が殴り合う様子の何が面白いだろう?」とお思いの方もいらっしゃると思います。

「他人様が殴り合う様子を面白がる」というのは、実は古代ローマには、すでに娯楽として成り立っていました。もっとも、正確には、「他人様が殺し合う様子を面白がる」という物騒極まりないものでした。

 象徴的かつ最も有名なのが、ローマのコロッセオです。紀元80年に完成したといわれ、そこから100日で、数百人の剣闘士が命を散らしたといわれているそうです。

 その中に、奴隷同士が鉄鋲付きのグローブを拳に着けて殴り合うという種目があったようです。

 さらに起源を辿ると、古代ギリシアのオリンピックで、23回大会から正式種目となったようで、オノマストスさんという方が、月桂樹の冠を授かった(つまり優勝した)という記録があるそうです。

 その後ボクシングは一旦、西ローマ帝国の滅亡と共に消え去りますが、名誉革命直後のイギリスで、近代ボクシングが始まり、いくつかの試合中の死亡事故などを経て、徐々に安全に配慮したルールが定められ、スポーツとしてのボクシングへと至るのです。

 暴力衝動に任せて他人を害する行為は、社会生活を営む上で絶対にあってはなりません。

 しかし、ヒトもまた、「他を喰らって生きる」という動物であり、個人差はあれ、暴力や血に対する衝動はあるのだということから目を背けてはならないと思います。

 暴力の代替行為(ボクシング鑑賞など)がキリスト教によって否定された中世、果たして人々は平和に暮らせていたでしょうか? 延々と続く戦や、魔女狩りなど、少し思いを巡らせても、そうではなかったと思います。

 まあ、結論をいうのであれば、ボクシングの試合を楽しみにしている人たちは、それを鑑賞して本能からくる渇望の溜飲を下げているのであり、それゆえ社会の一員として理性的に振舞えているんだ。と、生温かい目でみてくれればいいな、ということです。

2023.03.23

卒業というテーマについて、私の経験や考えを交えながらエッセイを書いてみたいと思います。

卒業は、人生の中で一つの大きな節目です。学生時代を終え、社会人として新たなステージに進むために、学生たちは多くのことを学び、経験してきました。私自身も、大学卒業を迎えるにあたり、たくさんの思い出があります。

まず、学生時代にはたくさんの友達を作りました。一緒に勉強したり、遊んだり、時には喧嘩もしましたが、お互いに支え合いながら、一緒に成長していくことができました。卒業すると、それぞれが違う道を進むため、友達との時間は減ってしまいますが、その分、大切な友情を持ち続けることができるようになりました。

また、卒業は自己成長の機会でもありました。大学に入ってから、自分自身の目標を明確にし、それに向けて一歩一歩進んでいくことができました。失敗や苦労もありましたが、それを乗り越えることで、自信を持って次のステップに進むことができました。

さらに、卒業は新たな可能性を開くことでもあります。大学卒業後は、社会人としてのキャリアをスタートすることもできますし、進学してさらに専門的な知識を身につけることもできます。どちらに進むにせよ、自分自身がやりたいことを見つけ、それに向けて努力することが大切です。



以上、私が卒業について感じたことを簡単にまとめてみました。卒業は人生の節目ですが、その後の人生が輝くように、学生時代に培ったものを活かし、自分自身の成長を続けていくことが大切だと思います。

まるで違和感のない、当ブログでいかにもありそうな文でしたが、これは当教室のスタッフが書いたものではありません。

実は、上の文章は「chatGPT」というツールで作成したものです。
「chatGPT」とは、AIがオリジナルテキストを生成するというツールです。

質問すれば大抵のことには答えますし、上記のようなエッセイでも、短編小説でも、詩、プログラムコードといったものでも書いてもらうことができます。

AIといえばTVゲームの「ドラクエⅣ」で、即死するはずのないラスボスに延々と即死呪文「ザラキ」を唱えるクリフトくらいの感覚でいた私たち世代とは、まさに隔絶の感があります。

AIの進化が目覚ましいとは聞きますが、「chatGPT」の性能を目の当たりにすると、我々人間のできることを何でもAI代行できてしまう未来は、本当に近づいてきているのだな、と思います。

AIよりも速く、正確には動けない人間は、そのような未来でどのように生きればいいのでしょう。

ひとつの答えは、「個性的に生きよう」ということ。こう言うと漠然としていてなんだかわかりませんが、「個性」とは、経験と嗜好から成り立っていると言えます。

ひとりひとりが、何を入力して、何をどう出力するのか。つまり「何を勉強したか。そして自分は何を"楽しい"と感じるのか。」AIに能力が及ばなくなった人間に大切なのはそこではないか。と日々感じています。

しなければならないことは、やがてAIに取って代わられます。「なにがきみの幸せ なにをしてよろこぶ」のか。新年度の節目に、じっくり考えてみては いかがでしょうか。