反町教室のメッセージ
藤原京
2022.04.13
こんにちは。城南コベッツ反町教室・東前です。
710年4月13日、元明天皇によって平城京に遷都されました。今からおよそ1300年前のことです。飛鳥時代が終わって、奈良時代になりました。平城京は今の奈良ですので、都が奈良にあったということです。
では、飛鳥時代の都はどこにあったでしょうか?飛鳥時代ですから「飛鳥」なんですが、ずっと「飛鳥京」だったかというと、最後の10年以上は「藤原京」になりました。
そもそも、「飛鳥京」とか「藤原京」は現在のどのあたりでしょうか?
飛鳥京は現在の「奈良県高市郡明日香村」になります。そして、藤原京は飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にありました。
藤原京はあまり有名ではありませんが、その後の平城京や平安京と同じく、通りが碁盤の目に整備されていました。そして、平城京や平安京よりも広かったようです。橿原市のHPによると、日本初の本格的な都城だったそうです。持統天皇により、694年に宮が移り、藤原京が成立しました。藤原京時代には大宝律令が制定され、貨幣も発行されました。
しかし、708年には遷都が決まり、710年には平城京に都が移りました。わずか16年ですね。平城京に移った時にも、まだ藤原京には未完成だった部分があったようです。未完成なのに、次の都になって、人々が去ってしまったわけですね。
そして、711年には宮も焼けてしまった言われていますが、火災の痕跡が発見されていません。ちょっと謎めいています。
ところで、「藤原京」という名前は、当時の名前ではありません。この名前は近代の学術用語です。「日本書紀」などには「新益京」という名前になっています。「新たに増した京」という意味で、「あらましのみやこ」や「あらましきょう」、「しんやくのみやこ」などと読むそうです。
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無料体験授業の申し込み、資料請求は045-620-3912までお電話ください。
710年4月13日、元明天皇によって平城京に遷都されました。今からおよそ1300年前のことです。飛鳥時代が終わって、奈良時代になりました。平城京は今の奈良ですので、都が奈良にあったということです。
では、飛鳥時代の都はどこにあったでしょうか?飛鳥時代ですから「飛鳥」なんですが、ずっと「飛鳥京」だったかというと、最後の10年以上は「藤原京」になりました。
そもそも、「飛鳥京」とか「藤原京」は現在のどのあたりでしょうか?
飛鳥京は現在の「奈良県高市郡明日香村」になります。そして、藤原京は飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にありました。
藤原京はあまり有名ではありませんが、その後の平城京や平安京と同じく、通りが碁盤の目に整備されていました。そして、平城京や平安京よりも広かったようです。橿原市のHPによると、日本初の本格的な都城だったそうです。持統天皇により、694年に宮が移り、藤原京が成立しました。藤原京時代には大宝律令が制定され、貨幣も発行されました。
しかし、708年には遷都が決まり、710年には平城京に都が移りました。わずか16年ですね。平城京に移った時にも、まだ藤原京には未完成だった部分があったようです。未完成なのに、次の都になって、人々が去ってしまったわけですね。
そして、711年には宮も焼けてしまった言われていますが、火災の痕跡が発見されていません。ちょっと謎めいています。
ところで、「藤原京」という名前は、当時の名前ではありません。この名前は近代の学術用語です。「日本書紀」などには「新益京」という名前になっています。「新たに増した京」という意味で、「あらましのみやこ」や「あらましきょう」、「しんやくのみやこ」などと読むそうです。
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