反町教室のメッセージ
数学のはなし(その6) 塵劫記
2021.12.09
こんにちは。城南コベッツ反町教室・東前です。
今日も数学のおはなしです。前回の最後に「次回は江戸時代」と書きましたが、今回はその江戸時代に使われていた「塵劫記」についてです。
「塵劫記」は「じんこうき」と読みます。1627年に吉田光由が執筆したものです。「塵劫」とは仏教用語で「途方もなく長い時間」という意味です。
この塵劫記は江戸時代の算術の教科書として、大変人気でした。ミリオンセラーでした。そして、ロングセラーです。なんと、今も販売されています。
具体的にどんなことが書かれていたのでしょうか。
例えば、大きな数の名前や小さい数(小数点以下の数)の名前が書かれていました。また、1桁(つまり、2から9)で割るわり算や、2桁で割るわり算、九九について書かれていました。日常生活に必要な算数の知識が書かれていたわけです。
それ以外に、米の売買や金銀両替、利息といった、商売についての内容も書かれています。
庶民のためのもののような感じですが、数学者の関孝和や儒学者の貝原益軒なども塵劫記を使って勉強していたそうです。
この本は当初は4巻だったものが、のちに5巻目が出版されます。そして、1641年には3巻からなる「新編塵劫記」と呼ばれるものが発行されます。「塵劫記」の中でこの「新編塵劫記」が一番売れました。
最初の版が刊行されてから350年後の1977年に、京都の嵯峨にある常寂光寺(じょうじゃっこうじ)に記念碑が建てられました。百人一首に出てくる小倉山にある日蓮宗のお寺です。吉田光由が、常寂光寺の創建時に土地を寄進した京都の豪商・角倉家の一員であったことから、記念碑が建てられたようです。
私の実家から、電車と徒歩で30分くらいの場所にあるので、帰省した折に行けたらいいなと思います。
他の「数学のはなし」はこちら→クリック
---------------------------------------------------------------------------------------------------
無料体験授業の申し込み、資料請求は045-620-3912までお電話ください。
今日も数学のおはなしです。前回の最後に「次回は江戸時代」と書きましたが、今回はその江戸時代に使われていた「塵劫記」についてです。
「塵劫記」は「じんこうき」と読みます。1627年に吉田光由が執筆したものです。「塵劫」とは仏教用語で「途方もなく長い時間」という意味です。
この塵劫記は江戸時代の算術の教科書として、大変人気でした。ミリオンセラーでした。そして、ロングセラーです。なんと、今も販売されています。
具体的にどんなことが書かれていたのでしょうか。
例えば、大きな数の名前や小さい数(小数点以下の数)の名前が書かれていました。また、1桁(つまり、2から9)で割るわり算や、2桁で割るわり算、九九について書かれていました。日常生活に必要な算数の知識が書かれていたわけです。
それ以外に、米の売買や金銀両替、利息といった、商売についての内容も書かれています。
庶民のためのもののような感じですが、数学者の関孝和や儒学者の貝原益軒なども塵劫記を使って勉強していたそうです。
この本は当初は4巻だったものが、のちに5巻目が出版されます。そして、1641年には3巻からなる「新編塵劫記」と呼ばれるものが発行されます。「塵劫記」の中でこの「新編塵劫記」が一番売れました。
最初の版が刊行されてから350年後の1977年に、京都の嵯峨にある常寂光寺(じょうじゃっこうじ)に記念碑が建てられました。百人一首に出てくる小倉山にある日蓮宗のお寺です。吉田光由が、常寂光寺の創建時に土地を寄進した京都の豪商・角倉家の一員であったことから、記念碑が建てられたようです。
私の実家から、電車と徒歩で30分くらいの場所にあるので、帰省した折に行けたらいいなと思います。
他の「数学のはなし」はこちら→クリック
---------------------------------------------------------------------------------------------------
無料体験授業の申し込み、資料請求は045-620-3912までお電話ください。