城南コベッツ南流山教室

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南流山教室のメッセージ

2025.03.17

今年度の入試結果のご報告です!

【大学入試】在籍高3生2名、見事に合格しました!

獨協大学 経済学部 総合型選抜

千葉工業大学 工学部 一般選抜

おめでとう!大学生活では色々なことを経験しながらぜひ楽しんでください!

【高校入試】第一志望合格90%以上達成!
~主な合格校~
・柏南高校
・鎌ヶ谷高校
・国分高校
・流山おおたかの森高校
・我孫子高校
・松戸馬橋高校
・流山南高校
・流通経済大学付属柏高校
・光英VERITAS高校
・中央学院高校

合格を勝ち取ったみんな、本当におめでとう!
みんなの努力を間近で見ていて、とても成長したなぁと感じました!
新しいステージでもこの一年間で経験したことを糧に頑張ってください!

2024.07.08

7月4日。この日が何の日か知っていますか?

日本では祝日でも何でもないので、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

もし、「7(な)4(し)」だから梨の日では? と思われた方は、一応、その通りです。

ちなみに、現在梨の品種として有名な二十世紀梨は、明治のころ、松戸市に住むの松戸 覚之助さん(当時13歳)が親類のゴミ捨て場で見つけた苗を父子で育ててみたことが始まりだそうです。

そこから10年もの歳月をかけて、梨の栽培に成功。当時外務大臣や首相を歴任していた大隈重信も、この梨を食した際に「大変甘美で至極美味」と太鼓判を押したのだとか。

松戸覚之助親子は、その梨の苗木を、成功する農家に快く分けていきました。やがて、1900年代つまり二十世紀に入り、苗を譲り受けた農家のひとりが、新世紀を代表する品種となるように、と、この梨を「二十世紀梨」と呼ぶようになったんだとか。

閑話休題。

はい。7月4日は、日本ではなく、アメリカ合衆国の祝日。「独立記念日」です。

簡単な解説を行うと、1700年代、16世紀半ばころまでには、北米新大陸の、大英帝国の13の植民地は、イギリス本国にばかり有利で、植民地には不利であるような一方的な法律や課税に対して不満を抱くようになっていました。しかし、英国議会には植民地代表の椅子は1席も存在せず、指をくわえてみているしかありませんでした。

やがて、北米植民地は「No Taxation Without Representation(代表なくして課税なし)」のスローガンの元、イギリス本国と対立するようになります。

 1770年には、ボストンにおいて、植民地に住む市民集団の本国への抗議活動に対して、イギリス軍から発砲が行われ、5人の死者を含む死傷者が出てしまいます。

 また、同じくボストンで、3年後の1773年には、紅茶に関する植民地に不利な課税に憤った市民たちが、東インド会社の船に乗り込んで、積み荷の紅茶を港に投げ捨てる「ボストン茶会事件」が起こります。

 こういったことが引き金となって、1775年、イギリス本国と北米植民地は、戦争状態へと突入します。

そして、翌年の1776年7月4日、植民地の代表会議、大陸会議は2日前に作成された独立宣言を承認する議決を行い、ここに新独立国家、アメリカ合衆国が形成されたのです。

 だいぶ歴史の講義のようになってしまいましたが、アメリカでは現在でもこの7月4日を重要な記念日として、盛大に祝います。様々なイベントの他、軍隊のパレードや、花火大会が行われます。人々は祝日を楽しみ、合衆国国旗を振って、イベントに参加したりしています。試しに、SNSに# indipendence dayと入力して検索してみてください。花火の様子やイベントの様子を動画などで見ることができると思います。

現代の日本では、第二次世界大戦の際の全体主義の古傷から、国旗を振るほどの愛国心は眉を顰められることもあるかもしれません。一方で、星条旗の元、屈託なさげに独立記念日を謳歌するアメリカ国民の様子を、少し羨ましいかも、と感じた7月4日だったのでした。


2024.06.18

先週の話ですが、6/15(土)は千葉県民の日でした。千葉県のホームページによると

『「県民の日」は、「県民が、郷土を知り、ふるさとを愛する心をはぐくみ、共に次代に誇りうる、より豊かな千葉県を築くことを期する日」として、県の人口が500万人を突破したことを記念して、昭和59年に制定されました。

これは、明治6(1873)年6月15日に当時の木更津県、印旛県の両県が合併して千葉県が誕生したことに由来しています。』

だそうです。ふるさとを愛する心や、千葉県を誇る心は県民の皆さんにお任せするとして、今回は千葉県の郷土、それも成り立ちや由来について、少し書いていこうかと思います。

 千葉県は、外房、内房と海と接しているため、縄文時代から海の幸に恵まれていたようです。なんと発見された貝塚の数は、千葉県が全国一位だそうです(千葉県HPより)

 房総という漢字は、共に「ふさ」と読みます。「房」の方には、「房をなして実る果実」という意味があるようです。「総」のほうは、麻のことだそうで、平安時代、房総地方で麻を植えたところ、よく育ったために、「総」の字が国名についた、という文献が残っているそうです。

 「千葉」という字も、多くの葉が生い茂ったことを意味する漢字です。とにかく、千葉県といえば海も野も自然の恵み豊かな土地、というのが共通認識だったようです。

 その後、武士の世になると、様々な武将たちが千葉県を拠点とします。千葉氏は、桓武天皇の裔、つまり平氏の流れをくむ一族でした。

 室町時代には、足利一門の足利義明が、小弓公方と自称し、千葉市辺り(現在も千葉市おゆみ野という地名が残っています)に君臨していました。他にも海軍を持つ里見氏や、上総武田氏(真里谷氏)等、様々な勢力が千葉を拠点としていました。江戸時代には、江戸に近かったことから、幕府直轄領なども多くありました。

明治初めには、転封されてきたものも含め、25もの藩が千葉にあったそうです。

 その後の明治4年、廃藩置県により、茨城に移転した大網藩を除いた24の藩がそのまま24の県となりました。さらに、旧幕府直轄領、旧旗本領であった葛飾県などを加え、千葉には26の県が誕生しました。同明治4年の11月に統廃合によって、千葉には印旛県、木更津県、新治県となりました。ちなみに、印旛県の県庁所在地は葛飾郡加に置かれました。現在の流山市加ですね!(流山教室は流山市加にあります)

 という紆余曲折を経て、上記のように、明治6年6月15日に当時の木更津県、印旛県の両県が合併して千葉県が誕生したのです。

 そして、明治8年に、現在の千葉、茨城にまたがる新治県が廃止され、一部が千葉県となったところで、千葉県はほぼ現在の(つまりチーバくんの)形に至る、というわけです。

 千葉県在住の方でも、上記のような千葉の変遷は意外と知らなかった方も多いのではないでしょうか? 

 残念ながら、県外に働きに出ている方々は休日とはなりませんし、今年は土曜日であったために、影の薄かった感のある千葉県民の日ですが、郷土を知るきっかけになればと思います。

2024.04.05

春休みも半ばを過ぎ、4月となりました。いよいよ新学年です。2024年度の公立入試は、東葛飾高、柏の葉高やおおたかの森高など、人気高の受検倍率が特に高かった年でありました。同時に、人気高と同様の偏差値ながら倍率が1.00を切っていた我孫子や松戸六実などでも1.00倍を上回るなど、厳しい入試であった年でした。この傾向はおそらく2025年度入試でも続くと思われます。このブログをご覧の流山、柏地域の生徒さんは、非受験学年から、そしてこの4月から受検を意識して日々の勉強に臨まれることをお勧めします。

 ところで、これを書いている4/4、気象庁は東京のソメイヨシノの満開を発表しました。

標本木となっている靖国神社にあるソメイヨシノが、8割以上開花と確認されたための発表だそうです。

 東京の桜の満開が4月になるのは、2017年ぶりで、7年ぶりの遅さなのだそうです。となると、満開の桜の中での入学式も、7年ぶりということになるでしょうか。

 この年度切替の別れと出会いをドラマティックに演出する花が桜であり、もはや卒業、入学と桜の花は切っても切れない関係にありますが、実は4月が新年度である国はほとんどありません。日本のほかにはインド、パナマくらいで、アメリカ、イギリス、フランスなど、多くの国では、実は新学年は9月からなのです。

 なぜ9月からなのか? これは、ヨーロッパの生活スタイルに基づいているという説が有力であるようです。

 中世より、19世紀に至るまで、ヨーロッパでは高校世界史で習う三圃制が行われていました。これは、小麦の連作障害を抑えるため、耕地を冬畑、夏畑、休閑地に分けて輪作を行う、というものです。この冬畑の収穫を迎えるのが夏であり、さらに牧畜をしている農家では、干し草を作る時期も夏でした。このシーズンは、どこの家も子供の手も借りたいほど忙しいシーズンです。この時期に学校を開いても、農家は子供を休ませて家の手伝いに回すことになってしまいます。そこで、学年のスタートを農作業シーズンが落ち着く9月にした。ということであるようです。

 一方、日本では、明治時代に学制が公布されました。西洋に倣った明治維新の一環ですので、この時は、実は日本の新学期も9月とされていたのです。ところが、その後に官公庁の「会計年度」が4月区切りとされました。これは、税制を年貢から税金へと変えた結果であるようです。秋に収穫した米を、現金化してから納税する。このプロセスを経るのに、9月始まりや12月区切りでは間に合わなかったため、4月区切りとされたそうです。

 その結果、学校や企業の年度も4月区切りにシフトしていったようです。会計年度に合わせた方が。事務手続きなど、いろいろ楽だったのでしょうね。

 こうしてみると、新学期というのは、各国の生活基盤の上に成り立ったものであったことがうかがえて、興味深いですね。日本の桜舞い散る新学期には、やはり風情が感じられます。成り立ちは風情と関係なかったとしても、後々の思い出が鮮やかな桜色であることは、嬉しいことです。

2024.03.25

先日3月23日(土)に行われた南流山中学校新校舎の一般見学会に行ってまいりました!
近年、南流山駅南側の大型マンション建設や戸建住宅の増加により、南流山小学校の児童数が増加しています。
教室数の不足に伴い、現在の南流山中学校を南流山第二小学校とし、南流山中学校は東洋学園大学の旧校舎へ移転となりました。

IMG_5908.jpeg←南流山中学校新校舎正門から








元は大学ということもあり、およそ一般の公立中では見られない正門からの景色です。
通常教室数も非常に多いですが、様々な用途で使用できる教室も豊富です。
また中学生向けに整備がなされ、登下校時の混雑を分散させる動線計画もあるようです。

教室の机や椅子も綺麗で使いやすそうですね!
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体育館も第1体育館と第2体育館と2つあり、中も広々としていました。
第2体育館には観客席もあり、部活動の試合が行われる際は盛り上がりそうです!
グラウンドも広い!しかも2面あるので色んな部活が同時に活動できます。また接触の可能性も低くなるので安全性の向上にもつながりますね!
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図書室は奥まで入ることはできませんでしたが、入り口付近から見ただけでもその広さや充実度が伺えました。
中学生時代、図書室を昼休みのたびに利用してきた私からすると、本当にうらやましい!
その他にも大学施設特有の講堂や、廊下に設置されたコミュニケーションスペースなど、中学校に通うのが楽しくなりそうな学習環境でした!

おそらく学校施設を管理される先生方の苦労は増えそうな気がしますが、子供たちはより充実した環境で勉強や部活、その他さまざまな活動に取り組んでくれることを期待しています。
(公立高校に進学したとき、施設レベルの違いにがっかりしないように...!)

2024.03.13

皆さんこんにちは。城南コベッツ南流山教室です。

2024年度の高校入試も無事終了しましたので、結果の報告をいたします。

今年度の中学3年生7名全員が

2024.01.25

県内私立入試が一段落し、公立高校志望の中3生たちは残り1ヵ月弱の勝負となりましたが、

1・2年生も学年末テストが近づいています!そろそろ2週間前になる中学校も出てきます。

1年間を締めくくるテスト、次年度に向けて弾みをつけましょう!

城南コベッツ南流山教室では定期テスト前の土曜日に対策勉強会を行っています。

数学だけを例に出しても1年生は平面図形の残りから空間図形、2年生は証明の残りから確率、場合によってはデータまで。と苦戦する単元が目白押しです。コベッツに在籍していない生徒のお申し込みも、ぜひお待ちしています!

定期テスト対策勉強会

  • 月3日(土)16:00~20:00、2月10日(土)16:00~20:00

対応教科●
英語・数学・国語・理科・社会
●持ち物●
筆記用具/テスト範囲表/教科書/問題集など
●参加費●
無料
●対象●
中学生

 ※現在、城南コベッツに通われていない方の参加もできます!

 ※座席の確保・教材作成の関係で定員があります。お申込みはお早めに!

【お申込み方法】

□お電話でお申込みの場合→城南コベッツ南流山教室(0120-52-3778)へ。

□WEBからお申込みの場合→体験授業申込みフォームに必要事項をご入力ください。

お申込み確認後、教室より電話にて、体験授業・勉強会日時のご案内をいたします。



2024.01.25

2024年1月1日をもって、ミッキーマウス、ミニーマウスのオリジナルバージョンの著作権保護の期間が切れました。今回は、このニュースと、著作権をテーマにしてみたいと思います。

 ディズニーがミッキーマウスを初公開した映画が「蒸気船ウィリー」(1928年公開)です。その後、ミッキーマウスは大人気となり、次々と作品が作られてゆきます。

 そして、ディズニーランド建設を経て、東京(千葉県浦安市)など、世界中にテーマパークが作られ、ミッキーマウスは世界一有名なキャラクターとして、2023年現在でも、人気を保ち続けています。

 今回は、上述の「蒸気船ウィリー」が、パブリックドメイン(知的財産権消滅)を迎えました。今後は、誰でもミッキーマウスを使用して作品を制作できるようになります。といっても、現在ディズニーランドにいるミッキーを自由に使用できるというわけではありません。あくまで「蒸気船ウィリー」で登場させたミッキーマウスのみ、なのです。

 現在のバージョンに至るまで、ミッキーマウスには様々なバージョンが存在しています。それらは未だにディズニーが知的財産権を保有していますので、これらを勝手に使って作品を創ることはできません。

 ところで、今回のテーマとなっている著作権。これ、そもそもなんなんでしょうか? 何故著作権という権利が必要なのでしょうか? そしていつごろ著作権というものが生まれたのでしょうか?

著作権というのは、作品を創造した者が有する権利です。この権利により、創った人は、自分の創った作品や、それを活用すること、によって収益を得たり、名声を得たりすることができます。(これを著作財産権といいます)また、著作者以外がその作品を扱えないようになると、作品には著作者のみの人間性が表現されるので、著作者の人格的権利を守ることができます。(これを著作者人格権といいます)

 こうして作品を創る人に収益、人格が保障されると、その人はその才能を次の作品へと注げるわけです。そうでないと、作品の創造そっちのけで生活費を稼がねばならなくなってしまいます。そうなれば本来創造されるはずの作品ができず、文化的には大きな損失になってしまいます。それを防ぐのが、著作権であるといえます。

 そもそも、「著作権」という考え方は、中世までは存在すらしないものでした。なぜなら、複製も手作業である時代には、書籍の作成とその複製の作成に、ほぼ同じコストがかかってしまうからです。例えば古代ローマ帝国時代では、著者に報酬が支払われるケースはあったそうですが、それは一回目の複製までで、複製の複製になると、著作者には何も支払われることはなかったそうです。どころか、普通は著者には、一回目の複製ですら自分の作品に対して何も払われなかったそうです。

 その後、中世において、自らの著作を守る方法、複写に対する対策として、とても現代では考えられないようなユニークな方法が用いられます。それが、ブックカースです。

 ブックカースとは、何か。というと、これがbook(本)curse(呪い)つまり呪いをかける。ということなのです。自らの作品や、自ら所有していた本の奥付などに、本を盗んだ者に災いが降りかかるよう、呪いの言葉を書いておく、というものです。いわゆるオカルトですが、キリスト教全盛の中世ヨーロッパでは、それなりに抑止効果があったのかも......知れません。

 興味のある方は"ブックカース"でネット検索してみてください。実際のブックカースの文言やそれを和訳したものを見つけることができると思います。

 さて、その後、グーテンベルクによる活版印刷の発明により、著作物に対して複製のコストが一気に下がることになります。そしてイタリアのヴェネツィア(当時はヴェネツィア共和国)において、最初の著作権法が生まれ、その後各国でも著作権法の整備がされていき、それが洗練されて、現在の著作権法になっていくのです。

 世間の人々を感動させる著作物は、往々にして作者の全身、そして全霊をもって創造されたものであります。現代では、電子化によって著作物の複製はますます安易に行うことができてしまいます。翻って著作権保護の法律は、未だ全てが完璧というわけでありません。

安易に著作者からその利益をかすめ取ったりすれば、呪われてしまうかもしれませんね。 

2024.01.13

令和 6 年1月1日に発生した令和6年能登半島地震により、犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表します。また、被災された方、そのご家族及び関係の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 元日の、穏やかな一日に、日も傾いてきた午後4時過ぎ、能登地方を文字通りの激震が走りました。最大震度7、マグニチュード7.6という凄まじい威力に、多くの家屋や建物が倒壊し、日本海沿岸特有の、ほぼ間をおかずにやって来る津波が、能登半島を襲いました。

 北陸の厳冬の中、今なお万単位の方々が避難生活を余儀なくされ、ライフラインも復旧していない状態です。

 地震国である日本には、これからも甚大な地震は襲い来るでしょう。地震を無効化できるような大それた力を持たない我々は、せめて災害後になるべく被害を抑えるよう備えておくことが肝心です。――という言説は大きな地震の後には定型文のように言われる警句ですが、「備える」とは、何も防災グッズを用意しておく、ローリングストックで非常食を確保しておく、というだけでなく、心構えの面でも備えておく必要があるのだと考えています。

 災害情報時にはSNSが大きな効力を持つことは、東日本大震災の際に確認できたことですが、その際にはその負の側面、「デマの拡散」という憂慮すべき出来事も多数起きてしまいました。今回の能登地震でも、デマが拡散されているという報道を見かけます。例えば、「外国人窃盗団が能登半島に集結している(しかも実際には国名まではっきり書かれていました)」というような偽情報が、これは残念ながら現在も拡散してしまっています。

 こういった偽情報の拡散は、激甚災害の度に見受けられます。大正時代に起こった関東大震災でも、「井戸の水に朝鮮人が毒を入れた」とデマが広がった、ということがあったようです。そのような悪質な噂話が、現代ではSNSで瞬く間に広がってしまいます。例えば、そんなデマ情報を安易に拡散しない、ということも、「心構えの面での備え」と言えると思います。

 人間は、焦ってしまったとき、心が乱されたときに、普段では思いもよらない行動をしてしまうものです。だから、落ち着くことがまず第一。落ち着いて冷静に考えてみれば妙なデマには踊らされない――というのが、このテの話題でよく出てくる解決策です。まあ全くその通りであると思います。筆者も思い返してみれば、冷静さを欠いたために余計な失敗を重ねた記憶がまあ枚挙にいとまがないほど出てきます。つまり、「冷静になる」これは確かに正解ですが、そんなにうまく感情のコントロールが出来るなら、人間は失敗をしない生き物に進化できていることでしょう。......そんな人間、いませんよね。

 しかも、SNSは、基本的に口には出せないような心情を吐き出しやすいようになっていますし、そのような使い方をしている人も多いはず。口に出す以上に、これを冷静さでもってストップすることって、大変なことだと思うのです。

 そこで、ひとつだけ。ブレーキを踏むタイミングを用意しよう。というのが、筆者の考えです。

 そのブレーキとは、「心配」でものを言っていないか。です。

 心配する。これは一見、相手をおもいやる心、に、見えます。しかしこれがデマ拡散のひとつの原因ではないのかな? を私は考えているのです。

実際に拡散されたデマなどを見ていると、その文の結びが「注意!」「気をつけて!」となっているものが多いのです。ほとんどの人間は、後ろめたい行為は、やはり気が咎めるものです。ところが、「心配」は後ろめたい行為のカテゴリーに入っていない人が多く、上記のような「○○注意!」 や「〇〇に気をつけて!」といったデマは、良かれとおもって拡散してしまっているケースが多いと思っています。

ですので、今日からでも、「心配する」ということを、「悪いこと、相手を傷つけること」と同じように一旦ブレーキが必要な心持ちなのである。と意識しておいてほしいのです。

 親が我が子を心配することは、生物のほんとどが持っている習性であり、子どもの危機管理上、絶対に必要であるものです。しかし、その関係にない他人が他人を心配するということは「本来自由であるはずの他人の行動(意思)を束縛する行為である」と思っておいた方が無難だな、と、筆者は災害時に関係なく考えています。ましてや「心配してやっている」というような心持ちでいると、ろくなことにならないし、災害時には、上記のようなデマを拡散してしまうことになるでしょう。

 

 以上、「心構えの面での備え」について、ひとつ例をあげてみました。能登地方をはじめ、災害に会い、現在も不自由な生活を余儀なくされている方々の、一刻も早い日常への復帰をお祈りすると共に、私たちもまた、来る災害に、モノ、心両面から備えていきたいものです。

2023.11.23

10月7日、イスラム組織ハマスが、イスラエルへ大規模な攻撃を行いました。これに対して、イスラエル側はパレスチナのガザ地区へ徹底した空爆を実施しています。さらに、ハマスもイスラエルに対し、ロケット弾を応射。双方の攻撃は民間人も巻き込んで、多数の死傷者を生んでいます。

 1948年。イスラエルという新しい国家が、パレスチナの地に建国されました。その結果、元々パレスチナに住んでいた人々は、無理に追い立てられて、ヨルダン川西岸やガザ地区に住むことを余儀なくされてしまいました。パレスチナ側には、武力でイスラエルに抵抗するイスラム系武装組織も生まれます。イスラエルはそういった武装組織に軍隊でもって対抗。この争いは今日に至るまで収まりを見せていません。これが、いわゆるパレスチナ問題です。

 こうまとめると、イスラエルが強引に建国したことが原因であり、速やかにパレスチナの地を出れば、解決しそうに見えますが、この問題の根は、それが何千年にも続くしがらみのせいで、困難である、というところにあります。

 ここでは、そのパレスチナ問題の根がどういうものか、少し書いていこうと思います。

 元々、といっても何千年もまえの話です。現在のパレスチナは、「カナンの地」と呼ばれ、イスラエルのほとんどを構成するユダヤ人の祖先が暮らしていたといいます。どこでいわれているか。世界一のベストセラーである聖書、その旧約聖書の中で、いわれていることなのです。今回のタイトルである「密あふるる約束の地」というのは、旧約聖書におけるカナンの地の描写に登場する言い回しです。現在の紛争の話なのに、発端は旧約聖書。このパレスチナ問題の根がとんでもなく深いということこれだけでも感じられるのではないでしょうか。

 古代、このカナンの地で暮らしていた人々を、「ヘブライ人」といいます。

 その後、ヘブライ人たちは飢饉から、一時古代エジプトに集団移住を行い、エジプトで奴隷とされてしまいますが、指導者モーセの導き(例の、海をばっくり割るやつですね)によって、再びカナンの地にたどり着き、定住していきます。

 やがてカナンの地にはイスラエル王国が建国されます。そしてまた聖書の有名人であるダビデ、ソロモン王の統治を経て、王国は北のイスラエル、南のユダに分かれます。

 この2つの王国は共に、バビロニアやエジプトなどに敗れ、滅亡していきます。先にイスラエル王国が滅び、ユダ王国は、バビロンへ捕囚されることになります。(いわゆるバビロン捕囚です。)こうして、この捕囚されたヘブライ人はユダヤ人と呼ばれるようになります。

 こうして故郷を失ったユダヤ人は、ペルシア、マケドニア、ローマ、そしてヨーロッパ全土へと、時代の波に翻弄されるように流浪してゆきます。

 中世ヨーロッパのキリスト教社会では、ユダヤ人は「キリスト殺し」の罪を背負うとされ(イエスもユダヤ人ですが)、迫害を受け続けます。土地を持たず、商工業ギルドにも入れないユダヤ人にできた仕事は、いわゆる"闇金"の類しかなかったといいます。

 イギリスの文豪、シェイクスピアも、「ヴェニスの商人」という作品で、ユダヤ人高利貸しのシャイロックというキャラクターを登場させています。

 この何百年に及ぶユダヤ人差別は収まるどころか、近代にいたるまで延々と続き、ついには、ナチスドイツによる、ホロコースト(大量虐殺)へと発展してしまうのです。

 何千年も、居場所がなく、迫害され続けてきた民族、ユダヤ人。彼らが1948年に、「密あふるる約束の地」に建国したのが、イスラエルなのです。

 もちろん、これはユダヤ人側から見たイスラエル建国までのお話す。迫害されていたから、数千年前に住んでいたからといって、パレスチナに住んでいた人から無理矢理土地を奪っていいわけではありません。しかし、パレスチナ問題の根は、このようにヨーロッパ全土を巻き込んで、何千年も遡る必要のある、深刻な問題である。ということが少しお伝えできれば、と思っています。

また、パレスチナ問題を語る上では、当然パレスチナ=アラブ側にも、スポットライトを当てる必要がありますが、非常に長くなることが確実ですので、ここには書かないでおきます。興味を持たれた方は、是非調べてみてください。

 しかし、聖書に「密あふるる約束の地」と書かれた場所が、今日でも戦火にさらされており、死者を出してしまっている事実は、なんというか、やりきれない思いがありますね。