城南コベッツ南流山教室

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2024.01.13

令和 6 年1月1日に発生した令和6年能登半島地震により、犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表します。また、被災された方、そのご家族及び関係の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 元日の、穏やかな一日に、日も傾いてきた午後4時過ぎ、能登地方を文字通りの激震が走りました。最大震度7、マグニチュード7.6という凄まじい威力に、多くの家屋や建物が倒壊し、日本海沿岸特有の、ほぼ間をおかずにやって来る津波が、能登半島を襲いました。

 北陸の厳冬の中、今なお万単位の方々が避難生活を余儀なくされ、ライフラインも復旧していない状態です。

 地震国である日本には、これからも甚大な地震は襲い来るでしょう。地震を無効化できるような大それた力を持たない我々は、せめて災害後になるべく被害を抑えるよう備えておくことが肝心です。――という言説は大きな地震の後には定型文のように言われる警句ですが、「備える」とは、何も防災グッズを用意しておく、ローリングストックで非常食を確保しておく、というだけでなく、心構えの面でも備えておく必要があるのだと考えています。

 災害情報時にはSNSが大きな効力を持つことは、東日本大震災の際に確認できたことですが、その際にはその負の側面、「デマの拡散」という憂慮すべき出来事も多数起きてしまいました。今回の能登地震でも、デマが拡散されているという報道を見かけます。例えば、「外国人窃盗団が能登半島に集結している(しかも実際には国名まではっきり書かれていました)」というような偽情報が、これは残念ながら現在も拡散してしまっています。

 こういった偽情報の拡散は、激甚災害の度に見受けられます。大正時代に起こった関東大震災でも、「井戸の水に朝鮮人が毒を入れた」とデマが広がった、ということがあったようです。そのような悪質な噂話が、現代ではSNSで瞬く間に広がってしまいます。例えば、そんなデマ情報を安易に拡散しない、ということも、「心構えの面での備え」と言えると思います。

 人間は、焦ってしまったとき、心が乱されたときに、普段では思いもよらない行動をしてしまうものです。だから、落ち着くことがまず第一。落ち着いて冷静に考えてみれば妙なデマには踊らされない――というのが、このテの話題でよく出てくる解決策です。まあ全くその通りであると思います。筆者も思い返してみれば、冷静さを欠いたために余計な失敗を重ねた記憶がまあ枚挙にいとまがないほど出てきます。つまり、「冷静になる」これは確かに正解ですが、そんなにうまく感情のコントロールが出来るなら、人間は失敗をしない生き物に進化できていることでしょう。......そんな人間、いませんよね。

 しかも、SNSは、基本的に口には出せないような心情を吐き出しやすいようになっていますし、そのような使い方をしている人も多いはず。口に出す以上に、これを冷静さでもってストップすることって、大変なことだと思うのです。

 そこで、ひとつだけ。ブレーキを踏むタイミングを用意しよう。というのが、筆者の考えです。

 そのブレーキとは、「心配」でものを言っていないか。です。

 心配する。これは一見、相手をおもいやる心、に、見えます。しかしこれがデマ拡散のひとつの原因ではないのかな? を私は考えているのです。

実際に拡散されたデマなどを見ていると、その文の結びが「注意!」「気をつけて!」となっているものが多いのです。ほとんどの人間は、後ろめたい行為は、やはり気が咎めるものです。ところが、「心配」は後ろめたい行為のカテゴリーに入っていない人が多く、上記のような「○○注意!」 や「〇〇に気をつけて!」といったデマは、良かれとおもって拡散してしまっているケースが多いと思っています。

ですので、今日からでも、「心配する」ということを、「悪いこと、相手を傷つけること」と同じように一旦ブレーキが必要な心持ちなのである。と意識しておいてほしいのです。

 親が我が子を心配することは、生物のほんとどが持っている習性であり、子どもの危機管理上、絶対に必要であるものです。しかし、その関係にない他人が他人を心配するということは「本来自由であるはずの他人の行動(意思)を束縛する行為である」と思っておいた方が無難だな、と、筆者は災害時に関係なく考えています。ましてや「心配してやっている」というような心持ちでいると、ろくなことにならないし、災害時には、上記のようなデマを拡散してしまうことになるでしょう。

 

 以上、「心構えの面での備え」について、ひとつ例をあげてみました。能登地方をはじめ、災害に会い、現在も不自由な生活を余儀なくされている方々の、一刻も早い日常への復帰をお祈りすると共に、私たちもまた、来る災害に、モノ、心両面から備えていきたいものです。

2023.11.23

10月7日、イスラム組織ハマスが、イスラエルへ大規模な攻撃を行いました。これに対して、イスラエル側はパレスチナのガザ地区へ徹底した空爆を実施しています。さらに、ハマスもイスラエルに対し、ロケット弾を応射。双方の攻撃は民間人も巻き込んで、多数の死傷者を生んでいます。

 1948年。イスラエルという新しい国家が、パレスチナの地に建国されました。その結果、元々パレスチナに住んでいた人々は、無理に追い立てられて、ヨルダン川西岸やガザ地区に住むことを余儀なくされてしまいました。パレスチナ側には、武力でイスラエルに抵抗するイスラム系武装組織も生まれます。イスラエルはそういった武装組織に軍隊でもって対抗。この争いは今日に至るまで収まりを見せていません。これが、いわゆるパレスチナ問題です。

 こうまとめると、イスラエルが強引に建国したことが原因であり、速やかにパレスチナの地を出れば、解決しそうに見えますが、この問題の根は、それが何千年にも続くしがらみのせいで、困難である、というところにあります。

 ここでは、そのパレスチナ問題の根がどういうものか、少し書いていこうと思います。

 元々、といっても何千年もまえの話です。現在のパレスチナは、「カナンの地」と呼ばれ、イスラエルのほとんどを構成するユダヤ人の祖先が暮らしていたといいます。どこでいわれているか。世界一のベストセラーである聖書、その旧約聖書の中で、いわれていることなのです。今回のタイトルである「密あふるる約束の地」というのは、旧約聖書におけるカナンの地の描写に登場する言い回しです。現在の紛争の話なのに、発端は旧約聖書。このパレスチナ問題の根がとんでもなく深いということこれだけでも感じられるのではないでしょうか。

 古代、このカナンの地で暮らしていた人々を、「ヘブライ人」といいます。

 その後、ヘブライ人たちは飢饉から、一時古代エジプトに集団移住を行い、エジプトで奴隷とされてしまいますが、指導者モーセの導き(例の、海をばっくり割るやつですね)によって、再びカナンの地にたどり着き、定住していきます。

 やがてカナンの地にはイスラエル王国が建国されます。そしてまた聖書の有名人であるダビデ、ソロモン王の統治を経て、王国は北のイスラエル、南のユダに分かれます。

 この2つの王国は共に、バビロニアやエジプトなどに敗れ、滅亡していきます。先にイスラエル王国が滅び、ユダ王国は、バビロンへ捕囚されることになります。(いわゆるバビロン捕囚です。)こうして、この捕囚されたヘブライ人はユダヤ人と呼ばれるようになります。

 こうして故郷を失ったユダヤ人は、ペルシア、マケドニア、ローマ、そしてヨーロッパ全土へと、時代の波に翻弄されるように流浪してゆきます。

 中世ヨーロッパのキリスト教社会では、ユダヤ人は「キリスト殺し」の罪を背負うとされ(イエスもユダヤ人ですが)、迫害を受け続けます。土地を持たず、商工業ギルドにも入れないユダヤ人にできた仕事は、いわゆる"闇金"の類しかなかったといいます。

 イギリスの文豪、シェイクスピアも、「ヴェニスの商人」という作品で、ユダヤ人高利貸しのシャイロックというキャラクターを登場させています。

 この何百年に及ぶユダヤ人差別は収まるどころか、近代にいたるまで延々と続き、ついには、ナチスドイツによる、ホロコースト(大量虐殺)へと発展してしまうのです。

 何千年も、居場所がなく、迫害され続けてきた民族、ユダヤ人。彼らが1948年に、「密あふるる約束の地」に建国したのが、イスラエルなのです。

 もちろん、これはユダヤ人側から見たイスラエル建国までのお話す。迫害されていたから、数千年前に住んでいたからといって、パレスチナに住んでいた人から無理矢理土地を奪っていいわけではありません。しかし、パレスチナ問題の根は、このようにヨーロッパ全土を巻き込んで、何千年も遡る必要のある、深刻な問題である。ということが少しお伝えできれば、と思っています。

また、パレスチナ問題を語る上では、当然パレスチナ=アラブ側にも、スポットライトを当てる必要がありますが、非常に長くなることが確実ですので、ここには書かないでおきます。興味を持たれた方は、是非調べてみてください。

 しかし、聖書に「密あふるる約束の地」と書かれた場所が、今日でも戦火にさらされており、死者を出してしまっている事実は、なんというか、やりきれない思いがありますね。

2023.09.28

現在、流山市など、千葉県北西部では、インフルエンザが流行しています。他の都道府県でも、インフルエンザ流行の本格化というニュースが報じられていますので、全国的に流行しているようです。

 先週には、流山市内でもいくつものの小中学校が学級閉鎖、学年閉鎖、果ては学校閉鎖を行う措置を取りました。インフルエンザの流行が学校生活や日々の学習に、大きな影響が生じる事態となりました。まさに「influenza」(影響)という、この病気の語源通りといえます。

 「influenza」は、16世紀、イタリアで名づけられたそうです。当時はウイルスはもちろん、細菌でさえも認識されていなかったため、決まったように冬に発生するこの病気は、星の巡りや冬の冷気による「影響」で引き起こされると考えられ、この病名になったそうです。SNSで存在感をアピールする「インフルエンサー」も、英語の「innfluence」(影響)という意味であり、双方語源は同じラテン語の「influentia」です。

 医学の発達した現代では、この流行性感冒は、インフルエンザウイルスというウイルスが原因であることが解っています。原因は突き止められても、感染を完全に防ぐ手立ては確立されていません。大流行の兆しがあると、国家はパンデミックを恐れ、普段の生活にさえも制限が掛かってしまうということを、我々は新型コロナの流行でほんの数年前に学びました。

インフルエンザによるパンデミックで、直近140年で最も深刻だったのは、1918年に世界的に流行した「スペイン風邪」だといわれています。全世界で感染者は6億人、死者は4000万から5000万人に達したそうです。当時行われていた第一次世界大戦の死者をはるかに上回るものでした。そうなる前の対策が、外出自粛であり、さらにその前の段階で流行に歯止めをかけるのが、学校などの閉鎖措置である。というわけです。

手洗いの徹底や、感染前のワクチン接種など、現代の我々には、ウイルスに対して対抗できる手段を持っています。できる予防はしっかり行って、健康を維持していきましょう。

2023.08.10

現在(8/10現在)生徒の皆さんは一年で最も長いお休み、夏休みの真っただ中だと思います。

 もちろん、我々城南コベッツとしては生徒さんの夏休みこそ夏期講習期間中であり、「夏休みは目一杯遊んでください!」というよりも、「夏休みは目一杯勉強しましょう!!」という立場です。

 しかし、そんな生徒の皆さんに酷なことを言う学習塾も、8/11(金)~8/16(水)まではお休みを頂いています。いわゆるお盆休みというやつですね。今度こそ言えます。「お盆休みは目一杯遊びましょう!」

さて、夏休み中の生徒さんはもちろん、大人の大半さえも(もちろんお盆中働いてくださっている方々もいらっしゃることでしょう)休むことができてしまう「お盆」とは、一体なんなのでしょうか?

 お盆とは、ちょうど夏のこの期間、毎年ご先祖様の御霊があの世から帰ってくるため、そのお迎えを行い、またあの世へ戻るために送り返す、という一連の宗教儀式を指します。

 具体的にどんな儀式で迎えるか、送るのか、という儀式の内容については、各地方によって異なってくるため、割愛させて頂きますが、大体この「あの世」であったり「ご先祖様」であったり、といったキーワードが出てくることがほとんどです。

 中国などにも「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という仏教行事があり、お盆のルーツの一つではありますが、いつごろから日本にお盆の風習があったのかは明確にはわからないそうです。ただ、8世紀ごろ(700年代ですから、奈良時代ですね!)には、夏に祖先の供養を行う風習があったと考えられているようです。

 ――と、言っても、令和の現在、それも東京のベッドタウンである流山で、厳格に宗教的な意味でお盆を全うしている人は多くないかもしれません。もちろん、これを書いている筆者もそうです。そんな現代人にとっては、お盆とは上記の「いわゆるお盆休み」でしかありません。ただ、宗教的意味合いは薄れても、せめてお盆の間はふるさとに帰る――いわゆる帰省シーズンとしてのお盆は、まだ残っているのではないでしょうか?

 帰省ラッシュというやつですね。2023年は、ここ数年コロナ禍で規制がままならなかった方も多いとみえて、大規模な帰省ラッシュが予想されています。8/10現在、数十キロの渋滞が首都圏で発生していますので、予想というか、実際にラッシュは起こっていますね。10日夜にはさらに渋滞は伸び、下りの渋滞ピークは明日11日になるとのことです。

 ドライバーのみなさん、安全運転で無事帰省なさってください。また、お盆をおじいちゃん、おばあちゃんの家で過ごす生徒のみなさん。是非ゆっくり羽を伸ばしてください。

 17日木曜日からは夏期講習後半戦が始まります。スタッフ一同、生徒さんの愉快なお土産話を楽しみにしています。

2023.07.05

7月4日。この日が何の日か知っていますか?

日本では祝日でも何でもないので、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

もし、「7(な)4(し)」だから梨の日では? と思われた方は、一応、その通りです。

ちなみに、現在梨の品種として有名な二十世紀梨は、明治のころ、松戸市に住むの松戸 覚之助さん(当時13歳)が親類のゴミ捨て場で見つけた苗を父子で育ててみたことが始まりだそうです。

そこから10年もの歳月をかけて、梨の栽培に成功。当時外務大臣や首相を歴任していた大隈重信も、この梨を食した際に「大変甘美で至極美味」と太鼓判を押したのだとか。

松戸覚之助親子は、その梨の苗木を、成功する農家に快く分けていきました。やがて、1900年代つまり二十世紀に入り、苗を譲り受けた農家のひとりが、新世紀を代表する品種となるように、と、この梨を「二十世紀梨」と呼ぶようになったんだとか。

閑話休題。

はい。7月4日は、日本ではなく、アメリカ合衆国の祝日。「独立記念日」です。

簡単な解説を行うと、1700年代、16世紀半ばころまでには、北米新大陸の、大英帝国の13の植民地は、イギリス本国にばかり有利で、植民地には不利であるような一方的な法律や課税に対して不満を抱くようになっていました。しかし、英国議会には植民地代表の椅子は1席も存在せず、指をくわえてみているしかありませんでした。

やがて、北米植民地は「No Taxation Without Representation(代表なくして課税なし)」のスローガンの元、イギリス本国と対立するようになります。

 1770年には、ボストンにおいて、植民地に住む市民集団の本国への抗議活動に対して、イギリス軍から発砲が行われ、5人の死者を含む死傷者が出てしまいます。

 また、同じくボストンで、3年後の1773年には、紅茶に関する植民地に不利な課税に憤った市民たちが、東インド会社の船に乗り込んで、積み荷の紅茶を港に投げ捨てる「ボストン茶会事件」が起こります。

 こういったことが引き金となって、1775年、イギリス本国と北米植民地は、戦争状態へと突入します。

そして、翌年の1776年7月4日、植民地の代表会議、大陸会議は2日前に作成された独立宣言を承認する議決を行い、ここに新独立国家、アメリカ合衆国が形成されたのです。

 だいぶ歴史の講義のようになってしまいましたが、アメリカでは現在でもこの7月4日を重要な記念日として、盛大に祝います。様々なイベントの他、軍隊のパレードや、花火大会が行われます。人々は祝日を楽しみ、合衆国国旗を振って、イベントに参加したりしています。試しに、SNSに# indipendence dayと入力して検索してみてください。花火の様子やイベントの様子を動画などで見ることができると思います。

現代の日本では、第二次世界大戦の際の全体主義の古傷から、国旗を振るほどの愛国心は眉を顰められることもあるかもしれません。一方で、星条旗の元、屈託なさげに独立記念日を謳歌するアメリカ国民の様子を、少し羨ましいかも、と感じた7月4日だったのでした。