城南コベッツ南流山教室

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  • 〒270-0163 千葉県流山市南流山1丁目14-8 1階
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受付時間:16:00~20:00/日祝休

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南流山教室のメッセージ

2024.01.25

県内私立入試が一段落し、公立高校志望の中3生たちは残り1ヵ月弱の勝負となりましたが、

1・2年生も学年末テストが近づいています!そろそろ2週間前になる中学校も出てきます。

1年間を締めくくるテスト、次年度に向けて弾みをつけましょう!

城南コベッツ南流山教室では定期テスト前の土曜日に対策勉強会を行っています。

数学だけを例に出しても1年生は平面図形の残りから空間図形、2年生は証明の残りから確率、場合によってはデータまで。と苦戦する単元が目白押しです。コベッツに在籍していない生徒のお申し込みも、ぜひお待ちしています!

定期テスト対策勉強会

  • 2月3日(土)16:00~20:00、2月10日(土)16:00~20:00

対応教科●
英語・数学・国語・理科・社会
●持ち物●
筆記用具/テスト範囲表/教科書/問題集など
●参加費●
無料
●対象●
中学生

 ※現在、城南コベッツに通われていない方の参加もできます!

 ※座席の確保・教材作成の関係で定員があります。お申込みはお早めに!

【お申込み方法】

□お電話でお申込みの場合→城南コベッツ南流山教室(0120-52-3778)へ。

□WEBからお申込みの場合→体験授業申込みフォームに必要事項をご入力ください。

お申込み確認後、教室より電話にて、体験授業・勉強会日時のご案内をいたします。



2024.01.25

2024年1月1日をもって、ミッキーマウス、ミニーマウスのオリジナルバージョンの著作権保護の期間が切れました。今回は、このニュースと、著作権をテーマにしてみたいと思います。

 ディズニーがミッキーマウスを初公開した映画が「蒸気船ウィリー」(1928年公開)です。その後、ミッキーマウスは大人気となり、次々と作品が作られてゆきます。

 そして、ディズニーランド建設を経て、東京(千葉県浦安市)など、世界中にテーマパークが作られ、ミッキーマウスは世界一有名なキャラクターとして、2023年現在でも、人気を保ち続けています。

 今回は、上述の「蒸気船ウィリー」が、パブリックドメイン(知的財産権消滅)を迎えました。今後は、誰でもミッキーマウスを使用して作品を制作できるようになります。といっても、現在ディズニーランドにいるミッキーを自由に使用できるというわけではありません。あくまで「蒸気船ウィリー」で登場させたミッキーマウスのみ、なのです。

 現在のバージョンに至るまで、ミッキーマウスには様々なバージョンが存在しています。それらは未だにディズニーが知的財産権を保有していますので、これらを勝手に使って作品を創ることはできません。

 ところで、今回のテーマとなっている著作権。これ、そもそもなんなんでしょうか? 何故著作権という権利が必要なのでしょうか? そしていつごろ著作権というものが生まれたのでしょうか?

著作権というのは、作品を創造した者が有する権利です。この権利により、創った人は、自分の創った作品や、それを活用すること、によって収益を得たり、名声を得たりすることができます。(これを著作財産権といいます)また、著作者以外がその作品を扱えないようになると、作品には著作者のみの人間性が表現されるので、著作者の人格的権利を守ることができます。(これを著作者人格権といいます)

 こうして作品を創る人に収益、人格が保障されると、その人はその才能を次の作品へと注げるわけです。そうでないと、作品の創造そっちのけで生活費を稼がねばならなくなってしまいます。そうなれば本来創造されるはずの作品ができず、文化的には大きな損失になってしまいます。それを防ぐのが、著作権であるといえます。

 そもそも、「著作権」という考え方は、中世までは存在すらしないものでした。なぜなら、複製も手作業である時代には、書籍の作成とその複製の作成に、ほぼ同じコストがかかってしまうからです。例えば古代ローマ帝国時代では、著者に報酬が支払われるケースはあったそうですが、それは一回目の複製までで、複製の複製になると、著作者には何も支払われることはなかったそうです。どころか、普通は著者には、一回目の複製ですら自分の作品に対して何も払われなかったそうです。

 その後、中世において、自らの著作を守る方法、複写に対する対策として、とても現代では考えられないようなユニークな方法が用いられます。それが、ブックカースです。

 ブックカースとは、何か。というと、これがbook(本)curse(呪い)つまり呪いをかける。ということなのです。自らの作品や、自ら所有していた本の奥付などに、本を盗んだ者に災いが降りかかるよう、呪いの言葉を書いておく、というものです。いわゆるオカルトですが、キリスト教全盛の中世ヨーロッパでは、それなりに抑止効果があったのかも......知れません。

 興味のある方は"ブックカース"でネット検索してみてください。実際のブックカースの文言やそれを和訳したものを見つけることができると思います。

 さて、その後、グーテンベルクによる活版印刷の発明により、著作物に対して複製のコストが一気に下がることになります。そしてイタリアのヴェネツィア(当時はヴェネツィア共和国)において、最初の著作権法が生まれ、その後各国でも著作権法の整備がされていき、それが洗練されて、現在の著作権法になっていくのです。

 世間の人々を感動させる著作物は、往々にして作者の全身、そして全霊をもって創造されたものであります。現代では、電子化によって著作物の複製はますます安易に行うことができてしまいます。翻って著作権保護の法律は、未だ全てが完璧というわけでありません。

安易に著作者からその利益をかすめ取ったりすれば、呪われてしまうかもしれませんね。 

2024.01.13

令和 6 年1月1日に発生した令和6年能登半島地震により、犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表します。また、被災された方、そのご家族及び関係の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 元日の、穏やかな一日に、日も傾いてきた午後4時過ぎ、能登地方を文字通りの激震が走りました。最大震度7、マグニチュード7.6という凄まじい威力に、多くの家屋や建物が倒壊し、日本海沿岸特有の、ほぼ間をおかずにやって来る津波が、能登半島を襲いました。

 北陸の厳冬の中、今なお万単位の方々が避難生活を余儀なくされ、ライフラインも復旧していない状態です。

 地震国である日本には、これからも甚大な地震は襲い来るでしょう。地震を無効化できるような大それた力を持たない我々は、せめて災害後になるべく被害を抑えるよう備えておくことが肝心です。――という言説は大きな地震の後には定型文のように言われる警句ですが、「備える」とは、何も防災グッズを用意しておく、ローリングストックで非常食を確保しておく、というだけでなく、心構えの面でも備えておく必要があるのだと考えています。

 災害情報時にはSNSが大きな効力を持つことは、東日本大震災の際に確認できたことですが、その際にはその負の側面、「デマの拡散」という憂慮すべき出来事も多数起きてしまいました。今回の能登地震でも、デマが拡散されているという報道を見かけます。例えば、「外国人窃盗団が能登半島に集結している(しかも実際には国名まではっきり書かれていました)」というような偽情報が、これは残念ながら現在も拡散してしまっています。

 こういった偽情報の拡散は、激甚災害の度に見受けられます。大正時代に起こった関東大震災でも、「井戸の水に朝鮮人が毒を入れた」とデマが広がった、ということがあったようです。そのような悪質な噂話が、現代ではSNSで瞬く間に広がってしまいます。例えば、そんなデマ情報を安易に拡散しない、ということも、「心構えの面での備え」と言えると思います。

 人間は、焦ってしまったとき、心が乱されたときに、普段では思いもよらない行動をしてしまうものです。だから、落ち着くことがまず第一。落ち着いて冷静に考えてみれば妙なデマには踊らされない――というのが、このテの話題でよく出てくる解決策です。まあ全くその通りであると思います。筆者も思い返してみれば、冷静さを欠いたために余計な失敗を重ねた記憶がまあ枚挙にいとまがないほど出てきます。つまり、「冷静になる」これは確かに正解ですが、そんなにうまく感情のコントロールが出来るなら、人間は失敗をしない生き物に進化できていることでしょう。......そんな人間、いませんよね。

 しかも、SNSは、基本的に口には出せないような心情を吐き出しやすいようになっていますし、そのような使い方をしている人も多いはず。口に出す以上に、これを冷静さでもってストップすることって、大変なことだと思うのです。

 そこで、ひとつだけ。ブレーキを踏むタイミングを用意しよう。というのが、筆者の考えです。

 そのブレーキとは、「心配」でものを言っていないか。です。

 心配する。これは一見、相手をおもいやる心、に、見えます。しかしこれがデマ拡散のひとつの原因ではないのかな? を私は考えているのです。

実際に拡散されたデマなどを見ていると、その文の結びが「注意!」「気をつけて!」となっているものが多いのです。ほとんどの人間は、後ろめたい行為は、やはり気が咎めるものです。ところが、「心配」は後ろめたい行為のカテゴリーに入っていない人が多く、上記のような「○○注意!」 や「〇〇に気をつけて!」といったデマは、良かれとおもって拡散してしまっているケースが多いと思っています。

ですので、今日からでも、「心配する」ということを、「悪いこと、相手を傷つけること」と同じように一旦ブレーキが必要な心持ちなのである。と意識しておいてほしいのです。

 親が我が子を心配することは、生物のほんとどが持っている習性であり、子どもの危機管理上、絶対に必要であるものです。しかし、その関係にない他人が他人を心配するということは「本来自由であるはずの他人の行動(意思)を束縛する行為である」と思っておいた方が無難だな、と、筆者は災害時に関係なく考えています。ましてや「心配してやっている」というような心持ちでいると、ろくなことにならないし、災害時には、上記のようなデマを拡散してしまうことになるでしょう。

 

 以上、「心構えの面での備え」について、ひとつ例をあげてみました。能登地方をはじめ、災害に会い、現在も不自由な生活を余儀なくされている方々の、一刻も早い日常への復帰をお祈りすると共に、私たちもまた、来る災害に、モノ、心両面から備えていきたいものです。

2023.11.23

10月7日、イスラム組織ハマスが、イスラエルへ大規模な攻撃を行いました。これに対して、イスラエル側はパレスチナのガザ地区へ徹底した空爆を実施しています。さらに、ハマスもイスラエルに対し、ロケット弾を応射。双方の攻撃は民間人も巻き込んで、多数の死傷者を生んでいます。

 1948年。イスラエルという新しい国家が、パレスチナの地に建国されました。その結果、元々パレスチナに住んでいた人々は、無理に追い立てられて、ヨルダン川西岸やガザ地区に住むことを余儀なくされてしまいました。パレスチナ側には、武力でイスラエルに抵抗するイスラム系武装組織も生まれます。イスラエルはそういった武装組織に軍隊でもって対抗。この争いは今日に至るまで収まりを見せていません。これが、いわゆるパレスチナ問題です。

 こうまとめると、イスラエルが強引に建国したことが原因であり、速やかにパレスチナの地を出れば、解決しそうに見えますが、この問題の根は、それが何千年にも続くしがらみのせいで、困難である、というところにあります。

 ここでは、そのパレスチナ問題の根がどういうものか、少し書いていこうと思います。

 元々、といっても何千年もまえの話です。現在のパレスチナは、「カナンの地」と呼ばれ、イスラエルのほとんどを構成するユダヤ人の祖先が暮らしていたといいます。どこでいわれているか。世界一のベストセラーである聖書、その旧約聖書の中で、いわれていることなのです。今回のタイトルである「密あふるる約束の地」というのは、旧約聖書におけるカナンの地の描写に登場する言い回しです。現在の紛争の話なのに、発端は旧約聖書。このパレスチナ問題の根がとんでもなく深いということこれだけでも感じられるのではないでしょうか。

 古代、このカナンの地で暮らしていた人々を、「ヘブライ人」といいます。

 その後、ヘブライ人たちは飢饉から、一時古代エジプトに集団移住を行い、エジプトで奴隷とされてしまいますが、指導者モーセの導き(例の、海をばっくり割るやつですね)によって、再びカナンの地にたどり着き、定住していきます。

 やがてカナンの地にはイスラエル王国が建国されます。そしてまた聖書の有名人であるダビデ、ソロモン王の統治を経て、王国は北のイスラエル、南のユダに分かれます。

 この2つの王国は共に、バビロニアやエジプトなどに敗れ、滅亡していきます。先にイスラエル王国が滅び、ユダ王国は、バビロンへ捕囚されることになります。(いわゆるバビロン捕囚です。)こうして、この捕囚されたヘブライ人はユダヤ人と呼ばれるようになります。

 こうして故郷を失ったユダヤ人は、ペルシア、マケドニア、ローマ、そしてヨーロッパ全土へと、時代の波に翻弄されるように流浪してゆきます。

 中世ヨーロッパのキリスト教社会では、ユダヤ人は「キリスト殺し」の罪を背負うとされ(イエスもユダヤ人ですが)、迫害を受け続けます。土地を持たず、商工業ギルドにも入れないユダヤ人にできた仕事は、いわゆる"闇金"の類しかなかったといいます。

 イギリスの文豪、シェイクスピアも、「ヴェニスの商人」という作品で、ユダヤ人高利貸しのシャイロックというキャラクターを登場させています。

 この何百年に及ぶユダヤ人差別は収まるどころか、近代にいたるまで延々と続き、ついには、ナチスドイツによる、ホロコースト(大量虐殺)へと発展してしまうのです。

 何千年も、居場所がなく、迫害され続けてきた民族、ユダヤ人。彼らが1948年に、「密あふるる約束の地」に建国したのが、イスラエルなのです。

 もちろん、これはユダヤ人側から見たイスラエル建国までのお話す。迫害されていたから、数千年前に住んでいたからといって、パレスチナに住んでいた人から無理矢理土地を奪っていいわけではありません。しかし、パレスチナ問題の根は、このようにヨーロッパ全土を巻き込んで、何千年も遡る必要のある、深刻な問題である。ということが少しお伝えできれば、と思っています。

また、パレスチナ問題を語る上では、当然パレスチナ=アラブ側にも、スポットライトを当てる必要がありますが、非常に長くなることが確実ですので、ここには書かないでおきます。興味を持たれた方は、是非調べてみてください。

 しかし、聖書に「密あふるる約束の地」と書かれた場所が、今日でも戦火にさらされており、死者を出してしまっている事実は、なんというか、やりきれない思いがありますね。

2023.09.28

現在、流山市など、千葉県北西部では、インフルエンザが流行しています。他の都道府県でも、インフルエンザ流行の本格化というニュースが報じられていますので、全国的に流行しているようです。

 先週には、流山市内でもいくつものの小中学校が学級閉鎖、学年閉鎖、果ては学校閉鎖を行う措置を取りました。インフルエンザの流行が学校生活や日々の学習に、大きな影響が生じる事態となりました。まさに「influenza」(影響)という、この病気の語源通りといえます。

 「influenza」は、16世紀、イタリアで名づけられたそうです。当時はウイルスはもちろん、細菌でさえも認識されていなかったため、決まったように冬に発生するこの病気は、星の巡りや冬の冷気による「影響」で引き起こされると考えられ、この病名になったそうです。SNSで存在感をアピールする「インフルエンサー」も、英語の「innfluence」(影響)という意味であり、双方語源は同じラテン語の「influentia」です。

 医学の発達した現代では、この流行性感冒は、インフルエンザウイルスというウイルスが原因であることが解っています。原因は突き止められても、感染を完全に防ぐ手立ては確立されていません。大流行の兆しがあると、国家はパンデミックを恐れ、普段の生活にさえも制限が掛かってしまうということを、我々は新型コロナの流行でほんの数年前に学びました。

インフルエンザによるパンデミックで、直近140年で最も深刻だったのは、1918年に世界的に流行した「スペイン風邪」だといわれています。全世界で感染者は6億人、死者は4000万から5000万人に達したそうです。当時行われていた第一次世界大戦の死者をはるかに上回るものでした。そうなる前の対策が、外出自粛であり、さらにその前の段階で流行に歯止めをかけるのが、学校などの閉鎖措置である。というわけです。

手洗いの徹底や、感染前のワクチン接種など、現代の我々には、ウイルスに対して対抗できる手段を持っています。できる予防はしっかり行って、健康を維持していきましょう。

2023.08.10

現在(8/10現在)生徒の皆さんは一年で最も長いお休み、夏休みの真っただ中だと思います。

 もちろん、我々城南コベッツとしては生徒さんの夏休みこそ夏期講習期間中であり、「夏休みは目一杯遊んでください!」というよりも、「夏休みは目一杯勉強しましょう!!」という立場です。

 しかし、そんな生徒の皆さんに酷なことを言う学習塾も、8/11(金)~8/16(水)まではお休みを頂いています。いわゆるお盆休みというやつですね。今度こそ言えます。「お盆休みは目一杯遊びましょう!」

さて、夏休み中の生徒さんはもちろん、大人の大半さえも(もちろんお盆中働いてくださっている方々もいらっしゃることでしょう)休むことができてしまう「お盆」とは、一体なんなのでしょうか?

 お盆とは、ちょうど夏のこの期間、毎年ご先祖様の御霊があの世から帰ってくるため、そのお迎えを行い、またあの世へ戻るために送り返す、という一連の宗教儀式を指します。

 具体的にどんな儀式で迎えるか、送るのか、という儀式の内容については、各地方によって異なってくるため、割愛させて頂きますが、大体この「あの世」であったり「ご先祖様」であったり、といったキーワードが出てくることがほとんどです。

 中国などにも「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という仏教行事があり、お盆のルーツの一つではありますが、いつごろから日本にお盆の風習があったのかは明確にはわからないそうです。ただ、8世紀ごろ(700年代ですから、奈良時代ですね!)には、夏に祖先の供養を行う風習があったと考えられているようです。

 ――と、言っても、令和の現在、それも東京のベッドタウンである流山で、厳格に宗教的な意味でお盆を全うしている人は多くないかもしれません。もちろん、これを書いている筆者もそうです。そんな現代人にとっては、お盆とは上記の「いわゆるお盆休み」でしかありません。ただ、宗教的意味合いは薄れても、せめてお盆の間はふるさとに帰る――いわゆる帰省シーズンとしてのお盆は、まだ残っているのではないでしょうか?

 帰省ラッシュというやつですね。2023年は、ここ数年コロナ禍で規制がままならなかった方も多いとみえて、大規模な帰省ラッシュが予想されています。8/10現在、数十キロの渋滞が首都圏で発生していますので、予想というか、実際にラッシュは起こっていますね。10日夜にはさらに渋滞は伸び、下りの渋滞ピークは明日11日になるとのことです。

 ドライバーのみなさん、安全運転で無事帰省なさってください。また、お盆をおじいちゃん、おばあちゃんの家で過ごす生徒のみなさん。是非ゆっくり羽を伸ばしてください。

 17日木曜日からは夏期講習後半戦が始まります。スタッフ一同、生徒さんの愉快なお土産話を楽しみにしています。

2023.06.09


「近頃物騒になりましたから......」会話中にしばしば出てくる表現です。特に生徒さんの保護者の方には、お子さんへの心配と相まって、この台詞を実感されている方は多いのではないでしょうか。

 特に、マスコミ経由で流れてくる情報は、ロシアの戦争であったり、猟銃立てこもり事件などというショッキングなものであったり、SNSで若者に強盗を指示するような闇バイトであったり――。

「物騒だなあ」と感じるには枚挙に暇がありません。

 しかし、実は、警察庁が発表しているデータ上では、「近頃物騒になった」どころか、「戦後、日本の犯罪件数は減少し続けている」のです。(2022年は2021年に比べ微増だったようです。しかし、それでも2020以前より犯罪件数は減っています。)

つまり、「近頃物騒になった」というのは錯覚で、正しくは「日本に限って言えば、近頃平穏になっている」ということです。

にも関わらず、最初に書いたように、「近頃物騒になった」は、わりと実感のこもった常套句として、しばしば会話に登場するのです。

それは何故なのでしょう? 私見ですが、理由を考えてみました。

ひとつ目は、上記にもありますが、「マスコミの情報」です。マスコミは、当然ですが商売として、みんなが欲する情報を流します。「未曽有の凶悪犯罪」と、「うちの赤ちゃんが今日つかまり立ちをした!」というニュース。どちらが報道されるかは火を見るより明らかです。しかも、マスコミは次のショッキングなニュースが出るまで、同じニュースを掘り下げてこすり続けます。かくして、本来日本には、そこらじゅうで「赤ちゃんがはじめてつかまり立ちをした」というような明るいニュースで溢れているのに、マスコミは一件しか起こっていない「未曽有の凶悪犯罪」を流し続け、コメンテーターも「未曽有の凶悪犯罪」だけを見て社会の現状を語るのです。これでは「近頃物騒になった」と考えるのは、至極当然と言えます。

ふたつ目なのですが、そもそも、冷静に考えれば、「"近頃"物騒になった」という台詞は、近頃のみならず、昔から言われていたと気づきます。

実際、明治時代の新聞の広告欄を見てみると、「この物騒な世の中でも、ピストルがあれば安心して居られます。」というキャッチコピーの、銃砲店の宣伝がありました。

どうも人は、いつの時代も「近頃物騒になった」と考えるようにできているようなのです。年齢を重ねるほど、現在よりも過去がまぶしく見えてしまう。これは、「近頃の若者はけしからん」という台詞と似たような考えなのかもしれません。ちなみに、「近頃の若者は――」という言葉、実は古代エジプトのピラミッド労働者が、壁に書いた落書きにも残っていたそうです。

つまり、「近頃物騒になった」という事実はなく、人類は文明の黎明期から「近頃物騒になった」と感じる生物なのかもしれません。

みなさんも次に「近頃物騒になったし、心配だなあ」と感じることがあったなら、そのまま世間に対してストレスを感じるより、この記事を思い出して、「物騒と感じるのは何千年も前からだし、よく見まわせばニュースにならないだけの明るい出来事はいっぱい起こっているわ」と、すこし息を抜いてみてはいかがでしょうか?

2023.06.02

城南コベッツ南流山教室にお通いの生徒・保護者の皆様

本日6月2日(金)は大雨強風のため、臨時休館といたします。

全ての授業は後日振替とさせていただきます。

また明日6月3日(土)は14:00から開館予定となっております。

ご理解の程、宜しくお願いいたします。

城南コベッツ南流山教室

2023.05.25

5/12に、「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム(以下ゼルダtotk)」が発売されました。......前回に続いてテレビゲーム、それも任天堂のゲームの話題が連続していますが、これは筆者の趣味ゆえということで、ご容赦ください。

 さて、この新作ゼルダtotkですが、主人公であるリンクが、ハイラル王国を滅ぼそうとする魔王ガノンドロフに立ち向かい、ついにはそれを倒して、王国に平和をもたらす――。という、物語です。新作のゼルダtokに限らず、ほとんどのゼルダの伝説のシリーズ作品はこのようなストーリーになっています。従って、何も目新しいことはありません。

しかし、ゼルダtotkは、全世界で飛ぶように売れ、発売3日でソフト売上1000万本を突破するスマッシュヒットになっています。

もちろん、ゼルダの伝説シリーズは30年以上続く息の長い作品であり、多くのファンを獲得してきています。さらに、前作「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」は、ソフト売上累計2000万本を超えるヒット作であり、その数年後を描いているゼルダtotkは、無条件で購入を決めているという方も多かったと思われます。

 それにしても、本作がここまでの快進撃で売り上げを伸ばしている原因は、本作の"新しい要素"にあると、発売日から作品に触れている筆者は感じているのです。

 その新しい要素とは、「クラフトワーク(工作)」です。ゼルダtotkのリンクは、「ウルトラハンド」という能力を持っています。これは、フィールド上のオブジェクト(モノ)を動かしたり、くっつけたりすることができます。丸太を組み合わせてイカダを作ったり、動力を取り付けてモーターボートにすることもできます。橋を架けることもできるし、クルマだって、飛行機だって、巨大ロボットの如きものまで、好きに作ることが可能なのです。

 これは、教育に非常に有益です。ゲームを通して創造性を刺激し、問題解決能力を向上させることがき、ゲーム内で、設計、デザイン能力も向上させることができます。また、空間認識能力、そして工作に際してもルールを把握することで、論理的思考能力を身につけることができます。実際、工作系ゲームとして先駆けであり、大人気でもある「マインクラフト」は、教育の現場に取り入れられています。

 もちろん、楽しいゲームには、止め時がわからないため、学業に割く時間が足りなくなるというデメリットが生じる可能性はあります。しかし、上記のようなクリエイティビティや論理的な思考能力は、これからの時代に生きる我々にとって益々貴重になると思います。子を持つ親の皆様には、おこさんが「ゼルダがやりたい」と言ったら、なるべく与えてあげて欲しい、というのが、今回のテーマでした。

 最後に、そのうえで学業に不安が出てしまったという方は、是非我々城南コベッツまでご相談ください。ゲームで培う各種能力向上と学業の成績向上の両立をさせて頂くお手伝いができるかと存じます。(筆:藤嶋)

2023.03.24

卒業というテーマについて、私の経験や考えを交えながらエッセイを書いてみたいと思います。

卒業は、人生の中で一つの大きな節目です。学生時代を終え、社会人として新たなステージに進むために、学生たちは多くのことを学び、経験してきました。私自身も、大学卒業を迎えるにあたり、たくさんの思い出があります。

まず、学生時代にはたくさんの友達を作りました。一緒に勉強したり、遊んだり、時には喧嘩もしましたが、お互いに支え合いながら、一緒に成長していくことができました。卒業すると、それぞれが違う道を進むため、友達との時間は減ってしまいますが、その分、大切な友情を持ち続けることができるようになりました。

また、卒業は自己成長の機会でもありました。大学に入ってから、自分自身の目標を明確にし、それに向けて一歩一歩進んでいくことができました。失敗や苦労もありましたが、それを乗り越えることで、自信を持って次のステップに進むことができました。

さらに、卒業は新たな可能性を開くことでもあります。大学卒業後は、社会人としてのキャリアをスタートすることもできますし、進学してさらに専門的な知識を身につけることもできます。どちらに進むにせよ、自分自身がやりたいことを見つけ、それに向けて努力することが大切です。


以上、私が卒業について感じたことを簡単にまとめてみました。卒業は人生の節目ですが、その後の人生が輝くように、学生時代に培ったものを活かし、自分自身の成長を続けていくことが大切だと思います。


まるで違和感のない、当ブログでいかにもありそうな文でしたが、これは当教室のスタッフが書いたものではありません。

実は、上の文章は「chatGPT」というツールで作成したものです。
「chatGPT」とは、AIがオリジナルテキストを生成するというツールです。

質問すれば大抵のことには答えますし、上記のようなエッセイでも、短編小説でも、詩、プログラムコードといったものでも書いてもらうことができます。

AI
といえば歴史シミュレーションゲームが好きな私からすると、延々と勝ち目のない侵攻を繰り返すCPUにうんざり...といったイメージがありますが、まさに隔絶の感があります。

AI
の進化が目覚ましいとは聞きますが、「chatGPT」の性能を目の当たりにすると、我々人間のできることを何でもAI代行できてしまう未来は、本当に近づいてきているのだな、と思います。

AI
よりも速く、正確には動けない人間は、そのような未来でどのように生きればいいのでしょう。

ひとつの答えは、「個性的に生きよう」ということ。こう言うと漠然としていてなんだかわかりませんが、「個性」とは、経験と嗜好から成り立っていると言えます。

ひとりひとりが、何を入力して、何をどう出力するのか。つまり「何を勉強したか。そして自分は何を"楽しい"と感じるのか。」AIに能力が及ばなくなった人間に大切なのはそこではないか。と日々感じています。

しなければならないことは、やがてAIに取って代わられます。「なにがきみの幸せ なにをしてよろこぶ」のか。新年度の節目に、じっくり考えてみては いかがでしょうか。