城南コベッツ永山教室

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2023.01.01

弥生から古墳時代前期はもう一つの戦国時代です。

稲作の開始は「むら」、そして「くに・国」という共同体をつくるきっかけになります。

このころ倭と呼ばれていた日本列島には「分かれ百余国」と中国の歴史書にあるようにたくさんの国があったようです。
それぞれの国は互いに争い、やがて奈良を本拠地とするチームが関東から九州までを統治するようになります。

これを大和政権といい現在の天皇家につながっています。

今ある神社のほとんどがこのころ活躍した方々を祭っています。
これらの方々はしくじりも多く人間みたっぷり、というか人間なので日本の神様はまったく全能というより「あの人まじ神!」の神様に近いと思います。

コベッツの近くにある諏訪神社に祭られているタケミナカタはもとは島根県(出雲)の英雄でした。
それが大和政権に敗れ統治権を譲り長野(諏訪)に移住したようです。

負けた方の英雄も武神として祭られ、その武勇に「あやかる」※ため、
鎌倉から室町にかけて武士に人気があり長野の諏訪神社は全国に広がっていったようです。

近くの諏訪神社も室町時代に創建されています。

そして敗れた英雄も神様として祭るところが日本のこころのカタチの原型になっているような気がします。

大和政権は戦わず連合できる国には一定の権限をあたえていたようなので豪族連合と表現されます。

最後まで対立していた人々は土蜘蛛(つちぐも)、蝦夷、熊襲、温羅(ゆら)そして鬼として伝えられています。
岡山の吉備だんごで子供向のころから親しんでいる桃太郎も大和政権と地元政権の争いが反映されている説があります。

弥生から古墳時代の物語が地名やおとぎ話となって現在につながっていると考えると、この時代を少し身近に感じることができると思います。

※影響を受けておなじ状態になること、願いをかなえてもらうわけではないので自身の努力が必要ですね。


2022.12.17

小学生のころからコベッツ永山教室に通っている生徒さん。
2学期中間テストの結果が返ってきました。

英語97点
理科93点
数学88点

の高得点でした。

おめでとう!

コベッツでの受講科目は英語と数学ですが大好きな理科もよくできていますね。

城南コベッツ永山教室では受講している以外の科目も専用のパソコンから問題を出して平日毎日学習ができます。

城南コベッツ永山教室では高得点を目指す生徒さんはもちろん、まずは平均点をめざしたい。基本の学習をしたいという生徒さんのための個別指導授業を実施しています。

授業で講師が対応するのは2人の生徒さんだけ。

一人ひとりにあった内容を進めていきます。

1回だけの体験授業は無料。
3日間のプレ入学体験は2640円(税込)
です。
ぜひぜひお問合せください。
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2022.12.16

2022.12.15

◇承久の乱後醍醐天皇の倒幕(建武の新政)

ドラマ鎌倉殿の13人、北条政子の演説はすごかったですね。政子、小池さんからまさに「心と言葉のちから」を感じました。
ちなみに後鳥羽上皇は新古今和歌集※を作った「心と言葉のちから」のスペシャリストです。

1221年 承久の乱、後鳥羽上皇の鎌倉を排除する試みは失敗となりました。

100年後

同じことを試みて成功させる天皇が現れます。

「絶対にあきらめない男」後醍醐天皇です。

後醍醐天皇の命令書である綸旨「心と言葉のちから」によって全国の武士が倒幕に参加していきます。

倒幕派の武士は多摩市、鎌倉街道の関戸を通りそのまま鎌倉幕府を滅ぼしてしまいます。1333年鎌倉幕府滅亡。

※道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ち止まりつれ(西行)の歌が前回の中学3年国語テスト範囲でした

2022.12.11

12/11日曜 夜8時からの NHK大河ドラマ 鎌倉殿の13人は北条政子の有名な演説回です。
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1221年 承久の乱は入試でも頻出なのでおすすめです。

鎌倉幕府はいつできたのか?
以前は1192作ろう鎌倉幕府で暗記していました。
現在は「このあたりだけど確定はできないね」
ということでよくわからなくなっています。
実は「よくわからない」というのが源頼朝のオソロシイところなのです。。

「いつのまにかふんわりと」幕府ができたことは源頼朝が意図的におこなっています。

東日本の「武士を指揮する権利」(守護)、「税金を集める権利」(地頭)を朝廷から奪うのが頼朝の狙いです。※かっこ内は幕府の役職名

この二つはもともと京都の朝廷が持ってる強力な権利です。
「うばってやるぜ!」
とわかりやすくやると自分が攻撃の対象になるおそれがあるので頼朝は

「朝廷のために権利を一時お借りします」

といってふんわりゲットしています。(まあもともと返す気ありませんが。。。)

1221年承久の乱はざっくりいって朝廷がこれを「返せこら!」
と戦いをしかけたのがはじまりです。(後鳥羽上皇の個人的恨みも多分にあるようですが)

この当時、平安時代から朝廷には軍隊というものがほぼありません。
その代わり「あいつをやっつけろ!」というと全国の武士がわらわらとやってきて敵をやっつける「言葉の力」持っています。
なんだかアニメの世界みたいです。(進撃の巨人の座標の力参照)

朝廷「精神と言葉」VS鎌倉「物理と腕力」

がもう一つの承久の乱の構図です。

このとき幼い将軍に代わって北条政子(頼朝の妻)が尼将軍として大きな政治的力をもっていたようです。

そう、鎌倉には女性の将軍がいたのです。

そして有名な演説をしたと吾妻鑑(鎌倉幕府の歴史書)は記されています。
「物理と腕力」に政子の「精神と言葉の力」が鎌倉に加わります。

代読説や真偽不明な部分はありますが、夫や息子たちが命をかけて作ってきた鎌倉を守りたいという女性の気持ちが歴史を動かしたことは確かなようです。

演説の内容はドラマか教科書をご覧ください!