城南コベッツ東船橋教室

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東船橋教室のメッセージ

最初はわからないことだらけ、でも順を追って勉強していくと わかってくる!この単純なプロセスを知ってほしい

2025.04.19

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字を書くことを覚え始めた子供たちが、ひらがな、カタカナ、漢字と練習して、だんだんと字も上手くなって、だんだんと書けることが増えてきて・・・

保護者の皆さんも小さいころに、ジャポニカ学習帳などを使って鉛筆をもってグリグリ書いていたころがありますよね。

あの段階って幼稚園から小学生だと思うのですが、学校に通い始めてからだんだんと、そしていつの間にかわが子は、育ってきたなぁと実感を持てます。

最初は、漢字の勉強でも算数でも理科社会でもわからないことだらけ、未知の内容に教科書を通して触れていくのです。

小1ではこんな内容、小2ではこんな内容、小3では・・・小4では・・・

小5,小6では・・・中学1年では・・

結局は勉強って順を追って学習するプロセスがあって、それはきちんと作られた教科書があって、問題集があって、ノートがあって、教える先生がいて、自分でやる勉強があって、だんだんと・・・だんだんと・・・育まれていくものですよね。

同じ人間なのですから、生まれた瞬間から頭の良し悪しが決定づけられるなんてことはないと思っています。

いくらでも その気があれば変われるチャンスはありますし、何歳になっても勉強ってチャレンジすることができると思うのです。

ふと自分に置き換えると、

大人になってからも資格などを取得しなくてはいけない場面があったとき、はじめて手にするテキストの表紙を眺め、ペラペラとページをめくって

(うわ、けっこう多いな、これ・・・)

と、その瞬間はちょっとした絶望感があったりします。テキストの厚さが分厚いほどに・・・です。

なかなか着手できない日が続くものの、「資格試験は受けなくてはいけない、合格しなくてはいけない」というのが気持ちのどこかにずっと残っていますから、重い腰をあげて勉強を開始することになります。

まぁ、これが社会人のあるある 「座学」っていうやつです。

私はこういう機会のときには、たいていまずは通読をします。それが何ページあろうと、一回最初から最後まで読むようにしています。

正直言って、

「ちょっと何言ってるかわからない」と思わず声に出したくなるぐらいわからないです。

ところが、そうは言っても試験があるという意識があるためか、通読であってもところどころ、断片知識が頭に入ってるんですね。

眠い目をこすりながら時には寝落ちして(まぁ、ほとんど寝落ちですが)それでも意識下にある「試験があるから」この一点だけで、ズルリズルリとまるで貞子の如くからだを引きずりつつ勉強に向かうのです。

通読のときには、よほどのことがない限りペンは持ちません。ちょっとした空き時間、寝る前の時間でテキストを読むことだけですから、いうなれば、何を書いてあるのかわからない難解な本をただ読むだけです。

この通読は2回、3回とやることがあります。

これも2回、3回とやるうちに、何となくぼんやりとですが関連性がつかめる項目などは頭に入っていることがありますね。

3回目あたりから、ちょっと「精読」っぽくなって、

・ここはきちんと押さえておいたほうがいい

・これはちょっと混同しやすいぞ

・これはかなり重要

・この内容、いくら読んでもわからん!

など、自分でわかるように色分けしたり、メモをしたり、付箋を貼るなどのいわゆるテキストの分解作業的なものをやっていきます。

このぐらいの段階になってくると、だんだんとテキストがボロボロになってきます。同時に、自分の中ではなんだかわからない ちょっとした高揚感がわいてくるのです。

「このなんだかわからない難しいテキストをだんだんと攻略し始めているぜ!」というものなのでしょうか。

私はこの域に達してくると、自信がわいてくるのです。

これは高校時代、受験に向かっているときに「世界史」を鬼勉強したあのときと同じような高揚感です。

世界史、日本史といえば山川だよね、っていうあの教科書を私、何回通読したことでしょうか。そして一問一答と用語集を使って、教科書に細かく細かく書き込み、書き込み、教科書のどのページをめくっても自分の字が登場するぐらいの状態になってきました。

私の頭の中には、世界の図式が張り巡らされ、夢の中でも世界史を学習しているような錯覚に陥りました。

(やべぇ、世界史の勉強しすぎて、まるでパチンコ屋さんのチンジャラジャラが呼応するかのように、世界史が俺に話しかけてくる、ナポレオンが!始皇帝が!ルイ14世が!デカルトが!!)

こんなふうになっちゃったんですよね。

世界史の勉強しすぎです。

で、気づいたときには

「しもた!!英語の勉強が遅れているじゃないかああああ!」という事態になったのです。

でも私は、世界史の鬼と化して、なんだか知りませんが、問題を見ると耳と目と口から勝手に回答が出てくるようになりました。

そりゃ、勝ちですよね。(ちょっと異常ですが・・・)

そんなわけで、テキストの分解作業(教科書の分解作業)ができてくると、知識を深く掘り下げていく自分と他との関連性が立体化していくのです。

そうすれば、もう天下無双になってきます。

しかし、最初の頃 世界史を選択したことをマジで後悔していました。

(はぁ~なんで日本史にしなかったんだろう、日本史のほうが好きなのに、なんでだろう・・・)

まぁ答えは簡単です。

担任の先生が世界史だったから世界史を選択したという、なんというか、先生を喜ばせるような選択?だったのですかね。

今でもその先生のことは覚えています。

世界史をやったあと、日本史もやったのですが、こう思いましたよ。

「あ、世界史でよかったかも、漢字覚えるの面倒だわ、日本史は・・・」という端的な結論に至った次第です。

というように、動機が不純な選択をしての世界史学習、最初は書いたように乗り気じゃなかったのですが、つながりがわかってきたら 

面白い!というふうになったのは言うまでもありません。

ですから勉強なんてこんなもんです。

最初、とっつきにくい、どうもいまいち、と思っていてもそれなりに向かい合っていれば、そのうち面白さがわかってきて、覚えることが出来てきて結果が出たら

ヒャッハーとなるのです。

もっと勉強を楽しんでいきましょう!!