城南コベッツ横浜六浦教室

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横浜六浦教室のメッセージ

2024.04.16

NHK大河ドラマ「光る君へ」
次週(4/21)放送では、古典の授業でおなじみの枕草子「香炉峰の雪」のシーンがあります。

【原文】
雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子(みかうし)まゐりて、
炭櫃(すびつ)に火おこして、物語などして集りさぶらふに、
「少納言よ、香炉峰(かうろほう)の雪いかならん」と仰(おほ)せらるれば、
御格子あげさせて、御簾(みす)を高くあげたれば、わらはせ給ふ。
人々も、「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。
なほ、此の宮の人には、さべきなめり。」といふ。

参考図書:枕草子(岩波文庫、池田亀鑑校訂)

【現代語訳】
雪がたいそう高く降り積もっているに、いつもとは違って、御格子をおろして
炭櫃(囲炉裏)に火をおこして、(女房達が)話などして
(中宮定子のそばに)集まってお仕えしていたところ、
「少納言よ、香炉峰の雪はどのようだろう。」とおっしゃるので、
(私が女房に)御格子を上げさせて、御簾を高く上げたところ、(中宮定子が)お笑いになる。
女房達も、「白居易の「香炉峰」の漢詩は知っており、歌などにまで歌うけれども、
(御簾をまき上げる動作でお答えするということは)思いつきませんでした。
やはり、この中宮定子様に(お仕えする人として)は、ふさわしい人であるようだ。」と言った。

【解説】
この面白さは清少納言が定子様のお考えを読み取り、機転を利かせて答えたことにあります。
中国の白居易(はくきょい)という人物が詠んだ漢詩の一節、
「遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聞く、香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(まきあ)げて看る」
一条天皇の妻中宮定子は、この漢詩の後半部分を前提として清少納言に問いかけたのです。
これに対して清少納言は、『香炉峰の雪は簾をかかげて看る』という白居易の漢詩を、
定子様の目の前に再現してみせたのです。

枕草子は没落していく中宮定子様との楽しかった想い出だけを切り取った少し切ない作品です。
枕草子に綴られた『雪のいと高う降りたるを』とは、清少納言の自慢話などではなく、
彼女が誠心誠意お仕えした中宮定子様との大切な想い出の一幕だったのです。

(2022.2.12のブログをリライトしました)

2024.04.15

宮にはじめてまゐりたるころ、もののはづかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、
夜々まゐりて、三尺の御几帳の後ろにさぶらふに、絵などとり出でて見せさせ給ふを、
手にてもえさし出づまじうわりなし。
「これは、とあり、かかり。それが、かれが」などのたまはす。
高坏にまゐらせたる大殿油なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕證に見えて
まばゆけれど、念じて見などす。いとつめたきころなれば、さし出でさせ給へる
御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは、かぎりなくめでたしと、
見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、
おどろかるるまでぞ、まもりまゐらする。
暁にはとく下りなんといそがるる。「葛城の神もしばし」など仰せらるるを、
いかでかはすぢかひ御覧ぜられんとて、なほ伏したれば、御格子もまゐらず。
女官どもまゐりて、「これ、はなたせ給へ」などいふを聞きて、女房のはなつを、
「まな」と仰せらるれば、わらひて帰りぬ。
ものなど問はせ給ひ、のたまはするに、ひさしうなりぬれば、
「下りまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜さりは、とく」と仰せらる。
ゐざりかへるにやおそきとあげちらしたるに、雪降りにけり。
登花殿の御前は、立蔀近くてせばし。雪いとをかし。(後略)

【現代語訳】
(中宮定子様の)御所に初めて出仕申し上げたころ、気が引けてしまうことがたくさんあり、
(緊張で)涙もこぼれ落ちてしまいそうなほどで、夜ごとに参上しては、三尺の御几帳の後ろに
お控え申し上げていると、(中宮様が)絵などを取り出して見せてくださるのを、
手さえも差し出すことができないほど(気恥ずかしく)、どうしようもない状態でいます。
「これは、ああだ、こうだ。それが、あれが」などと(中宮様が)おっしゃいます。
高坏にお灯しして差し上げさせた火なので、(私の)髪の筋などが、かえって昼よりも
際立って見えて恥ずかしいのですが、(気恥ずかしいのを)我慢して、絵を拝見します。
とても(寒く)冷える頃なのですが、(中宮様が)差し出されるお手がかすかに見え、
(その手の)美しさが映えて薄紅梅色であることが、この上なく美しいと、
(まだ中宮様のことをよく)わかっていない(田舎心地の私のような)者には、
このような人がこの世にいらっしゃるのだなぁと、じっと見つめ申し上げています。
夜明け前には、早く退出しようと気がせかれます。
「(自分の醜さを恥じらう例えで)葛城の神も、もうしばらく(いなさい)」
と(中宮様が)おっしゃるのですが、(私は)なんとかして、斜めに向かい合って
(私を)ご覧いただこうとして、やはりうつぶしているので、御格子も
お上げ申し上げずにいます。女官たちが参上してきて、
「これを、お開けください」などと言うのを聞いて、
(他の)女房が(格子を)上げるのを(中宮様は)「(上げては)だめ」
とおっしゃるので、(女房たちも)笑って帰っていきました。
(中宮様が私に)あれこれお尋ねになり、お話されるうちに、だいぶ時間がたったので、
「(初めての宮仕えで)退出したくなってしまっていることでしょう。それならば、
早く(退出しなさい)。今夜は、すぐに(いらっしゃい)」と(中宮様が)おっしゃいます。
膝をついた状態で移動して(退出して自分の部屋に)帰るやいなや、
(格子を)むやみやたらに上げたところ、(外には)雪が降っていたのでした。
登華殿の御前は、立蔀が近くに立ててあって狭いです。雪はとても風情があります。

2024.04.13

日本の教育は、「思考力・判断力・表現力」を重視するとしています。
社会の変化や科学技術の進歩が著しい社会では、「知識がある」
というだけでは、その変化に対応していくことは困難です。

文章を「読む」力と「読み取る」力は、異なります。文章を「読み取る」とは、
言葉の意味や働き、文法事項を踏まえたうえで、論理を正しくつかみ、
意味を理解することなのです。読んだつもりになっていて、実は内容を
きちんと理解できていなかったでは、ダメなのです。→「正確性」

もう一つ大切なことは、文章の概要をつかむ力です。文章の中で
何が述べられていて、何を尋ねられているのかを把握する。
そこから文章の概略をとらえ、優先順位を判断する力が必要なのです。
概略をとらえるには正確性が必要なので、ある意味「読み取り」よりも
難しいともいえるでしょう。→「把握力」

いまの子どもたちは、文章を読み取ったり、書いたりする思考型の問題が苦手です。
たくさんの文章に触れていないと書く力も身につきません。
数学(算数)の文章題が苦手、国語の読解が苦手、さらに英語(=語学)が苦手というのも、
そもそも文章を正確に読み取れない、概略を把握できない、ことに起因します。
文章を読むことを通して、言葉(=語彙力)や考えをまとめる力が育っていくのです。

【2021.5.11に書いたブログのリライトです】

2024.04.11

円安とは、外国の通貨に対する(日本)円の価値が相対的に低くなることを指します。
反対に、(日本)円の価値が相対的に高くなることが円高です。

1ドル=100円のときに、1ドルのを缶コーヒーを買うケースを考えてみましょう。
このとき缶コーヒーを1本買うには100円が必要です。しかし1ドル=110円に
為替レートが変動すると、缶コーヒー1本買うには110円が必要となります。
同じものを買うのに、100円で足りたものが、110円必要になってしまうので、
それだけ(日本)円の価値が低くなったといえます。この状況が円安です。
1ドル=90円に変動したとすると、100円で買うことができた缶コーヒーが
90円で足りるので、(日本)円の価値が高くなったといえます。この状況は円高です。

では、円安はなぜ起きるのでしょうか。
円安が進んでいる主な原因として、日米の経済政策と金利差が挙げられます。
金利の高い(アメリカ)ドルで運用した(投資した)方が利息を見込めるので、
(アメリカ)ドルの需要が高まり、(日本)円が売られる傾向が強まります。
円安とは他の通貨と比べて、円の価値が下がっていくことを意味しています。

では、円安はわたしたちのくらしにどのような影響を与えるでしょうか。
消費者にとって、物価高騰に繋がっているために、デメリットといえます。
外貨建ての資産(例えば外貨預金)を持っている人にはメリットがあります。
海外からの旅行客には円安はメリットがあります。
海外旅行客により、インバウンド消費の拡大というメリットがあります。
日本から海外旅行に行く人や海外留学する人にはデメリットとなります。

日本政府は為替相場の激しい変動によって、過度な影響を抑えるために
相場の安定を図ることがあります。この操作が為替介入です。

2024.04.10

「花散らし」の意味はニュースにおいて、花散らしの雨、花散らしの風のように使われます。
桜の花が咲き誇ってる姿はとてもきれいなものですが、その一方で強い風が吹いたり、
雨が降ってしまえば、桜の花びらは散ってしまうことになりますので、
「花散らし」には、桜の花びらを散らすという意味もあるのです。

桜の花びらが雨や風で散るということで「花散らし」という言葉が使われていますが、
日本国語大辞典という辞典には、佐賀県や長崎県の方言として
「花散らし」という言葉が使われていて、方言での花散らしの意味は
野山に遊びに出かけること、となっています。

そしてこの「花散らし」という言葉には、磯遊びという言葉と同義語としても載せられており、
俳句の季語としても用いられてた言葉だともされています。

「花散らし」は、桜が咲く時期に野山に遊びに行くという意味にもなるのです。
野山に出かけることを桜の花びらを散らしに行く、という風に表すわけですが、
なんとなく風流な感じがします。

2024.04.09

おひさきなく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、
いぶせくあなづらはしく思ひやられて、なほさりぬべからむ人の娘などは、
さしまじらはせ、世の有様も見せ習はさまほしう、内侍(ないし)のすけなどにて
しばしもあらせばや、とこそおぼゆれ。
宮仕する人を、あはあはしうわるきことにいひおもひたる男などこそ、いとにくけれ。
げにそもまたさることぞかし。かけまくもかしこき御前をはじめ奉りて、
上達部(かんだちめ)・殿上人、五位・四位はさらにもいはず、
見ぬ人はすくなくこそあらめ。女房の從者(ずさ)、その里より來る者、
長女(おさめ)・御厠人(みかはやうど)の從者、たびしかはらといふまで、
いつかはそれをはぢかくれたりし。殿ばらなどは、いとさしもやあらざらん、
それもあるかぎりは、しかさぞあらむ。
うへなどいひてかしづきすゑたらんに、心にくからずおぼえん、ことわりなれど、
また内裏(うち)の内侍のすけなどいひて、をりをり内裏へまゐり、
祭の使などにいでたるも、おもだたしからずやはある。さてこもりゐぬるは、
まいてめでたし。受領の五節(ごせち)いだすをりなど、いとひなびいひ知らぬことなど、
人に問ひききなどはせじかし。心にくきものなり。

【現代語訳】
将来にたいした希望もなく、夫の出世などを願い、ひたすら家庭をまもっているような、
形だけの幸せを求めている女性は、うっとうしくて、軽蔑したくなるように思われて、
やはり相当の身分の人の娘などは、宮仕えさせて、世間の様子も見習わせさせたい、
内侍の典侍などに少しの間でもつかせたいと思われる。
宮仕えをする女性を、軽薄で悪いことだと言ったり思ったりする男は、たいへん憎たらしい。
しかし、それはもっともなことなのかも知れない。口にするのもおそれ多い天皇さまや
中宮さまをはじめとして、上達部・殿上人、五位・四位は言うまでもなく、
宮仕えする女性が知らないままでいる人は少ないでしょう。
女房の従者、実家から来る者、長女・御厠人の従者、卑しい人たちまで、
いつ、顔を合わせるのを恥じて隠れたりすることがあったでしょうか。
殿方などは、まったくそうではないでしょうか。
殿方も宮仕えする限りは、誰とでも顔を合わせるでしょう。
奥方さまなどと言って大切にお仕えする場合に、おくゆかしくないと思われるのは
もっともだけれども、やはり内裏の内侍のすけなどといって、時々内裏に参上し、
祭の使いなどに加わったのも名誉でないことがあろうか。宮仕えした後に
家庭に落ち着くのは、いっそう素晴らしいことだ。受領が五節の舞姫を奉る折に、
とても田舎びて、言うに足らぬころ、人に聞きはしないでしょう。おくゆかしいものである。

2024.04.01

枕草子第119段「あはれなるもの」の現代語訳です
藤原宣孝(ふじわらのぶたか)が、紫式部の夫です
御嶽精進(みたけそうじ)は、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)に詣る前の精進

しみじみと感動するもの。親孝行な人の子ども。身分の高い若者が御獄に詣でるために
精進している。部屋を隔てて、未明に礼拝しているのには、しみじみとした感慨がある。
睦ましい人らが目覚めて聞くでしょうと、思いやられる。
(精進を終えて実際に御嶽に)詣でるときの有様は、どうだろうかなどと、
怖がって物忌みしてたのに、無事参詣できたのはとっても素晴らしいことだわ。
烏帽子の有様などは、少しみっともない、やはり、たいそう立派な人といえども、
めちゃくちゃみすぼらしい恰好で参詣するってわかってるから。

右衛門の佐(すけ)の(藤原)宣孝(のぶたか)という人は、「(やつれた有様では)
みっともないことである。ただ清潔なだけの衣を着てお参りしさえすれば、
何かいいことがあるのかな? 『粗末な身なりで参詣せよ』なんて、御嶽山の蔵王権現は
おっしゃらないだろうし」って、3月の末に紫のとっても濃い指貫(さしぬき)、
白い狩衣、山吹色のすごく派手な袿(うちき)を着て、息子の主殿司の亮(すけ)、
(藤原)隆光には青色の狩衣、紅色の袿、まだら模様に摺り染めにした水干の袴を着せて、
連れ立って参詣したのね。でもお参りから帰る人も今から行く人も、珍しく奇妙な事に、
昔からこの山にこんな恰好の人は一切見たことないって、驚き呆れたんだけど、
4月1日に帰って、6月10日頃に筑前守が辞めた代わりに就任したのは、
なるほど、言っていたことは間違っていなかったのだ。
これは「あはれなること」ではないけど、御獄のついでに書きました。

2024.03.29

令和6年度神奈川県公立高等学校入学者選抜 学力検査の結果が公表されました
https://www.pref.kanagawa.jp/documents/46164/r6gakuryokukensakekka.pdf

合格者平均点は278.7点、前年の平均点292.8点から14.1点下がりました(全体として難化)
教科ごとの概要については、以下の通りです

英語 47.0点(得点分布では、21-30点が17.2%と最も多くなっています)
「聞くこと」「読むこと・書くこと」の基本的な問題の正答率は髙かった。
「読むこと・書くこと」の、対話の流れを理解して単語を並び替え、
正しい英文を作る問題の一部と、「読むこと」の、会話の流れを理解し、
本文の内容に合うものの組み合わせを選択する問題の正答率は低かった。

国語 64.0点(得点分布では、61-70点が23.3%と最も多くなっています)
漢字の読みを選択する問題、文学的な文章で理由を選択する問題の正答率は高かったが、
複数の文章の情報を基に書かれた論述を完成させる問題の正答率は低かった。

数学 55.6点(得点分布では、61-70点が27.6%と最も多くなっています
基本的・標準的な計算力を問う問題の正答率は高かったが、平面図形の問題、
空間図形の問題、関数の問題のうち、与えられた条件を整理し活用して解く問題や
条件を正確に読み取り考察することが必要な問題の正答率は低かった。

理科 57.3点(得点分布では、61-70点が16.2%と最も多くなっています
基礎的・基本的な知識について問う問題の正答率は高かったが、複数の図や表および
グラフから必要な情報を選び取って活用する力を問う問題の正答率は低かった。

社会 54.8点(得点分布では、41-50点が15.7%と最も多くなっています
基礎的・基本的な知識および技能を単独で問う問題の正答率は高かったが、
知識および技能と諸資料の内容を関連付けて、社会的事象の意味や意義、
特色や相互の関連について思考・判断する力を問う問題の正答率は低かった。

2024.03.25

庚申待(こうしんまち)とは、日本の民間信仰で、庚申の日に神仏を祀って徹夜をする行事です。
庚申(かのえさる)の日は、60日に一回巡ってきます。庚申(かのえさる/こうしん)とは、
干支(えと)、十干・十二支の60通りある組み合わせのうちの一つで、57番目にあたります。

三尸説とは人間の体内には三尸(さんし)という三匹の虫がいて、1年に6度ある庚申の夜に
人が眠っている隙をついて三尸の虫が体内から抜け出し、その人間の罪や悪事を天帝
(天上の最高神、神様)に告げ口をします。そのために人間は早死にすると考えられていました。
庚申の夜に寝なければ、三尸は体内から出ることができません。
庚申の日に徹夜すれば、早死にを免れて長生きができるとされていたのです。

令和6年の庚申(かのえさる/こうしん)の日は、2月26日(月)、4月26日(金)、6月25日(火)、
8月24日(土)、10月23日(水)、12月22日(日)、の6回です。

清少納言の「枕草子」、第99段「五月の御精進(さつきのみそうじ)のほど」にも
庚申待の夜の様子が描かれています

夜うちふくる程に、題出して、女房にも歌よませ給ふ。みなけしきばみ、ゆるがしだすに、
宮の御前近くさぶらひて、もの啓しなど、こと事をのみいふを、大臣(おとど)御覧じて、
「など、歌はよまで、むげに離れゐたる。題取れ」とて賜ふを、
「さる事うけたまはりて、歌よみ侍るまじうなりて侍れば、思ひかけ侍らず」と申す。
「ことやうなる事。まことにさることやは侍る。などか、さはゆるさせ給ふ。
いとあるまじきことなり。よし、こと時は知らず、今宵はよめ」など、責め給へど、
けぎよう聞き入れでさぶらふに、みな人々よみいだして、よしあしなど定めらるる程に、
いささかなる御文を書きて、投げ賜はせたり。見れば、

 元輔が後と言はるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる

とあるを見るに、をかしきことぞたぐひなきや。
いみじうわらへば、「何事ぞ、何事ぞ」と大臣も問ひ給ふ。
 
「その人の後と言はれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし
つつむことさぶらはずは、千の歌なりと、これよりなむいでまうで来まし」と啓しつ。

【現代語訳/抜粋】5月の庚申の夜が更ける頃、藤原伊周が女房たちに歌を詠ませた。
清少納言は中宮・藤原定子から「詠まなくてよい」という許可を受けていたのだという。
この歌会で定子から清少納言に贈られた歌が
「元輔が 後といはるる 君しもや 今宵の歌に はづれてはをる」
(有名な歌人・清原元輔の娘のあなたなのに、今宵の歌会には参加しないのね)
清少納言は、
「元輔の娘といわれない身であれば、まっさきに詠みます。父の名誉に遠慮する事情が
なければ、詠めと言われなくても千首もの歌が口から出てくるでしょう」と申し上げたのだとか。

2024.03.20

君やこむ 我やゆかむの いさよひに 真木の板戸も ささず寝にけり
古今和歌集 巻十四 恋歌四(詠み人知らず)

いさよひ・・・「いさよひ」は「ためらい」の意味、「十六夜(いさよひ)」との掛詞
真木の板戸・・・スギやヒノキで作られた戸
板戸もささず・・・板戸も閉めず

あなたが来るのか、わたしが行くのかとためらっているうちに、
十六夜の今夜は真木の板戸も閉めずに眠ってしまった

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