城南コベッツ横浜六浦教室

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2024.04.15

宮にはじめてまゐりたるころ、もののはづかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、
夜々まゐりて、三尺の御几帳の後ろにさぶらふに、絵などとり出でて見せさせ給ふを、
手にてもえさし出づまじうわりなし。
「これは、とあり、かかり。それが、かれが」などのたまはす。
高坏にまゐらせたる大殿油なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕證に見えて
まばゆけれど、念じて見などす。いとつめたきころなれば、さし出でさせ給へる
御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは、かぎりなくめでたしと、
見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、
おどろかるるまでぞ、まもりまゐらする。
暁にはとく下りなんといそがるる。「葛城の神もしばし」など仰せらるるを、
いかでかはすぢかひ御覧ぜられんとて、なほ伏したれば、御格子もまゐらず。
女官どもまゐりて、「これ、はなたせ給へ」などいふを聞きて、女房のはなつを、
「まな」と仰せらるれば、わらひて帰りぬ。
ものなど問はせ給ひ、のたまはするに、ひさしうなりぬれば、
「下りまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜さりは、とく」と仰せらる。
ゐざりかへるにやおそきとあげちらしたるに、雪降りにけり。
登花殿の御前は、立蔀近くてせばし。雪いとをかし。(後略)

【現代語訳】
(中宮定子様の)御所に初めて出仕申し上げたころ、気が引けてしまうことがたくさんあり、
(緊張で)涙もこぼれ落ちてしまいそうなほどで、夜ごとに参上しては、三尺の御几帳の後ろに
お控え申し上げていると、(中宮様が)絵などを取り出して見せてくださるのを、
手さえも差し出すことができないほど(気恥ずかしく)、どうしようもない状態でいます。
「これは、ああだ、こうだ。それが、あれが」などと(中宮様が)おっしゃいます。
高坏にお灯しして差し上げさせた火なので、(私の)髪の筋などが、かえって昼よりも
際立って見えて恥ずかしいのですが、(気恥ずかしいのを)我慢して、絵を拝見します。
とても(寒く)冷える頃なのですが、(中宮様が)差し出されるお手がかすかに見え、
(その手の)美しさが映えて薄紅梅色であることが、この上なく美しいと、
(まだ中宮様のことをよく)わかっていない(田舎心地の私のような)者には、
このような人がこの世にいらっしゃるのだなぁと、じっと見つめ申し上げています。
夜明け前には、早く退出しようと気がせかれます。
「(自分の醜さを恥じらう例えで)葛城の神も、もうしばらく(いなさい)」
と(中宮様が)おっしゃるのですが、(私は)なんとかして、斜めに向かい合って
(私を)ご覧いただこうとして、やはりうつぶしているので、御格子も
お上げ申し上げずにいます。女官たちが参上してきて、
「これを、お開けください」などと言うのを聞いて、
(他の)女房が(格子を)上げるのを(中宮様は)「(上げては)だめ」
とおっしゃるので、(女房たちも)笑って帰っていきました。
(中宮様が私に)あれこれお尋ねになり、お話されるうちに、だいぶ時間がたったので、
「(初めての宮仕えで)退出したくなってしまっていることでしょう。それならば、
早く(退出しなさい)。今夜は、すぐに(いらっしゃい)」と(中宮様が)おっしゃいます。
膝をついた状態で移動して(退出して自分の部屋に)帰るやいなや、
(格子を)むやみやたらに上げたところ、(外には)雪が降っていたのでした。
登華殿の御前は、立蔀が近くに立ててあって狭いです。雪はとても風情があります。

2024.04.13

日本の教育は、「思考力・判断力・表現力」を重視するとしています。
社会の変化や科学技術の進歩が著しい社会では、「知識がある」
というだけでは、その変化に対応していくことは困難です。

文章を「読む」力と「読み取る」力は、異なります。文章を「読み取る」とは、
言葉の意味や働き、文法事項を踏まえたうえで、論理を正しくつかみ、
意味を理解することなのです。読んだつもりになっていて、実は内容を
きちんと理解できていなかったでは、ダメなのです。→「正確性」

もう一つ大切なことは、文章の概要をつかむ力です。文章の中で
何が述べられていて、何を尋ねられているのかを把握する。
そこから文章の概略をとらえ、優先順位を判断する力が必要なのです。
概略をとらえるには正確性が必要なので、ある意味「読み取り」よりも
難しいともいえるでしょう。→「把握力」

いまの子どもたちは、文章を読み取ったり、書いたりする思考型の問題が苦手です。
たくさんの文章に触れていないと書く力も身につきません。
数学(算数)の文章題が苦手、国語の読解が苦手、さらに英語(=語学)が苦手というのも、
そもそも文章を正確に読み取れない、概略を把握できない、ことに起因します。
文章を読むことを通して、言葉(=語彙力)や考えをまとめる力が育っていくのです。

【2021.5.11に書いたブログのリライトです】

2024.04.11

円安とは、外国の通貨に対する(日本)円の価値が相対的に低くなることを指します。
反対に、(日本)円の価値が相対的に高くなることが円高です。

1ドル=100円のときに、1ドルのを缶コーヒーを買うケースを考えてみましょう。
このとき缶コーヒーを1本買うには100円が必要です。しかし1ドル=110円に
為替レートが変動すると、缶コーヒー1本買うには110円が必要となります。
同じものを買うのに、100円で足りたものが、110円必要になってしまうので、
それだけ(日本)円の価値が低くなったといえます。この状況が円安です。
1ドル=90円に変動したとすると、100円で買うことができた缶コーヒーが
90円で足りるので、(日本)円の価値が高くなったといえます。この状況は円高です。

では、円安はなぜ起きるのでしょうか。
円安が進んでいる主な原因として、日米の経済政策と金利差が挙げられます。
金利の高い(アメリカ)ドルで運用した(投資した)方が利息を見込めるので、
(アメリカ)ドルの需要が高まり、(日本)円が売られる傾向が強まります。
円安とは他の通貨と比べて、円の価値が下がっていくことを意味しています。

では、円安はわたしたちのくらしにどのような影響を与えるでしょうか。
消費者にとって、物価高騰に繋がっているために、デメリットといえます。
外貨建ての資産(例えば外貨預金)を持っている人にはメリットがあります。
海外からの旅行客には円安はメリットがあります。
海外旅行客により、インバウンド消費の拡大というメリットがあります。
日本から海外旅行に行く人や海外留学する人にはデメリットとなります。

日本政府は為替相場の激しい変動によって、過度な影響を抑えるために
相場の安定を図ることがあります。この操作が為替介入です。

2024.04.10

「花散らし」の意味はニュースにおいて、花散らしの雨、花散らしの風のように使われます。
桜の花が咲き誇ってる姿はとてもきれいなものですが、その一方で強い風が吹いたり、
雨が降ってしまえば、桜の花びらは散ってしまうことになりますので、
「花散らし」には、桜の花びらを散らすという意味もあるのです。

桜の花びらが雨や風で散るということで「花散らし」という言葉が使われていますが、
日本国語大辞典という辞典には、佐賀県や長崎県の方言として
「花散らし」という言葉が使われていて、方言での花散らしの意味は
野山に遊びに出かけること、となっています。

そしてこの「花散らし」という言葉には、磯遊びという言葉と同義語としても載せられており、
俳句の季語としても用いられてた言葉だともされています。

「花散らし」は、桜が咲く時期に野山に遊びに行くという意味にもなるのです。
野山に出かけることを桜の花びらを散らしに行く、という風に表すわけですが、
なんとなく風流な感じがします。

2024.04.09

おひさきなく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、
いぶせくあなづらはしく思ひやられて、なほさりぬべからむ人の娘などは、
さしまじらはせ、世の有様も見せ習はさまほしう、内侍(ないし)のすけなどにて
しばしもあらせばや、とこそおぼゆれ。
宮仕する人を、あはあはしうわるきことにいひおもひたる男などこそ、いとにくけれ。
げにそもまたさることぞかし。かけまくもかしこき御前をはじめ奉りて、
上達部(かんだちめ)・殿上人、五位・四位はさらにもいはず、
見ぬ人はすくなくこそあらめ。女房の從者(ずさ)、その里より來る者、
長女(おさめ)・御厠人(みかはやうど)の從者、たびしかはらといふまで、
いつかはそれをはぢかくれたりし。殿ばらなどは、いとさしもやあらざらん、
それもあるかぎりは、しかさぞあらむ。
うへなどいひてかしづきすゑたらんに、心にくからずおぼえん、ことわりなれど、
また内裏(うち)の内侍のすけなどいひて、をりをり内裏へまゐり、
祭の使などにいでたるも、おもだたしからずやはある。さてこもりゐぬるは、
まいてめでたし。受領の五節(ごせち)いだすをりなど、いとひなびいひ知らぬことなど、
人に問ひききなどはせじかし。心にくきものなり。

【現代語訳】
将来にたいした希望もなく、夫の出世などを願い、ひたすら家庭をまもっているような、
形だけの幸せを求めている女性は、うっとうしくて、軽蔑したくなるように思われて、
やはり相当の身分の人の娘などは、宮仕えさせて、世間の様子も見習わせさせたい、
内侍の典侍などに少しの間でもつかせたいと思われる。
宮仕えをする女性を、軽薄で悪いことだと言ったり思ったりする男は、たいへん憎たらしい。
しかし、それはもっともなことなのかも知れない。口にするのもおそれ多い天皇さまや
中宮さまをはじめとして、上達部・殿上人、五位・四位は言うまでもなく、
宮仕えする女性が知らないままでいる人は少ないでしょう。
女房の従者、実家から来る者、長女・御厠人の従者、卑しい人たちまで、
いつ、顔を合わせるのを恥じて隠れたりすることがあったでしょうか。
殿方などは、まったくそうではないでしょうか。
殿方も宮仕えする限りは、誰とでも顔を合わせるでしょう。
奥方さまなどと言って大切にお仕えする場合に、おくゆかしくないと思われるのは
もっともだけれども、やはり内裏の内侍のすけなどといって、時々内裏に参上し、
祭の使いなどに加わったのも名誉でないことがあろうか。宮仕えした後に
家庭に落ち着くのは、いっそう素晴らしいことだ。受領が五節の舞姫を奉る折に、
とても田舎びて、言うに足らぬころ、人に聞きはしないでしょう。おくゆかしいものである。