城南コベッツ初石教室

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2023.11.20

 107日、イスラム組織ハマスが、イスラエルへ大規模な攻撃を行いました。これに対して、イスラエル側はパレスチナのガザ地区へ徹底した空爆を実施しています。さらに、ハマスもイスラエルに対し、ロケット弾を応射。双方の攻撃は民間人も巻き込んで、多数の死傷者を生んでいます。

 1948年。イスラエルという新しい国家が、パレスチナの地に建国されました。その結果、元々パレスチナに住んでいた人々は、無理に追い立てられて、ヨルダン川西岸やガザ地区に住むことを余儀なくされてしまいました。パレスチナ側には、武力でイスラエルに抵抗するイスラム系武装組織も生まれます。イスラエルはそういった武装組織に軍隊でもって対抗。この争いは今日に至るまで収まりを見せていません。これが、いわゆるパレスチナ問題です。

 こうまとめると、イスラエルが強引に建国したことが原因であり、速やかにパレスチナの地を出れば、解決しそうに見えますが、この問題の根は、それが何千年にも続くしがらみのせいで、困難である、というところにあります。

 ここでは、そのパレスチナ問題の根がどういうものか、少し書いていこうと思います。

 元々、といっても何千年もまえの話です。現在のパレスチナは、「カナンの地」と呼ばれ、イスラエルのほとんどを構成するユダヤ人の祖先が暮らしていたといいます。どこでいわれているか。世界一のベストセラーである聖書、その旧約聖書の中で、いわれていることなのです。今回のタイトルである「密あふるる約束の地」というのは、旧約聖書におけるカナンの地の描写に登場する言い回しです。現在の紛争の話なのに、発端は旧約聖書。このパレスチナ問題の根がとんでもなく深いということこれだけでも感じられるのではないでしょうか。

 古代、このカナンの地で暮らしていた人々を、「ヘブライ人」といいます。

 その後、ヘブライ人たちは飢饉から、一時古代エジプトに集団移住を行い、エジプトで奴隷とされてしまいますが、指導者モーセの導き(例の、海をばっくり割るやつですね)によって、再びカナンの地にたどり着き、定住していきます。

 やがてカナンの地にはイスラエル王国が建国されます。そしてまた聖書の有名人であるダビデ、ソロモン王の統治を経て、王国は北のイスラエル、南のユダに分かれます。

 この2つの王国は共に、バビロニアやエジプトなどに敗れ、滅亡していきます。先にイスラエル王国が滅び、ユダ王国は、バビロンへ捕囚されることになります。(いわゆるバビロン捕囚です。)こうして、この捕囚されたヘブライ人はユダヤ人と呼ばれるようになります。

 こうして故郷を失ったユダヤ人は、ペルシア、マケドニア、ローマ、そしてヨーロッパ全土へと、時代の波に翻弄されるように流浪してゆきます。

 中世ヨーロッパのキリスト教社会では、ユダヤ人は「キリスト殺し」の罪を背負うとされ(イエスもユダヤ人ですが)、迫害を受け続けます。土地を持たず、商工業ギルドにも入れないユダヤ人にできた仕事は、いわゆる"闇金"の類しかなかったといいます。

 イギリスの文豪、シェイクスピアも、「ヴェニスの商人」という作品で、ユダヤ人高利貸しのシャイロックというキャラクターを登場させています。

 この何百年に及ぶユダヤ人差別は収まるどころか、近代にいたるまで延々と続き、ついには、ナチスドイツによる、ホロコースト(大量虐殺)へと発展してしまうのです。

 何千年も、居場所がなく、迫害され続けてきた民族、ユダヤ人。彼らが1948年に、「密あふるる約束の地」に建国したのが、イスラエルなのです。

 もちろん、これはユダヤ人側から見たイスラエル建国までのお話す。迫害されていたから、数千年前に住んでいたからといって、パレスチナに住んでいた人から無理矢理土地を奪っていいわけではありません。しかし、パレスチナ問題の根は、このようにヨーロッパ全土を巻き込んで、何千年も遡る必要のある、深刻な問題である。ということが少しお伝えできれば、と思っています。

また、パレスチナ問題を語る上では、当然パレスチナ=アラブ側にも、スポットライトを当てる必要がありますが、非常に長くなることが確実ですので、ここには書かないでおきます。興味を持たれた方は、是非調べてみてください。

 しかし、聖書に「密あふるる約束の地」と書かれた場所が、今日でも戦火にさらされており、死者を出してしまっている事実は、なんというか、やりきれない思いがありますね。

2023.10.20

 今月、10月の31日はハロウィーンです。ここ数年で日本にもわりと定着した感のある行事です。しかし、何故コスプレパーティなのでしょう? "Trick or Treat"(おかしくれなきゃイタズラするぞ)って、なんなんでしょう?

皆さんご存知のように、ハロウィーンはアメリカから日本に渡ってきた文化です。アメリカは、18世紀にイギリスから独立して興った国です。ということは、もともとはイギリス(≒キリスト教圏)にあった文化ということになります。

 ちなみに、"Halloween"とは、"All Hallow's Eve"(All Hallow'sイブ)から来ているそうです。"All Hallow's Day"とは、「諸聖人の日」という、キリスト教すべての聖人たちへの記念日で、11/1とされています。この "All Hallow's Day"のスコットランド(現在のイギリス北部)語の表現の略語が、何百年かの時を経て"Hallowe'en"に変化していった、ということのようです。

 ここまで聞くと、西洋の行事であることは納得できるのですが、ホラーなコスプレや、いたずらしちゃうぞ!といったこととは正反対の行事に思えませんか。

 実はハロウィーンはさらに起源を辿ることができるのです。西洋に広くキリスト教が広まったのは、古代ローマ帝国時代のことです。4世紀に、ローマ帝国の国教がキリスト教と宣言されました。

 ハロウィーンは、さらに古代からある行事だったのです。ローマに征服される前、ヨーロッパには「ケルト人」といわれる人々が暮らしていました。その、ケルト人の伝統が、ハロウィーンの起源といわれています。

 ケルト人は、新年を11/1としていたそうです。つまり、その前日にあたる10/31は、いわゆる大晦日。だったわけです。また、秋が終わり、冬が始まる日という季節の分かれ目でもありました。そして、冬の始まる日には、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていたそうです。日本でいうお盆ですね。ケルト人にとって10/31とは、盆と正月と立冬が、一度にやってくる日だった、というわけです。

 この「家族を訪ねてくる死者の魂」が、ケルトでは妖精や悪魔のような姿をしており、悪い死者の魂は、家族や家にいたずらをしたり、子供をさらってしまうことがあると思われていました。そこで、子供が妖精や悪魔の恰好をすることで、死者の魂の仲間であるフリをして、イタズラ対象や誘拐対象にならないようにしたのです。

 また、訪ねてきた霊が不機嫌になってイタズラ心を起こさないように、ごちそう(このごちそうを振る舞うことを英語でtreatといいます)を用意しておいたのです。

 少し長くなってしまいましたが、これがハロウィーンの起源です。盆と正月と節分(立冬)が同時に来たと思えば、仮装してはしゃいで楽しむことは、間違いではないかもしれませんね。

2023.09.28

 現在、流山市など、千葉県北西部では、インフルエンザが流行しています。他の都道府県でも、インフルエンザ流行の本格化というニュースが報じられていますので、全国的に流行しているようです。

 先週には、流山市内でもいくつものの小中学校が学級閉鎖、学年閉鎖、果ては学校閉鎖を行う措置を取りました。インフルエンザの流行が学校生活や日々の学習に、大きな影響が生じる事態となりました。まさに「influenza」(影響)という、この病気の語源通りといえます。

 「influenza」は、16世紀、イタリアで名づけられたそうです。当時はウイルスはもちろん、細菌でさえも認識されていなかったため、決まったように冬に発生するこの病気は、星の巡りや冬の冷気による「影響」で引き起こされると考えられ、この病名になったそうです。SNSで存在感をアピールする「インフルエンサー」も、英語の「innfluence」(影響)という意味であり、双方語源は同じラテン語の「influentia」です。

 医学の発達した現代では、この流行性感冒は、インフルエンザウイルスというウイルスが原因であることが解っています。原因は突き止められても、感染を完全に防ぐ手立ては確立されていません。大流行の兆しがあると、国家はパンデミックを恐れ、普段の生活にさえも制限が掛かってしまうということを、我々は新型コロナの流行でほんの数年前に学びました。

インフルエンザによるパンデミックで、直近140年で最も深刻だったのは、1918年に世界的に流行した「スペイン風邪」だといわれています。全世界で感染者は6億人、死者は4000万から5000万人に達したそうです。当時行われていた第一次世界大戦の死者をはるかに上回るものでした。そうなる前の対策が、外出自粛であり、さらにその前の段階で流行に歯止めをかけるのが、学校などの閉鎖措置である。というわけです。

手洗いの徹底や、感染前のワクチン接種など、現代の我々には、ウイルスに対して対抗できる手段を持っています。できる予防はしっかり行って、健康を維持していきましょう。

2023.08.10

現在(8/10現在)生徒の皆さんは一年で最も長いお休み、夏休みの真っただ中だと思います。

もちろん、我々城南コベッツとしては生徒さんの夏休みこそ夏期講習期間中であり、「夏休みは目一杯遊んでください!」というよりも、「夏休みは目一杯勉強しましょう!!」という立場です。

しかし、そんな生徒の皆さんに酷なことを言う学習塾も、8/11(金)~8/16(水)まではお休みを頂いています。いわゆるお盆休みというやつですね。今度こそ言えます。「お盆休みは目一杯遊びましょう!」

さて、夏休み中の生徒さんはもちろん、大人の大半さえも(もちろんお盆中働いてくださっている方々もいらっしゃることでしょう)休むことができてしまう「お盆」とは、一体なんなのでしょうか?

お盆とは、ちょうど夏のこの期間、毎年ご先祖様の御霊があの世から帰ってくるため、そのお迎えを行い、またあの世へ戻るために送り返す、という一連の宗教儀式を指します。

具体的にどんな儀式で迎えるか、送るのか、という儀式の内容については、各地方によって異なってくるため、割愛させて頂きますが、大体この「あの世」であったり「ご先祖様」であったり、といったキーワードが出てくることがほとんどです。

 中国などにも「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という仏教行事があり、お盆のルーツの一つではありますが、いつごろから日本にお盆の風習があったのかは明確にはわからないそうです。ただ、8世紀ごろ(700年代ですから、奈良時代ですね!)には、夏に祖先の供養を行う風習があったと考えられているようです。

 と、言っても、令和の現在、それも東京のベッドタウンである流山で、厳格に宗教的な意味でお盆を全うしている人は多くないかもしれません。もちろん、これを書いている筆者もそうです。そんな現代人にとっては、お盆とは上記の「いわゆるお盆休み」でしかありません。ただ、宗教的意味合いは薄れても、せめてお盆の間はふるさとに帰る――いわゆる帰省シーズンとしてのお盆は、まだ残っているのではないでしょうか?

 帰省ラッシュというやつですね。2023年は、ここ数年コロナ禍で規制がままならなかった方も多いとみえて、大規模な帰省ラッシュが予想されています。8/10現在、数十キロの渋滞が首都圏で発生していますので、予想というか、実際にラッシュは起こっていますね。10日夜にはさらに渋滞は伸び、下りの渋滞ピークは明日11日になるとのことです。

ドライバーのみなさん、安全運転で無事帰省なさってください。また、お盆をおじいちゃん、おばあちゃんの家で過ごす生徒のみなさん。是非ゆっくり羽を伸ばしてください。

17日木曜日からは夏期講習後半戦が始まります。スタッフ一同、生徒さんの愉快なお土産話を楽しみにしています。

2023.07.21

 714日、映画「君たちはどう生きるか」が封切りとなりました。世界中にファンがいる巨匠、宮崎駿監督の、10年ぶりとなる長編アニメーション映画です。

 今日本でもっとも有名な映画監督である宮崎駿氏の10年ぶりの新作映画。さぞ多額の予算を掛けて大規模な宣伝、プロモーションが展開される......と思いきや、この映画は、「ほとんど宣伝、告知を行わない」という、従来の宣伝方法を逆手に取った大胆な戦略をとりました。結果、初週の興行収入で、同じく宮崎駿監督による大ヒット作、「千と千尋の神隠し」を超えたと、メディアが報じています。

 そんな「君たちはどう生きるか」。筆者も観てきました。率直な感想を言うなら「凄く面白かった!」です。主人公の葛藤はすぐに感情移入できましたし、奇妙で不思議なこの世とずれた世界での冒険は大変ワクワクしました。スタジオジブリが今まで創り上げてきた気持ちの良いアニメーションシークエンスをふんだんに再利用していて、「あ、ここはラピュタのアレだ」とか「あ、ここはハウルのアレだ」なんて感想が浮かんできたりして、嬉しかったりもしました。少年の葛藤と成長、ヒロインの持つ大いなる母性――といった、ストーリーのテーマも、宮崎駿監督作品としては王道といえるもので、わかりやすかったです。

 ところが今作は、現在、観た人によって賛否両論が渦巻いています。筆者のように「面白かった」という人々がいる一方、「意味がわからなかった」「展開について行けなかった」という感想もネットでは多く見受けられます。実際、作品完成後の試写会では、「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」という宮﨑駿監督のコメントが読み上げられました。作った本人さえ訳がわからないという作品。観た人が「意味が分からなかった」と思うのも無理はないのです。

 筆者は、「意味が分からない」という気持ちも理解できます。実際、観終わっても、「なんでなんだろう?」と頭を捻るような演出、表現もたくさんありました。しかし、それでも胸を張って「面白かった」ということができます。それは、「意味が分かる必要なんて必ずしもないのだ」と感じたからです。

 「君たちはどう生きるか」で描かれるのは、この世とは異なる、幻想的な世界での冒険です。そう、本作品は「ファンタジー」なのです。実際、先程触れたように広告も打たず、プロモーションも展開しなかった本作では、公開前にはほとんど情報は流されていませんでした。ただ、作品のジャンルが「冒険活劇ファンタジー」であるということだけは明かされていました。

 ファンタジー。本来の意味は「(自由奔放な)想像、空想、幻想、気まぐれ、酔狂、空想の産物、奇抜な考え、空想文学作品、ファンタジー、白日夢(weblio和英辞典)」という英単語です。ところが、(あくまで私の考えでは)、TVゲーム「ドラゴンクエスト」そして「ファイナルファンタジー」が空前の大ヒットを飛ばしたあたりから、その意味合いが変わってきたと思っています。

すなわちドラクエ、FFのような、中世ヨーロッパ的な世界を有する、剣と魔法の世界。TVゲームや、アニメーションにおいて、「ファンタジー」といえば、この狭義のファンタジーのことを指すことがほとんどになりました。

 

 その狭義のファンタジーを想像して「君たちはどう生きるか」を観ると、あまりに奇抜で、意味不明で、さらにその意味不明な数々に対して、映画内に答えもヒントも存在しておらず、途方に暮れてしまう。ということもあったのではないかと思います。

 しかし、上記の辞書どおりの「ファンタジー」を想像して本作品を観ると、自由奔放で、酔狂で、奇抜な、想像の産物――まさにピッタリ言葉どおりのファンタジーであった、と感じるでしょう。

 近年の日本の他の「ファンタジー」なアニメ作品と比べると、「君たちはどう生きるか」は、意味不明な作品といえます。しかし、「不思議の国のアリス」など、本来の意味のファンタジー作品と比べると、「君たちはどう生きるか」は、それらに勝るとも劣らない奇抜で奔放な発想で創られたファンタジーである。といえると思います。どちらの「ファンタジー」と捉えて鑑賞に臨むか。考えてから映画館に足を運んでみてはいかがでしょうか。