城南コベッツ横浜六浦教室

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2021.01.29

「立春大吉」、立春の日に曹洞宗のお寺に貼り出される厄除けのお札(ふだ)です。

旧暦では、立春の日が1年の始まりと考えられていました。正確に言うと
暦の上での1年の始まりが正月で、生活の始まりが立春でした。
そこで、立春の前日である節分の日に豆まきをして一年間の厄を払い、
「新しい一年の始まりの立春の日に厄が来ないように」という願いを込めて、
「立春大吉」のお札を貼るのです。

ではなぜ「立春大吉」という言葉が選ばれたのでしょうか。そのヒミツは
左右対称にあります。表から見ても裏から見ても「立春大吉」なのです。




このお札が貼ってあると、やってきた鬼が家に入っても振り返ったときに
「立春大吉」の文字が目に入るため、この家にはもう入ったと勘違いして、
鬼が帰ってしまうと考えられているのです。

「立春大吉」という言葉は、永平寺を開いた道元(どうげん)禅師が書いたと
される「立春大吉文」という、正月を祝う法語から来ているとされています。

2021.01.28

日本で最も有名な魔物といったら「鬼」といえるでしょう。
昔ばなし「桃太郎」では、「鬼退治」がテーマでしたし、
昨年大ヒットとなった「鬼滅の刃」も、主人公竈門炭治郎が鬼と化した妹を
人間に戻す方法を探すために戦う姿を描いた作品です。

そもそも中国では、「鬼」は死者の霊魂を指していました。6世紀後半
(古墳時代後期~飛鳥時代)に日本に入ってきた「鬼(キ)」という言葉は、
「帰(キ)」を意味し、この世に帰ってきた死霊のことを指しているという説が
あります。そして、日本古来の「オニ」と重なって「鬼」になったといいます。

平安時代末期に、この魔物は「鬼(おに)」という名が定着しました。
節分の豆まきの風習は、室町時代に始まったと言われていますが、
これは平安時代の宮中の年越し行事で、鬼を祓う「追儺(ついな)」に
由来しています。豆をまくのも「魔(マ)を滅(メ)っする」という縁起担ぎです。

古来から鬼が出入りする方角として、忌むべき方角が「鬼門(きもん)」です。
「鬼門」は方角でいえば、「北東」です。(艮=うしとら:丑と寅の間)
陰陽道の最盛期といわれる平安時代中期頃から、病気、地震、火災など、
そのすべてを神の祟りが起こすものと考えられ、祟りを起こす神の存在を
鬼に例えて恐れたことが大きな理由です。鎌倉時代には、竈(かまど)、門、
井戸、厠(かわや)など、病気に直結する場所を神格化させ、諸々の宅神から
祟りをうけぬよう祭祀を行っていた歴史もあるのです。

2021.01.27

すさまじきもの
晝(昼)ほゆる犬、春の網代(あじろ)。
三四月の紅梅の衣。
牛死にたる牛飼。
ちご亡くなりたる産屋(うぶや)。
火起こさぬ炭櫃(すびつ)地下爐(炉)。
博士(はかせ)のうち続き女子生ませたる。
方たがへにいきたるに、あるじせぬ所。
まいて節分などはいとすさまじ。
(以下略)

【現代語訳】
興ざめしてしまうもの。(※すさまじきもの=興ざめするもの、中身のないもの)
昼に吠える犬。(番犬として夜に吠えるべきものです)
春まで残っている網代。(※網代=魚を獲るための仕掛けで晩秋から冬に使われました)
三、四月(=今の四、五月)紅梅がさねの着物。(紅梅の着物は初春に着るものでした)
牛が死んでしまった牛飼い。
赤ん坊が亡くなってしまった産室。
火をおこさない火鉢、いろり。(※炭櫃=四角い火鉢、地下爐=囲炉裏)
学者の家に続いて女の子ばかり生まれること。
(※博士=大学寮、陰陽寮の先生、世襲制で男子のみ就任できました)
方違えに行ったのにごちそうをしない家。
(※方違え=陰陽道では災いを避ける為に神のいる方角へ出かけることを忌みました。
その方角へ行くときには方向を変え、一旦他の家に寄ってから目的地に行きました)
まして節分など特別な日は、ほんとうに期待はずれ。
(※節分の方違え=普段の方違え以上にごちそうをする習慣がありました)

枕草子(まくらのそうし)は清少納言が1001年(長保3年)頃に書いた随筆です。
この「すさまじきもの」は、三巻本では第25段、能因本では第22段にあたります。
三巻本(さんかんぼん)とは、「枕草子」の写本の系統の一つです。

2021.01.26

神奈川県教育委員会から発表されている学力検査当日(試験日)の注意について
(抜粋)

○検査日当日は、必ずマスクを着用する

○当日の朝、体調をチェックして「健康観察票」に記入し、志願先に持参する

○面接や特色検査等の「追検査」がない検査においても、発熱等の体調不良の場合は、
中学校に連絡のうえ、無理をせずに自宅で休養する

○昼食は自分の座席で会話をせずにとる、休み時間の会話も控える

○新型コロナウイルス感染症の感染者となった場合は、治癒するまで受験不可

「追検査」は2月22日(月)に実施されます(2/15の検査を受検できなった方が対象)
「二次募集」「追加の検査」の学力検査は3月10日(水)に実施されます

2021.01.25

追儺(=ついな)とは、大晦日(旧暦12月30日)に行われる宮中における年中行事で
鬼(疫鬼や疫神)を払う儀式、または民間で節分などに行われる鬼を払う行事です。

宮中行事であった追儺は、鬼を払う内容から節分(太陰暦でいえば大晦日に
行われる行事)の豆まきなどの原形のひとつであるとも考えられています。
しかし豆まきについては、日本での追儺の儀式には組み込まれておらず、
鬼を打ち払う他の行事から後の時代に流入をしたものといわれています。

追儺 (「平安朝の生活と文学」 池田亀鑑著 ちくま学芸文庫 P.73より)

十二月の行事としては、追儺(=ついな)が後宮に最も深い関係をもっています。
大舎人寮の官人が、四つ目のある黄金の仮面をかぶり、朱色の衣装をつけ、
片手に楯(=たて)を持って参入し、北廊の戸に出て、大声で無形の鬼を追い、
群臣もまた弓で葦の矢を放つのです。「枕草子」「源氏物語」その他、所見の
非常に多いものであることはいうまでもありますまい。また、節分の夜、
すなわち立春の前夜には、方違(=かたたがえ)の風習があったことが、
「枕草子」や公卿の日記などでわかります。ただし室町時代になると、
豆打ちをして鬼を攘(はら)うことになったので、追儺はすたれました。

※後宮(=こうきゅう) 皇后・中宮・女御(=にょうご)が住まわれ、
更衣・御息所(=みやすどころ)・御匣殿(みくしげどの)などを
はじめとして、内侍司以下の女官が奉仕した禁中の奥御殿のこと
※方違(=かたたがえ) ある方向を忌むこと。わざとその方角を違えて、
別の方角にある家に泊まりに行くようなことも普通に行われていました。