城南コベッツ横浜六浦教室

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2021.05.22

IOCのジョン・コーツ調整委員長は、5月21日、大会組織委員会との
オンライン会合後に記者会見し、緊急事態宣言が解除されない状況でも
五輪は開催するのかと問われ、「答えはイエスだ」と明言しました。
「WHOなどから、緊急事態宣言下であってもなくても、十分安全で安心な大会を
開催できると助言を受けている」と理由を示しました。

①「傲岸不遜」(=ごうがんふそん)
意味:驕(おご)り高ぶって人を見下すさま。思いあがって謙虚さのないさま。
「傲岸」はお高くとまって威張(いば)ること。
「傲」は驕(おご)る意。「岸」は切り立った崖(がけ)の意で際立って高い角立つさま。
「不遜」は高ぶってへりくだらないこと。

②「金の亡者」(=かねのもうじゃ)
意味:いかなる状況においてもお金や金銭的価値を重視する人、
すなわち何を差し置いても金銭を優先にする人のこと。
亡者とは金銭などの物質的な物への執念に取り憑かれている人のこと。

③「後は野となれ山となれ」(=あとはのとなれやまとなれ)
意味:当面のことさえ片付いてしまえばどうなってもかまわないということ。
由来:江戸時代に活躍した近松門左衛門の浄瑠璃「冥土の飛脚」の一節から
「栄耀栄華も人の金、はては砂場を打ち過ぎて、あとは野となれ大和路や。」
英語表現1:After us the deluge.(=死後に洪水が来ようがかまわない)
※after us = 私たちの存在の後、つまり死後のこと
英語表現2:I don't care what happens afterwards.

2021.05.20

「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」という言葉を
残したのは、フランスの哲学者アラン、(アランはペンネームで、
本名はエミール=オーギュスト・シャルティエです)幸福についての
コラムをまとめた「幸福論」は、今なお多くの愛読者がいます。

「幸福論」に書かれている名言からいつくか言葉を選んでみました。
気に入った言葉がありましたら、どこかに書き留めておいてくださいね。

「知れば知るほど、学ぶことができるようになる」
「人間は、意欲し創造することによってのみ幸福だ」
「幸福だから笑うわけではない。笑うから幸福なのだ」
「幸福になろうとする努力は決して無駄にはならない」
「幸福になることはまた、他人に対する義務である」
「友情にはすばらしい喜びがある」
「自分で放ったすべての矢が自分にもどってくる。自分こそ自分の敵なのだ」
「戦いが自分の意志で行われるならば、困難な勝利ほど楽しいものはない」
「力いっぱい戦ったあとでなければ、負けたといってはいけません」
「名高い山頂まで電車で運ばれた人は、登山家と同じ太陽を見ることはできない」

アランは1868年生まれ。高校の哲学教師を勤めるかたわら、哲学コラムを寄稿し、
83才で亡くなるまで執筆活動を行いました。幸福についてのコラムをまとめた
「幸福論」は1925年に発刊され、スイスのカール・ヒルディの著した「幸福論」、
イギリスのバートランド・ラッセルの著した「幸福論」と併せて「世界三大幸福論」
などと言われています。

(これは、2015年9月に書いたもののリライトです。ネットの海から拾い上げました)

2021.05.19

①「杜撰」(=ずさん)
意味1:詩や文章に、典拠の確かでないことを書くこと。また、その詩文。
意味2:物事がいいかげんで、誤りが多いこと。また、そのさま。
用例:「杜撰な管理」「杜撰なシステム」
由来:「杜」は宋の詩人、杜黙 (ともく)のこと、「撰」は詩文を作ること。
杜黙の作る詩に律(作詞の規則)を外れたものが多く、その由来は
南宋の王楙が著した『野客叢書』(やかくそうしょ)の次の箇所によります。
「杜默 為詩、多不合律。故言事不合格者為杜撰。」
杜黙(ともく)、詩を為(つくる)に、律(りつ)に合わざること多し。
故(ゆえ)に事の格に合わざる者を言いて、杜撰(ずさん)と為す。

②「愉快犯」(=ゆかいはん)
意味:人または社会を騒がせ、その醜態や慌(あわ)てふためく様子を
陰から観察する、あるいは想像して注目を浴びることによって、
快感を得ることを目的とした行為またはその犯人。法に抵触するか否か、
するとすればどの法に抵触するかは、実行した行為による。

③「軽挙妄動」(=けいきょもうどう)
意味:軽はずみに何も考えずに行動すること。是非の分別もなく動くこと。
「軽挙」は深く考えずに行動すること。
「妄動」は分別なくみだりに行動すること。

※再掲「責任転嫁」(=せきにんてんか)
意味=自分が負うべき責任を他のものに擦(なす)りつけること
由来=転嫁は、嫁を転がすという意味ではなく、二回目の嫁入り(=再嫁)という
意味です。転じて転嫁は、他に移すことを意味するようになりました。

2021.05.18

「暗黙知」とは言語化できない知識のことです。ハンガリーの物理化学者、
社会科学者であるマイケル・ポランニーの用語で、『暗黙知の次元』で
議論されました。人間の身体性に基づいた部分は言語化できないことが多く
たとえば、自転車の乗り方の多くの部分は言語化できません。

「九九(=くく)」は小学2年生で習いますが、これが最も基礎的な、
数についての暗黙知の元になるでしょう。「12」という数字を見て、
「=2×6」とか「=3×4」だと思いつけるのも暗黙知があればこそです。
これができると、小学5、6年生で出てくる分数の計算(約分や通分)、
さらには中学校で習う方程式や(素)因数分解、平方根の計算に、
すんなりと入っていくことができます。

また「メイクテン(=make10)」という数の遊びをくり返しやることで、
確実に数の力が身につきます。車のナンバープレートに書かれている
4桁の数字それぞれを、足す、引く、かける、わる、の四則を使って、
「10をつくる」という遊びです。ひとりで考えるのもよし、家族や友だちと
競争するのもよし。10をつくるために、あれこれ試行錯誤することで、
どんどん数に慣れていきます。

どうしても10にできない並びもありますが、本当にできないのかどうかを
確かめる過程そのものも数学力になりますから、ためしにやってみませんか。
基本は「+」「−」「×」「÷」と( )を使うのですが、さらに何乗を使ってよいなど
独自のルールを加えていくと、さらに計算力は向上します。「10をつくる」
という最終的な答えや目標を常に頭に置きつつ、個別の数の性質や
使い方を見ていくというところが、脳のトレーニングとしては優れています。

2021.05.17

「カルネアデスの板」とは、古代ギリシアの哲学者、カルネアデスが
出したといわれる問題です。倫理における思考実験の一つです。

舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、乗組員は全員海に
投げ出されました。一人の男が命からがら、壊れた船の板切れ(船板)に
すがりつきました。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が
現れました。しかし、二人がつかまれば板が沈んでしまうと考えた男は、
後から来た者を突き飛ばして水死させてしまったのです。その後、
救助された男は殺人罪で裁判にかけられましたが、罪に問われなかった
というものです。

これは、「緊急避難」の例として、現代でもしばしば引用される寓話です。
日本の法律では、刑法第37条の「緊急避難」に該当すれば、この男は
罪に問われません。しかし、その行為によって守られた法益と侵害された
法益のバランスによっては、「過剰避難」とみなされる場合もあります。

舞台は近未来のニッポン。未知のウイルスが蔓延し、国民は打てば
助かるかもしれないとワクチンを求めていました。一人の男が命からがら、
ワクチン接種権を得ました。するとそこへもう一人、ワクチン接種権を
持った者が現れました。しかし、ワクチンは一人分しかありません。
二人には接種できないと考えた男は、ワクチンを優先して接種してもらい、
後から来た者は死んでしまいます。これは罪にあたるのかどうか。

ワクチン接種の優先順位の問題のみならず、最も多くの人々に最善の治療を
施すという、救急医療における「トリアージ」も、この国で起きている現実です。
現実から目を背けることは、だんだんできなくなってきているのです。