こんにちは。今回は超原点に戻って「勉強をする意味」について話していこうと思います。
よく授業をしていると「なんでこんなこと勉強する意味があるの?」というった生徒たちの本音という名の悲痛な叫びが良く聞こえます。
気持ちはとてもよくわかります。
漢字は今パソコンやスマホの発達などで、書けなくても問題ないようなきさえするし、数学も簡単な計算さえできれば日常生活には何の支障もない気がする。実際、そうかもしれませんね。
ですが、勉強をすることには大きく2つの意味があるのではないかと私は考えています。
1つ目は「選択肢を増やすため」
これは一番言われるし、簡単に思いつくことかもしれませんね。
進学や就職、自分の「これしたい」や「あれになりたい」を叶えるためには、ある程度の知識と経験がどうしても必要になってしまいます。
専門的な知識も、分解すれば最終的には今やっている必須科目である「国数英理社」そしてものによっては副教科にまでたどり着きます。
応用は基礎の詰め合わせ。応用専用の教科書はありません。教科書から学んだ基礎知識を組み合わせ、応用問題を解いていくからです。
すなわち、基礎知識がなければ応用問題は解けません。
得たい知識や、学びたい何かが出来た時用の知識貯金が今の学校や塾での勉強になるのだと私は思います。
そして2つ目「経験のため」
勉強が好き!とても好き!寝ても覚めても勉強のことしか考えられない!といった子はいないとは言えませんが、とても稀でしょう。
たいていの生徒さんは勉強が苦手で、きつくて嫌いでしょう。
勉強が出来るようになりたい、と塾にくる子たちは特に。
ですが日本では義務教育と言ったり「子供は勉強が仕事」と言ったり理不尽にも強制されてしまっていますね。怖い話ではありますが大人になればそんなことはざらです。
やりたくない、楽しくない仕事もやらなくてはならない、そんなときも来ますし、大学生になってやりたくないことを先延ばしにしてたら、簡単に単位だって落とします。
大人になってから「あの時やっておけばよかった」と後悔することもあります。
(とは言っても今は理解出来ないのも、私だってかつては学生だったからこそめちゃくちゃわかる。)
ひどくきつく世知辛いことを言っているような気がして心苦しいのですが、それが社会であり現実です。本当、残念なことに。
今はその訓練でもあるのではないかと私は思います。
耐えるための訓練ではなく、いかに自分が楽しく前向きにその課題に向き合えるか。
嫌な課題を乗り越える道中にある物、乗り越えた先にある物。
そんな視野を持つことで、世の中の様々な理不尽や辛い、苦しいを楽しい、頑張ろうに変えていくことが出来るのではないかと思います。
いくつになっても、世の中は勉強です。
私たち講師も、生徒さんから学ぶ視点や知見もあります。日々を懸命に生きていく中で得た経験や知識は、誰にも負けない自分だけの武器になります。
ちょっとポエミーで説教チックになってしまいましたが、学ぶことは決して無駄ではないということをお伝えできていればうれしいです。
城南コベッツに誰も学ぶ姿勢を笑う人はいませんし、全力で手伝いたいと思っている講師、教室長だけです。勉強での悩みや不安、それ以外のことももちろん、ぜひお聞かせください。
城南コベッツでお待ちしております。