赤羽南教室のメッセージ
【RINGOJUKUWORKS#10】算数オリンピックのメダルより大切にしていること
2026.09.04
りんご塾赤羽南教室では、算数オリンピックに本気で取り組んでいます。
キッズBEEをはじめ、子どもたちは難しい問題に挑戦します。
出場するからには、結果も目指します。
ファイナルに進んでほしい。
できることなら、メダルも取ってほしい。
本人が悔しがれば、私たちも悔しい。
結果が出れば、やはり嬉しい。
だから私は、
「結果なんて関係ありません」
とは言いません。
本気で挑戦している子どもたちに対して、それは少し違うと思うからです。
勝ちたいと思っていい。
メダルが欲しいと思っていい。
そのために努力していい。
でも。
メダルより大切にしていることがあります。
今日は、その話を書いてみたいと思います。
簡単には解けない。だから意味がある
算数オリンピックの問題は、学校のテストとはかなり違います。
習った公式に当てはめれば解ける。
計算方法を覚えていれば解ける。
そういう問題ばかりではありません。
問題を読んで、
何を聞かれているのか考える。
図を描いてみたり、
小さな場合で試してみる。
うまくいかななけば消して、
また別の方法を試す。
それでも分からない。
また考える。
私は、算数オリンピックの問題そのものに、とても大きな教育的価値があると思っています。
正解できるからではありません。
むしろ、
簡単には正解できないからです。
「分からない」の次に何をするか
RINGOJUKU WORKSで、これから何度も出てくる言葉だと思います。
私は、「分からない」の次に何をするか
を、とても重要視しています。
難しい問題を見る。
分からない。
ここまでは誰でも同じです。
問題は、その次です。
すぐに、
「先生、分かりません」
と言うのか。
もう一度問題を読むのか。
図を描くのか。
小さい数字で試すのか。
手を動かしてみるのか。
分かっていることだけでも書いてみるのか。
先生が解き方を教えて、その通りに解けば、一問は早く終わります。
でも私は、ときどき思います。
それで、その子の中に何が残ったのだろう。
答案には残らない時間
子どもが難しい問題を考えているところを見ていると、(良い意味で)もどかしいなぁ~という時間があります。
書く。
消す。
また書く。
じっと問題を見る。
図を描く。
違う。
もう一度やる。
先生から見れば、
「ああ、そっちじゃないんだけどなあ(笑)」
と思うこともあります。
答えが見えている大人にとっては、とてももどかしい。(笑)
ついつい口を出したくなります。
一言ヒントを出せば、すぐに進める。
でも、そこはグッと我慢。
待ちます。
なぜなら、
その遠回りをしている時間にこそ、
子どもが自分で試し、考えている時間だからです。
その時間は答案には残りません。
点数にもなりません。
成績表にも書かれません。
でも私は、その時間にこそ、
子どもが学び、育っている瞬間
だと思っています。
正解までの道を、先生が舗装しすぎない
先生は答えを知っています。
だから、
「そこじゃないよ」
「こう考えてみたら?」
「この図を描いてみよう」
と、正解までの道を整えることができます。
もちろん、必要なときには助けます。
待つのと、放置するのとは、全然違うと考えています。
ただ、先生が道をきれいに舗装しすぎると、
子どもは、その道を歩くだけになります。
それでは、先生が考えたことを、子どもが追体験しているだけになってしまうことがあります。
助けることと、
考える時間を奪うことは違う。
この境界は難しいです。
だから私たちも、いつも考えています。
メダルだけが目的なら、もっと違う教え方ができる
もし目的を、
「とにかくメダルを取らせる」
だけにするなら、指導方法は少し変わるかもしれません。
典型的な解法を覚える。
問題のパターンを分類する。
頻出する考え方を先に教える。
効率よく解ける方法を身につける。
もちろん、こうした勉強にも意味があります。
大会なのですから、対策も必要です。
赤羽南でも、必要なことは教えます。
でも、それだけにはしたくありません。
なぜなら、
算数オリンピックが終わったあとにも、その子の学びは続くからです。
小学3年生のメダルの、その先
キッズBEEは小学3年生までの大会です。
でも、子どもの人生は小学3年生で終わりません。
小学4年生になる。
中学生になる。
高校生になる。
大学受験をする子もいるでしょう。
大学へ行き、社会に出て、その先にはもっと長い人生があります。
「あのときキッズBEEでメダルを取った」
という経験は、もちろん素晴らしいものです。
でも私は、それと同じくらい、あるいはそれ以上に残ってほしいものがあります。
難しいものを前にして、簡単に逃げなかった経験です。
分からなかった。
悔しかった。
何度も間違えた。
それでも考えた。
そして最後に、
「あ!分かった!」
となった。
その経験は、きっとメダルより長く、その子の中に残ります。
メダルを取れなかった子にも、成長はある
大会には結果があります。
ファイナルに進む子もいれば、進めない子もいます。
メダルを取る子もいれば、取れない子もいます。
それは当然です。
全員がメダルを取れるなら、大会にはなりません。
だからこそ私は、結果だけで子どもの成長を判断したくありません。
去年ならすぐ諦めていた問題を、今年は10分考えた。
何も書けなかった子が、図を描くようになった。
すぐ先生に聞いていた子が、まず自分で試すようになった。
間違えると泣いていた子が、
「もう一回やる」
と言えるようになった。
こうした変化は、賞状には書かれません。
メダルの色にも表れません。
でも私は、
こちらの成長こそ深く受け止めたい。
その上で、結果を目指す
教育の世界では、
「結果より過程が大切です」
という言葉をよく聞きます。
私は、この言葉を少し慎重に使いたいと思っています。
本気で大会に出るなら、
勝ちたいと思っていい。
ファイナルへ行きたいと思っていい。
メダルが欲しいと思っていい。
負けたら悔しがっていい。
子どもが本気で目指しているのに、大人が先回りして、
「結果なんて関係ないよ」
と言う必要はないと思います。
むしろ、
結果を目指して本気で取り組むからこそ、過程にも意味が生まれる。
私はそう考えています。
メダルは「目的」ではなく「結果」
赤羽南では、算数オリンピックに本気で挑戦します。
ファイナルを目指します。
メダルも目指します。
でも、
メダルを取るためだけに、子どもの学び方をつくりたくはありません。
考える。
試す。
間違える。
悔しがる。
もう一度やる。
そして、自分で分かったときに喜ぶ。
その積み重ねの先に、
結果としてメダルがあれば、とても嬉しい。
私は、そんな順番でありたいと思っています。
なぜ、難しい問題をやるのか
赤羽南が難しい問題を扱うのは、
「こんな問題まで解けます」
と自慢するためではありません。
難しい問題が解ける子を選別するためでもありません。
難しい問題には、
簡単な問題では経験できない時間
があるからです。
分からない時間。
迷う時間。
失敗する時間。
考え直す時間。
そして、
自分で答えにたどり着く時間。
私は、その時間を子どもたちに経験してほしいと思っています。
それは算数オリンピックだけの話ではありません。
大人になれば、答えが用意されていない問題にいくらでも出会います。
「習っていません」
「やり方を教えてください」
だけでは、前へ進めません。
自分で考える。
調べる。
人に聞く。
試す。
失敗する。
修正する。
そして、また試す。
算数オリンピックの難問の中には、
そんな未来につながる小さな練習もあると思っています。
メダルを外したあとに、何が残るか
算数オリンピックには、点数があります。
順位があります。
ファイナルがあります。
そして、メダルがあります。
今年も、それらを本気で目指します。
でも大会が終わったあと。
子どもの首からメダルを外しても、
その子の中に残っているものがあってほしい。
難しいものから逃げなかったこと。
分からなくても考えたこと。
間違えても、もう一度やったこと。
自分で試したこと。
そして最後に、
「自分でなんとかできた」
と思えたこと。
それが残っているなら、
メダルを取った子にも、
取れなかった子にも、
算数オリンピックに挑戦した意味がある。
私はそう思っています。
だから赤羽南では、
メダルを本気で目指します。
でも、
メダルより大切なものを、メダルのために失わない。
それが、私たちが算数オリンピックに取り組むときに、






