赤羽南教室のメッセージ
【RINGOJUKUWORKS#22】「塾代よりChatGPTを」----AI時代に、塾は何のためにあるのか
2026.09.29
今日、教育に関するニュースを読んでいて、かなり考えさせられる記事に出会いました。
オーストラリア・シドニーで学習塾を運営していたDymocks Educationが、「Dymocks Tutoring」と「Talent 100」の事業を2026年9月27日で終了しました。
驚いたのは、その理由です。
会社側は、AIの普及によって学習を取り巻く環境そのものが変わったと説明しています。
多くの生徒がAIから低価格で役立つ説明を受けられるようになり、今では、「学習の助けを得られるか」ではなく、「AIをうまく使えるか」の方が課題になっている。
さらに保護者に対して、家計への負担を考えるなら、GeminiやChatGPTなどのAIに少額を投資することまで勧めています。
塾を経営していた会社自身が、「高い塾代を払い続けるより、AIを使うという選択肢がある」と話して事業から撤退する。
教育に関わっている人間として、これはかなり衝撃的な出来事でした。
AIは、本当にそこまで教えられるのか
ちょうど同じ時期に、興味深い研究も発表されています。
「StudentBench」という研究です。
GREというアメリカの大学院進学試験を使い、2,383人を対象として、AIによる指導、人間の専門家による指導などを比較しました。
その結果、GREの学習効果について、一部のAIによる指導は、人間の専門家による指導と統計的に同等の結果を示しました。
さらに、同等の学習効果を示したAIの一つでは、学習効果1ポイントあたりの費用が、人間による指導の918分の1だったと報告されています。
もちろん、ここは慎重に考えなければなりません。
これは幼児や小学生を対象にした研究ではありません。
GREという特定の試験を使った研究です。
ですから、「AIはすべての教育において人間と同じになった」などと言える研究ではありません。
それでも、
問題を説明する。
分からないところを教える。
練習問題をつくる。
別の言葉で説明する。
こうした仕事について、AIが急速に人間へ近づいていることは無視できないと思います。
実際、私自身もChatGPTを日常的に使っています。
何度聞いても嫌な顔をしません(笑)。
「もっと簡単に説明して」と言えば説明し直してくれる。
「別の例で説明して」にも対応してくれる。
類題もつくれる。
文章も直せる。
しかも、どれほど指示を与えても、疲れません。
そう考えると、「分からない問題を分かりやすく説明する」ことだけを塾の価値としてきたのであれば、これからかなり厳しい時代になると思います。
では、塾はなくなるのか
私は、そう単純な話ではないと思っています。
今回のDymocksの撤退についても、オーストラリアの教育関係者からは異なる見方が出ています。
別の学習塾Matrix Educationでは、AIを教育に取り入れながらも、対面で人間から指導を受けることには引き続き価値があるという立場を示しています。
また、シドニー大学で数学教育などに携わるBen Zunica氏は、AI家庭教師は今後さらに進歩するとしながらも、生徒がAIにすぐ答えを求めてしまうことを問題として指摘しています。
人間の講師なら、答えをすぐに教えず、生徒と一緒に順序を追って考えることができる、というのです。
これを読んだとき、私は少し笑ってしまいました。
それ、私たちがずっとやっていることだな、と。
実は、赤羽南もAIを使っています
ここで一つ、書いておきたいことがあります。
りんご塾赤羽南教室は、AIを否定している教室ではありません。
むしろ逆です。
私たちの教室でも、AI教材のatama+(アタマプラス)を導入しています。
atama+は、一人ひとりの学習状況を分析し、つまずきを特定し、必要な講義や演習、復習を提案していく仕組みを持っています。
atama plus自身も、AIを活用することで、先生が一方的な解説だけに時間を使うのではなく、生徒への働きかけなど、人間だからできる仕事に力を使えるという考え方を示しています。
私は、この考え方にはとても共感しています。
AIにできることまで、人間が意地になってやり続ける必要はないと思っています。
一人ひとりの理解度を分析する。
どこでつまずいているのかを探す。
必要な単元まで戻る。
適切な問題を出す。
理解度に合わせて反復する。
こうしたことは、AIが非常に得意です。
だったら、AIにやってもらえばいい。
問題は、その先です。
AIに任せるからこそ、人間は何をするのか
AIが学習状況を分析してくれる。
問題も出してくれる。
説明までしてくれる。
では、教室にいる先生は何をするのでしょうか。
私は、ここにこれからの塾の大きな意味があると思っています。
人間は、子どもを見る。
なぜ鉛筆が止まったのか。
なぜ「わからない」と言ったのか。
本当に分からないのか。
問題文を最後まで読んでいないだけなのか。
言葉の意味が分からないのか。
考えることが面倒になったのか。
間違えるのが怖いのか。
集中が切れているのか。
あるいは、先生に構ってほしいだけなのか(笑)。
幼児や小学校低学年を指導していると、
同じ「わかんない」でも、そこに含まれているものはまったく違います。
だから私たちは、表情、姿勢、手の動きを見る。
問題をどこまで読んだかを見る。
さっきまで何ができていたのかを見る。
そして、今、この子に必要なのは「説明」なのか。
それとも、「待つこと」なのかを考えます。
私たちは、教えすぎない
赤羽南教室では以前から、講師たちに、「教えすぎないでください」と伝えています。
これは、先生が楽をするためではありません(笑)。
むしろ、教えてしまった方が授業は楽です。
子どもが止まったら、「ここはこうやるんだよ」と説明する。
答えが出なければ、「こう考えればいいよ」と教える。
その方がテキストは速く進みます。
でも、それを繰り返していると、「分からなければ誰かに聞けばいい」という子どもを育ててしまうことがあります。
だから、すぐには教えません。
待ちます。
「もう一回読んでみようか」
と言うこともあります。
「これ、違う言葉で言うとどういう意味?」
と聞くこともあります。
前のページを見返させる。
図を書かせる。
積み木を触らせる。
そして時には、何も言わずに見ています。
AIが進歩するほど、「待つ」ことが難しくなる
これから、ここはかなり大きな教育問題になるのではないかと思っています。
今の子どもたちは、ほとんど何でも答えてくれる存在と一緒に育っていきます。
分からなければAIに聞けばいい。
「答えを教えて」と言えば答えてくれる。
「もっと簡単に」と言えば簡単にしてくれる。
「小学生にも分かるように」と言えば、さらに言い換えてくれる。
これは素晴らしいことです。
私自身、毎日のようにその恩恵を受けています。
でも同時に、一つ心配なことがあります。
人間は、「分からない状態」に耐えられるのだろうか。
ということです。
「分からない時間」には意味がある
私たちは、「分からない」という状態を、悪いことだと思いがちです。
でも私は、そうは思っていません。
分からない。
だから読む。
もう一度読む。
言葉を言い換える。
図を書いてみる。
前の問題を見る。
違う方法を試す。
間違える。
なぜ間違えたのか考える。
また試す。
それでも分からない。
もう少し考える。
そして突然、
「あっ!」となる。
この、「分からない」から「分かった」までの時間。
私は、ここに教育のものすごく大切な部分があると思っています。
長いし、大変だし、待つことに疲れることもあるのですが、それでも絶対に無くしてはいけない。
ところがAIは、その時間を一瞬で消すこともできます。
だからこそ、AIがすぐ答えをくれる時代には、あえてすぐ答えを与えない教育も必要になる。
そんな少し不思議な時代になるのではないでしょうか。
「考える」とは何か
私は以前から、「考える=自分の力でなんとかしようとすること」だと考えています。
難問が解けることだけを、「考える力」とは思っていません。
分からなくても、考える。
そして、簡単には他人に答えを求めない。
これも立派な「考える力」です。
AIが進歩すればするほど、
知識を持っていること以上に、
自分の力でなんとかしようとすること
の価値は上がっていくのではないかと思います。
「ChatGPTがあるのに、なぜ塾に通うのですか?」
これは、私たち自身にも厳しい問いです。
これから保護者の方が、
「月数千円でAIが教えてくれるのに、なぜ毎月塾代を払うのか」と考えるようになるのは当然だと思います。
その問いに、「人間が教えるからです」では、もう答えにならない。
「丁寧に説明します」でも弱い。
AIの方が丁寧かもしれません(笑)。
では、赤羽南教室に通う意味は何なのか。
私は、
自分で問題を読む。
すぐに「わからない」と言わない。
自分の言葉で言い換える。
試行錯誤を続ける。
簡単に諦めない。
そして、自分の力でなんとかしようとする。
そういう人を育てることだと思っています。
もちろん、算数ができるようになることも大切です。
私たちは算数塾です。
そこから逃げるつもりはありません。
先取りもします。
難しい問題にも挑戦します。
結果にもこだわります。
しかし、算数を使って、どういう人間を育てるのか。
そこまでが、これからの教育には問われるのだと思います。
私は高校生に「何になりたい?」とは、あまり聞きません
少し話がそれますが、私は長年、大学受験の数学を教えてきました。
高校生に授業をしているとき、よくする質問があります。
それは、「将来、何になりたい?」ではありません。
私が聞くのは、「どんな大人になりたい?」です。
この二つは、似ているようで、かなり違います。
「何になりたい?」と聞けば、職業の名前が返ってきます。
でも、「どんな大人になりたい?」と聞くと、生き方の話になります。
だから私は、ときどき高校生に聞きます。
毎日、「仕事行きたくないなあ」と言いながら会社に行っている大人。
仕事が終われば会社の愚痴。
上司の愚痴。
同僚の愚痴。
月曜日になれば、「また一週間始まっちゃったよ」と言って、金曜日が来るのだけを楽しみにしている。
そういう大人、かっこいいか?
と。
もちろん、仕事なんて楽しいことばかりではありません。
私だって、「今日は嫌だなあ」と思うことくらいあります(笑)。
腹が立つこともあります。
失敗することもあります。
疲れることもあります。
でも、それとは別の話だと思っています。
「大人になるのも、面白そうだな」
私は、生徒たちから見たときに、かっこいい大人でありたい。
そして、面白い大人でありたい。
もっと言えば、なんだかワクワクする大人でありたい。
と思っています。
何歳になっても、新しいものを面白がる。
知らないものが出てきたら、「なんだこれ?」と調べてみる。
AIが出てきたら、「こんなものは教育じゃない」と拒絶するのではなく、
とりあえず使ってみる。
使ってみて、「これはすごい」と思う。
そのうえで、「じゃあ、人間は何をすればいいんだろう」と、また考える。
仕事だってそうです。
もっと面白い教室にできないか。
もっと子どもたちが成長する方法はないか。
まだ何かできるんじゃないか。
そうやって、何歳になっても「次は何をやろう」と考えている大人でいたい。
生徒たちがそんな大人を見て、「大人になるのも、結構面白そうだな」と思ってくれたら、
私はそれも教育だと思っています。
子どもは、大人の言葉より、大人の生き方を見ている
「一生懸命やりなさい」
「挑戦しなさい」
「勉強しなさい」
「夢を持ちなさい」
大人はいろいろなことを子どもに言います。
でも、大人自身が毎日つまらなそうに生きながら、
子どもにだけ、「夢を持て」と言っても、なかなか伝わらないと思うんです。
だから私は、教育とは、子どもに何かを教えることだけではないと思っています。
私たち大人が、どう生きているかを見せること。
それも教育なんじゃないでしょうか。
そしてこれは、AIには代わってもらえません。
AIか、人間か、ではない
私は「AI教育か、人間教育か」という議論自体が、少し違うのではないかと思っています。
赤羽南教室でatama+を使っているのも、そのためです。
AIが得意なことはAIに任せる。
AIだからこそ正確にできる分析も使う。
AIだからこそできる個別最適化も使う。
そして、AIによって人間の時間が生まれたなら、その時間を人間にしかできない教育に使う。
子どもを見る。
待つ。
考えさせる。
失敗させる。
もう一度やらせる。
時には、温かい言葉や手で励ます。
時には、魂を込めて、注意する。
そして、自分でできた瞬間を一緒に喜ぶ。
さらに、一人の大人として、自分がどう生きているのかを見せる。
私は、こちらの方が大切だと思っています。
AIに勝つ塾をつくるつもりはありません
AIに負けない塾をつくろうとは思いません。
そもそも、AIと人間が競争する必要はない。
AIが上手にできることは、AIに任せればいい。
問題の解説。
つまずきの分析。
類題の作成。
知識の検索。
文章の添削。
これから、もっと多くのことができるようになるでしょう。
だからこそ、人間がいる教室では、人間にしかできないことを、もっと真剣に考えなければならない。
AIがすぐに答えを出してくれる時代に、私たちは、あえて答えを教えないことがあります。
少し遠回りさせることもあります。
なぜなら、答えを知ることより、自分の力でそこまでたどり着いた経験の方が大切なことがあるからです。
「塾代よりChatGPTを」。
そんな言葉が、塾を運営していた会社自身から出てくる時代になりました。
私は、このニュースを悲観的には見ていません。
むしろ、「塾とは、何のためにある場所なのか」
それをもう一度、私たち教育に関わる人間に問い直してくれているように思います。
答えを教える場所なのか。
問題を解けるようにする場所なのか。
それとも、自分の力でなんとかしようとする人を育てる場所なのか。
私たちはAIを使います。
これからもっと使うことになるでしょう。
でも、AIが何でも答えてくれる時代だからこそ、「自分で考える人」を育てたい。
そして、その子どもたちがいつか大人になったとき、
仕事の愚痴ばかり言いながら毎日を過ごすのではなく、
自分なりに面白いものを見つけ、
新しいことにワクワクし、
何歳になっても、「次は何をやろう」と考えている。
そんな大人になってくれたらと思っています。
だから私は、これからも生徒たちに聞き続けます。
「君は、どんな大人になりたい?」
そして、その質問をする以上、私自身も生徒たちから、「大人になるのも、結構面白そうだな」と思ってもらえる大人でありたい。
AI時代になっても、いや、AI時代になるからこそ。
そんな教育をする場所でありたいと思っています。






