赤羽南教室のメッセージ
【RINGOJUKUWORKS#21】2050年、教育はどこまで変わっているのだろう
2026.09.28
先日から、ムーンショット計画について考えています。
2050年の日本は、いったいどんな社会になっているのだろう?
2050年といえば、ずいぶん先の未来のように聞こえますが、あと24年です。
私はその頃、82歳になっています(笑)。
今、りんご塾赤羽南教室に通っている子どもたちは、30歳前後。
社会の中心で働いている世代になっています。
では、その頃の子どもたちは、どんな勉強をしているのでしょうか。
大学入試はどうなっているのでしょうか。
先生という仕事は残っているのでしょうか。
少し真面目に考えてみました。
朝、目覚まし時計は鳴らない
2050年。
朝6時30分。
おそらく私は、目覚まし時計では起きていません。
睡眠、心拍、呼吸、体温などをAIが見ながら、「今日は6時27分に起こすのが最適である」と判断して、照明や室温を調整する。
起きれば、「睡眠時間は6時間42分。昨日より深く眠れています」などと言われるでしょう。
健康診断も、年に一度ではなくなっているかもしれません。
時計や衣服、ベッド、家の中のセンサーが身体の状態を常に見ている。
つまり、365日、健康診断をしているような生活です。
「検索する」という行為もなくなっているかもしれない
朝、ニュースを見ます。
いや、「ニュースを見る」という行為そのものがなくなっているかもしれません。
AIに、「今日、私が知っておくべきことは?」と聞く。
すると、教育、経済、教室、自動車、知人からの連絡などから、必要なものだけを整理して教えてくれる。
2026年の私たちは、Googleに言葉を入力して、検索結果からサイトを選んでいます。
2050年の若者にその話をしたら、「自分で検索してたんですか?」と言われるかもしれません(笑)。
それでも私はBMWで仕事に行っている気がする
ここだけは変わらないかもしれません。
2050年。
自動運転車が当たり前になっている街で、82歳の私がBMW E36を運転している。
若いスタッフから、「先生、それ自分で運転するんですか?」と聞かれる。
「当たり前だよ(笑)」と言う。
すると、「危なくないですか?」と言われる。
「昔は全員、自分で運転してたんだよ!」と説明する(笑)。
今から考えると不思議ですが、2050年には、自分で機械を操作すること自体が趣味になっている可能性があります。
馬が交通手段ではなくなっても、乗馬は残りました。
車も同じなのかもしれません。
そう考えると、E36は2050年になった方が面白い存在になっている気もします。
そして、2050年のりんご塾へ
ここからが本題です。
2050年の教室に、小学1年生がやってきます。
でも、「小学1年生だから、小学1年生の教材をやる」という考え方は、かなり薄くなっているのではないでしょうか。
AIはその子について、
計算は小3程度。
図形は小4程度。
語彙は小1程度。
文章読解は小2程度。
空間認識は非常に高い。
そんなことまで把握している。
そして、その子に必要な問題を、その場で作る。
そうなると、「何年生の勉強をしているのか」という考え方自体が、今ほど重要ではなくなります。
年長の子が小3の算数をやっていても、誰も驚かない。
むしろ、「理解しているなら、なぜ先に進まないの?」と言われる時代になっているかもしれません。
では、先生はいらなくなるのでしょうか
ここが私は一番面白いと思っています。
2050年のAIは、おそらく今とは比較にならないほど優秀です。
説明する。
問題を作る。
丸をつける。
間違いを分析する。
次にやる問題を決める。
保護者に学習状況を報告する。
これらは、ほとんどAIができるでしょう。
では、先生は何をするのか。
私は逆に、先生という仕事は、ものすごく人間的な仕事になるのではないかと思っています。
子どもが、「分かんない」と言う。
AIなら、すぐにヒントを出せます。
でも先生は、「いや、まだ教えなくていい」と判断する。
ある子が問題を間違える。
AIは正しい解き方を説明できる。
でも先生は、「この子は分からないんじゃない。考えるのを面倒くさがっているだけだな」と感じる。
逆に、「今日はいつもと違う。何かあったのかな」と思う日もある。
今ここで褒める。
ここでは待つ。
ここでは少し厳しくする。
今日は算数より、この子の話を聞く。
そういう判断です。
AIが賢くなるほど、「教えない先生」が必要になる
これは少し皮肉です。
AIは、聞けば何でも答えてくれます。
だから2050年の子どもたちにとって、「答えを知ること」は今よりずっと簡単になっています。
だからこそ、すぐに答えを聞かない力の方が重要になるのではないでしょうか。
分からない。
少し考える。
間違える。
もう一度やる。
違う方法を試す。
それでも分からない。
また考える。
その時間を奪わない人。
2050年には、そんな先生の方が貴重なのかもしれません。
大学入試も変わっていると思います
2050年にも大学入試はあるでしょう。
ただ、今と同じ形なのかは分かりません。
たとえば、「AIを自由に使ってよい入試」があっても私は驚きません。
問題には、「AIを使ってこの問題について調べなさい」と書いてある。
その代わり、
「なぜその回答を信用したのか説明しなさい」
「AIの回答の間違いを指摘しなさい」
「より良い回答を作りなさい」
と問われる。
今は、AIを使わずに何ができるかを測る試験が中心です。
2050年には、AIを使って何ができるかを測る試験があっても不思議ではありません。
そうなると、幼児教育の意味が変わってくる
ここまで考えていて、私は一つ面白いことに気づきました。
AIが進歩すればするほど、幼児期の教育が重要になるのではないかということです。
知識ならAIが教えてくれるます。
計算もしてくれる。
文章も書いてくれる。
英語にも訳してくれる。
では、人間には何が必要なのか?
「なぜ?」と思い、自分でやってみること。
失敗すること。
もう一度やること。
簡単に諦めないこと。
人の話を聞くこと。
約束を守ること。
自分の行動に責任を持つこと。
これは、AIに代わってもらうことができません。
2050年の教育は、ものすごくハイテクで、ものすごく人間臭い
私は、そんな未来になるのではないかと思っています。
教材はAIが作る。
一人ひとり違う内容を勉強する。
大学入試でもAIを使う。
車は自分で走る。
健康状態は24時間管理される。
社会のあらゆるところにAIがいる。
それでも教室では、一人の子どもが難しい問題を前にして、鉛筆を持ったまま考えている。
間違える。
消しゴムで消す。
もう一度書く。
先生は答えを言わない。
しばらく待つ。
そして子どもが、「もう一回やる」と言う。
私は、この場面は2050年になっても変わらないと思います。
2050年から逆算して、今の教育を考える
私は長い間、大学受験の指導をしてきました。
だから幼児や小学校低学年の子どもたちを見ている今も、「今日この問題ができたか」だけではなく、
この子が高校生になったとき、大学生になったとき、そして社会に出たときに何が必要なのかというところから考えてしまいます。
2050年がどんな社会になるのか。
もちろん、正確なことは誰にも分かりません。
ただ、一つだけ思います。
未来が変われば変わるほど、
自分で考えること。
約束を守ること。
簡単に諦めないこと。
人を思いやること。
自分の行動に責任を持つこと。
こういうものは、むしろ重要になるのではないでしょうか。
2050年。
私は82歳です。
今、教室に通っている子どもたちは30歳前後になっています。
もしかしたら、その頃、その子たちが自分の子どもを連れて教室に来ることがあるかもしれません。
「先生、うちの子もお願いします」と言われたら、私はたぶんこう答えます。
「いや、もう82なんだけど(笑)」
でも――。
その頃にも教室のどこかで、難しい問題を前に、「もう一回やる」と言っている子どもがいたらいいなと思います。
AIがどれほど進歩しても。
社会がどれほど変わっても。
人が本気になる教室。






