城南コベッツ赤羽南教室

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赤羽南教室のメッセージ

【RINGOJUKU WORKS#19】2050年、人間の能力をテクノロジーで拡張できる時代に、何を教えるのか

2026.09.26

先日、内閣府が進めている「ムーンショット型研究開発制度」というものを知りました。

正直に言います。

かなり驚きました。

名前だけは以前から聞いたことがありました。

でも、実際に国が掲げている目標を読んでみると、私が想像していたものとはまったく違いました。

特に驚いたのが、「ムーンショット目標1」です。

そこには、「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」とあります。
詳細:科学技術振興機構 プログラム紹介

最初に読んだとき、

「これ、本当に国の研究開発目標なの?」と思いました(笑)。

SF映画の設定ではありません。

日本で実際に進められている研究開発です。

そして読み進めていくうちに、私は技術そのものとは別のことが気になってきました。

そんな時代になったら、教育って何をするんだろう。


1人で10体以上のアバターを操る

研究されているものの一つに、「サイバネティック・アバター」があります。

単なるインターネット上の分身ではありません。

身体の代わりとなるロボットや3D映像などに加えて、人間の身体能力、認知能力、知覚能力を拡張するICTやロボット技術まで含む概念です。

現在掲げられている目標では、2030年までに、1つのタスクについて1人で10体以上のアバターを操作する技術を開発する。

そして2050年までには、希望する人が身体的能力だけでなく、認知能力や知覚能力まで拡張できる技術を目指しています。
詳細:ムーンショット型計画 目標1

もちろん、これは「2050年には必ずそうなっている」という予言ではありません。

あくまで研究開発目標です。

実際にどこまで実現するのかは、私には分かりません。

でも私は、これを読んで考えてしまいました。

もし本当にそんな時代が来たら、「頭がいい」とは、いったい何を意味するのだろう。


「たくさん知っている人」が頭のいい人だった

私が子どもの頃、知っていることそのものに大きな価値がありました。

分からない言葉があれば、辞書を引く。

何かを調べたければ、図書館へ行く。

計算は、自分でする。

文章は、自分で書く。

知識や技能を身につけるには、それなりの時間と努力が必要でした。

それが、インターネットによって変わりました。

スマートフォンによって、さらに変わりました。

そして今、AIによってもう一度大きく変わろうとしています。

調べる。

比較する。

要約する。

翻訳する。

文章を書く。

計算する。

プログラムを書く。

以前なら人間が時間をかけてやっていたことの一部を、テクノロジーがものすごい速さで補ってくれるようになりました。

それでも今はまだ、「AIを使う人間」と「AI」は分かれています。

では将来、人間の認知能力そのものまでテクノロジーで拡張できるようになったらどうでしょう。

たくさん覚えている。

速く計算できる。

大量の情報を処理できる。

そうした能力だけを競わせる教育は、今と同じ意味を持ち続けるのでしょうか。


だから「勉強しなくていい」にはならない

ここは誤解されたくありません。

私は、「AIがあるんだから、もう勉強なんてしなくていい」とはまったく思っていません。

むしろ逆です。

考えるためには、材料が必要です。

語彙を持っていなければ、自分の考えそのものをつくることが難しい。

数学の基本的な概念を知らなければ、高度な数学について考えることもできません。

歴史を知らなければ、今起きていることを過去と比較することも難しい。

何も知らない人がAIを持った瞬間、突然深く考えられる人になる。

そんな単純な話ではないと思います。

だから、知識を学ぶ。

計算する。

文章を読む。

言葉を覚える。

数学を学ぶ。

これはこれからも必要でしょう。

ただし、「何を学ぶか」と同じくらい、「何のために学ぶのか」が重要になる。

私はそう思っています。


能力を拡張できたら、何に使うのか

ここで、私が一番考えさせられたところです。

もし本当に、人間の能力をテクノロジーによって大きく拡張できるようになったら。

身体能力を拡張できる。

認知能力を拡張できる。

AIが膨大な知識を補ってくれる。

複数のロボットを遠隔操作できる。

だとしたら最後に問われるのは、「その力を、何に使うのか」ではないでしょうか?

能力が高いことと、その能力を正しく使えることは同じではありません。

賢いことと、思いやりがあることも同じではありません。

強い力を持つことと、その力に責任を持てることも同じではありません。

テクノロジーが人間の能力を大きくしてくれるなら、その能力を使う人間の側も育っていなければならない。

むしろ私は、こちらの方が重要になるような気がします。


「人間的成長なくして、学力の向上なし」

私は以前から、「人間的成長なくして、学力の向上なし」という言葉を大切にしてきました。

勉強ができれば、それでいいとは思っていません。

一方で、「人間性が大切だから、勉強なんてできなくてもいい」という意味でもありません。

私は、この二つをあまり別々のものだと考えていません。

すぐに分からなくても考える。

失敗しても、もう一度やる。

人の話を最後まで聞く。

自分の言葉で説明する。

約束を守る。

自分の行動に責任を持つ。

こうした力は、人として生きていくために必要です。

そして同時に、難しい勉強をするためにも必要です。

ところがムーンショット計画が描く未来を見ていると、この言葉が少し違って見えてきました。

もし、知識や能力の一部をテクノロジーが大きく補ってくれる時代が来るのなら、

「どれだけ能力があるか」以上に、「その能力をどう使う人なのか」が教育に問われる。

そんな時代になるのかもしれません。


だから、今もすぐに答えを教えない

ここで、ずいぶん未来の話から、赤羽の小さな教室に戻ります(笑)。

りんご塾赤羽南教室では、子どもが問題に詰まったとき、すぐに答えを教えないことを大切にしています。

効率だけを考えれば、先生が解き方を教えてしまった方が圧倒的に速い。

でも、それを繰り返していると、「分からないものに出会ったとき、自分はどうするのか」を経験する時間がなくなります。

私たちが育てたいのは、「この問題の解き方を知っている子」だけではありません。

分からないものに出会ったとき、「さて、どうしよう」と考えられる人です。


2050年を生きるのは、今の子どもたち

2050年。

ずいぶん先の未来のように感じます。

でも、今6歳の子どもは、そのとき30歳です。

今10歳なら34歳。

まさに社会の中心で働いている世代です。

つまり、2050年の社会は、今、私たちが教えている子どもたちの社会です。

そう考えると、ムーンショット計画は、私にとって単なる科学技術の話ではなくなりました。

私たち教育に携わる人間が、「この子たちに、何を残すのか」を考える話になります。

計算が速い。

たくさんのことを知っている。

難しい問題を解ける。

もちろん、どれも素晴らしいことです。

でも、それだけで2050年を生きていけるのだろうか。

私は、そんなことを考えました。


もし「能力」が買える時代になったら

少し極端な想像をしてみます。

将来、テクノロジーによって能力を拡張することが、今スマートフォンを持つことと同様に、当たり前になったとします。

記憶を補える。

判断を補える。

知覚を拡張できる。

身体能力まで補える。

そうなったとき、入試得点は何を競わせるのでしょう。

誰が一番速く計算できるか。

誰が一番多く覚えられるか。

誰が一番速く情報を処理できるか。

そこだけを競っても、機械にはかなわないかもしれません。

でも、

何を大切にするのか。

何を選ぶのか。

人とどう関わるのか。

失敗したときどうするのか。

自分の力を何のために使うのか。

そこまで機械に決めてもらったら、では、人間は何をするのでしょう。


未来を考えたら、ものすごく昔ながらの教育に戻ってきた

2050年、本当に人間が「身体、脳、空間、時間の制約」から解放されているのか。

私には分かりません。

研究がどこまで実現するのかも分かりません。

ムーンショット目標1自体も、能力拡張だけではなく、少子高齢化や労働力不足への対応、介護や育児をする人、高齢者や障害のある人などが社会参加しやすくすることを目的に研究されています。安全性や倫理・制度面の課題も研究対象です。

だから、この未来を単純に「怖い未来」と見るつもりもありません。

ただ、教育者として一つだけ強く感じました。

テクノロジーが人間の能力を補ってくれるようになればなるほど、教育は、「能力を与えること」だけでは足りなくなる。

自分で考える。

失敗から学びを得る。

人を思いやる。

約束を守る。

自分の行動に責任を持つ。

そして、自分の持っている能力を、何のために使うのかを考える。

そんな教育が、むしろ今まで以上に必要になるのではないでしょうか。

最先端の研究計画を読んでいたはずなのに、最後に私がたどり着いたのは、「人を育てる」という、ものすごく昔ながらの教育でした。

なんだか不思議です。

でも2050年を生きる子どもたちを目の前にすると、私は、この昔ながらの部分こそ、これからの教育で一番新しくなるのかもしれない。

そんなことを考えています。

ChatGPT 画像 2026年9月26日 21_46_48.png

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