赤羽南教室のメッセージ
【教室の日常】約40年ぶりに母校へ。東木と国高祭を歩いて思ったこと
2026.09.02
先日、教室長の東木を連れて、母校である都立国立高校の文化祭「国高祭」へ行ってきました。
以前このブログで、
という記事を書きました。
その後、ありがたいことに国高祭の入場抽選にも、高校3年生の演劇の抽選にも当選。
ということで、本当に東木を連れて行ってきました(笑)。
東木もすでに国高祭についてブログを書いています。
同じ場所へ行き、同じものを見ていたはずなのですが、読んでみると、見ていたものが少し違っていたようです。
東木は、今の高校生たちを見ていました。
私はたぶん、今の高校生を見ながら、40年近く前の自分を見ていたのだと思います。
想像していた以上でした
久しぶりに訪れた国高祭。
まず驚いたのは、その規模でした。
教室の外装、内装、立て看板。
高校の文化祭という言葉から想像するものを、かなり超えています。
私が高校生だった頃も国高祭にはかなり力を入れていましたが、今の方が明らかに洗練されているように感じました。
当然ですよね。
40年近く経っているのですから(笑)。
そして今回、抽選に当たった高校3年生の演劇「晩餐」を観ました。
これが、本当に素晴らしかった。
高校生の演劇だから、という前置きを付ける必要はないと思います。
演技も、演出も、舞台も、音響も、そして作品そのものも、本当によくできていました。
特に印象に残ったのは、子どもを持つことのできない夫婦の葛藤という、高校生にとって決して身近とは言えない題材を扱っていたことです。
途中、私は泣いてしまいました。
東木も少し泣いたそうです。
58歳と20代の教室長が、高校生のクラス演劇を並んで観ながら二人とも泣いている。
なかなか面白い光景です(笑)。
東木が見ていたもの
後で東木のブログを読んで、面白いと思ったことがあります。
東木は演劇を観ながら、
「この子たちは、ここまでどうやって作ってきたんだろう」と考えていたそうです。
今、目の前にある完成した作品ではなく、そこへたどり着くまでに高校生たちが費やした時間を想像していた。
一方、私は何を見ていたのかというと、たぶん、少し違います。
柔道場の前に立った瞬間
帰る前に、どうしても東木に見せたい場所がありました。
柔道場です。
私は高校時代、柔道ばかりやっていました(笑)。
柔道場の前に立った瞬間、本当に不思議な感覚になりました。
一気に高校生の頃の記憶が戻ってきたのです。
仲間の顔。
練習。
試合。
勝ったこと。
負けたこと。
くだらない話をしたこと。
いろいろな出来事が、突然蘇ってきました。
高校時代の私は、それなりに本気で柔道をやっていました。
個人戦では国体の出場権も獲得しました。
小川直也、古賀稔彦、吉田秀彦。
後に日本を代表する柔道家となった選手たちとも、試合をしたことがあります。
東京都大会の団体戦ではベスト8まで進みました。
私の高校生活を語るうえで、柔道を抜くことはできません。
ところが現在、国高に柔道部はありません。
私が卒業した後に廃部になっています。
柔道場そのものは、まだそこにある。
でも、柔道部はもうない。
それを見たときは、やはり少し寂しかったです。
でも、東木に見てもらえたのが嬉しかった
その一方で、不思議なくらい嬉しい気持ちもありました。
東木に、この柔道場を見てもらえたことです。
「ここで柔道をやっていたんだよ」
そんな話をしました。
東木にとっては、もちろん初めて見る柔道場です。
でも私にとっては違います。
ここに、高校生だった自分がいる。
仲間がいる。
夢中になっていた時間がある。
40年近く経って、自分が教育の仕事をしている。
そして今、一緒に教室をつくっている教え子の教室長を連れて、その場所に立っている。
高校生だった頃の私は、そんな未来を想像するはずもありません。
だからでしょうか。
東木に柔道場を見てもらえたことが、私はとても嬉しかったのです。
そもそも、柔道を始めた理由はものすごく適当でした(笑)
もっとも、そんな私の柔道人生の始まりは、立派なものではありません。
高校1年生のとき。
最初に覗いたのは、実は柔道場ではなく剣道場でした。
ところが、誰もいなくて、隣の柔道場を見ると、見知った顔がありました。
その友人と話しているうちに、
強そうなおじさんみたいな風貌の先輩がやってきて、
「君たち、入部希望?」
「...えっと、、、、一応、そうです、、、。」
そんな流れで、柔道部に入ることになりました(笑)。
人生なんて、分からないものです。
剣道場に誰かいたら、私は剣道部に入っていたのかもしれません。
でも、たまたま誰もいなかった。
隣に友達がいた。
その程度の偶然から始まった柔道に、私は高校生活の多くを費やすことになりました。
そして40年近く経った今でも、柔道場を見ただけで当時のことが一気に蘇る。
人生をつくる出会いというのは、案外そんなものなのかもしれません。
国立の街も、東木と歩きました
国高祭を見た後は、東木と国立の街を少し歩きました。
一橋大学にも行きました。
国立という街を歩きながら、自分が高校生だった頃の話もいろいろしました。
そして、桐朋学園の前にも行きました。
そこで東木に、学校について私なりに少し話をしました。
実は、りんご塾に通っている子どもたちの中に、
「この学校は、この子にすごく合うのではないか」
と思っている子がいます。
もちろん、ここで誰なのかは書きません(笑)。
そして、偏差値だけを見てそう思っているわけでもありません。
その子の性格。
興味の持ち方。
ものの考え方。
人との関わり方。
普段その子と接していると、
「こういう環境に行ったら、この子は面白いだろうな」
と思うことがあります。
「どこに入れるか」だけが学校選びではない
塾という仕事をしていると、どうしても学校を数字で見る機会が多くなります。
偏差値。
合格実績。
進学実績。
もちろん、それらも大切な情報です。
でも、58歳になって母校へ戻り、40年近く前に使っていた柔道場を見ていると、改めて思います。
学校という場所が人に与えるものは、それだけではありません。
どんな友達に出会うのか。
どんな先生に出会うのか。
どんな文化があるのか。
何を面白がる人たちが集まっているのか。
何に本気になれるのか。
そして、どんな偶然に出会うのか。
私自身、柔道を始めた理由が、
「剣道場に誰もいなくて、隣の柔道場に友達がいたから」
ですから(笑)。
でも、その偶然が私の高校生活をつくりました。
だから私は、子どもたちの進路を考えるとき、
「どこに入れるか」だけではなく、「その子がどこで育つのか」
を考えたいと思っています。
40年近く前の自分と、今の高校生
今回、国高祭を歩いていると、不思議な感覚になる瞬間が何度もありました。
目の前には、今の高校生たちがいる。
教室をつくり変え、演劇をし、仲間と笑い、文化祭に本気になっている。
一方で私は、その同じ校舎を高校生だった頃に歩いていました。
文化祭では、私たちもくだらないことをたくさんやりました(笑)。
当時のことを全部覚えているわけではありません。
でも、柔道場の前に立っただけで、忘れていたはずの記憶が一気に戻ってきた。
人間の記憶というのは面白いものです。
テストで何点を取ったかなんて、ほとんど覚えていません。
でも、仲間と何かに夢中になった時間は残っている。
くだらないことで笑ったことも残っている。
本気で悔しかったことも残っている。
たぶん、今の国高生たちもそうなのだと思います。
今回の国高祭で起きたことの多くは、いつか忘れるでしょう。
でも30年、40年経ったある日、何かをきっかけに突然思い出すのかもしれません。
東木へ
国校を出て歩いているとき、
「本気になっている姿って、格好いいですね」
と感想を口にしていました。
本当にそうだと思います。
私も高校時代、柔道に本気になりました。
ただし、その始まりは、ものすごく適当でした(笑)。
子どもがいつ、何に出会い、何に夢中になるのか。
大人には分かりません。
最初から「将来役に立つもの」だけを選んで与えることなんて、たぶんできない。
だからこそ、いろいろなものに出会えること。
そして何かに出会ったとき、
本気になれるだけの時間と、本気になってもいい環境があること。
それは、子どもが育つうえで、とても大切なことなのだと思います。
今回、東木を国高祭に連れて行ってよかったです。
今の高校生たちの姿を一緒に見られたことも。
高校生だった私が過ごした柔道場を見てもらえたことも。
そして国立の街を歩きながら、今りんご塾にいる子どもたちの未来について話せたことも。
全部含めて、とてもいい一日になりました。
高校生だった頃、この街を歩いていた私は、40年近く後に自分が教育の仕事をしているとは思っていませんでした。
ましてや、自分の教室の教室長を連れて母校の文化祭へ来るなんて、想像するはずもありません(笑)。
人生、本当に何が起こるか分かりません。
もしかすると教育というのは、
子どもの人生を決めることではなく、その子がいつか本気になれる何かと出会えるように、いろいろな扉を残しておくことなのかもしれません。






