赤羽南教室のメッセージ
【RINGOJUKU WORKS#14】英語が話せることと、日本語で学べることは同じではない
2026.09.16
最近、幼児や小学校低学年の子どもたちを指導する中で、改めて考えていることがあります。
日常会話としての日本語は、問題なく話せる。
こちらの話も聞けるし、自分の気持ちも伝えられる。
けれども、日本語の文章を読み、意味をつかみ、そこから考えることには、大きな負担を感じている。
そのような子どもが、確かにいます。
特に最近、幼稚園をインターナショナルスクールに通わせている、あるいは通わせていたご家庭から、日本語についてのご相談をいただくことが重なりました。
そこで今回は、英語教育の是非ではなく、
「日本語で学ぶ力」について、教室で感じていること
を書いてみたいと思います。
英語を学ぶことを否定したいわけではありません
最初に、はっきり書いておきたいことがあります。
私は、幼児期から英語に触れることや、インターナショナルスクールを選択することを否定したいわけではありません。
英語の音に自然に触れること。
英語で人と関わること。
異なる文化や考え方に出会うこと。
幼い頃から英語を身近に感じられることには、さまざまな価値があると思います。
また、どのような教育環境を選ぶかは、ご家庭ごとに事情も考え方も違います。
保護者の方は皆、その時点で子どもの将来を真剣に考え、よりよいと思う環境を選んでいます。
ですから、過去の選択が正しかった、間違っていたという話をしたいわけではありません。
ただ、実際に子どもたちを指導していると、英語力とは別に、確認しておかなければならないことがあると感じています。
普通に話せるから、日本語に問題はないのか
家庭では、普通に日本語を話している。
親子の会話も成立している。
そのため、保護者の方から見れば、日本語に大きな問題があるようには見えないことがあります。
しかし、日常生活で使う日本語と、学習に必要な日本語は同じではありません。
算数の文章題では、
「どちらが、いくつ多いのか」
「全部の中から、何を取り除いたのか」
「同じ数ずつ分けるとは、どういうことか」
「何と何を比べているのか」
といった言葉の関係を正確に読み取らなければなりません。
文章を読んで、場面を頭の中に描く。
必要な情報を整理する。
数量の関係をつかむ。
そして、ようやく式を考える。
算数の文章題を解くためには、計算力より前に、これだけの日本語の処理が必要なのです。
算数ができないのではなく、算数までたどり着けない
教室で問題文を読むように伝えると、読むこと自体を避けようとする子がいます。
文章を最後まで読まず、書かれている数字だけを拾う。
足し算か引き算かを、言葉の一部だけで判断しようとする。
読んではいるけれど、何が起きているのかを尋ねると説明できない。
ところが、同じ問題を絵や積み木で示すと、すぐに理解できることがあります。
これは、算数を考える力がないということではありません。
文章から場面をつくるところで止まっているため、持っている思考力を使う段階までたどり着けていないのです。
私は、この状態を単に、
「文章題が苦手」
「まだ幼いから仕方がない」
で終わらせてはいけないと思っています。
日本語で書かれた問題の意味が分からなければ、算数だけでなく、やがて国語、理科、社会でも同じところにつまずく可能性があるからです。
日本で生活していれば、日本語は自然に身につくのか
両親が日本人で、日本で生活し、家庭では日本語を使っている。
それなら、日本語は自然に身につく。
そう考えるのは、決して不自然なことではありません。
実際、日常会話としての日本語は、多くの場合、生活の中で身についていきます。
しかし、日本語の文章を読み、内容を理解し、自分の言葉で説明する力まで、すべて自然に身につくとは限りません。
幼児期は、園で先生の話を聞いたり、友達と言葉を交わしたり、絵本を読んでもらったりしながら、語彙や表現を急速に増やしていく時期です。
園生活の多くを英語で過ごしていれば、それだけ英語に触れる時間は増えます。
一方で、日本語による説明を聞くこと、日本語の物語に触れること、日本語で複雑な気持ちや出来事を表現することは、意識しなければ少なくなる可能性があります。
これは、誰かが悪いという話ではありません。
英語に触れる時間が増えれば、その分、何かに使う時間が減る。
一日の時間には限りがあるという、ごく自然な話です。
大切なのは、今から何をするか
もし日本語の文章を読むことに負担が見られたとしても、過去の教育環境を後悔する必要はありません。
大切なのは、気づいたときから何をするかです。
難しい国語の問題集を、急いで何冊もやらせる必要はありません。
まずは、日本語の本を一緒に読む。
子どもが一人で読むことを嫌がるなら、読み聞かせでも構いません。
読んだあとにテストのように質問するのではなく、
「どんなお話だった?」
「この子は、どうしてこうしたのかな」
「別の言い方をすると、どういうことだろう」
と、親子で自然に話してみる。
今日あった出来事を、順番に話してもらう。
子どもが使った言葉を、大人が少し別の表現に言い換えて返す。
そうした日々の積み重ねが、日本語で理解し、日本語で考えるための土台になります。
教室でも、算数だけを教えるわけにはいきません
赤羽南教室では、文章題の式だけを教えることはしません。
まず本人に問題文を読んでもらいます。
分からない言葉があれば、その意味を確認します。
何が起きているのか、自分の言葉で説明してもらいます。
必要であれば、絵や積み木を使って場面をつくります。
時間はかかります。
問題を解く枚数だけを考えれば、効率が悪いように見えるかもしれません。
しかし、ここを飛ばして式の立て方だけを覚えても、別の文章になれば、また解けなくなります。
私たちが育てたいのは、数字を見て計算方法を当てる力ではありません。
文章を読み、自分で状況を理解し、考えて答えを出す力です。
英語と日本語を、引き換えにしないために
英語を身につけることは、子どもの世界を広げます。
日本語で深く考えられることは、子どもの学びを支えます。
本来、どちらか一方を否定する必要はありません。
だからこそ、英語が話せているという一面だけで安心せず、
日本語の文章を自分で読めているか。
読んだ内容を理解できているか。
自分の考えや気持ちを、日本語で説明できているか。
そこにも目を向けてほしいと思います。
英語を学んできたことを、後悔する必要はありません。
インターナショナルスクールを選んだことを、責める必要もありません。
ただ、日本語で学ぶときに負担が見えたなら、その事実をそのままにしないことです。
英語を身につけることと、日本語で考えるための土台を育てることを、引き換えにしてはいけない。
子どもたちは、今この瞬間も、驚くほどの速さで成長しています。
だからこそ、大人の選択の正しさを議論するのではなく、目の前の子どもが今どこで困っているのかを見つめたい。
そして、英語も日本語も、その子が自分の世界を広げ、深く考えるための力になるように、一緒に育てていきたいと思っています。![]()
ブーーーーーーーン!!!






