城南コベッツ赤羽南教室

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2026.10.26

今日は、いつもの教育の話から少し離れて、私の趣味について書いてみようと思います。

車の話です。

私は昔から車が大好きで、これまで本当にたくさんの車を所有してきました。

ポルシェ930ターボ。

ポルシェ996。

シボレー・コルベットC6 Z06。

メルセデス・ベンツSLK55 AMG。

BMW E36 M3C。

ほかにも、さまざまな車に乗ってきました。

同時に8台所有していた時期も、2回あります。

しかも、すべてナンバー付き。

いつでも乗れる状態でした。

今考えると、ずいぶん無茶なことをしていたものです(笑)。

そんな私が、今も大切に所有している一台が、BMW E36 318isです。

RINGOJUKUWORKSのデモカーに採用しているのは、この車です。

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決して速い車ではありません。

それどころか、これまで所有してきた高性能車と比べれば、明らかに非力です。(笑)

それでも、私はこの車を手放すつもりがありません。

できれば、あと10年は乗りたいと思っています。

実は、この318isには、少し変わった購入の経緯があります。

今日は、まずその話から始めたいと思います。

318isが全損。そして翌日、M3Cを購入しました

以前、私はBMW E36 318isに乗っていました。

(当時乗っていた318isです↓。今乗っているのとは、べつの車体です)

ところが、高速道路で事故に遭い、その318isは全損になってしまいました。

そして、その翌日。

私はBMW E36 M3Cを購入しました。

......。

翌日です(笑)。

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実は、事故の前からM3には興味があり、乗り換えようかと考えていたんです。

M3Cは、318isと同じE36型のBMWですが、搭載されているエンジンがまったく違います。

318isは4気筒。

M3Cは3.2リッターの直列6気筒。

パワーも、加速性能も、まるで違います。

しかも、私が購入したM3Cは、かなり手の入った車でした。

6速マニュアル。

ワンオフのチタン製マフラー。

ビルシュタインの車高調。

強化スタビライザー。

ポルシェGT3タイプのフルバケットシート。

リアウイングも装着されていました。

まさに、走ることを楽しむための一台です。

当然、期待していました。

そして、実際に乗ってみても、素晴らしい車でした。

直列6気筒エンジンは本当にいい。

滑らかに回るし、パワーもある。

剛性感も、接地感も素晴らしい。

今でも、もう一度所有したいと思う車です。

ところが......。

M3Cを買って2か月後、また318isを買いました(笑)

M3Cを購入して、わずか2か月後。

私は、もう一台車を購入しました。

BMW E36 318isです。

......。

また318isです(笑)。(これが現在まで維持している318is。)

M3Cが気に入らなかったわけではありません。

むしろ、大好きでした。

今でも手放したことを後悔しているくらいです。

それなのに、どうして318isを増車したのか。

理由は、とても単純です。

318isの軽快さが忘れられなかったんです。

M3Cの直列6気筒は、素晴らしいエンジンです。

でも、重い(笑)。

もちろん、車の動きはエンジンの重さだけで決まるものではありません。

それでも、実際に両方を運転すると、私には違いがはっきり感じられました。

318isの4気筒エンジンが生み出す、フロントの軽快な感覚。

ステアリングを切ったときの反応。

車の向きが変わるときの身軽さ。

あの感覚が、どうしても恋しくなったんです。

M3CにはM3Cの魅力がある。

318isには318isの魅力がある。

そして、どちらか一台を選ぶことができなかった。

だから、増車しました(笑)。

高性能なM3Cを買ったのに、たった2か月で318isがまた欲しくなった。

自分でも、なかなか面白いことをしたと思います。

でも、もっと面白いのは、その後です。

そのとき増車した318isに、私は今も乗っています。

いろいろな車に乗ってきました

私は、車を一台だけ所有して、その車だけを長く楽しんできたわけではありません。

本当にいろいろな車に乗ってきました。

中でも、特に印象に残っているのがポルシェ930ターボです。

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私が所有していたのは、4速マニュアルのモデルでした。

今の車と比べれば、決して扱いやすい車ではありません。

でも、あの車の剛性感と接地感は、今でも忘れられません。

路面の状態が、車を通じて自分に伝わってくる。

ステアリングを握っていると、タイヤがどのように路面を捉えているのかを感じられる。

あの感覚は、本当に素晴らしかった。

その後、ポルシェ996にも乗りました。

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996は、930ターボより新しい世代の911です。

性能も、快適性も、大きく進化しています。

でも、私にとっては930ターボの方が圧倒的に印象深い車でした。

少し乱暴な言い方ですが、930ターボと比べると、996がおもちゃのように感じられたほどです。

もちろん、996の性能が低いという意味ではありません。

それだけ、930ターボの運転感覚が私に合っていたんです。

車の性能が進化することと、運転する楽しさが増えることは、必ずしも同じではない。

そんなことを感じた経験でした。

コルベットZ06の、とんでもない加速

一方で、私は大排気量のエンジンも大好きです。

その代表が、シボレー・コルベットC6 Z06でした。

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7リッターのV8エンジン。

私が所有していたのは、オレンジ色のZ06です。

あの車の加速は、本当に強烈でした。

アクセルを踏み込んだ瞬間の迫力。

大排気量エンジンならではの力強さ。

そして、あのV8サウンド。

たまりません(笑)。

メルセデス・ベンツSLK55 AMGも、忘れられない一台です。

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コンパクトなオープンカーに、5.5リッターのV8エンジン。

これも、本当に楽しい車でした。

SLK55 AMGとコルベットZ06。

どちらも、今でも手放したことを惜しく思っています。

そして、BMW E36 M3C。

もし、これまで手放した車の中から一台だけ戻ってくるとしたら、私はM3Cを選びます。

それほど気に入っていた車です。

ただし、ここで一つ、面白いことがあります。

私は、M3Cが大好きだったからこそ、318isの魅力もよく分かったんです。

M3Cの直列6気筒は素晴らしい。

でも、318isの軽快さも素晴らしい。

どちらが優れているという話ではありません。

楽しさの種類が違うんです。

今の318isも、決してノーマルではありません

現在所有している318isには、KWの車高調を入れています。

ロールケージも装着しています。

剛性感も、接地感も、かなり気に入っています。

そして、何よりハンドリングが楽しい。

ステアリングを切る。

車の向きが変わる。

アクセルを踏む。

自分の操作に対して、車が素直に反応してくれる。

私は、この感覚が大好きなんです。

もちろん、M3Cと比較すれば、圧倒的にパワーがありません。

正直に言えば、遅いです(笑)。

でも、その限られたパワーを使い切る楽しさがあります。

高性能な車では、アクセルを大きく踏み込む機会が限られることもあります。

一方、318isでは、どうすれば限られたパワーをうまく使えるのかを考えることが楽しい。

自分の操作によって、車の動きが変わる。

その違いを感じながら走ることが、私にとっての大きな魅力です。

もちろん、車の性能を存分に試すのであれば、安全が確保されたサーキットなどの環境で、という話です。

ただし、もう少し速くしたい(笑)

ここまで318isの魅力を書いてきましたが、不満がないわけではありません。

むしろ、はっきりした不満があります。

もう少し加速が欲しいんです(笑)。

特に、コーナーから立ち上がるとき。

2速、3速でアクセルを踏み込んだときに、もう少し力強く加速してほしい。

さらに、その先の速度域でも余裕が欲しい。

ただし、条件があります。

318isらしい軽快さは、絶対に失いたくありません。

ここが難しいところです。

エンジンを載せ替えれば、パワーは上がるかもしれません。

でも、重くなってしまったら意味がない。

せっかく気に入っているハンドリングが変わってしまうかもしれません。

コンピュータのチューニングで、どこまで変わるのか。

エンジンを載せ替えるなら、何がいいのか。

今でも、そんなことを真剣に考えています。

もちろん、予算には限りがあります。

いくらでもお金をかけられるわけではありません。

でも、限られた条件の中で、どうすれば自分の理想に近づけられるのか。

そんなことを考えている時間も、車の楽しみの一つなんです。

高性能であることと、楽しいことは違う

これまで、さまざまな車を所有してきました。

強烈な加速をする車。

大排気量のエンジンを搭載した車。

素晴らしい剛性感を持つ車。

最新の技術が詰め込まれた車。

どの車にも、それぞれの魅力がありました。

でも、長年いろいろな車に乗ってきて、私が感じていることがあります。

性能が高い車が、必ずしも自分にとって一番楽しい車とは限らない。

馬力が大きければ楽しいのか。

加速が速ければ満足できるのか。

高価な車なら、もっと楽しいのか。

もちろん、そうした性能にも大きな魅力があります。

でも、それだけではないんです。

自分が何を楽しいと感じるのか。

どんな感覚を大切にしたいのか。

そこが分かっていなければ、どれほど高性能な車に乗っても、満足できないのかもしれません。

これは、私が長年携わってきた教育にも、少し似ている気がします。

教育では、どうしても目に見える結果が注目されます。

点数。

偏差値。

合格実績。

もちろん、結果は大切です。

私自身、結果を軽視するつもりはまったくありません。

ただ、結果だけでは分からないものもあります。

子どもが、どれだけ自分の頭で考えたのか。

分からない問題に、どう向き合ったのか。

失敗したときに、どう立て直したのか。

そうした部分にも、大きな価値があると思っています。

車の性能と、運転する楽しさ。

学力の結果と、そこに至るまでの思考。

まったく違う話ですが、私の中では少しつながっているのかもしれません。

もっとも、車に乗っているときに教育のことを考えているわけではありません。

そのときは、ただ車を楽しんでいます(笑)。

あのとき買った318isに、今も乗っています

高速道路で事故に遭い、最初の318isを失いました。

翌日にM3Cを購入しました。

そして、その2か月後。

どうしても318isの軽快さが忘れられず、もう一台増車しました。

その318isを、私は今も所有しています。

考えてみれば、ずいぶん長い付き合いになりました。

その間に、いろいろな車を所有しました。

M3Cも、930ターボも、コルベットZ06も経験しました。

それでも、318isを手放そうとは思いませんでした。

そして今も、あと10年は乗りたいと思っています。

もちろん、古い車です。

これから整備や修理にお金がかかることもあるでしょう。

部品の確保が難しくなることもあるかもしれません。

それでも、できる限り乗り続けたい。

あのとき、M3Cを購入してわずか2か月で318isを増車した自分の判断は、間違っていなかったと思っています。

なぜなら、今でもこんなに楽しいんですから。

ただ、困ったことが一つあります(笑)

私は今、318isのほかに、日産フェアレディZ34も所有しています。

こちらもマニュアル車です。

オープンカーで、また違った楽しさがあります。

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でも、最近はマフラーを交換したくなっています。

もう少し迫力のある音にしたいんです(笑)。

さらに、ジープ・ラングラーも気になっています。

以前、違うタイプの車も乗ってみようと思って、乗っていた時期があります。

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そして最近、『ワイルド・スピード』を最初から見返しているせいで、ダッジ・チャージャーまで欲しくなっています。

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無骨で、迫力があって、V8エンジンがドロドロと鳴るような車。

大好きなんです(笑)。

318isも、もう少し速くしたい。

Z34のマフラーも交換したい。

ラングラーも欲しい。

チャージャーも欲しい。

......。

まったく、困ったものです。

これだけ長い間、車に乗ってきたのに、まだ欲しい車が次から次へと出てくる。

でも、何十年経っても夢中になれるものがあるというのは、幸せなことなのかもしれません。

そして、もし318isを理想の一台に仕上げることができたとしても。

きっと私は、また同じことを言うんでしょうね。

「もう少し速くできないかな(笑)」


【おまけ】車に詳しくない方へ ― 今回登場した車たち


今回は、車の名前や型式がたくさん登場しました。

車に詳しくない方には少し分かりにくかったかもしれませんので、簡単にご紹介します。

BMW E36 318is

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今回の記事の主役です。1990年代のBMWの2ドアクーペで、1.8リッターの直列4気筒エンジンを搭載しています。軽快なハンドリングが魅力です。私が現在も所有している一台です。

BMW E36 M3C

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318isと同じE36世代のBMWですが、3.2リッター直列6気筒エンジンを搭載した高性能モデルです。M3Cは日本で使われていた後期型の呼称です。私が購入した車は6速マニュアルで、足回りなどにも手が入っていました。

ポルシェ930ターボ

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1970年代から80年代に製造された、ポルシェ911の高性能モデル。車体後部に空冷エンジンを搭載し、ターボによる強烈な加速が特徴です。私が所有していたのは4速マニュアル車でした。

ポルシェ996

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1997年に登場したポルシェ911の世代です。911として初めて水冷エンジンを本格採用したモデルで、930ターボとは異なる設計思想の車です。

ポルシェ・ボクスター

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エンジンを車体中央付近に搭載した、2人乗りのオープンスポーツカーです。軽快なハンドリングが魅力です。

シボレー・コルベットC6 Z06

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アメリカの高性能スポーツカー。7リッターのV型8気筒エンジンを搭載し、強烈な加速性能を持っています。私が所有していたのはオレンジ色でした。

メルセデス・ベンツSLK55 AMG

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メルセデス・ベンツのコンパクトな2人乗りオープンカーを、AMGが高性能化したモデル。5.5リッターのV8エンジンを搭載しています。

日産フェアレディZ34

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3.7リッターのV6エンジンを搭載した、フェアレディZのオープンモデルです。現在所有しているもう一台の愛車です。

ジープ・ラングラー

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無骨なデザインと悪路走破性が特徴のアメリカ製SUVです。現在、黒いラングラーが気になっています。

ダッジ・チャージャー

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アメリカの高性能セダンとして知られる車です。特に大排気量V8エンジンを搭載したモデルの迫力ある外観とエンジン音に魅力を感じています。




2026.10.25

こんにちは!
りんご塾赤羽南教室の東木です。

今週から、いよいよハロウィンのお菓子を配り始めました!

これまでのブログでもご紹介してきた、長谷先生が大量に買い込んだお菓子たち。

最後には子ども用プールまで登場して、教室の受付が大変なことになっていましたが......。

いよいよ、そのお菓子たちの出番です!

お菓子は、なんと1人5個!

授業が終わると、子どもたちはお菓子のプールへ一直線!

たくさんのお菓子を前に、目を輝かせながら選んでいます。

「これにしようかな?」

「こっちもおいしそう!」

あれこれ迷いながら、お気に入りのお菓子を探す姿が本当に可愛らしいです。

そして今年は、なんと1人5個!

保護者の方も、「えっ、5個もいいんですか?!」と驚いてくださいます。

すると長谷先生は、

「はい!もう持ってってください!」

と、なんとも嬉しそう(笑)。

子どもたちが喜んでいる姿を見るのが、よほど嬉しいのでしょうね。

お母さんたちまで驚いてくださるものですから、長谷先生はますますご満悦です。

あれだけ大量にお菓子を買ってきた甲斐がありましたね(笑)。

私も、子どもたちがわくわくしながらお菓子を選ぶ様子を見ていると、準備してよかったなあと思います。

何より、素直に喜んでくれる子どもたちが本当に可愛いです。

教室に車掌さんがやってきました!

そんな中、ハロウィンに合わせて、とっても素敵な格好で来てくれた生徒さんがいました。

なんと、電車の車掌さん!

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かっこいい帽子に、きちんと締めたネクタイ。

教室に入ってきた姿を見て、思わずびっくりしてしまいました!

とってもよく似合っていましたよ!

しかも、車掌さんの帽子をかぶったまま、私たち講師にもお菓子をプレゼントしてくれました。

いつも本当にありがとうございます!

思いがけないプレゼントに、私たちも嬉しくなりました。

お姉ちゃんにも、ハッピーハロウィン!

そして、もう一つ嬉しかったことがありました。

以前りんご塾に通ってくれていたお姉ちゃんにも、お菓子を選んで持ち帰ってもらいました。

実はお姉ちゃん、以前公開したハロウィンのブログ(→コチラ)も見てくれていたそうなんです!

そのブログに載っていたお菓子の写真を見て、気になっていたお菓子があったのだとか。

写真を拡大して、相当よぉ~く見てくれたのでしょうか。

その様子が目に浮かぶようで、その場にいた講師みんなが顔をほころばせていました。

なんだか嬉しいですね。

教室を離れてからもブログを見てくれていることが、とてもありがたいです。

気になっていたお菓子は、無事に選べたでしょうか。

お家に帰ってから、楽しんでくれているといいなあと思います。

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今年も楽しいハロウィン!

お菓子を選ぶ子どもたちの笑顔。

驚きながら喜んでくださる保護者の皆さん。

そして、それを見て誰よりも嬉しそうな長谷先生(笑)。

準備しているときは、あまりのお菓子の量に驚いてばかりでしたが、こうして皆さんに喜んでいただけると、やっぱり嬉しいものですね。

今年も、教室にたくさんの笑顔があふれています。

みんな、ハッピーハロウィン!

2026.10.24

こんにちは!
東木です!

長谷先生が、韓国ドラマ『トッケビ』についてブログを書いています。

しかも、全5回。

ドラマの中に出てくる、ドクファとキム秘書の会話が、長谷先生にはとても印象深かったようです。

実は私も、長谷先生に勧められて『トッケビ』を全話見ました。

というのも、私は昔から、長谷先生が勧めるものには、とりあえず触れてみようとするところがありまして。

特に高校生の頃や大学1年生の頃は、かなり無批判に先生の真似をしていたと思います。

今さら自分で言うのもちょっと恥ずかしいですが、当時はなかなかの「長谷信者」だったんじゃないでしょうか(笑)。

長谷先生が読んだ本は、私も読んでみる

私は高校生の頃、長谷先生に数学を習っていました。

その頃から、長谷先生は、ほかの大人たちとは何か違う感じがしていました。

物事を見る視点が違うというか、見つめているものに深みがあるというか。

授業中に話す言葉にも、単に受験勉強のことだけではなく、人生の根本に関わるような重みを感じることがありました。

だから大学生になってすぐ、長谷先生のところでアルバイトを始めました。

もっと近くで学んでみたいと思ったんです。

そして、長谷先生が感銘を受けた本や、勉強になったと話していたものには、自分もできるだけ触れるようにしていました。

教室に置いてある先生の蔵書も、かなり読みました。

もっとも、読んでも読んでも新しい本を買ってくるので、全然追いつかないんですけど(笑)。

車に興味がなかった私が、車の本を読む

例えば、車です。

高校生までの私は、車にまったく興味がありませんでした。

ところが長谷先生は、大の車好き。

大学1年生の頃、私は少しでも先生と車の話ができるようになりたいと思って、教習所に通いながら、先生が持っていた『間違いだらけのクルマ選び』を読んでいました。

Amazon.co.jp: 間違いだらけのクルマ選び (最終版) : 徳大寺 有恒: 本

車の知識なんてほとんどなかったので、少しずつです。

今考えると、そこまでして話を合わせようとしていたのか、と自分でもちょっと可笑しくなります(笑)。

ちなみに、当時の数解社には、

「車の免許はマニュアルで取らないと、アルバイトをクビになる」

という、まことしやかな掟がありました。

もちろん私もマニュアル免許を取りました。

しかも、かつての社員には、オートマ限定免許をわざわざ限定解除をしてマニュアル免許で取り直した人までいるんです。

これは実話です(笑)。

......何の会社なんでしょうね。

数学の会社なんですけど(笑)。

そして『トッケビ』も見ました

そんなわけで、長谷先生が『トッケビ』を勧めてきたときも、私は全話見ました。

ストーリーは面白かったです。

ただ、正直に言うと......。

長谷先生が言うほどには、泣けませんでした(笑)。

長谷先生は、けっこう涙もろいタイプなんですね~。

感動するところはありましたし、ヒロインは可愛らしいし、いいドラマだったと思います。

そして、今回長谷先生がブログに書いた、ドクファとキム秘書の会話。

あの場面が出てくるまでが、長かった(笑)。

物語のほとんど最終盤です。(これからトッケビをチェックする方は要注意ですよー)

あの場面が長谷先生の心に残った理由は、私にも分かるような気がしました。

私は、質問を待たれている側なんだと思います

キム秘書は、ドクファが自分の周囲にもっと関心を持ち、人や世の中について、自分から質問するようになることを待っていました。

長谷先生も、きっと同じような立場にいるんだろうと思います。

そして私は、どちらかといえば、質問を待たれている側です。

もちろん、普段からいろいろなことを質問しています。

仕事のことも、教育のことも、それ以外のことも。

質問から議論になることも、よくあります。

ただ、自分の質問がどの程度のものなのか、いつも少し不安があります。

見ている方向は合っているのだろうか。

もっと違うところに目を向けるべきなのだろうか。

そんなことを考えます。

高校生の頃は、長谷先生の言うことを、とにかく真似してみようとしていました。

でも、今はそれだけではいけないんだろうと思っています。

自分で考えて、自分の疑問を持って、質問する。

そして、ときには自分の意見も伝える。

そういうことが、少しずつできるようにならなければいけないのだと思います。

今度は、私が間に入る番なのかもしれません

もう一つ、今回の『トッケビ』の記事を読んで考えたことがあります。

それは、教室で働いている若い講師たちのことです。

学生講師たちは、よく長谷先生のことを「怖い」と言います。

その気持ちは、私にもよく分かります。

私だって高校生の頃は、かなり緊張して授業を受けていましたし、一緒に働くようになってからも、怒られて泣いたことが何度かあるほどです。

ただ、今の私は、長谷先生が学生講師たちとのコミュニケーションについて悩んでいることも知っています。

長谷先生自身も、どうしたらもっと考えてもらえるのか、どうしたら自分から意見を言ってもらえるのか、いろいろ考えています。

学生講師たちが、長谷先生を怖いと思う気持ちも、すごく分かる。

一方で、長谷先生が学生講師たちに何を期待し、何に悩んでいるのかも、少しは分かる。

その両方を知っているのなら、私にもできることがあるのかもしれません。

学生講師たちがもっと気軽に質問できたり、みんなで生徒の指導について話し合えたり。

そんな機会を、もう少し作っていけたらいいなと思っています。

実際には、なかなか思うようにいかないことも多いのですが。

それでも、教室をより良くしていくためには、私自身も考え続けなければならないのだと思います。

質問することと、質問を待つこと

長谷先生が『トッケビ』の中で心を動かされた、キム秘書の言葉。

私は、あの言葉を自分に向けられたものとして受け止めています。

長谷先生が毎日、子どもたちのことや教室のことを真剣に考えていることも、近くで見てきました。

その思いに、ただ従うだけではなく、自分でも考え、言葉にして応えていきたい。

そして、若い講師たちとも、そういう関係を少しずつ作っていけたらと思います。

高校生だった頃から、早いものでもう7年が経ちました。

あの頃は、長谷先生の言うことを真似するだけで精一杯でした。

今は、自分で考え、質問し、ときには意見をぶつけることもあります。

そして気がつけば、私自身も若い講師たちと向き合う立場になっていました。

長谷先生が何を待っているのか、私にはまだ分かってないこともあると思います。

でも、私もまた、若い講師たちが何を考え、何を疑問に思っているのか、もっと知りたいと思っています。

誰かに質問し、誰かからの質問を待つ。

その両方を繰り返しながら、私たちは少しずつ成長していくのかもしれません。

『トッケビ』のあの場面を思い出しながら、そんなことを考えました。

2026.10.23

RINGOJUKU WORKS|大人がする質問を、待っています。第5回・最終回

韓国ドラマ『トッケビ』の、あるベンチでの会話から始まったこのシリーズ。

今回が最終回になります。

第1回では、周囲の人に関心を持つこと。

第2回では、質問しない若者が増えたと感じていること。

第3回では、大学生講師や社員の仕事に対する姿勢。

第4回では、子どもが質問する前に、大人が答えを与えてしまうこと。

それぞれについて、私自身の経験を交えながら考えてきました。

そして、最後にもう一度、あのドラマの会話に戻りたいと思います。

私は、あの短いやり取りの中に、人間として成長することの、とても大切な意味が込められているように感じています。

「大人がする質問をね」

御曹司のドクファは、長年自分を支えてくれていたキム秘書に、妻と3人の子どもがいることを知り、驚きます。

どうして今まで教えてくれなかったのか。

その問いに、キム秘書は、聞かれなかったからだと答えます。

そして、ドクファが周囲に関心を持ち、世の中や人々の喜びや悲しみについて質問するようになるのを待っていると伝えます。

「大人がする質問をね」

私は、この短い言葉が、とても好きです。

仕事についての質問でもない。

知識を増やすための質問でもない。

自分が困っていることを解決するための質問でもない。

周囲の人が、何を考え、何を感じ、どのように生きているのか。

それを知ろうとする質問です。

私は、この言葉を聞いたとき、少し考え込んでしまいました。

大人になるとは、どういうことなんでしょうか。

年齢を重ねれば、大人になるのだろうか

私たちは、年齢によって子どもと大人を区別しています。

18歳になれば成人です。

学校を卒業し、就職すれば社会人です。

結婚したり、子どもが生まれたりすれば、親になります。

でも、それだけで人間として成熟したと言えるのでしょうか?

一概にそうとも言えないのが、現実だと思います。

年齢を重ねても、自分のことしか考えられない人はいます。

仕事ができても、周囲の人の気持ちに関心を持たない人はいます。

豊富な知識を持っていても、他人の意見に耳を傾けようとしない人もいます。

一方で、まだ若くても、周囲の人をよく見ている人がいます。

誰かが困っていることに気づく。

誰かの成功を、自分のことのように喜ぶ。

相手がなぜ悲しんでいるのか、理解しようとする。

私は、そういう若い人に出会うと、人間としての成熟を感じることがあります。

大人になるということと、人間として成長するということは、必ずしも同じではない。

あのドラマの会話は、そんなことを考えさせてくれました。

自分以外の人間にも、人生がある

考えてみれば、当たり前のことです。

私たちは、それぞれ自分の人生を生きています。

嬉しいことがあります。

悲しいことがあります。

誰にも言えない悩みを抱えていることもあります。

努力していることもあれば、失敗して落ち込んでいることもあります。

しかし、私たちは、周囲の人たちについて、どれほど知っているのでしょうか。

毎日顔を合わせる職場の仲間。

長い間一緒に働いている社員。

いつも自分を支えてくれている人。

家族。

友人。

その人たちが、何を喜び、何に悩み、何を大切にして生きているのか。

どれほど知っているでしょうか。

私は、長年教育の仕事をしてきました。

多くの生徒や講師、社員と関わってきました。

その中で、相手のことを理解しているつもりになっていたことも、きっとあったと思います。

でも、後になって初めて、その人が何を考えていたのかを知ることがあります。

自分が伝えたつもりだったことが、相手には伝わっていなかった。

相手が抱えていた悩みに、気づいていなかった。

そんな経験もあります。

長い時間を一緒に過ごしていることと、その人を理解していることは、同じではない。

私は、そう思っています。

関心を持つことと、理解すること

ここで、一つ考えたいことがあります。

人に関心を持てば、その人を理解できるのでしょうか。

私は、必ずしもそうではないと思います。

相手の話を聞いても、理解できないことはあります。

考え方が違うこともあります。

価値観が合わないこともあります。

自分には想像できないような経験をしている人もいます。

それでも、理解しようとすることはできます。

なぜ、そう考えるのだろう。

なぜ、そのような行動を取るのだろう。

何が、その人にとって大切なのだろう。

そうした疑問を持ち、相手の話に耳を傾ける。

私は、そこに人間関係の出発点があると思っています。

もちろん、すべてを理解することなどできません。

他人の人生を、完全に理解することは不可能でしょう。

でも、だからこそ、質問する意味があるのではないでしょうか。

分かったつもりにならず、知ろうとし続けること。

それが、人に関心を持つということなのだと思います。

人を育てる仕事をしてきて

私は約30年間、教育の仕事をしてきました。

その間、数え切れないほど多くの生徒と出会ってきました。

勉強が得意な子、不得意な子。

努力する子、なかなか努力できない子。

素直に話を聞く子、何度伝えても変わらない子。

そして、大学生講師や社員も同じです。

一人ひとり、まったく違います。

私は、これまで多くの人を指導してきました。

時には厳しく叱ったこともあります。

何度も同じことを伝えたこともあります。

それでも、思うように伝わらなかったことがあります。

後になって、自分の伝え方を後悔したこともあります。

人を育てるというのは、本当に難しい仕事です。

そして、長くこの仕事をしてきて思うのは、相手のことを理解しようとする姿勢を失ったとき、教育は単なる指示や知識の伝達になってしまうのではないかということです。

目の前の子どもが、なぜ問題を解けないのか。

なぜ、やる気をなくしているのか。

なぜ、質問してこないのか。

そこに関心を持たず、ただ解き方を教える。

それでは、本当の意味で、その子を育てていると言えるのでしょうか。

私は、そうした指導はしたくありません。

人間的成長なくして学力の向上なし

りんご塾赤羽南教室では、「人間的成長なくして学力の向上なし」という言葉を大切にしています。

この言葉は、学力よりも人間性の方が大切だから、勉強ができなくても構わない、という意味ではありません。

私たちは、学力を伸ばすことに真剣に取り組んでいます。

子どもたちが算数を深く理解し、難しい問題にも自分の力で向き合い、結果を出せるように指導しています。

しかし、学力を伸ばす過程には、知識や解法を覚えること以外にも、大切なことがあります。

分からないことから逃げない。

失敗しても、もう一度考える。

自分の考えを言葉にする。

他人の考えに耳を傾ける。

知らないことに関心を持つ。

そして、自分の力で何とかしようとする。

こうした姿勢は、算数の学習にも深く関わっています。

私は、これらを単なる精神論として考えているわけではありません。

学力を伸ばし、将来、自分の力で学び続けるために必要な力だと考えています。

だからこそ、私たちは、子どもに何でも教えてしまうことを避けています。

子どもが自分で考える時間を大切にしています。

必要なときには教えます。

でも、教えなくてもよいことまで、先回りして教えない。

それは、子どもが自分で考える人間に成長してほしいからです。

そしてその先には、算数の問題だけではなく、社会の中で出会うさまざまな問題にも、自分の力で向き合える人になってほしいという願いがあります。

自分の能力を、何のために使うのか

私は、学力を伸ばすことは大切だと思っています。

知識を身につけることも、能力を高めることも、大切です。

でも、少し考えてみたいことがあります。

身につけた知識や能力を、何のために使うのでしょうか。

自分が良い学校に進学するため。

良い仕事に就くため。

豊かな生活を送るため。

もちろん、それらも大切な目的です。

しかし、それだけなのでしょうか。

自分の持っている知識や能力を、誰かのために使う。

困っている人を助ける。

誰かが抱えている問題を解決する。

自分とは違う考え方の人と協力して、新しいものを生み出す。

そうしたことにも、大きな意味があると思います。

そして、その出発点になるのが、周囲への関心なのではないでしょうか。

どれほど優れた能力を持っていても、他人が何に困っているのかに関心がなければ、その能力を誰かのために使おうとは思わないかもしれません。

私は、子どもたちに、学力だけでなく、そうした視野も持って成長してほしいと思っています。

質問を待つということ

もう一度、『トッケビ』のキム秘書の姿を思い出します。

キム秘書は、ドクファに周囲への関心が足りないことを指摘しました。

しかし、それを責め立てることはしませんでした。

いつか、自分から質問するようになることを待っていました。

私は、この姿勢がとても好きです。

相手の未熟さを見抜いている。

でも、その未熟さだけで相手を判断しない。

今はできなくても、いつかできるようになるかもしれない。

今は関心がなくても、いつか周囲に目を向けるようになるかもしれない。

そんな可能性を信じている。

人を育てるということは、今のその人を見るだけでなく、これからのその人を信じることでもあるのかもしれません。

ただし、現実の教育や仕事では、待つだけでは解決しないこともあります。

教えなければならないことがあります。

注意しなければならないこともあります。

時には厳しく伝える必要もあります。

それでも、相手が自分で気づき、自分の意思で変わろうとすることの大切さを、忘れたくありません。

私は、そう思っています。

私自身は、大人になれているのだろうか

このシリーズを書きながら、最後に残った問いがあります。

それは、若い人たちへの問いではありません。

私自身への問いです。

私は、周囲の人たちに十分な関心を持っているだろうか。

社員や講師の話を、きちんと聞いているだろうか。

子どもたちが何を考え、何を感じているのか、理解しようとしているだろうか。

自分の考えを伝えることに一生懸命になりすぎて、相手の考えを聞くことを忘れていないだろうか。

人を育てる立場にいるからといって、自分自身の成長が終わるわけではありません。

むしろ、年齢を重ね、経験を積んだからこそ、気をつけなければならないことがあると思っています。

自分の経験だけで、相手を判断しないこと。

自分の考えだけが正しいと思わないこと。

そして、周囲への関心を失わないこと。

私は、まだまだ考え続けなければならないと思っています。

「ありがとう」

『トッケビ』の、あのベンチでの会話。

私は、最後にドクファが口にした「ありがとう」という言葉が、とても好きです。

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キム秘書は、ドクファに新しい知識を教えたわけではありません。

仕事のやり方を教えたわけでもありません。

自分がこれまで、周囲の人にどれほど関心を持ってこなかったのか。

そのことに気づくきっかけを与えたのだと思います。

そして、ドクファは、その言葉を受け止めた。

私は、あの「ありがとう」に、人間としての成長の始まりを感じます。

人は、何かを教わったときだけに成長するのではありません。

自分が気づいていなかったことに気づいたとき。

自分とは違う人間の存在を、改めて意識したとき。

そして、これまでの自分を振り返ったとき。

そんな瞬間にも、人は成長するのだと思います。

このシリーズを通して、質問することについて、いろいろと考えてきました。

でも、最後にたどり着いたのは、質問の仕方でも、質問の回数でもありませんでした。

自分以外の人間に、どれほど関心を持って生きているのか。

そのことでした。

私たちは、毎日たくさんの人と関わりながら生きています。

家族。友人。職場の仲間。

学校の先生。子どもたち。

そして、日々の生活の中ですれ違う、名前も知らない人たち。

その一人ひとりに、それぞれの人生があります。

喜びがあり、悲しみがあります。

私たちは、そのことを普段からどれほど意識しているでしょうか。

そして、その人たちのことを、どれほど知ろうとしているでしょうか。

最後に、もう一度、あの言葉を思い出したいと思います。

「大人がする質問をね」

私は、これからも、そんな質問ができる人間でありたいと思います。

そして、子どもたちにも、大学生講師にも、社員にも、そんな大人になってほしいと思っています。

皆さんは、どうでしょうか。

あなたが今日、誰かに聞いてみたいことは、何ですか。


RINGOJUKU WORKS|りんご塾 赤羽南教室

「大人がする質問を、待っています。」全5回・完

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2026.10.22

RINGOJUKU WORKS|大人がする質問を、待っています。第4回

韓国ドラマ『トッケビ』の、あのベンチでの会話から始まったこのシリーズ。

これまで、質問すること、若い人たちの変化、そして仕事に対する姿勢について考えてきました。

今回は、子どもたちの話です。

そして、保護者の皆さんや、学校・塾の先生方にも、ぜひ一緒に考えていただきたいことがあります。

私たち大人は、子どもが自分で考え、気づき、行動する機会を、知らず知らずのうちに奪ってしまっていないでしょうか。

小学5年生と、お母さんの会話

先日、教室でこんなことがありました。

小学5年生の子が、お迎えに来たお母さんに、不満そうに言いました。

「今日、給食のセットが入ってなかったよ!」

すると、お母さんは、

「え?玄関に置くよって伝えたよね?」

と答えました。

しかし、子どもは納得しません。

「入ってなかったもん!」

お母さんは少し困った様子で、

「そう?......ごめんね」

と謝りました。

私は、そのやり取りを聞いていて、思わず首をかしげてしまいました。

小学5年生です。

小学校生活も、もう5年目。

給食で必要な物は、当然分かっています。

そして、何より、それは自分が使うものです。

お母さんが準備を手伝ってくれることは、ありがたいことです。

でも、自分が必要なものを持っているかどうか、最後に確認するのは誰の責任なのでしょうか。

私は、その親子の会話に、そっと加わりました。

「自分の荷物は、自分で最後に確認するべきだよね。お母さんを責めるのは違うんじゃない?」

すると、その子は、それ以上反論しませんでした。

先生に言われたから仕方がない、という気持ちもあったのかもしれません。

それでも、そこで初めて、自分にも責任があったことを受け止めたように見えました。

もちろん、そのご家庭で普段どのように準備をしているのか、詳しいことは分かりません。

その日、特別な事情があった可能性もあります。

しかし、私が気になったのは、忘れ物があったことではありません。

自分が使うものを忘れた子どもが、お母さんを責め、お母さんが謝ってしまったことです。

こうしたやり取りを目にするたびに、私は考えてしまいます。

子どもが自分の責任に気づくはずだった場面で、大人がその責任を引き受けてしまっていないだろうか。

忘れ物をしたら、困ればいい

少し乱暴に聞こえるかもしれません。

でも、私はそう思っています。

もちろん、命や安全に関わることや、年齢・発達段階に応じて支援が必要なことは別です。

しかし、小学5年生が自分の確認不足で持ち物を忘れた。

それは、本人が困る経験をしてもよい場面ではないでしょうか。

困ったら、どうするか。

先生に相談する。

学校で借りられるものがないか確認する。

次から忘れないように、自分で準備する。

いろいろな方法が考えられます。

そして、家に帰ってから、

「今日、忘れ物をして困ったから、明日からは自分で確認する」

そう言えるようになったら、一つ成長したことになると思います。

ところが、そこでお母さんが謝って話が終わってしまえば、どうでしょう。

子どもは、「お母さんが入れてくれなかったから困った」という理解のまま、終わってしまうかもしれません。

困った経験そのものが、成長につながるわけではありません。

大切なのは、その経験を通して、何を考え、次にどう行動するかです。

そして、その機会を大人が奪ってはいけないと思うのです。

「ごめんね」が、子どものためにならないこともある

私は、親が子どもに謝ることが悪いとは思いません。

大人が間違えたなら、きちんと謝るべきです。

親だからといって、子どもに対して間違いを認めなくてよいわけではありません。

しかし、今回のような場面では、少し考えてほしいのです。

お母さんは、持ち物を置く場所を伝えていたと言っています。

それでも、子どもは確認せず、お母さんを責めています。

そこでお母さんが謝ってしまう。

そのやり取りを通して、子どもは何を学ぶのでしょうか。

自分が使うものは、自分で確認する。

人に手伝ってもらったら、感謝する。

自分にも責任があるときには、人を一方的に責めない。

こうしたことを学ぶ機会だったのではないでしょうか。

私は、保護者の方に、何でも子どもの責任にしてほしいと言っているわけではありません。

ただ、子どもが引き受けるべき責任まで、大人が引き受ける必要はないと思っています。

それは、子どもを大切にすることと、必ずしも同じではありません。

子どもが困らないことと、成長することは違う

保護者の方が、子どもに困ってほしくないと思う気持ちは理解できます。

失敗してほしくない。

嫌な思いをしてほしくない。

できるだけ順調に成長してほしい。

しかし、私は時々考えます。

子どもが困らないようにすることと、子どもが困ったときに自分で何とかできるようにすることは、まったく違うのではないか。

子どもが困る前に、すべてを整えてあげる。

失敗しそうになったら、先に助ける。

分からないことがあれば、すぐに説明する。

その結果、目の前の子どもは困らずに済むかもしれません。

でも、その子が成長して、誰も先回りしてくれない環境に置かれたら、どうなるのでしょう。

私は、教育の目的は、子どもを困らせないことではないと思っています。

困ったときに、自分の力で何とかしようとする人間を育てること。

そこに、大きな意味があると思うのです。

算数でも、同じことが起きている

これは、生活面だけの問題ではありません。

勉強でも、同じことが起きています。

例えば、ご家庭で、子どもが算数の問題を解いているとします。

しばらく考えて、鉛筆が止まる。

そして、「分からない」と言う。

その瞬間に、保護者の方たちは説明を始めていませんか?

こうした場面は、珍しくないと思います。

でも、私は少し待ってほしいのです。

本当に、その子は何も分かっていないのでしょうか。

問題文の意味が分からないのか。

計算方法を忘れたのか。

考え方が思いつかないのか。

それとも、もう少し考えれば、自分で気づけるところまで来ているのか。

同じ「分からない」でも、その中身はまったく違います。

だから、よく見てほしいのです。

りんご塾赤羽南教室では、子どもが手を止めても、すぐには教えません。

ただし、何もせずに待っているわけではありません。

放置ではなく、子どもの視線の動きや鉛筆の進め方を講師は凝視しています。

その子が何を考え、どこで止まり、何に気づきかけているのか。

それを観察しながら、待っています。

必要であれば、ヒントを出します。

きちんと教えるべき場面では、教えます。

大切なのは、教えるか、教えないかという二者択一ではありません。

いつ、何を、どこまで教えるのか。

そこを判断することが、講師の仕事だと考えています。

質問が生まれる前に、説明してしまう

私は、教えすぎる指導には、大きな問題があると思っています。

それは、子どもが疑問を持つ機会を奪ってしまう可能性があることです。

例えば、子どもが図形の問題に取り組んでいるとします。

まだ、どこから考えればよいのか分かっていません。

そこで先生が、「ここに補助線を引けばいいんだよ」と教える。

確かに、それで問題は解けるかもしれません。

でも、本来なら、その子自身が、

「どこかに線を引いたら、分かるかな?」

「この三角形と、こっちの三角形には関係があるのかな?」

と考える機会があったはずです。

そして、試行錯誤しても分からなければ、「先生、ここに線を引いてもいいですか?」と質問するかもしれません。

私は、この過程に価値があると思っています。

もちろん、すべての子どもが自力でそこまで考えられるわけではありません。

だからこそ、指導者の観察と判断が必要です。

しかし、最初から答えに近いものを与えてしまえば、子どもが自分で疑問を持つ機会は少なくなります。

正解にたどり着くことだけを優先すると、正解にたどり着くまでの思考を失ってしまうことがある。

私は、それを心配しています。

大人は、子どもの「できた」を急ぎすぎていないか

教育の現場では、どうしても結果が求められます。

問題が解けた。

テストの点数が上がった。

次の単元に進めた。

もちろん、結果は大切です。

私自身、学力を伸ばすことや、成果を出すことを軽く考えているわけではありません。

しかし、私はそれと同じくらい、結果に至る過程を大切にしています。

子どもが問題を解けずに頭を抱えている。

何度も間違える。

消しゴムで消して、また書き直す。

そんな姿を見ると、大人はつい助けたくなります。

でも、そこで答えを教えれば、目の前の問題は解決しても、その子が自分で考える機会は終わってしまうかもしれません。

私は、子どもが自分の力で考え、試し、間違え、修正する経験を積んでほしいのです。

そして、必要なときには、自分から質問できるようになってほしい。

「できた」という結果だけでなく、「自分で何とかしようとした」という経験を積み重ねてほしい。

その積み重ねが、やがて本当の学力につながると考えています。

親切と過保護の境界線

私は、子どもに優しくすることと、子どもの代わりに何でもしてあげることは、違うと思っています。

忘れ物をしないように、毎日すべてを準備してあげる。

困らないように、先回りして説明してあげる。

失敗しないように、答えを教えてあげる。

それらは、目の前の子どもにとっては親切かもしれません。

しかし、長い目で見たとき、本当にその子のためになっているのでしょうか。

私は、子どもの成長を考えるとき、今だけを見てはいけないと思っています。

小学5年生の今。

中学生になったとき。

高校生になったとき。

そして、社会に出たとき。

その子が、誰かに指示されなくても、自分で考え、判断し、行動できるようになっているか。

そこまで考える必要があると思っています。

今、子どもが困らないことよりも、将来、困ったときに自分で動けること。

私は、そちらを大切にしたいのです。

「質問を待っています」

韓国ドラマ『トッケビ』の、キム秘書とドクファの会話に戻ります。

キム秘書は、ドクファに何でも教えてしまうのではなく、彼自身が周囲に関心を持ち、質問するようになるのを待っていました。

私は、この姿勢に教育との共通点を感じます。

もちろん、ドラマの中の大人同士の会話と、幼い子どもへの教育を、そのまま同じものとして考えることはできません。

それでも、相手の成長を信じ、必要以上に先回りしないという姿勢には、通じるものがあると思うのです。

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そして、私はもう一つ、大切なことがあると考えています。

待つことは、何もしないことではありません。

子どもを観察する。

考えていることを理解しようとする。

必要な援助を判断する。

そして、子ども自身が動き出す瞬間を大切にする。

それが、私たちの考える「待つ指導」です。

子どもの未来のために、何をしないか

教育について考えるとき、私たちはつい、「子どもに何をしてあげるべきか」という問いを立てます。

何を教えるか。

どんな教材を与えるか。

どんな経験をさせるか。

もちろん、それらは大切です。

でも、私はもう一つ、同じくらい重要な問いがあると思っています。

「子どものために、大人は何をしない方がよいのか」

すぐに答えを教えない。

できることまで代わりにやらない。

失敗する機会を、必要以上に奪わない。

自分で考える時間を、急いで終わらせない。

それは、子どもを突き放すことではありません。

子どもが自分の力で成長する可能性を信じることだと思っています。

最後に、保護者の皆さん、そして教育に携わる皆さんに問いかけたいと思います。

私たちは、子どもが困ったときに助ける大人であると同時に、子どもが自分で考え始めるまで待てる大人になっているでしょうか。

そして、

子どもが自分の責任に気づく前に、私たち大人が、その責任まで引き受けてしまっていないでしょうか。

私は、これからも自分自身に問い続けていきたいと思います。


次回・最終回:「大人がする質問」とは、何だろう。

RINGOJUKU WORKS|りんご塾 赤羽南教室

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2026.10.21

2026年11月の休館日をお知らせいたします。


11月の休館日は、
毎週日曜日、月曜日です。

お間違いのないよう、お気をつけください。

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年間スケジュール表も記載していますので、併せてご確認ください。
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2026.10.21

こんにちは!
東木です!

先週のブログで、長谷先生がハロウィンのお菓子を大量に買ってきたお話を書きました。

そのとき長谷先生は、

「最後の日にもらう子たちが、少なくなってスカスカしてたらかわいそうじゃん」

と言って、まだまだお菓子を買い足すつもりでいました。

こちらが先週の状況。↓

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そして今週。

本当に増えました(笑)。

先週も相当な量だったと思うのですが、写真を比べてみると、もう倍くらいになったんじゃないでしょうか。

受付が、どんどん駄菓子屋さんみたいになっています。

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今度は子ども用プールが届きました

そんなところへ、今度は子ども用の小さなプールが届きました。

え?

プール?

何に使うんでしょうか。

と思っていたら、長谷先生がせっせと膨らませ始めました。

そして、膨らませたプールの中に、お菓子をどんどん入れていきます。

おお、なるほど!

お菓子を入れるためのプールだったんですね!

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確かにこれなら、子どもたちも好きなお菓子を選びやすそうです。

それに、なんだか楽しそう!

すると長谷先生が、

「プールがあったら、金魚すくいもできるからね!」

と、なんだか陽気に話していました。

......金魚すくい?

ハロウィンですよね?(笑)

どこまで本気で言っているのか、私にはよく分かりません。

まあ、長谷先生ですからね(笑)。

受付のデスクが、ますます狭くなっています

それにしても、お菓子が増えるたびに私の作業スペースはどんどん小さくなっています。

先週も狭かったのですが、今週はさらに大変なことになりました。

長谷先生、そろそろ受付で仕事ができなくなりそうなんですけど!(笑)

でも、これだけのお菓子を目の前にしたら、子どもたちはきっと喜ぶでしょうね~。

いよいよ今週の木曜日から、お菓子を配り始める予定です。

どれにしようかな、と迷いながら選ぶ子。

お気に入りのお菓子を見つけて喜ぶ子。

今からそんな様子が目に浮かびます。

みんな、楽しみにしていてね!

それにしても、来年は一体どうなるんでしょうか~(笑)。

2026.10.21

RINGOJUKU WORKS|大人がする質問を、待っています。第3回

前回は、最近、自分から質問する若い人が少なくなってきたと感じていることについて書きました。
(前回→RINGOJUKU WORKS#35|大人がする質問を、待っています。第2回)

今回は、その続きを、少し違った角度から考えてみたいと思います。

私は約30年間、教育の仕事をしてきました。

その間、多くの大学生講師や社員と一緒に働いてきました。

仕事を覚えるのが早い人もいれば、時間のかかる人もいます。

最初から気が利く人もいれば、何度も同じことを教えなければならない人もいます。

それぞれに個性があり、得意なことも苦手なことも違います。

しかし、長年一緒に仕事をしてきて、ある違いを強く感じるようになりました。

仕事を教わろうとする人と、仕事そのものを理解しようとする人がいる。

この二つは、似ているようで、実は大きく違うと思っています。

「どうすればいいですか?」

仕事をしていると、よく聞かれる言葉があります。

「先生、これはどうすればいいですか?」

もちろん、質問してくれること自体は歓迎しています。

分からないことを、分からないままにするより、ずっといい。

特に経験の浅い人には、確認しなければならないこともたくさんあります。

安全や正確性に関わることであれば、自己判断せず、必ず聞いてほしいと思っています。

しかし、時々、気になることがあります。

「どうすればいいですか?」

と聞かれて、答える。

しばらくすると、また別のことで、

「これはどうすればいいですか?」

と聞かれて、答える。

そして、また次の問題が起きると、

「どうすればいいですか?」

......(笑)。

もちろん、最初はそれで構いません。

でも、何か月も、何年も、その状態が変わらなかったらどうでしょうか?

私は、少し考えてしまいます。

この人は、仕事のやり方を覚えようとしているのだろうか。それとも、仕事の意味を理解しようとしているのだろうか。

指示されたことをするのは、仕事の出発点

例えば、りんご塾の授業です。

講師には、子どもの解答を必ず正解と照合してから丸を付けるように伝えています。

これは、当然守らなければならないルールです。

しかし、私が講師に求めていることは、正しく丸を付けることだけではありません。

なぜ、その子は間違えたのか。

前にも同じような間違いをしていなかったか。

計算を間違えたのか。

問題文を読み違えたのか。

そもそも、考え方が分かっていないのか。

そして、今この場面では、何を教え、何を教えずに待つべきなのか。

そうしたことまで考えてほしいのです。

「答えを確認してから丸を付けてください」という指示を守ることは、仕事の基本です。

でも、その指示の先にある目的まで理解しようとするかどうか。

私は、そこに講師としての成長の差が生まれると思っています。

「なぜ?」が生まれない仕事

ある仕事を任されたとします。

言われたとおりに進める。

問題なく終わったら、それで満足する人がいます。

一方で、同じ仕事をしていても、

「なぜ、この手順なんだろう?」

「もっと良い方法はないだろうか?」

「この仕事は、最終的に誰のためになっているんだろう?」

と考える人もいます。

私は、後者の人と仕事をしていると、とても面白いと感じます。

こちらが説明したことに対して、さらに質問が返ってくる。

時には、私の考えと違う意見を言ってくる。

それについて議論する。

そして、私自身も新しいことに気づく。

仕事を通して、お互いに成長していく。

こういう関係が、私は好きです。

もちろん、何でも疑問を持てばいいというわけではありません。

決められた手順を守らなければならない場面もあります。

しかし、決められたことを守りながら、その意味を考えることはできるはずです。

そして、仕事の意味を考える人からは、自然と質問が生まれてくるのではないでしょうか。

隣の先生が、何をしているか

私が大学生講師に、ぜひ持ってほしいと思っている関心があります。

それは、他の講師の指導です。

例えば、隣の先生が、子どもにすぐにヒントを出さず、しばらく待っている。

あるいは、計算方法を説明するために、意外な方向から例え話をしている。

いきなり問題を解かせようとするのではなく、まずは身の回りのものの長さを測って、実体験を積ませている。

それを見たときに、

「あの先生は、あんなに待つんだ!」

「まずは問題と関係ないところを切り口にするといいのか!」
と、色々発見があるはずなんです。

そして授業が終わった後に、

「さっきの場面で、どのくらい待つんですか?」

「問題以外の話をすると時間がかかって、進まなくなりませんか?」

と質問する。

すると、そこから指導についての話が始まります。

子どもの視線や鉛筆の動き。

考えているときと、困っているときの違い。

ヒントを出すタイミング。

説明の仕方を理解度によって、短くしたり、簡単にしたりする。

同じように見える場面でも、講師が何を観察し、どう判断しているかは違います。

こうしたことは、マニュアルを読んだだけでは、なかなか身につきません。

実際の授業を見て、疑問を持ち、質問し、考える。

その積み重ねが必要です。

しかし、そもそも隣の先生が何をしているのかに関心がなければ、疑問は生まれません。

同じ教室で働いていても、周囲から学ぶ人と、学ばない人がいる。

私は、この違いは非常に大きいと思っています。

「自分の仕事」しか見えていない

ここからは、少し厳しい話になります。

私は、仕事をする上で、自分に与えられた役割を果たすことは当然だと思っています。

しかし、それだけで十分だとは思っていません。

教室には、多くの子どもたちがいます。

一人ひとり、学力も性格も違います。

講師も複数います。

授業の進行状況も、子どもたちの様子も、それぞれ違います。

そんな環境の中で、自分の担当する生徒だけを見ていれば、それでいいのでしょうか。

もちろん、まず担当する生徒に集中することが最優先です。

でも、余裕があるときには、周囲にも目を向けてほしい。

隣の先生が困っていないか。

教室全体の授業が円滑に進んでいるか。

自分にできることはないか。

こうしたことに関心を持つことも、一緒に働く仲間として大切だと思っています。

「自分の仕事は終わりました」と言えることと、「自分の役割を果たしました」と言えることは、必ずしも同じではありません。

ただし、これは際限なく仕事を引き受けろという意味ではありません。

勤務時間や役割の範囲は尊重されるべきです。

周囲への関心を持つことと、無制限に責任を負わせることは、まったく別の話です。

私が求めているのは、まず、周囲で起きていることに気づこうとする姿勢なのです。

質問されない側にも、責任がある

ここまで読むと、若い講師や社員に対して、かなり厳しいことを言っているように感じるかもしれません。

しかし、ここで考えなければならないことがあります。

質問してこない人を、質問してこないままにしているのは誰なのか。

例えば、講師が質問したときに、

「そんなことも分からないの?」と返してしまったらどうでしょう。

あるいは、「いいから言われたとおりにやって」と言い続けていたらどうでしょう。

それでは、自分で考えたり、質問したりする意欲は育ちません。

また、経営者や教室長がすべてを決め、すべてを指示してしまえば、スタッフは指示を待つ方が合理的だと学習してしまうかもしれません。

質問してほしい。

自分で考えてほしい。

そう言いながら、実際には自分で考える機会を与えていない。

そんな矛盾がないか、私自身も考える必要があります。

人を育てるというのは、本当に難しい仕事です。

仕事ができる人より、一緒に考えられる人

私はこれまで、能力の高い人とも、そうではない人とも、一緒に仕事をしてきました。

もちろん、能力が高いことは大きな強みです。

仕事が早い。

理解が早い。

ミスなく、正確に処理できる。

それらは、素晴らしい能力だと思います。

でも、長く一緒に仕事をしていく中で、私が特に大切だと感じることがあります。

自分の考えを持ち、他人の考えにも関心を持ち、一緒に考えられること。

「私はこう思うんですが、先生はどう考えますか?」

「この方法の方がいいと思うんですが、どうでしょう?」

「さっきの子、少し気になったんですが......」

こういう会話ができる人とは、仕事が面白くなります。

意見が違っても構いません。

むしろ、違うからこそ考える意味があります。

相手の考えを知りたい。

自分の考えも伝えたい。

そのやり取りの中で、より良いものをつくっていく。

私は、そういう仕事の仕方を大切にしたいと思っています。

「大人がする質問」とは何だろう

韓国ドラマ『トッケビ』の、あのベンチでの会話を思い出します。

キム秘書は、ドクファが自分の周囲に関心を持つようになるのを待っていました。

自分が困ったときだけではなく、世の中や周囲の人々の喜びや悲しみについて質問するようになることを。

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私は、この考え方が仕事にも通じると思っています。

「どうすればいいですか?」という質問も大切です。

でも、そこから一歩進んで、

「なぜ、そうするんですか?」

「どうすれば、もっと良くなるんでしょうか?」

「この人は、何に困っているんでしょうか?」

そんな質問ができるようになってほしい。

そして、さらに言えば、質問をする前に、まず自分で考えてみてほしい。

「私はこう考えたんですが、どうでしょうか?」

この一言が出てくるようになると、仕事の中身は大きく変わると思います。

私自身も、質問を待っている

大学生講師や社員に対して、私は多くのことを伝えてきました。

時には厳しく指導することもあります。

それでも、私が最終的に望んでいるのは、いつまでも私の指示どおりに動く人を育てることではありません。

私がいなくても、自分で考え、判断し、行動できる人になってほしい。

そして、自分だけでは解決できない問題に出会ったときには、周囲の人と考えを交わせる人になってほしい。

そのためには、私自身も、質問を受け止められる人間でなければならないと思っています。

自分の考えと違う意見を、きちんと聞けるか。

若い人の疑問に、真剣に向き合えるか。

相手が考える時間を、待てるか。

まだまだ、考えることはたくさんあります。

ただ、一つだけ、はっきりしていることがあります。

私は、言われたことだけをする人を育てたいわけではありません。

自分で考える人。

周囲に関心を持つ人。

疑問を持ち、質問し、議論できる人。

そして、いつか私が思いつかなかったような質問をしてくれる人。

そんな人たちと、一緒に仕事をしていきたいと思っています。

最後に、働く皆さんに、ひとつ問いかけたいと思います。

あなたは今日、仕事について何か質問しましたか。

そして、その質問は、仕事を終わらせるためのものでしたか。

それとも、仕事をもっと深く理解するためのものでしたか。

私自身も、問い続けていきたいと思います。


次回:子どもが質問する前に、大人が答えを与えていないか。

RINGOJUKU WORKS|りんご塾 赤羽南教室

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2026.10.20

こんにちは。
城南コベッツりんご塾赤羽南教室の長谷です。

今日は、嬉しい話を書かせてください。

先日、教室に通う小学2年生が、腕試しに大手中学受験塾の入室テストを受けました。
このことについて、東木もブログを書いていますが、私からもお伝えしたいことがあります。
(→東木が書いたブログはこちら)

算数は100点満点中92点、偏差値73。
国語と合わせた2科目の偏差値も70でした。

その塾に通っている生徒も含めた母集団を想定した成績です。

よく頑張りました。
結果を聞いて、私も本当に嬉しかったです。

ただ、今日は成績のご報告だけでは終われません。

この子のことを考えると、どうしても書いておきたいことがあるのです。

この子は、りんご塾赤羽南教室の最初の生徒です。
年少の頃から、ずっと成長を見てきました。

今では算数検定6級に合格し、次は5級に挑戦します。
普段の授業では、ジュニア算数オリンピックの過去問に取り組んでいます。

年少だったこの子と、今はこんなに難しい問題を一緒に考えている。

それだけでも感慨深いのですが、私が何より嬉しいのは、授業中の姿です。

難しい問題に出会っても、

「やだ」とか「できない」とは、一切言いません。

自分の考えていることをブツブツと口にしながら、いつまでも、いつまでも考えています。

すぐに解けなくても、自分の力でなんとかしようとする。

私にとって「考える」とは、まさに、そういうことです。

その姿を横で見ていると、嬉しくて、こちらまで顔がほころんでしまいます。

そして、自分で解き終わったあと。

教師の説明を、身を乗り出して聞くのです。

この姿が、私には、たまらなく嬉しいのです。

実は、一年くらい前には、こんなことがありました。

私が説明しようとすると、

「それはわかってる」と言って、聞いてくれない。

私も、このまま授業を続けることはできないと思い、その日は東木に代わってもらいました。

どう向き合えば、この子に伝わるのか。

私自身も考えさせられた出来事でした。

すると、次の週です。

この子が、自分から私に言いました。

「先週はごめんなさい」

驚きました。

長く子どもたちと接してきましたが、叱った翌週に、子どもが自分から謝りに来ることは、実はほとんどありません。

その一言を、私は今も覚えています。

ご家庭でどのようなお話があったのか、私が勝手に想像することはできません。

ただ、この子は、前の週の出来事をそのままにせず、自分から私に言葉を届けてくれました。

そのことが、とても嬉しかったのです。

あのとき「それはわかってる」と言っていた子が、今は、自分で解けたあとにも、身を乗り出して説明を聞いている。

自分で考える力と、人から学ぼうとする姿勢。

その両方が育ってきた姿を見て、私は思いました。

「この子は、もう大丈夫だな」

これから何でも解ける、という意味ではありません。

難しい問題に悩むことも、思うような結果が出ないことも、きっとあるでしょう。

それでも、自分で考えられる。
人の話にも耳を傾けられる。
そこから、また学んでいける。

そう思える姿を、見せてくれるようになったのです。

もう、めちゃくちゃ嬉しいです。

少し落ち着いた表現にしようかとも思いましたが、これが一番、私の気持ちに合っています(笑)。

そして、この喜びを書くうえで、どうしてもお伝えしたいことがあります。

ここまでの成長は、ご家庭、とりわけお母様の頑張りなくしては、あり得ませんでした。

私たちの教育方針を理解してくださったこと。

教室での指導だけでは足りないと感じる部分を、ご家庭で補ってくださったこと。

その積み重ねが、毎回の授業を支えてくださいました。

さらに、このご家庭には、年少の頃から変わらず続けてくださっていることがあります。

・毎週、休まず通うこと。
・授業の5分前には到着すること。
・お迎えにも、時間どおりに来てくださること。

一つひとつを並べると、当たり前のことに見えるかもしれません。

でも、それを何年にもわたって続けることが、どれほど大変か。

毎週お迎えする私たちは、そのありがたさを感じています。

お子さんの一週間のリズムを大切にし、その中に、赤羽南で学ぶ時間をしっかりと置いてくださっている。

来週も、いつもの時間に教室へ来て、考える。
その次の週も、また考える。

一回一回の授業を大切に積み重ねられるよう、ご家庭が支えてくださったのです。

おかげで私たちは、教室での時間を、この子がじっくり考えるために使うことができました。

難しい問題に向き合い、試し、悩み、また考える。

思考することに全力で集中できる体制を、ご家庭が一緒につくってくださったのです。

教室で大切にしていることを、ご家庭が理解してくださる。
ご家庭で支えてくださったことが、次の授業につながる。

その積み重ねの中で、子どもが大きく成長していく。

教室とご家庭が同じ方向を向けたとき、子どもはこんなにも成長するのだと、この子とご家族に、改めて教えていただいています。

今回の成績を、教室の指導だけで説明することはできません。

目の前の問題に一生懸命に取り組んできた本人がいる。
日々の生活の中で、その学びを支えてこられたご家族がいる。

その歩みの一部に、私たちも関わらせていただいている。

本当に、ありがたいことだと思います。

りんご塾赤羽南教室では、「人間的成長なくして学力の向上なし」という言葉を大切にしています。

自分で考え続けるようになったこと。
自分の振る舞いを振り返り、言葉にできたこと。
人の説明から学ぼうとするようになったこと。

そして、その成長が、外部のテストでも一つの結果になったこと。

どれも嬉しいです。

でも、何より幸せなのは、年少から見てきたこの子の成長を、ご家庭と一緒に喜べることです。

あの頃から今日まで、私たちを信頼し、大切なお子さんを通わせてくださっていること。

毎週の授業につながる日々を、支えてくださっていること。

このご家庭には、感謝しかありません。

本当に、ありがとうございます。

この子がこれから、どんな問題を解くようになるのか。
どんな考え方を見せてくれるのか。

楽しみで仕方ありません。

次の授業でも、きっとブツブツ言いながら、一生懸命に考えていると思います。

私はまた、その横で待っていようと思います。

そして、解き終わってこちらに身を乗り出してきたら、私も嬉しくなりながら、説明を始めるのだと思います。

年少の頃から一緒に過ごしてきたこの子と、今、こんな授業ができている。

その成長を、ご家庭と一緒に喜んでいる。

教育の仕事を続けてきてよかったと、心から思います。

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2026.10.20

RINGOJUKU WORKS|大人がする質問を、待っています。第2回

前回、韓国ドラマ『トッケビ』の、ある会話について書きました。
(前回→RINGOJUKU WORKS#34|大人がする質問を、待っています。第1回)

御曹司のドクファと、彼を長く支えてきたキム秘書。

キム秘書は、ドクファが自分の周囲に関心を持ち、世の中や人々の喜びや悲しみについて質問するようになることを待っていました。

その会話が、私はとても好きです。

そして、あの場面を見るたびに、長年教育の仕事をしてきた自分自身の経験と重なるものを感じます。

今日は、少し厳しい話を書こうと思います。

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質問する人が、明らかに少なくなってきた

私は約30年間、教育の仕事に携わってきました。

小学生から高校生、大学受験生まで、多くの生徒を指導してきました。

また、大学生のアルバイト講師や社員とも、長い間一緒に仕事をしてきました。

その経験の中で、近年、強く感じていることがあります。

自分から質問する人の割合が、明らかに少なくなってきた。

これは私自身の現場での実感であり、統計的に確認した話ではありません。

もちろん、昔の若者が全員積極的だったわけではありません。

質問しない生徒も、指示を待つアルバイトも、以前からいました。

それでも、以前はもう少し、自分から聞いてくる人がいたように思います。

授業が終わった後に、

「この子には、どういう指導がいいんでしょうか?」

「自分だったらこう考えるんですが、どう思いますか?」

「先生、さっきの説明のところ、先生だったらどう伝えますか?」

そんな質問をしてくる人がいました。

質問から議論が始まり、議論から新しい発見が生まれる。

教える側の私自身が、若い人の質問によって考えさせられることも少なくありませんでした。

ところが最近、そういう機会が減ってきたように感じるのです。

分からないことがないのだろうか

もちろん、そんなはずはありません。

経験の浅い大学生講師が、最初から授業のすべてを理解しているはずはありません。

子どもたちも、初めて学ぶことばかりです。

分からないことは、いくらでもあるはずです。

それなのに、聞いてこない。

私は、ここに強い違和感があります。

ただし、質問しない理由は一つではないでしょう。

何を質問すればよいか分からない。

間違ったことを聞くのが恥ずかしい。

忙しそうな先生に声をかけにくい。

質問するための言葉が見つからない。

そういう人もいると思います。

そして、私たち指導する側が、質問しにくい雰囲気をつくっている可能性も考えなければなりません。

しかし、それらとは別に、私が気になっていることがあります。

そもそも、疑問を持っていないのではないか。

正確に言えば、疑問を持つほど、目の前のことに関心を向けていないのではないか。

そんなふうに感じる場面があるのです。

言われたことは、きちんとやる

最近の若い人たちを見ていると、真面目な人は少なくありません。

指示された仕事を、きちんとこなす人もいます。

決められた時間に来て、決められた仕事をする。

教えられた手順を守る。

それ自体は、もちろん大切なことです。

しかし、私は時々考えます。

言われたことを正しくこなすことと、仕事を理解していることは、同じなのだろうか。

例えば、講師が生徒の問題を丸付けするとします。

答えを確認し、正解なら丸を付ける。

これは仕事の手順です。

でも、その子がなぜ間違えたのか。

前にも同じ間違いをしていなかったか。

考え方は正しいのに、計算だけを間違えたのか。

それとも、根本的な理解が不足しているのか。

そこに関心を持つかどうかで、同じ丸付けでも、教育としての意味は大きく変わります。

指示された作業を終わらせることが目的になってしまえば、その先に疑問は生まれません。

しかし、目の前の子どもを理解したいと思えば、次々と疑問が生まれてくるはずです。

私は、仕事の質を決める大きな要素の一つが、ここにあると思っています。

子どもたちは、いつから質問しなくなるのだろう

では、なぜ質問しない人が増えたように感じるのでしょうか。

私は、その原因の一つが、子どもの頃からの学習環境にあるのではないかと考えています。

今の子どもたちは、実に多くのことを教えてもらえます。

学校でも、塾でも、家庭でも。

分からなければ説明してもらえる。

間違えれば直してもらえる。

困っていれば、大人が助けてくれる。

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。

必要なときには、大人が助けるべきです。

ただ、私は気になるのです。

子ども自身が疑問を持つ前に、大人が答えを与えてしまっていないだろうか。

子どもが考えている途中なのに、先生が説明を始める。

子どもが困る前に、保護者が準備を整える。

子どもが失敗しそうになると、周囲の大人が先回りして失敗を防ぐ。

そうしたことが繰り返されれば、子どもは自分から考えたり、周囲を観察したり、質問したりする必要を感じにくくなるかもしれません。

私は、この可能性を軽く考えるべきではないと思っています。

「質問しなさい」と言えば、質問するようになるのか

ここが、非常に難しいところです。

質問しない生徒に、

「分からなかったら質問しなさい」

と言う。

大学生講師に、

「疑問があったら何でも聞いてください」

と伝える。

私自身も、こうした言葉を何度も使ってきました。

でも、それだけでは、なかなか変わりません。

なぜでしょうか。

私は、質問というものが、単なる行動ではないからだと思います。

質問の前には、必ず何かがあります。

何かに気づく。

不思議に思う。

もっと知りたいと思う。

今の状態を変えたいと思う。

その結果として、質問が生まれる。

つまり、質問は、関心や思考が外に表れたものの一つなのです。

だから、質問するという行動だけを求めても、その前にある関心や疑問が育っていなければ、なかなか質問は生まれないのでしょう。

質問できないことと、質問する気がないこと

ここは、はっきり区別して考えたいと思います。

質問したいのに、言葉にできない子どもがいます。

自分が何を理解していないのか、まだ整理できていない子どももいます。

そうした子には、質問するための力を育てる必要があります。

また、質問すると叱られる、馬鹿にされる、面倒そうな顔をされる。

そんな経験があれば、質問すること自体が怖くなるでしょう。

その場合には、まず安心して質問できる環境をつくることが必要です。

しかし、一方で、周囲のことに関心を持とうとしない人もいるように感じます。

自分の仕事が終われば、それでいい。

自分が困っていなければ、特に問題はない。

隣で何が起きていても、自分には関係がない。

もし、そうした姿勢が身についてしまっているとしたら、これは単に質問の仕方を教えるだけでは解決しません。

自分の外側にある世界に、どうやって関心を持ってもらうのか。

もっと根本的な問題になると思います。

私たち大人が、考えなければならないこと

ここまで、若い人たちについて書いてきました。

でも、私はこの問題を、若い人たちだけの責任にするつもりはありません。

むしろ、大人の側にこそ、考えなければならないことがあると思っています。

学校の先生は、子どもが自分で疑問を持つ時間を十分に与えているでしょうか。

塾の講師は、子どもが質問する前に、何でも説明してしまっていないでしょうか。

保護者は、子どもが困ったり失敗したりする機会を、必要以上に奪っていないでしょうか。

そして、私たち経営者や管理職は、若い社員が自分で考える機会をつくっているでしょうか。

質問してこないことを嘆きながら、実は質問する必要のない環境をつくってしまっている。

そんな可能性もあると思います。

私自身も例外ではありません。

長年、人を教え、人を育ててきたからこそ、自分の指導が本当に相手の成長につながっているのか、考え続けなければならないと思っています。

「聞かれなかったから」

もう一度、『トッケビ』のキム秘書の言葉に戻ります。

長い付き合いなのに、キム秘書に家族がいることさえ知らなかったドクファ。

どうして教えてくれなかったのかと尋ねられ、キム秘書は答えます。

「聞かれなかったから」

この言葉は、知識を教えることを拒んでいるのではありません。

キム秘書は、ドクファ自身が周囲に関心を持つようになるのを待っていたと語りました。

そして、その先には、世の中や周囲の人々の喜びや悲しみについて質問できる大人になってほしいという願いがあります。

私は、ここに人を育てることの本質があるように感じます。

知識は教えられます。

仕事の手順も教えられます。

質問の仕方も、ある程度は教えられるでしょう。

でも、周囲の人や物事に関心を持ち、自分から知ろうとする人間を育てることは、それほど簡単ではありません。

そして、それこそが、今の教育に求められている大切な課題の一つなのではないでしょうか。

最後に、教育に携わる皆さん、そして子どもを育てている保護者の皆さんに、問いかけたいと思います。

私たちは、子どもたちに質問することを教えているのでしょうか。

それとも、質問する必要のない環境を与え続けているのでしょうか。

この違いについて、私はもう少し考えてみたいと思います。


次回:「どうすればいいですか?」しか聞かない人たち。

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