赤羽南教室のメッセージ
【RINGOJUKUWORKS#36】「どうすればいいですか?」しか聞かない人たち。 ――仕事を教わる人と、仕事そのものを考える人の違い。
2026.10.21
RINGOJUKU WORKS|大人がする質問を、待っています。第3回
前回は、最近、自分から質問する若い人が少なくなってきたと感じていることについて書きました。
(前回→RINGOJUKU WORKS#35|大人がする質問を、待っています。第2回)
今回は、その続きを、少し違った角度から考えてみたいと思います。
私は約30年間、教育の仕事をしてきました。
その間、多くの大学生講師や社員と一緒に働いてきました。
仕事を覚えるのが早い人もいれば、時間のかかる人もいます。
最初から気が利く人もいれば、何度も同じことを教えなければならない人もいます。
それぞれに個性があり、得意なことも苦手なことも違います。
しかし、長年一緒に仕事をしてきて、ある違いを強く感じるようになりました。
仕事を教わろうとする人と、仕事そのものを理解しようとする人がいる。
この二つは、似ているようで、実は大きく違うと思っています。
「どうすればいいですか?」
仕事をしていると、よく聞かれる言葉があります。
「先生、これはどうすればいいですか?」
もちろん、質問してくれること自体は歓迎しています。
分からないことを、分からないままにするより、ずっといい。
特に経験の浅い人には、確認しなければならないこともたくさんあります。
安全や正確性に関わることであれば、自己判断せず、必ず聞いてほしいと思っています。
しかし、時々、気になることがあります。
「どうすればいいですか?」
と聞かれて、答える。
しばらくすると、また別のことで、
「これはどうすればいいですか?」
と聞かれて、答える。
そして、また次の問題が起きると、
「どうすればいいですか?」
......(笑)。
もちろん、最初はそれで構いません。
でも、何か月も、何年も、その状態が変わらなかったらどうでしょうか?
私は、少し考えてしまいます。
この人は、仕事のやり方を覚えようとしているのだろうか。それとも、仕事の意味を理解しようとしているのだろうか。
指示されたことをするのは、仕事の出発点
例えば、りんご塾の授業です。
講師には、子どもの解答を必ず正解と照合してから丸を付けるように伝えています。
これは、当然守らなければならないルールです。
しかし、私が講師に求めていることは、正しく丸を付けることだけではありません。
なぜ、その子は間違えたのか。
前にも同じような間違いをしていなかったか。
計算を間違えたのか。
問題文を読み違えたのか。
そもそも、考え方が分かっていないのか。
そして、今この場面では、何を教え、何を教えずに待つべきなのか。
そうしたことまで考えてほしいのです。
「答えを確認してから丸を付けてください」という指示を守ることは、仕事の基本です。
でも、その指示の先にある目的まで理解しようとするかどうか。
私は、そこに講師としての成長の差が生まれると思っています。
「なぜ?」が生まれない仕事
ある仕事を任されたとします。
言われたとおりに進める。
問題なく終わったら、それで満足する人がいます。
一方で、同じ仕事をしていても、
「なぜ、この手順なんだろう?」
「もっと良い方法はないだろうか?」
「この仕事は、最終的に誰のためになっているんだろう?」
と考える人もいます。
私は、後者の人と仕事をしていると、とても面白いと感じます。
こちらが説明したことに対して、さらに質問が返ってくる。
時には、私の考えと違う意見を言ってくる。
それについて議論する。
そして、私自身も新しいことに気づく。
仕事を通して、お互いに成長していく。
こういう関係が、私は好きです。
もちろん、何でも疑問を持てばいいというわけではありません。
決められた手順を守らなければならない場面もあります。
しかし、決められたことを守りながら、その意味を考えることはできるはずです。
そして、仕事の意味を考える人からは、自然と質問が生まれてくるのではないでしょうか。
隣の先生が、何をしているか
私が大学生講師に、ぜひ持ってほしいと思っている関心があります。
それは、他の講師の指導です。
例えば、隣の先生が、子どもにすぐにヒントを出さず、しばらく待っている。
あるいは、計算方法を説明するために、意外な方向から例え話をしている。
いきなり問題を解かせようとするのではなく、まずは身の回りのものの長さを測って、実体験を積ませている。
それを見たときに、
「あの先生は、あんなに待つんだ!」
「まずは問題と関係ないところを切り口にするといいのか!」と、色々発見があるはずなんです。
そして授業が終わった後に、
「さっきの場面で、どのくらい待つんですか?」
「問題以外の話をすると時間がかかって、進まなくなりませんか?」
と質問する。
すると、そこから指導についての話が始まります。
子どもの視線や鉛筆の動き。
考えているときと、困っているときの違い。
ヒントを出すタイミング。
説明の仕方を理解度によって、短くしたり、簡単にしたりする。
同じように見える場面でも、講師が何を観察し、どう判断しているかは違います。
こうしたことは、マニュアルを読んだだけでは、なかなか身につきません。
実際の授業を見て、疑問を持ち、質問し、考える。
その積み重ねが必要です。
しかし、そもそも隣の先生が何をしているのかに関心がなければ、疑問は生まれません。
同じ教室で働いていても、周囲から学ぶ人と、学ばない人がいる。
私は、この違いは非常に大きいと思っています。
「自分の仕事」しか見えていない
ここからは、少し厳しい話になります。
私は、仕事をする上で、自分に与えられた役割を果たすことは当然だと思っています。
しかし、それだけで十分だとは思っていません。
教室には、多くの子どもたちがいます。
一人ひとり、学力も性格も違います。
講師も複数います。
授業の進行状況も、子どもたちの様子も、それぞれ違います。
そんな環境の中で、自分の担当する生徒だけを見ていれば、それでいいのでしょうか。
もちろん、まず担当する生徒に集中することが最優先です。
でも、余裕があるときには、周囲にも目を向けてほしい。
隣の先生が困っていないか。
教室全体の授業が円滑に進んでいるか。
自分にできることはないか。
こうしたことに関心を持つことも、一緒に働く仲間として大切だと思っています。
「自分の仕事は終わりました」と言えることと、「自分の役割を果たしました」と言えることは、必ずしも同じではありません。
ただし、これは際限なく仕事を引き受けろという意味ではありません。
勤務時間や役割の範囲は尊重されるべきです。
周囲への関心を持つことと、無制限に責任を負わせることは、まったく別の話です。
私が求めているのは、まず、周囲で起きていることに気づこうとする姿勢なのです。
質問されない側にも、責任がある
ここまで読むと、若い講師や社員に対して、かなり厳しいことを言っているように感じるかもしれません。
しかし、ここで考えなければならないことがあります。
質問してこない人を、質問してこないままにしているのは誰なのか。
例えば、講師が質問したときに、
「そんなことも分からないの?」と返してしまったらどうでしょう。
あるいは、「いいから言われたとおりにやって」と言い続けていたらどうでしょう。
それでは、自分で考えたり、質問したりする意欲は育ちません。
また、経営者や教室長がすべてを決め、すべてを指示してしまえば、スタッフは指示を待つ方が合理的だと学習してしまうかもしれません。
質問してほしい。
自分で考えてほしい。
そう言いながら、実際には自分で考える機会を与えていない。
そんな矛盾がないか、私自身も考える必要があります。
人を育てるというのは、本当に難しい仕事です。
仕事ができる人より、一緒に考えられる人
私はこれまで、能力の高い人とも、そうではない人とも、一緒に仕事をしてきました。
もちろん、能力が高いことは大きな強みです。
仕事が早い。
理解が早い。
ミスなく、正確に処理できる。
それらは、素晴らしい能力だと思います。
でも、長く一緒に仕事をしていく中で、私が特に大切だと感じることがあります。
自分の考えを持ち、他人の考えにも関心を持ち、一緒に考えられること。
「私はこう思うんですが、先生はどう考えますか?」
「この方法の方がいいと思うんですが、どうでしょう?」
「さっきの子、少し気になったんですが......」
こういう会話ができる人とは、仕事が面白くなります。
意見が違っても構いません。
むしろ、違うからこそ考える意味があります。
相手の考えを知りたい。
自分の考えも伝えたい。
そのやり取りの中で、より良いものをつくっていく。
私は、そういう仕事の仕方を大切にしたいと思っています。
「大人がする質問」とは何だろう
韓国ドラマ『トッケビ』の、あのベンチでの会話を思い出します。
キム秘書は、ドクファが自分の周囲に関心を持つようになるのを待っていました。
自分が困ったときだけではなく、世の中や周囲の人々の喜びや悲しみについて質問するようになることを。![]()
私は、この考え方が仕事にも通じると思っています。
「どうすればいいですか?」という質問も大切です。
でも、そこから一歩進んで、
「なぜ、そうするんですか?」
「どうすれば、もっと良くなるんでしょうか?」
「この人は、何に困っているんでしょうか?」
そんな質問ができるようになってほしい。
そして、さらに言えば、質問をする前に、まず自分で考えてみてほしい。
「私はこう考えたんですが、どうでしょうか?」
この一言が出てくるようになると、仕事の中身は大きく変わると思います。
私自身も、質問を待っている
大学生講師や社員に対して、私は多くのことを伝えてきました。
時には厳しく指導することもあります。
それでも、私が最終的に望んでいるのは、いつまでも私の指示どおりに動く人を育てることではありません。
私がいなくても、自分で考え、判断し、行動できる人になってほしい。
そして、自分だけでは解決できない問題に出会ったときには、周囲の人と考えを交わせる人になってほしい。
そのためには、私自身も、質問を受け止められる人間でなければならないと思っています。
自分の考えと違う意見を、きちんと聞けるか。
若い人の疑問に、真剣に向き合えるか。
相手が考える時間を、待てるか。
まだまだ、考えることはたくさんあります。
ただ、一つだけ、はっきりしていることがあります。
私は、言われたことだけをする人を育てたいわけではありません。
自分で考える人。
周囲に関心を持つ人。
疑問を持ち、質問し、議論できる人。
そして、いつか私が思いつかなかったような質問をしてくれる人。
そんな人たちと、一緒に仕事をしていきたいと思っています。
最後に、働く皆さんに、ひとつ問いかけたいと思います。
あなたは今日、仕事について何か質問しましたか。
そして、その質問は、仕事を終わらせるためのものでしたか。
それとも、仕事をもっと深く理解するためのものでしたか。
私自身も、問い続けていきたいと思います。
次回:子どもが質問する前に、大人が答えを与えていないか。






