城南コベッツ赤羽南教室

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赤羽南教室のメッセージ

【RINGOJUKUWORKS#38】「大人がする質問」とは、何だろう。 ――人間として成長するということ。

2026.10.23

RINGOJUKU WORKS|大人がする質問を、待っています。第5回・最終回

韓国ドラマ『トッケビ』の、あるベンチでの会話から始まったこのシリーズ。

今回が最終回になります。

第1回では、周囲の人に関心を持つこと。

第2回では、質問しない若者が増えたと感じていること。

第3回では、大学生講師や社員の仕事に対する姿勢。

第4回では、子どもが質問する前に、大人が答えを与えてしまうこと。

それぞれについて、私自身の経験を交えながら考えてきました。

そして、最後にもう一度、あのドラマの会話に戻りたいと思います。

私は、あの短いやり取りの中に、人間として成長することの、とても大切な意味が込められているように感じています。

「大人がする質問をね」

御曹司のドクファは、長年自分を支えてくれていたキム秘書に、妻と3人の子どもがいることを知り、驚きます。

どうして今まで教えてくれなかったのか。

その問いに、キム秘書は、聞かれなかったからだと答えます。

そして、ドクファが周囲に関心を持ち、世の中や人々の喜びや悲しみについて質問するようになるのを待っていると伝えます。

「大人がする質問をね」

私は、この短い言葉が、とても好きです。

仕事についての質問でもない。

知識を増やすための質問でもない。

自分が困っていることを解決するための質問でもない。

周囲の人が、何を考え、何を感じ、どのように生きているのか。

それを知ろうとする質問です。

私は、この言葉を聞いたとき、少し考え込んでしまいました。

大人になるとは、どういうことなんでしょうか。

年齢を重ねれば、大人になるのだろうか

私たちは、年齢によって子どもと大人を区別しています。

18歳になれば成人です。

学校を卒業し、就職すれば社会人です。

結婚したり、子どもが生まれたりすれば、親になります。

でも、それだけで人間として成熟したと言えるのでしょうか?

一概にそうとも言えないのが、現実だと思います。

年齢を重ねても、自分のことしか考えられない人はいます。

仕事ができても、周囲の人の気持ちに関心を持たない人はいます。

豊富な知識を持っていても、他人の意見に耳を傾けようとしない人もいます。

一方で、まだ若くても、周囲の人をよく見ている人がいます。

誰かが困っていることに気づく。

誰かの成功を、自分のことのように喜ぶ。

相手がなぜ悲しんでいるのか、理解しようとする。

私は、そういう若い人に出会うと、人間としての成熟を感じることがあります。

大人になるということと、人間として成長するということは、必ずしも同じではない。

あのドラマの会話は、そんなことを考えさせてくれました。

自分以外の人間にも、人生がある

考えてみれば、当たり前のことです。

私たちは、それぞれ自分の人生を生きています。

嬉しいことがあります。

悲しいことがあります。

誰にも言えない悩みを抱えていることもあります。

努力していることもあれば、失敗して落ち込んでいることもあります。

しかし、私たちは、周囲の人たちについて、どれほど知っているのでしょうか。

毎日顔を合わせる職場の仲間。

長い間一緒に働いている社員。

いつも自分を支えてくれている人。

家族。

友人。

その人たちが、何を喜び、何に悩み、何を大切にして生きているのか。

どれほど知っているでしょうか。

私は、長年教育の仕事をしてきました。

多くの生徒や講師、社員と関わってきました。

その中で、相手のことを理解しているつもりになっていたことも、きっとあったと思います。

でも、後になって初めて、その人が何を考えていたのかを知ることがあります。

自分が伝えたつもりだったことが、相手には伝わっていなかった。

相手が抱えていた悩みに、気づいていなかった。

そんな経験もあります。

長い時間を一緒に過ごしていることと、その人を理解していることは、同じではない。

私は、そう思っています。

関心を持つことと、理解すること

ここで、一つ考えたいことがあります。

人に関心を持てば、その人を理解できるのでしょうか。

私は、必ずしもそうではないと思います。

相手の話を聞いても、理解できないことはあります。

考え方が違うこともあります。

価値観が合わないこともあります。

自分には想像できないような経験をしている人もいます。

それでも、理解しようとすることはできます。

なぜ、そう考えるのだろう。

なぜ、そのような行動を取るのだろう。

何が、その人にとって大切なのだろう。

そうした疑問を持ち、相手の話に耳を傾ける。

私は、そこに人間関係の出発点があると思っています。

もちろん、すべてを理解することなどできません。

他人の人生を、完全に理解することは不可能でしょう。

でも、だからこそ、質問する意味があるのではないでしょうか。

分かったつもりにならず、知ろうとし続けること。

それが、人に関心を持つということなのだと思います。

人を育てる仕事をしてきて

私は約30年間、教育の仕事をしてきました。

その間、数え切れないほど多くの生徒と出会ってきました。

勉強が得意な子、不得意な子。

努力する子、なかなか努力できない子。

素直に話を聞く子、何度伝えても変わらない子。

そして、大学生講師や社員も同じです。

一人ひとり、まったく違います。

私は、これまで多くの人を指導してきました。

時には厳しく叱ったこともあります。

何度も同じことを伝えたこともあります。

それでも、思うように伝わらなかったことがあります。

後になって、自分の伝え方を後悔したこともあります。

人を育てるというのは、本当に難しい仕事です。

そして、長くこの仕事をしてきて思うのは、相手のことを理解しようとする姿勢を失ったとき、教育は単なる指示や知識の伝達になってしまうのではないかということです。

目の前の子どもが、なぜ問題を解けないのか。

なぜ、やる気をなくしているのか。

なぜ、質問してこないのか。

そこに関心を持たず、ただ解き方を教える。

それでは、本当の意味で、その子を育てていると言えるのでしょうか。

私は、そうした指導はしたくありません。

人間的成長なくして学力の向上なし

りんご塾赤羽南教室では、「人間的成長なくして学力の向上なし」という言葉を大切にしています。

この言葉は、学力よりも人間性の方が大切だから、勉強ができなくても構わない、という意味ではありません。

私たちは、学力を伸ばすことに真剣に取り組んでいます。

子どもたちが算数を深く理解し、難しい問題にも自分の力で向き合い、結果を出せるように指導しています。

しかし、学力を伸ばす過程には、知識や解法を覚えること以外にも、大切なことがあります。

分からないことから逃げない。

失敗しても、もう一度考える。

自分の考えを言葉にする。

他人の考えに耳を傾ける。

知らないことに関心を持つ。

そして、自分の力で何とかしようとする。

こうした姿勢は、算数の学習にも深く関わっています。

私は、これらを単なる精神論として考えているわけではありません。

学力を伸ばし、将来、自分の力で学び続けるために必要な力だと考えています。

だからこそ、私たちは、子どもに何でも教えてしまうことを避けています。

子どもが自分で考える時間を大切にしています。

必要なときには教えます。

でも、教えなくてもよいことまで、先回りして教えない。

それは、子どもが自分で考える人間に成長してほしいからです。

そしてその先には、算数の問題だけではなく、社会の中で出会うさまざまな問題にも、自分の力で向き合える人になってほしいという願いがあります。

自分の能力を、何のために使うのか

私は、学力を伸ばすことは大切だと思っています。

知識を身につけることも、能力を高めることも、大切です。

でも、少し考えてみたいことがあります。

身につけた知識や能力を、何のために使うのでしょうか。

自分が良い学校に進学するため。

良い仕事に就くため。

豊かな生活を送るため。

もちろん、それらも大切な目的です。

しかし、それだけなのでしょうか。

自分の持っている知識や能力を、誰かのために使う。

困っている人を助ける。

誰かが抱えている問題を解決する。

自分とは違う考え方の人と協力して、新しいものを生み出す。

そうしたことにも、大きな意味があると思います。

そして、その出発点になるのが、周囲への関心なのではないでしょうか。

どれほど優れた能力を持っていても、他人が何に困っているのかに関心がなければ、その能力を誰かのために使おうとは思わないかもしれません。

私は、子どもたちに、学力だけでなく、そうした視野も持って成長してほしいと思っています。

質問を待つということ

もう一度、『トッケビ』のキム秘書の姿を思い出します。

キム秘書は、ドクファに周囲への関心が足りないことを指摘しました。

しかし、それを責め立てることはしませんでした。

いつか、自分から質問するようになることを待っていました。

私は、この姿勢がとても好きです。

相手の未熟さを見抜いている。

でも、その未熟さだけで相手を判断しない。

今はできなくても、いつかできるようになるかもしれない。

今は関心がなくても、いつか周囲に目を向けるようになるかもしれない。

そんな可能性を信じている。

人を育てるということは、今のその人を見るだけでなく、これからのその人を信じることでもあるのかもしれません。

ただし、現実の教育や仕事では、待つだけでは解決しないこともあります。

教えなければならないことがあります。

注意しなければならないこともあります。

時には厳しく伝える必要もあります。

それでも、相手が自分で気づき、自分の意思で変わろうとすることの大切さを、忘れたくありません。

私は、そう思っています。

私自身は、大人になれているのだろうか

このシリーズを書きながら、最後に残った問いがあります。

それは、若い人たちへの問いではありません。

私自身への問いです。

私は、周囲の人たちに十分な関心を持っているだろうか。

社員や講師の話を、きちんと聞いているだろうか。

子どもたちが何を考え、何を感じているのか、理解しようとしているだろうか。

自分の考えを伝えることに一生懸命になりすぎて、相手の考えを聞くことを忘れていないだろうか。

人を育てる立場にいるからといって、自分自身の成長が終わるわけではありません。

むしろ、年齢を重ね、経験を積んだからこそ、気をつけなければならないことがあると思っています。

自分の経験だけで、相手を判断しないこと。

自分の考えだけが正しいと思わないこと。

そして、周囲への関心を失わないこと。

私は、まだまだ考え続けなければならないと思っています。

「ありがとう」

『トッケビ』の、あのベンチでの会話。

私は、最後にドクファが口にした「ありがとう」という言葉が、とても好きです。

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キム秘書は、ドクファに新しい知識を教えたわけではありません。

仕事のやり方を教えたわけでもありません。

自分がこれまで、周囲の人にどれほど関心を持ってこなかったのか。

そのことに気づくきっかけを与えたのだと思います。

そして、ドクファは、その言葉を受け止めた。

私は、あの「ありがとう」に、人間としての成長の始まりを感じます。

人は、何かを教わったときだけに成長するのではありません。

自分が気づいていなかったことに気づいたとき。

自分とは違う人間の存在を、改めて意識したとき。

そして、これまでの自分を振り返ったとき。

そんな瞬間にも、人は成長するのだと思います。

このシリーズを通して、質問することについて、いろいろと考えてきました。

でも、最後にたどり着いたのは、質問の仕方でも、質問の回数でもありませんでした。

自分以外の人間に、どれほど関心を持って生きているのか。

そのことでした。

私たちは、毎日たくさんの人と関わりながら生きています。

家族。友人。職場の仲間。

学校の先生。子どもたち。

そして、日々の生活の中ですれ違う、名前も知らない人たち。

その一人ひとりに、それぞれの人生があります。

喜びがあり、悲しみがあります。

私たちは、そのことを普段からどれほど意識しているでしょうか。

そして、その人たちのことを、どれほど知ろうとしているでしょうか。

最後に、もう一度、あの言葉を思い出したいと思います。

「大人がする質問をね」

私は、これからも、そんな質問ができる人間でありたいと思います。

そして、子どもたちにも、大学生講師にも、社員にも、そんな大人になってほしいと思っています。

皆さんは、どうでしょうか。

あなたが今日、誰かに聞いてみたいことは、何ですか。


RINGOJUKU WORKS|りんご塾 赤羽南教室

「大人がする質問を、待っています。」全5回・完

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