城南コベッツ赤羽南教室

Tel:03-6903-8030

  • 〒115-0044 東京都北区赤羽南1丁目3-7 セキネビル 3階
  • JR線「赤羽駅」南改札口より徒歩3分

受付時間: 15:30~20:00(火~金)/14:30~19:30(土)/休み(日月祝)

  • りんご塾(算数オリンピック対策)
  • atama+個別指導
  • 総合型・学校推薦型選抜対策(推薦ラボ)

赤羽南教室のメッセージ

【RINGOJUKUWORKS#30】「困らせないこと」は、本当に子どものためでしょうか

2026.10.10

先日、りんご塾でこんなことがありました。

授業が終わり、お迎えに来たお母さんに、小学1年生の子が言いました。

「筆箱がカバンに入ってなかった」

すると、お母さんが子どもに、「ごめんね」と謝りました。

そのやり取りを聞いていて、私は少し考えてしまいました。

もちろん、そのご家庭が普段どのように学校の準備をしているのかは分かりません。

たまたま、その日はお母さんが筆箱を入れることになっていたのかもしれません。

ですから、この一場面だけで何かを決めつけるつもりはありません。

でも、私が引っかかったのは、

「筆箱がカバンに入っていなかった責任は、誰にあることになっているのだろう」ということでした。

忘れ物をしたら、困ればいい

少し乱暴に聞こえるかもしれません。

でも私は、子どもは忘れ物をしたら、ある程度困ればいいと思っています。

筆箱を忘れた。

学校に着いてから気づいた。

「しまった」と思う。

先生に言わなければならない。

場合によっては注意される。

友達に鉛筆を借りることになる。

ちょっと恥ずかしい思いをするかもしれない。

でも、それでいいのではないでしょうか。

そこで初めて、「明日は忘れないようにしよう」と考えるからです。

そして家に帰ったら、自分で筆箱を確認する。

明日の時間割を見る。

必要なものをカバンに入れる。

最初から全部できる必要はありません。

小学1年生なら、親子で一緒に準備する時期もあるでしょう。

「明日の準備した?」と声をかけることも必要だと思います。

でも、少しずつ大人が手を離していく。

私は、その過程がとても大切だと思っています。

子どもには「失敗する権利」がある

私たち大人は、できれば子どもに失敗してほしくありません。

忘れ物をしてほしくない。

学校で怒られてほしくない。

恥ずかしい思いをしてほしくない。

困ってほしくない。

だから、つい先回りします。

明日の時間割を確認する。

鉛筆を削る。

筆箱をランドセルに入れる。

忘れているものがないか確認する。

そして完璧な状態で学校へ送り出す。

確かに、忘れ物は減るでしょう。

でも、その代わりに失っているものはないでしょうか。

私は、子どもには「失敗する権利」があると思っています。

忘れて困る。

失敗して恥ずかしい思いをする。

先生に注意される。

うまくいかなくて悔しい。

そして、「じゃあ、次はどうしよう」と考える。

この経験まで、大人が先回りして奪う必要はないと思うのです。

「困ったら誰かがなんとかしてくれる」

りんご塾で子どもたちを教えていると、実は、算数ができない子そのものを指導することは、それほど怖くはありません。

できないのであれば、私たちにはいろいろな方法があります。

どこで止まっているのかを見る。

問題を小さく分ける。

具体物に戻る。

言葉を変える。

図を描く。

簡単なところまで戻る。

あるいは、何も言わずに少し待つ。

子どもの「できない」には、講師が「できる」ことがたくさんあります。

私がむしろ指導を難しいと感じるのは、

「できないことに、本人があまり困っていない子」です。

問題が解けなくても、それほど悔しくない。

間違えても、あまり気にならない。

分からなければ先生が教えてくれる。

手を止めていれば、そのうちヒントが出てくる。

だから、自分から、

「どうしたらできるんだろう」

「もう一回やってみよう」

「違う方法で考えてみよう」

という動きがなかなか出てこない。

私は、こういう子を教えるときに非常に悩みます。

「なんとかしよう」が起動しない

りんご塾赤羽南教室では、「考える」とは、自分の力でなんとかしようとすることだと考えています。

正解できることだけが「考える」ではありません。

むしろ、分からない、できない、困った、今までの方法ではムリだとわかったとき。

そんなときに、「じゃあ、どうしよう」と考え始めること。

そこから思考は始まります。

ところが、「困る」という経験そのものを大人が先回りして全部取り除いていたら、どうでしょう。

忘れ物をしそうなら、親が準備する。

分からなそうなら、先生が教える。

失敗しそうなら、大人が止める。

困っていたら、大人が解決する。

それが繰り返された子に、ある日突然、「自分で考えてごらん」と言っても、簡単ではないのかもしれません。

なぜなら、自分でなんとかしなければならない場面そのものを、あまり経験していないからです。

九九を全部覚えていなくても

今週、学生講師がとある生徒の成長の瞬間をブログにしてくれました。

その小学1年生は、まだ九九を全部覚えていませんでした。

1、2、3、5の段は言える。

でも、4の段はまだ完全ではない。

そんなとき、「4×7」という問題が出てきました。

その子は少し考えて、2×7=14

そこから、さらに2倍して、28と答えを出しました。

私は、こういう瞬間が大好きです。

もちろん、九九はいずれ覚えなければいけません。

でも、その瞬間に大切なのは、4の段を暗唱できるかどうかだけではありません。

「今の自分が持っているものを使って、なんとか答えを出そうとした」ことです。

これこそ、私たちが育てたいものです。

逆に、たくさんのことを覚えていても、知らない問題が出た瞬間に、「習ってない」「分からない」で止まってしまうのであれば、私はそちらの方が心配です。

「分からない。まあいいや」が一番難しい

子どもが問題を解けない。

それ自体は、そんなに大きな問題ではありません。

今できなければ、練習すればいい。

理解できなければ、別の方法を考えればいい。

時間がかかるなら、時間をかければいい。

でも、「分からない。まあいいや」となってしまうと、私たちも非常に難しくなります。

なぜなら、教育は本人に代わって成長してあげることができないからです。

周りの大人がどれだけ一生懸命になっても、最後に鉛筆を持って思考するのは本人です。

子どもが困っている姿に、大人が耐えられるか

だから最近、私はこんなことを考えます。

子どもが困っていることに、大人の方が耐えられなくなっていないでしょうか。

問題が解けず、鉛筆が止まっている。

かわいそうだからヒントを出す。

忘れ物をしそうになっている。

かわいそうだからカバンに入れる。

失敗しそうになっている。

かわいそうだから先に教える。

もちろん、全部善意です。

子どものことを思ってやっている。

だからこそ難しいのだと思います。

でも、子どもが困っている時間は、本当にすべてなくしてあげた方がいいのでしょうか。

私は、そうは思いません。

困る。

失敗する。

恥ずかしい思いをする。

悔しい。

そして、「次はどうしたらいいんだろう」と考える。

その時間もまた、子どもが成長するために必要な時間なのだと思っています。

すぐに助けないことも、教育だと思っています

りんご塾では、子どもが問題を解けなくても、すぐに教えないことがあります。

手が止まっていても、すぐにヒントを出さないことがあります。

それは放置ではありません。

子どもの視線の動きや鉛筆の進め方を、プロが凝視しています。

考えているのか。

困っているのか。

何かを試そうとしているのか。

もう少し待つべきなのか。

そこを見ています。

そして、あえて待つ。

なぜなら、「自分でなんとかできた」という経験を、大人が奪いたくないからです。

筆箱を忘れることも。

算数の問題を間違えることも。

その瞬間だけを見れば、失敗です。

でも、その失敗から、「じゃあ、次はどうしよう」が生まれるのであれば、それは子どもにとって、とても大切な経験であり、成長に繋がります。

子どもを困らせないこと。

子どもを失敗させないこと。

それが、本当に子どものためなのか。

私たち大人は、ときどき立ち止まって考えてもいいのではないでしょうか。

できる子にしたい。

もちろん、そう思っています。

でも、それ以上に、できないことに出会ったとき、自分の力でなんとかしようとする子にしたい。

だから私は、子どもが困る時間まで、大人が奪わなくていい。

私は強くそう思います。

りんご塾、忘れ物と思いやり.png



新着情報

カレンダー

アーカイブ