赤羽南教室のメッセージ
【RINGOJUKUWORKS#16】50年前、私が「本気になる教室」で教わったこと
2026.09.18
前回は、ラグビー部員たちが本気になっている姿を見て、こんなことを書きました。
人は、何のためなら、ここまで本気になれるのか。
そして、人が本気になる教室とは、どんな場所なのだろう。
https://www.covez.jp/school/kanto/tokyo/kita/kitaakabaneekimae/message/entry_46886.html
あの記事を書いたあと、ふと、50年近く前のことを思い出しました。
そういえば、私自身が中学生の頃、そんな教室に通っていた。
名前は、多磨学院。
東府中の駅前と、府中駅のけやき並木沿いに教室がありました。
今考えても、かなり変わった塾でした。
いや、「昔はそういう塾もあった」という話ではありません。
当時から、かなり異質な塾として知られていました。
そして思い出していくうちに、私は少し不思議な感覚になりました。
今、自分がどんな教室を作りたいと思っているのか。
その原点の一つが、50年近く前のあの教室にあったのかもしれない。
そんなことに、今さら気づいたからです。
掃除をしていたおじさん
多磨学院では、入塾するときに必ず面接がありました。
生徒だけではありません。
保護者も一緒です。
そして、その面接で入塾を断られることも珍しくありませんでした。
私が入塾面接を受けた日のことを、今でも覚えています。
親と一緒に教室で待っていると、あまりきれいな格好をしていないおじさんが入ってきました。
そして、私たちの横で掃除を始めました。
私も親も、その人に普通に挨拶をしました。
その人が誰なのかは知りません。
私は当然、教室の掃除をしている人だと思っていました。
やがて面接の時間になりました。
そこへ入ってきた人を見て驚きました。
さっき掃除をしていたおじさんでした。
その人が、多磨学院の経営者だったのです。
そして面接の最後に言われました。
私と親が、掃除をしていた自分にきちんと挨拶をした。
だから、
「うちで面倒を見る。」
正確な言葉までは、50年近く前のことなので覚えていません。
でも、その意味のことを言われたのは、はっきり覚えています。
今考えると、すごい入塾面接です。
経営者だと分かっている人に挨拶するのとは違います。
掃除をしている、名前も知らないおじさん。
その人にどう接するかを見ていた。
それが意図的なものだったのか、たまたま掃除をしていただけなのかは分かりません。
ただ、多磨学院が成績だけを見て生徒を預かる塾ではなかったことは、間違いないと思います。
最初の授業で、いきなり怒鳴られた
私は中学2年生から高校1年生まで、多磨学院に通いました。
最初の授業だったと思います。
何気なく頬杖をついていたら、
「肘をつくんじゃない!」
いきなり先生に怒鳴られました。
椅子に座って足を前に投げ出していたときにも怒鳴られました。
問題を間違えたからではありません。
宿題を忘れたからでもありません。
授業を受ける姿勢を叱られたのです。
学ぶなら、学ぶ姿勢をとれ。
やるなら、本気でやれ。
そんな空気が教室全体にありました。
突然、教室の電気が消える
さらにすごいことがありました。
授業中、先生が、
「今日はこいつら、やる気がない」
と判断すると、突然、教室の電気が消えます。
真っ暗になります。
そして先生が話し始める。
最初は静かです。
「お前たち、なんでやらないんだ」
と、語りかけるように始まる。
ところが、だんだん熱が入ってくる。
声が大きくなる。
最後は叫ぶような説教になる。
ときには、先生自身が泣いていました。
そして説教が終わると、みんなでやるものがありました。
ファイトコールです。
「KK、ファイト!」
「オー!」
「ファイト!」
「オー!」
教室にいる生徒全員で叫びます。
50年近く経って文章にしてみても、
やっぱり、とんでもない塾です(笑)。
KKは「開成・筑駒」
クラスは学力別に6クラスほどに分かれていました。
一番上が、
KK。
開成・筑駒です。
その下に、
KW1、KW2......
と続きます。
KWは、
慶應・早稲田。
クラスの名前そのものが、目標校でした。
英語の長田(おさだ)先生。
数学の長田(ながた)先生。
今でも名前を覚えています。
授業は、
ジェットコースターのようでした。
ものすごいスピードと熱量で進んでいく。
ぼんやり座っていることなど許されません。
私は当時、多摩市立和田中学校に通っていました。
学年上位5人ほどは、みんな多磨学院に通っていました。
近所の塾ではありません。
生徒の中には、片道1時間ほどかけて通ってくる者もいました。
それでも通っていました。
午前は代ゼミ、午後は多磨学院
講習の時期になると、さらに強烈でした。
午前中は全員で代々木へ行き、代々木ゼミナールで授業を受ける。
終わったら府中へ戻り、
午後から多磨学院でまた授業です。
中学生です(笑)。
今なら、
「そこまでやるのか」
と思われるかもしれません。
でも、私たちはやっていました。
シュラフと鍋を持っていく合宿
合宿も頻繁にありました。
あの入塾面接で掃除をしていた経営者が、自分でマイクロバスを運転して、私たちを山荘まで連れていきます。
そのバスの中では、みんなで歌います。
普通に歌うのではありません。
絶叫です(笑)。
山荘に着く頃には、みんな声が枯れている。
山荘には布団もありません。
だから、
シュラフ持参。
鍋も持っていきました。
固形燃料も持っていく。
近くの川から水を汲んできて、その水を沸かし、インスタントラーメンを作って食べました。
冬はさらにすごい。
雪が積もっていれば、
自分たちで雪かきをしながら山荘まで進みます。
何のためにここまでやっていたのか(笑)。
でも不思議なことに、
50年近く経った今でも、川の水で作ったあのインスタントラーメンを覚えています。
私立高校に、落ちまくった
そんな私にも、高校受験がやってきました。
ところが、
私立高校に落ちまくりました。
一校、また一校。
不合格が続きました。
中学生ですから、当然こたえます。
そして、ある私立高校の後期試験を受けに行った日のことです。
試験会場へ向かって歩いていく。
すると、
校門の前に人がいました。
見覚えのある顔です。
一人ではありません。
多磨学院の先生たちが、全員そこにいました。
あれほど怖かった先生たちです。
頬杖をつけば怒鳴る。
足を投げ出せば怒鳴る。
やる気がないと電気を消して説教する。
その先生たちが、
私たちの受験のために、全員で校門の前に立っていました。
あのときは、
涙が出そうになりました。
なぜ、みんなあの塾についていったのか
今になって思います。
なぜ、あれほど厳しい塾に生徒が集まったのか。
なぜ、1時間もかけて通ったのか。
なぜ、怒鳴られても、説教されても、みんなついていったのか。
たぶん、
分かっていたんです。
先生たちが、本気だったことを。
怖かった。
厳しかった。
無茶苦茶なこともたくさんあった。
でも、
自分たちを本気で見てくれている。
それを、生徒は感じていたのだと思います。
「本気でやれ」と言っている大人たち自身が、
本気だったのです。
「よくやったな」
その後、私は都立国立高校に合格しました。
合格したことを伝えたときのことも覚えています。
普段はものすごく怖い先生たちが、みんな嬉しそうでした。
そして私のところへ来て、
「よくやったな。」
と声をかけてくれました。
怖い先生に褒められる。
あれは嬉しかった。
今でも覚えています。
高校数学では、解き方を教えてくれなかった
多磨学院は、基本的には高校入試で卒業する塾でした。
ただし数学だけは、卒業生に限って高校生も受け入れていました。
私は国立高校に進学したあとも、高校1年生の間、多磨学院で数学を習いました。
そこでの数学は、中学時代とはまた違う意味で強烈でした。
簡単には、問題の解き方を教えてくれないのです。
「この問題は、この公式を使って、こう解けばいい」
そんな授業ではありませんでした。
まず、自分で考える。
分からなくても考える。
いろいろ試す。
間違える。
また考える。
とにかく、考えさせる塾でした。
でも、
「教えてくれない塾」
ではありません。
ここが、とても大切なところです。
自分なりにしっかり考えて、
「ここまでは分かった。でも、ここから先がどうしても分からない」
と質問に行く。
そうすると、
先生は、とことん付き合ってくれました。
一つ質問する。
そこからまた疑問が出る。
もう一つ聞く。
それでも遅い時間まで、ずっと付き合ってくれる。
考えずに答えだけを聞こうとすれば、簡単には教えてくれない。
でも、
本気で考えた生徒の質問からは、絶対に逃げない。
そんな先生たちでした。
国立高校で、数学だけは上位に入れた
国立高校に入れば、周りには勉強のできる生徒がたくさんいました。
その中で私は、
数学だけは上位に入ることができました。
これは間違いなく、
多磨学院で数学を学んだおかげだと思っています。
たくさん問題を解いたから、というだけではありません。
私はあそこで、
「分からなければ、自分でなんとかする」
ということを身につけさせてもらった。
問題を見て、
すぐに解き方を教えてもらうのではない。
何が分かっているのか。
何を使えそうなのか。
どこから攻めればいいのか。
自分で考える。
つまり私は、
数学の問題の解き方ではなく、
数学の考え方を教えてもらったのだと思います。
50年後、自分も同じことをやっている
そして今回、多磨学院のことを書きながら、
自分でも少し驚きました。
今、私は幼児や小学生を指導するとき、
「教えすぎない」
ということを、とても大切にしています。
分からない。
だから先生を見る。
先生がすぐヒントを出す。
また分からない。
また先生を見る。
そんな授業にはしたくありません。
まず、自分でなんとかする。
間違えてもいい。
遠回りしてもいい。
簡単に諦めない。
考える。
それでも分からなかったら、一緒に考える。
私はずっと、
大学受験まで数学を教えてきた経験から、こういう指導をするようになったのだと思っていました。
もちろん、それもあるでしょう。
でも今回、
「あれ?」
と思いました。
私自身が、中学生、高校生の頃に、
それをやってもらっていたのです。
考える前には、簡単に教えない。
でも、
考えた後には、とことん付き合う。
50年近く前に多磨学院で教わったことが、
自分でも気づかないまま、
今の教室に残っているのかもしれません。
本当の「熱血」とは何だったのか
多磨学院を思い出すと、派手な場面がたくさんあります。
電気を消しての説教。
先生の涙。
ファイトコール。
バスの中での大合唱。
シュラフ。
雪かき。
川の水で作ったラーメン。
でも50年近く経って考えると、
多磨学院の先生たちの「本気」は、
そこだけにあったのではないように思います。
入塾のときには、
人に挨拶ができるかを見ていた。
生徒が本気で考えて質問に来たら、
遅くまで、とことん付き合った。
高校受験で苦しんでいるときには、
先生全員で受験校の校門まで来た。
合格したら、
あれほど怖かった先生たちが、
「よくやったな」
と本気で喜んだ。
もしかすると、
本当の「熱血」とは、
大声を出すことではないのかもしれません。
子どもに本気を求めるなら、大人が先に本気であること。
そして、
子どもが本気になったとき、教師も最後まで本気で付き合うこと。
今の私は、そんなふうに思います。
50年経っても、残っているもの
考えてみると、不思議です。
多磨学院で使っていた教材の内容は、ほとんど覚えていません。
どんな問題を解いたのかも、ほとんど覚えていない。
でも、
掃除をしていたおじさんに挨拶したことは覚えている。
その人が経営者だったと知って驚いたことも。
頬杖をついて怒鳴られたことも。
突然、教室が暗くなったことも。
先生が泣きながら話していたことも。
「KK、ファイト!」
「オー!」
と叫んだことも。
バスの中で声が枯れるまで歌ったことも。
シュラフで寝たことも。
雪をかきながら山荘へ向かったことも。
川の水で作ったラーメンも。
遅い時間まで数学の質問に付き合ってくれたことも。
そして何より、
受験校の校門の前に、先生たち全員が立っていた光景を覚えています。
50年近く経っても、消えません。
昔の教育に戻りたいわけではない
ここは、誤解のないように書いておきたいと思います。
私は、多磨学院を再現したいわけではありません。
昔の教育の方が良かった、と言いたいわけでもありません。
怒鳴ればいいとは思わない。
暗闇で説教すればいいとも思わない。
雪山を雪かきさせれば根性がつく、と言いたいわけでもない(笑)。
時代は変わりました。
子どもとの関わり方も変わりました。
変わって良かったことも、たくさんあります。
ただ、変えてはいけないものまで、一緒に手放してはいないだろうか。
最近、そんなことを考えます。
教育は、サービスなのだろうか
今の塾では、
分かりやすく教える。
褒める。
子どもに合わせる。
保護者の要望に応える。
もちろん、どれも大切です。
私自身も大切にしています。
でも教育が、それだけになってしまったらどうでしょう。
先生はサービスを提供する人。
生徒はサービスを受ける人。
そんな関係だけで、
人は本気になれるのでしょうか。
私は少し違うと思っています。
先生も本気になる。
生徒も本気になる。
ときにはぶつかる。
簡単にできないことから逃げない。
一緒に喜ぶ。
悔しがる。
そして、
「先生は、本気で自分を見ている」
と子どもが感じる。
教育には、そういうものが必要なのではないでしょうか。
「人間的成長なくして学力の向上なし」
私は長い間、
「人間的成長なくして学力の向上なし」
と言ってきました。
自分で考える。
約束を守る。
簡単に諦めない。
人の話を聞く。
挨拶をする。
周りの人を大切にする。
そして、
何かに本気になる。
なぜ自分が、こういうことを教育の中でこれほど大切にしているのか。
もちろん、これまで教えてきた何千人もの生徒たちから学んだことが一番大きいと思っています。
でも今になって考えると、
そのずっと奥の方に、
中学生だった私が、多磨学院で見た先生たちの姿も残っているのかもしれません。
そして高校生だった私が、
答えを教えてもらうのではなく、自分で考え続けた時間も。
人が本気になる教室
私は今、幼児や小学生を教えています。
50年前とは、まったく違う教室です。
ファイトコールもしません(笑)。
電気を消して説教もしません。
それでも、
作りたい教室があります。
先生が、本気で子どもを見る。
子どもも、本気になる。
すぐには教えない。
自分で考える。
簡単に諦めない。
それでも分からなくて、本気で聞きに来たら、
今度は先生が、本気で付き合う。
隣の子の頑張りが、自分にも伝わる。
難しい問題が解けなくて悔しい。
それでも考える。
できたら、本気で嬉しい。
友達ができたら、一緒に喜ぶ。
そして教室に入った瞬間、
「ここに来たら、やる。」
そんな空気がある。
私は、そんな教室を作りたい。
50年近く前。
中学生だった私は、そんなことを考えて多磨学院に通っていたわけではありません。
怒られて、
勉強して、
歌って、
笑って、
声を枯らして、
必死に高校受験をしていただけです。
でも50年近く経った今でも、
受験校の校門に立っていた先生たちの姿を覚えています。
遅くまで数学の質問に付き合ってくれた先生の姿を覚えています。
あの人たちは、
本気だった。
だから私たちも、
本気になれたのだと思います。
人は、本気の人間がいる場所で、本気になる。
そして教育とは、
知識を教えることだけではなく、






