城南コベッツ赤羽南教室

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赤羽南教室のメッセージ

【RINGOJUKUWORKS#28】りんご塾の "教えない先生" は、何をしているのか。

2026.10.08

りんご塾赤羽南教室では、よく、「教えすぎない」という話をします。

子どもが分からないと言ったからといって、すぐに解き方を教えない。

手が止まったからといって、すぐにヒントを出さない。

自分で考える時間を大切にする。

これだけを書くと、もしかすると、「では、先生はその間、何をしているのですか?」と思われるかもしれません。

ボケーッとしているわけではありません。(笑)

何もせず、子どもが解けるまで待っているのでしょうか。

もちろん、違います。

むしろ私は、子どもが考えている時間こそ、講師もかなり集中している時間だと思っています。

鉛筆が止まっている。それだけでは分からない

たとえば、一人の子どもの鉛筆が止まったとします。

30秒。

1分。

それでも書き始めない。

だからといって、「分からないんだな」と判断して、すぐにヒントを出すわけではありません。

その子の目は、どこを見ているのか。

問題文をもう一度読んでいるのか。

図を見ているのか。

さっき自分が書いた式を見直しているのか。

指を使って何かを数えているのか。

鉛筆を持ったまま、じっと考えているのか。

それとも、完全に思考が止まってしまっているのか。

そして、表情。

「解けるぞ!」という顔をしているのか。

「まだ試行錯誤をしている段階」の顔なのか。

「まったく分からない」という顔なのか。

同じように鉛筆が止まっていても、子どもの頭の中で起きていることは全く違います。

だから、こちらも見ています。

かなり見ています。

「待つ」は、何もしないことではありません

これは、実際に指導しているとよく分かります。

あと30秒、こちらが待った方がいいときがあります。

逆に、順調に見えるけど、「そうそう」「いいかんじ」など、一言入れた方がいい瞬間もあります。

そして一番難しいのが、「今、教えたら解ける。でも、まだ教えない方がいい」という場面です。

大人から見ていると、試行錯誤の途中で、子どもたちがせっかく正解に迫っていたのに、違う方へ行こうとしたりします。

そういうときは、説明してしまう方が簡単です。

「ここをこうしてごらん」

「この数字を使うんだよ」

「さっきの問題と同じだよ」

そう言えば、授業はスムーズに進みます。

テキストも進みます。

でも、その一言で、子どもが自分でたどり着くはずだったものを奪ってしまうことがあります。

だから、言わない。

でも、放っておくわけでもない。

待ちながら、見ている。

これが意外と難しいのです。

私たちも、子どもと一緒に集中しています

子どもが難しい問題に向き合っているとき、実は講師側もかなり集中しています。

目線が問題文に戻った。

何かを書き始めた。

さっきとは違うところを見ている。

表情には、まだ真剣さがある。

そういう小さな様子や変化を見ながら、

まだ、もう少し待つ。

ここも、言わない。

......今なら、一言だけ。

そんな判断をしています。

ですから、「教えない指導」という言葉は、少し誤解されやすいのかもしれません。

私たちが目指しているのは、教えないことではありません。

必要以上には教えず、必要な瞬間に、必要な分だけ手を貸すこと。

そのためには、子どもをよく見ていなければできません。

ヒントにも、大きさがあります

ヒントを出すときも同じです。

答えにつながる大きなヒントを出せば、当然、子どもは解きやすくなります。

でも、それではこちらが解かせたことになってしまう場合があります。

だから、「問題文、もう一回読んでみようか」で十分なのか。

「この図のここは、どういう意味なのかな?」なのか。

あるいは、「ここまで合ってるよ」という一言だけあれば、自信が持てて、続きも考えられるのか。

場合によっては、何も言わず、目線を合わせて強くうなずくだけでいいこともあります。

ヒントは、少なければ少ないほどいいわけでもありません。

多ければ親切というわけでもありません。

その子がもう一度自分で動き出せる、ちょうどいいところを探します。

「自分で解けた」を奪いたくない

長く数学を教えてきて、私は何度も見てきました。

難しい問題をずっと考えていた生徒が、突然、「あっ!」と言う瞬間です。

あの瞬間の表情は、幼児でも高校生でも、あまり変わりません。

そして面白いことに、その直前まで、「分からない」「できない」という顔をしていた子ほど、解けた瞬間は嬉しそうです。

だから私は、あの瞬間をできるだけこちらが奪いたくありません。

先生が全部説明して、「分かった」ではなく、

「自分で気づいた」「自分で分かった!」を経験してほしい。

もちろん、いつまでも分からないままにしておくことが教育だとも思いません。

だからこそ、見ています。

声掛けのタイミングと内容を判断をするために、こちらも集中しています。

「教えない」と「放置」は、まったく違う

以前から私は、「どこまで教えないか」が大切だと考えてきました。

でも、考えてみれば、その前提になる言葉をあまり書いてこなかった気がします。

それは、教えないためには、よく見なければならないということです。

考えているのか、困っているのか、諦めかけているのかを見る。

こちらも集中しているから、待てるのです。

何も見ていない先生が黙っていたら、それは「教えない指導」ではありません。

ただの放置になってしまいます。

教えないことが技術なのではありません。

見て、待って、考えて、必要な瞬間だけ手を出す。

そこまで含めて、私たちの考える「教えすぎない指導」です。

そして最終的には、

自分でもう一度問題を読み、

自分で手を動かし、

自分の力でなんとかしようとする。

そんな子になってほしいと思っています。

先生がいなくても、自分で考えられるようになるために。

だから今日も、私たちはすぐには教えません。

その代わり、ものすごく、見ています。

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