赤羽南教室のメッセージ
【RINGOJUKUWORKS#29】「黙っていれば、その場は終わる」をどう考えるか
2026.10.09
教室で子どもたちを見ていると、ときどき、私たち講師がどう接するべきか、とても考えさせられる場面があります。
最近、私が特に考えていることがあります。
それは、
「自分にとって都合の悪いことを聞かれたときに、答えない」
という行動についてです。
もちろん、子どもですから、
すぐに言葉が出てこないこともあると思います。
自分でも何が嫌なのか分からないこともあるでしょう。
間違えるのが怖くて答えられないこともあります。
ですから、返事をしないことだけを見て、
「無視している」「逃げている」と決めつけるつもりはありません。
私たちは普段から、子どもの視線や表情、鉛筆の動きまで見ながら、その子が今何を考えているのかをできる限り想像しようとしています。
それでも長く子どもたちを見ていると、少し気になることがあるので、今日はそのことについて書きたいと思います。
黙っていると、その場が終わる
たとえば、大人から何かを聞かれます。
自分にとって答えやすい質問には答える。
ところが、自分にとって少し都合の悪い質問になると、黙ってしまう。
大人はもう一度聞きます。
それでも答えない。
「どうしたの?」
「質問がわかりにくい?」
「怒っているわけじゃないよ」
いろいろな工夫をして言葉をかけます。
それでも黙っている。
そして最後には、大人の方が諦めます。
「まあ、いいか。次にいこう」
こうして、その場は終わります。
これが何度も繰り返されたとき、子どもの中に、
「答えたくないときは、黙っていればそのうち終わる」という経験が積み重なってしまうことはないでしょうか。
私は最近、このことをかなり考えています。
「正しい答え」を求めているわけではありません
私たちが求めているのは、立派な説明ではありません。
「分かりません」でもいい。
「忘れました」でもいい。
「やりたくありませんでした」でもいいんです。
自分でも自分の状況が分からないことはあるので、それは「分からない」と言って構いません。
小学生や幼児に、大人のような説明を求めているわけではありません。
大切なのは、自分にとって少し都合の悪い場面でも、相手とのコミュニケーションを閉じないこと。
このことは、 "発達段階" や "性格" を問わず、どんな子どもにも共通する、とても大切なことだと考えています。
算数とは関係のない話でしょうか
一見すると、これは算数とは関係のない話に見えるかもしれません。
でも私は、そうは思っていません。
難しい問題に出会った。
分からなくて、「もう嫌だ」と心を閉じるのか。
それとも、「分からないけれど、何とかしてみよう」ともう一度、問題を見るのか。
りんご塾では、後者をとても大切にしています。
私たちは以前から、「考える」とは、自分の力でなんとかしようとすることだと考えてきました。
だからこそ、答えが出なかったことよりも、そのときにどう振る舞ったのかを見ています。
間違えてもいい。
分からなくてもいい。
時間がかかってもいい。
でも、そこで思考もコミュニケーションも全部閉じてしまうのではなく、今の自分にできる方法で、なんとかしようとしてほしい。
これは算数だけで身につけてほしい力ではありません。
ご家庭では、どうでしょうか
そこで、保護者の皆さまにも一度考えていただきたいことがあります。
お子さまが、自分にとって都合の悪いことを聞かれたとき、どんな反応をしていますか。
黙ってしまうことはありませんか。
そしてそのとき、大人はどうしていますか。
何度か聞いて、それでも答えなければ、「もういい」と終わらせてはいないでしょうか。
もちろん、子どもを追い詰める必要はありません。
無理に言葉を引き出すことが正解だとも思いません。
ただ、「黙っていれば嫌なことは終わる」という経験を積ませてしまうことについては、少し慎重になってもいいのではないかと思っています。
教室でも、私たちはこの問題について試行錯誤しています。
正解があるとは思っていません。
子どもによって理由も違うでしょう。
だからこそ、ご家庭での様子も含めて、保護者の皆さまと一緒に考えていきたいと思っています。
算数ができるようになることは、もちろん大切です。
でも、その過程で、分からないとき、間違えたとき、注意されたとき、自分にとって都合の悪いことを聞かれたとき。
そのときに、どう人と向き合うのか。
そこにも、その子の成長が表れるのだと思います。
りんご塾赤羽南教室が大切にしている、「人間的成長なくして学力の向上なし」という言葉。






