城南コベッツ赤羽南教室

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  • 総合型・学校推薦型選抜対策(推薦ラボ)

2026.09.03

りんご塾赤羽南教室では、年中・年長の子どもたちから指導しています。

積み木を触る。

数を数える。

図形を見る。

問題文を読む。

分からない問題を前にして、考える。

そんな子どもたちの姿を見ながら、私はときどき大学受験のことを考えています。

こう書くと、

「幼児から大学受験対策をするのですか?」

と思われるかもしれません。

もちろん、違います(笑)。

幼児に高校数学を教えたいわけでもありません。

難しい公式を覚えさせたいわけでもありません。

むしろ逆です。

大学受験まで見てきたからこそ、幼児期に何を急ぐ必要がないのかが分かる。

私はそう考えています。


私は大学受験から教育を見てきた

私の教育の出発点は、幼児教育ではありません。

長い間、大学受験数学を教えてきました。

高校生。

浪人生。

医学部を目指す受験生。

高校の課外授業。

さまざまな場所で、大学入試に向かう生徒たちを見てきました。

当然、最初は高校数学をどう教えるかを考えました。

公式。

解法。

計算。

入試問題。

でも長く教えていると、少しずつ違うものが見えてきます。

数学が伸びない原因が、

高校数学だけにあるとは限らない。

ということです。


数学の問題なのに、数学以前で止まる

難しい大学入試問題を解くためには、数学の知識が必要です。

でも、それだけではありません。

問題文を正確に読む。

条件を整理する。

何を求められているのか理解する。

分かっていることと分かっていないことを分ける。

図を描く。

試してみる。

うまくいかなければ別の方法を考える。

そして、簡単に諦めない。

こうした力が必要になります。

ところが高校生を教えていると、

数学の公式を知らないから解けないのではなく、

その前のところで止まっている生徒に出会います。

文章を読んでも条件が整理できない。

少し見たことのない問題になると手が止まる。

分からないと、すぐに、

「先生、どうやるんですか?」

と聞く。

間違えることを怖がって、何も書かない。

答えが合っているかどうかばかりを気にする。

そこで私は考えるようになりました。

これは、高校3年生になって突然始まったことなのだろうか。


では、いつから始まっているのか

高校数学で困っている。

なら、中学数学まで戻ってみる。

中学数学にも問題がある。

なら、小学校の算数まで戻ってみる。

それでもさらに、

「なぜ、この子は文章を読まないのだろう」

「なぜ、分からないとすぐ答えを聞くのだろう」

「なぜ、間違えることをこんなに怖がるのだろう」

と考えていく。

そうすると、もっと前まで戻ることになります。

そして私は、

幼児教育まで来てしまいました(笑)。

大学受験から、ずっと逆向きにたどってきた結果です。


幼児に必要なのは、大学受験の知識ではない

だからといって、幼児に高校数学を教えれば解決するとは全く思っていません。

むしろ、幼児期には幼児期にしかできないことがあります。

積み木を動かしてみる。

数えてみる。

並べてみる。

違ったら戻してみる。

「なんでだろう」と考える。

言葉の意味を知る。

自分の言葉で話してみる。

先生の話を聞く。

できなくても、もう一度やってみる。

こうした経験です。

大学入試の難問を解く高校生と、積み木を触っている年中の子ども。

見た目はまったく違います。

でも私は、

その間には一本の線がある

と思っています。


「分からない」ときに、どうするか

私はここをとても大切にしています。

難しい問題を前にしたとき、

「分からない」

と思う。

ここまでは誰でも同じです。

その次です。

すぐに先生を見るのか。

答えを見るのか。

諦めるのか。

もう一度問題文を読むのか。

図を描くのか。

何か試してみるのか。

分かっているところだけでも書いてみるのか。

この、

「分からない」の次に何をするか。

これは大学受験でも非常に大切です。

そして私は、高校3年生になって突然身につくものではないと思っています。

幼児でも同じです。

積み木がうまくできない。

先生を見る。

そこで先生がすぐ、

「こうだよ」

と教えてしまえば、その問題は終わります。

でも少し待てば、

子どもが自分で動かすかもしれない。

違う置き方をするかもしれない。

失敗するかもしれない。

そして、

「あっ」

と気づくかもしれない。

私は、その時間を大切にしたいと思っています。


だから、すぐには教えない

先生が答えを教えれば、授業は速く進みます。

一冊の教材も早く終わります。

でも、

先生が解決した問題と、子どもが解決した問題は同じではありません。

時間がかかってもいい。

間違えてもいい。

少しくらい遠回りしてもいい。

自分で考えた経験を残したい。

これは幼児教育だから大切なのではありません。

大学受験まで数学を教えてきたからこそ、

大切だと考えています。


先取りするのに、急がせない

赤羽南では先取り学習をしています。

ここも、一見すると矛盾しているかもしれません。

大学受験から逆算する。

先取りをする。

そう聞くと、

「幼児のうちからどんどん先へ進ませる教室」

と思われるかもしれません。

でも、私が考えているのは少し違います。

10年以上先まで見ているからこそ、

今、この瞬間に急ぐ必要がない

と思っています。

大学入試までの道のりを知っていれば、

今、何を身につけておくと後で大きな力になるのか。

逆に、

今、無理に覚えさせなくてもいいことは何なのか。

少しずつ見えてきます。

だから、

先を見ていることと、先を急ぐことは違います。

早く進むことが、先取りではない

私は、先取りという言葉が少し誤解されやすいと思っています。

小学1年生が小学3年生の教材をやっている。

小学3年生が小学6年生の教材をやっている。

それだけを見れば、確かに分かりやすい。

でも、

何年生の教材をやっているかだけで、その子の数学力は分かりません。

早く公式を覚えること。

早く計算方法を覚えること。

早く教材を終えること。

それだけが先取りなら、私はあまり魅力を感じません。

本当に先に身につけてほしいのは、

考えること。

試すこと。

言葉を理解すること。

分からなくても簡単に諦めないこと。

そして、

自分でなんとかしようとすること。

こうした力です。

これらは何年生の単元というものではありません。

でも10年後、15年後に、とても大きな差になると思っています。


大学受験をゴールにはしていない

ここも大切なところです。

「大学受験から考える」と書きました。

でも、

大学受験に合格することだけを教育のゴールにしているわけではありません。

大学受験は、私が長く見てきた到達点の一つです。

そこまで子どもたちを見てきたから、

幼児期や小学生の頃に何を大切にしたいのかが見える。

その意味で、大学受験から逆算しています。

そして本当は、大学受験は通過点で、さらに先があります。

大学。

仕事。

社会。

人生。

そこで必要になるのは、

誰かに答えを教えてもらう力ではありません。

自分で考える。

分からないことを調べる。

失敗したら修正する。

人の話を聞く。

自分の考えを言葉にする。

そして、自分の行動に責任を持つ。

私は、そういう人になってほしいと思っています。


年中の積み木と、大学入試問題

年中の子どもが、積み木を前にして考えている。

大学受験生が、数学の入試問題を前にして考えている。

見た目はまったく違います。

扱っている内容も違います。

必要な知識も違います。

でも、

分からない。

考える。

試してみる。

違う。

もう一度考える。

そして、

「分かった。」

その瞬間に起きていることは、私はそれほど違わないと思っています。

だから私は、年中の子どもを教えているときにも、ときどき10年、15年先を見ています。

そして大学受験生を教えているときには、

「この力は、もっと小さい頃から育てられたのではないか」

と考えます。

大学受験数学と幼児教育。

私にとって、これらは別々の教育ではありません。


ずっと先を見る。だから、今を急がない。

りんご塾赤羽南教室では、幼児期から大学受験までを一本の線として考えています。

だから先取りもします。

難しい問題にも挑戦します。

でも、

早く進むことだけを求めません。

すぐに答えを教えません。

間違える時間も大切にします。

考えている時間を待ちます。

10年先を見ているからこそ、

今しかできないことを、急いで通り過ぎたくない。

それが、

私が幼児教育を大学受験から考える理由です。

ChatGPT Image 2026年8月25日 20_10_32.png

わいわい、がやがや、カリカリカリ






2026.09.02

先日、教室長の東木を連れて、母校である都立国立高校の文化祭「国高祭」へ行ってきました。

以前このブログで、

「今年、教室長を母校の文化祭に連れていきます(笑)」

という記事を書きました。

その後、ありがたいことに国高祭の入場抽選にも、高校3年生の演劇の抽選にも当選。

ということで、本当に東木を連れて行ってきました(笑)。

東木もすでに国高祭についてブログを書いています。

同じ場所へ行き、同じものを見ていたはずなのですが、読んでみると、見ていたものが少し違っていたようです。

東木は、今の高校生たちを見ていました。

私はたぶん、今の高校生を見ながら、40年近く前の自分を見ていたのだと思います。


想像していた以上でした

久しぶりに訪れた国高祭。

まず驚いたのは、その規模でした。

教室の外装、内装、立て看板。

高校の文化祭という言葉から想像するものを、かなり超えています。

私が高校生だった頃も国高祭にはかなり力を入れていましたが、今の方が明らかに洗練されているように感じました。

当然ですよね。

40年近く経っているのですから(笑)。

そして今回、抽選に当たった高校3年生の演劇「晩餐」を観ました。

これが、本当に素晴らしかった。

高校生の演劇だから、という前置きを付ける必要はないと思います。

演技も、演出も、舞台も、音響も、そして作品そのものも、本当によくできていました。

特に印象に残ったのは、子どもを持つことのできない夫婦の葛藤という、高校生にとって決して身近とは言えない題材を扱っていたことです。

途中、私は泣いてしまいました。

東木も少し泣いたそうです。

58歳と20代の教室長が、高校生のクラス演劇を並んで観ながら二人とも泣いている。

なかなか面白い光景です(笑)。


東木が見ていたもの

後で東木のブログを読んで、面白いと思ったことがあります。

東木は演劇を観ながら、

「この子たちは、ここまでどうやって作ってきたんだろう」と考えていたそうです。

今、目の前にある完成した作品ではなく、そこへたどり着くまでに高校生たちが費やした時間を想像していた。

一方、私は何を見ていたのかというと、たぶん、少し違います。


柔道場の前に立った瞬間

帰る前に、どうしても東木に見せたい場所がありました。

柔道場です。

私は高校時代、柔道ばかりやっていました(笑)。

柔道場の前に立った瞬間、本当に不思議な感覚になりました。

一気に高校生の頃の記憶が戻ってきたのです。

仲間の顔。

練習。

試合。

勝ったこと。

負けたこと。

くだらない話をしたこと。

いろいろな出来事が、突然蘇ってきました。

高校時代の私は、それなりに本気で柔道をやっていました。

個人戦では国体の出場権も獲得しました。

小川直也、古賀稔彦、吉田秀彦。

後に日本を代表する柔道家となった選手たちとも、試合をしたことがあります。

東京都大会の団体戦ではベスト8まで進みました。

私の高校生活を語るうえで、柔道を抜くことはできません。

ところが現在、国高に柔道部はありません。

私が卒業した後に廃部になっています。

柔道場そのものは、まだそこにある。

でも、柔道部はもうない。

それを見たときは、やはり少し寂しかったです。


でも、東木に見てもらえたのが嬉しかった

その一方で、不思議なくらい嬉しい気持ちもありました。

東木に、この柔道場を見てもらえたことです。

「ここで柔道をやっていたんだよ」

そんな話をしました。

東木にとっては、もちろん初めて見る柔道場です。

でも私にとっては違います。

ここに、高校生だった自分がいる。

仲間がいる。

夢中になっていた時間がある。

40年近く経って、自分が教育の仕事をしている。

そして今、一緒に教室をつくっている教え子の教室長を連れて、その場所に立っている。

高校生だった頃の私は、そんな未来を想像するはずもありません。

だからでしょうか。

東木に柔道場を見てもらえたことが、私はとても嬉しかったのです。


そもそも、柔道を始めた理由はものすごく適当でした(笑)

もっとも、そんな私の柔道人生の始まりは、立派なものではありません。

高校1年生のとき。

最初に覗いたのは、実は柔道場ではなく剣道場でした。

ところが、誰もいなくて、隣の柔道場を見ると、見知った顔がありました。

その友人と話しているうちに、

強そうなおじさんみたいな風貌の先輩がやってきて、

「君たち、入部希望?」

「...えっと、、、、一応、そうです、、、。」

そんな流れで、柔道部に入ることになりました(笑)。

人生なんて、分からないものです。

剣道場に誰かいたら、私は剣道部に入っていたのかもしれません。

でも、たまたま誰もいなかった。

隣に友達がいた。

その程度の偶然から始まった柔道に、私は高校生活の多くを費やすことになりました。

そして40年近く経った今でも、柔道場を見ただけで当時のことが一気に蘇る。

人生をつくる出会いというのは、案外そんなものなのかもしれません。

国立の街も、東木と歩きました

国高祭を見た後は、東木と国立の街を少し歩きました。

一橋大学にも行きました。

IMG_3490.jpg国立という街を歩きながら、自分が高校生だった頃の話もいろいろしました。

そして、桐朋学園の前にも行きました。

IMG_3480.jpgそこで東木に、学校について私なりに少し話をしました。

実は、りんご塾に通っている子どもたちの中に、

「この学校は、この子にすごく合うのではないか」

と思っている子がいます。

もちろん、ここで誰なのかは書きません(笑)。

そして、偏差値だけを見てそう思っているわけでもありません。

その子の性格。

興味の持ち方。

ものの考え方。

人との関わり方。

普段その子と接していると、

「こういう環境に行ったら、この子は面白いだろうな」

と思うことがあります。

「どこに入れるか」だけが学校選びではない

塾という仕事をしていると、どうしても学校を数字で見る機会が多くなります。

偏差値。

合格実績。

進学実績。

もちろん、それらも大切な情報です。

でも、58歳になって母校へ戻り、40年近く前に使っていた柔道場を見ていると、改めて思います。

学校という場所が人に与えるものは、それだけではありません。

どんな友達に出会うのか。

どんな先生に出会うのか。

どんな文化があるのか。

何を面白がる人たちが集まっているのか。

何に本気になれるのか。

そして、どんな偶然に出会うのか。

私自身、柔道を始めた理由が、

「剣道場に誰もいなくて、隣の柔道場に友達がいたから」

ですから(笑)。

でも、その偶然が私の高校生活をつくりました。

だから私は、子どもたちの進路を考えるとき、

「どこに入れるか」だけではなく、「その子がどこで育つのか」

を考えたいと思っています。

40年近く前の自分と、今の高校生

今回、国高祭を歩いていると、不思議な感覚になる瞬間が何度もありました。

目の前には、今の高校生たちがいる。

教室をつくり変え、演劇をし、仲間と笑い、文化祭に本気になっている。

一方で私は、その同じ校舎を高校生だった頃に歩いていました。

文化祭では、私たちもくだらないことをたくさんやりました(笑)。

当時のことを全部覚えているわけではありません。

でも、柔道場の前に立っただけで、忘れていたはずの記憶が一気に戻ってきた。

人間の記憶というのは面白いものです。

テストで何点を取ったかなんて、ほとんど覚えていません。

でも、仲間と何かに夢中になった時間は残っている。

くだらないことで笑ったことも残っている。

本気で悔しかったことも残っている。

たぶん、今の国高生たちもそうなのだと思います。

今回の国高祭で起きたことの多くは、いつか忘れるでしょう。

でも30年、40年経ったある日、何かをきっかけに突然思い出すのかもしれません。

東木へ

国校を出て歩いているとき、

「本気になっている姿って、格好いいですね」

と感想を口にしていました。

本当にそうだと思います。

私も高校時代、柔道に本気になりました。

ただし、その始まりは、ものすごく適当でした(笑)。

子どもがいつ、何に出会い、何に夢中になるのか。

大人には分かりません。

最初から「将来役に立つもの」だけを選んで与えることなんて、たぶんできない。

だからこそ、いろいろなものに出会えること。

そして何かに出会ったとき、

本気になれるだけの時間と、本気になってもいい環境があること。

それは、子どもが育つうえで、とても大切なことなのだと思います。

今回、東木を国高祭に連れて行ってよかったです。

今の高校生たちの姿を一緒に見られたことも。

高校生だった私が過ごした柔道場を見てもらえたことも。

そして国立の街を歩きながら、今りんご塾にいる子どもたちの未来について話せたことも。

全部含めて、とてもいい一日になりました。

高校生だった頃、この街を歩いていた私は、40年近く後に自分が教育の仕事をしているとは思っていませんでした。

ましてや、自分の教室の教室長を連れて母校の文化祭へ来るなんて、想像するはずもありません(笑)。

人生、本当に何が起こるか分かりません。

もしかすると教育というのは、

子どもの人生を決めることではなく、その子がいつか本気になれる何かと出会えるように、いろいろな扉を残しておくことなのかもしれません。

......ただし、私の場合、その扉は剣道場ではなく、たまたま隣にあった柔道場でした(笑)。

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2026.09.01

こんにちは!
東木です。

行ってきました!

長谷先生の母校、東京都立国立高校の文化祭「国高祭」!

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以前のブログでは、国高祭へ行く前に、長谷先生の高校時代についていろいろ書きました。
長谷先生、本当に国校で青春してました?(笑)

今回はその後編です。

実際に国立高校へ行って、国高祭を見てきました!
(↓正門の裏側です)

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そしてですね。想像していた以上でした。


学校に入った瞬間から、すごい

まず校門をくぐって目に入ってくるのが、国高祭の巨大な装飾。

そこから校内へ入っていくと、校舎には各クラスの大きな垂れ幕がずらーーーーっと並んでいます。

IMG_3456.jpg

これ、本当に高校の文化祭?

と思うくらい。

しかも一つひとつ、デザインがまったく違います。

色も違う。

文字も違う。

世界観も違う。

それぞれのクラスが、

「自分たちはこれをやるんだ!」

と主張しているようで、学校中にものすごいエネルギーがあります。

それにしても不思議なのが、

どうしてこれだけのクラス全部に、こんなものを作れる人がいるんでしょう(笑)。

一つ二つなら分かります。

でも、ずらっと並んで全部クオリティが高い。

国高には各クラスに一人ずつ、美術系にものすごく強い人が配置されているのでしょうか(笑)。

ちなみに、よく見ると1年生の垂れ幕は見当たりません。

IMG_3457.jpg2年生と3年生のものばかり。

これにも何か国高祭ならではの理由があるのでしょうか。

いきなり「どういうこと?」がたくさんあります(笑)。

3年4組「晩餐」を観てきました

今回、私たちは抽選に当選していた3年4組の演劇「晩餐」を観てきました。

IMG_3461.jpg開演時刻が近づくと、教室前の廊下は人、人、人。

事前抽選に当選している人だけではありません。

当日、「もしかしたら入れるかも!」

と並んでいる方たちが、それぞれの教室の前に長い列を作っています。

高校のクラス演劇を見るために、こんなに人が並ぶんです。

そして教室へ。

案内された観客は、詰めて、詰めて、さらに詰めて(笑)。

正確な人数は分かりませんが、100人くらい入っていたんじゃないか?

と思うほどの超満員でした。

そして、いよいよ開演。

高校生の演劇だと思って観始めたのですが......


すごかったです。

教室の外装や舞台のクオリティももちろんですが、それ以上に驚いたのが演技でした。

セリフを話している人が上手なのはもちろんですが、私が特に印象に残ったのは、

セリフを話していないときの演技。

観客の視線が自分に集まっていない場面でも、役としてそこにいる。

表情や仕草を止めない。

舞台の中で、本当にその人物として生活しているように見える瞬間がありました。

プロみたいだなあ、と。

「これ、高校生なんだよね?」

と何度も思いました。

そして、扱っているテーマも重いんです。

子どもを持つことのできない夫婦の葛藤。

よく高校生がこの題材を選んだなあ。

そして、よくここまで演じきったなあ。

そう思いました。

隣を見ると、

長谷先生、泣いていました。

私も何度か目頭が熱くなる場面がありました。

演劇を観ながら、なぜか「準備している高校生たち」を想像していました

私がこの演劇を観ながら考えていたのは、実は目の前の演技だけではありませんでした。

途中から、この子たち、ここまでどうやって作ってきたんだろう。

ということが気になって仕方なくなったんです。

衣装。

小道具。

音楽。

照明。

役者の立ち位置。

人の動線。

セリフの言い方。

セリフとセリフの間。

たとえば、

「ここ、もう少しセリフの前の間を長くした方がいいんじゃない?」

「観客の視線はこっちに集まっているけど、後ろでもちゃんと料理しているように見せようよ」

なんて。

もちろん実際にどんな話し合いをしていたのかは知りません(笑)。

でも、そういう細かなことを何度も何度も話し合って、試して、直してきたんだろうな、と。

なぜなら、

今、目の前にあるもの全部に工夫が見えるからです。

衣装から音楽から演技から導線、小道具まで。

今見ているもの全部に、この子たちが考えた跡が残っている。

だから私は、演劇を観ながら演劇だけを見ていなかったのかもしれません。

そこへたどり着くまでの高校生たちの時間を想像していました。


あれ、夏休みに入ってから作ったんですか???

そして、国高祭が終わってから長谷先生と話をしていて、さらに驚きました。

私がてっきり、

「あれだけのものだから、かなり前から準備しているんでしょうね」

という話をしていたら、

長谷先生いわく、

「教室の内装とか外装を本格的に作るのは、夏休みに入ってからだよ」

とのこと。

......え?

あれ、夏休みに入ってから作ったんですか????(笑)

もう一度写真を見返してしまいました。

普段授業をしているはずの教室が、入口から完全に別世界になっています。

中には舞台があり、照明があり、小道具があり、客席がある。

しかも、作るだけではありません。

演劇なら、演技の練習も山場を迎え、音響との兼ね合いや暗転時の動きなんかも、舞台が出来上がってから初めて本番と同じ環境で練習することができます。

一体、夏休みをどんな密度で過ごしているんだろう。

しかも高3なのに。(笑)

また「?」が増えました(笑)。

ちなみに、このあたりのお話は、基本的に数十年前に国高生だった長谷先生の記憶をもとに私が聞いているものです。

現在もまったく同じなのか、そして先生の記憶がどこまで正確なのかは分かりませんので、皆さま、話8割くらいでお読みください(笑)。

ただ、今回実際に国高祭を見てきた私としては、

「この学校なら、それくらいやっていても不思議じゃないな......」

とも思ってしまいます。

3年間、同じクラス?

もう一つ、長谷先生から聞いて驚いた話があります。

先生によると、「国高は基本的に3年間クラス替えをしなかった」とのこと。

これも現在がどうなのかは、私は確認していません。

そして長谷先生の記憶なので、先ほど同様、話8割でお願いします(笑)。

ただ、今回3年生の演劇を観たあとにこの話を聞くと、

「ああ、それならあの団結力も少し分かるような......」

という気はしました。

もし同じメンバーで3年間を過ごしているのなら、

お互いの性格も分かっている。

得意なことも分かっている。

「これはあの人に任せよう」も分かっている。

そして高校生活最後の国高祭。

3年間で培ってきたものを全部出す。

そんな感覚もあるのでしょうか。

もちろん、これは私の想像です。

でも、あの3年生の演劇を観たあとだと、いろいろ想像したくなってしまうんですよね。

「伝統」って、こういうことなのかなあ

国高祭を見ながら、ずっと不思議だったことがあります。

どうして高校生だけで、ここまでのものができるんだろう?

誰かに「国高祭には長い伝統があります」と説明されれば、それで終わる話なのかもしれません。

でも実際にその場所へ行くと、もう少しいろいろ考えてしまいます。

1年生のときに、先輩たちの国高祭を見る。

「すごいなあ」と思う。

次の年には、自分たちがその立場に近づく。

そして3年生になったら、

今度は自分たちが国高祭をつくる側の中心になる。

その姿を、また次の後輩たちが見る。

たぶん、

「先輩と同じものを作ろう」

ではないんですよね。

むしろ、

「先輩たちがあれだけやったんだから、自分たちはもっとすごいことをやろう!」

なのかな、と。

もちろん、これも私が国高祭を見て勝手に感じたことです(笑)。

でも、校舎を歩いて、垂れ幕を見て、教室の外装を見て、3年生の演劇を観ていると、

受け継がれているのは作品そのものではなく、「本気でやる」という姿勢なのかなあ。

そんなことを思いました。

パンフレットからも伝わってくる国高生


そして今回も、いろいろ買ってきました(笑)。

パンフレット、うちわ、文房具、タオルなどなど。

教室に持って帰ってきたら、なかなかの量になりました。

IMG_3505.jpgもう学校行事へ行って、グッズをたくさん買って帰ってくるのが恒例になりつつあります(笑)。

そのパンフレットの最後に、

「国高生に聞いてみた!!2026」

という4ページのコーナーがありました。

これがまた面白い。

PXL_20260901_104941927~2.jpgPXL_20260901_104952529~2.jpg
読んでいるだけで、なんとなく国高生の雰囲気が伝わってきます。

明るい。

元気。

そして、とにかく一生懸命。

文化祭だけを頑張っているというより、

高校生活そのものを本気で楽しんでいる。

そんな印象を受けました。

最後に、長谷先生の柔道場へ

そして帰り際。

もちろん、ここにも寄ってきました。

柔道場です。

IMG_3467.jpg
長谷先生が高校時代、毎日のように練習していた場所。

現在、国立高校には柔道部はないそうです。

柔道場を見た長谷先生は、やっぱり少し嬉しそうでした。

高校生だった頃のことをいろいろ思い出していたようです。

......と、ここまでなら、ちょっといい話で終われるんです。

ところが。

柔道場の隣には剣道場があります。

そこで新事実が判明しました。

高校1年生だった長谷青年。

実は最初から柔道部に入ろうとしていたわけではなかったそうです。

最初に行ったのは、すぐ隣りにある

剣道場。

IMG_3469.jpg

ところが、誰もいない。

隣の柔道場を見ると、友達がいる。

「あ、いるじゃん」

くらいの感じで柔道場に入り、

「よ!」

という感じで友達としゃべっていたそうです。

すると先輩がやってきて、

「君たち、入部希望?」

そして......

そのまま柔道部へ。

......え?(笑)

あれだけ寝技を研究して、

部活動の練習方法まで改革して、

部長になって、

最後には東京都大会団体戦ベスト8まで進んだ柔道人生の始まりが、

「剣道場に誰もいなくて、隣の柔道場に友達がいたから」だったんですか?(笑)

人生、何がきっかけになるか分からないものですね。

今回、国高祭を見ながら、ずっと、人が本気になるって、すごいなあ。

と思っていました。

そして、その「本気になれるもの」との出会いは、案外こんな偶然から始まることもあるのかもしれません。

......ということにしておきます(笑)。

高校生たちが本気でつくった国高祭。

その熱量に圧倒され、たくさんのパワーをもらった一日でした。

国高生のみなさん、素敵な文化祭をありがとうございました!


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城南コベッツ赤羽南教室

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