城南コベッツ赤羽南教室

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赤羽南教室のメッセージ

2026.08.28

りんご塾赤羽南教室では、原則として宿題を出していません。

そして、もう一つ。

授業で使っている教材も、原則として家には持ち帰らせていません。


これを初めて聞いた方は、

「家でも勉強した方がいいのでは?」

「せっかく買った教材なのに?」

「やる気のある子なら、どんどん進めてもいいのでは?」

と思われるかもしれません。


もっともな疑問だと思います。


それでも赤羽南では、教材を教室で管理しています。

今日は、その理由について書いてみます。




勉強したい子が、家でどんどん進める


以前は、教材を持ち帰ってもらっていたことがあります。

すると、当然ですが家でも取り組む子がいます。

少し進めてくる子もいれば、

かなり進めてくる子もいます。

中には、一冊全部最後までやってくる子もいます。

普通に考えれば、

「すごい。勉強熱心な子だ」

となると思います。

私も、自分から勉強すること自体は素晴らしいと思っています。


ところが、指導する側から見ると、一つ問題が起こります。




次の授業が「答え合わせ」になってしまう


子どもが家で教材を進めてくる。

すると次の授業では、まずその確認が必要になります。

合っている問題。

間違っている問題。

途中まで解いた問題。

手をつけていない問題。

答えだけ書いてある問題。

理解しているのか、たまたま答えが合っただけなのか分からない問題。

それらを一つずつ確認していくことになります。

そして、

「ここ、もう一度やってみよう」

「これはどう考えたの?」

「ここは飛ばしているね」

と拾っていく。

気がつけば、その日の授業が、

前にやった教材の"虫食い部分"を埋める時間

になってしまいます。




間違えたところだけを見る授業


私は、これがあまり好きではありません。

間違いを直すことが嫌なのではありません。

間違いから学ぶことは、とても大切です。

ただ、毎回教室に来るたびに、

「ここが違う」

「これも違う」

「ここはやっていない」

と、自分のできなかったところばかりを指摘されたらどうでしょう。

大人でも、あまり楽しくないと思います(笑)。

まして幼児や小学生です。

せっかく教室に来たのに、授業の最初から前回の間違い探しが始まる。

これでは、子どもの気持ちが上がりません。




「間違いを直す」と「学ぶ」は同じではない


もちろん、間違いを放置していいわけではありません。

必要なものは、きちんと直します。

でも私は、

間違えた問題を全部やり直せば、学力が伸びる

とは考えていません。

なぜ間違えたのか。

考え方が分かっていなかったのか。

問題文を読み違えたのか。

計算を間違えただけなのか。

その問題だけ分からなかったのか。

それとも、その前の段階に戻る必要があるのか。

同じ「×」でも、意味は全く違います。

だから、

×が付いた問題を上から順番にやり直すことが、必ずしも最善の指導ではありません。

先生が見るべきなのは「×」ではなく、

その子が、どこまで分かっているのか。

だと思っています。




教材を進めることが目的ではない


もう一つ、大切にしていることがあります。

教材をどこまで終わらせたか。

何冊終わったか。

何年生の内容まで進んだか。

こうしたものは、とても分かりやすい指標です。

赤羽南でも先取りをしていますから、進度をまったく見ていないわけではありません。

でも、

教材を早く終わらせることと、数学ができるようになることは同じではありません。


10ページ進んだから10ページ分成長した、とは限らない。

一冊終わったから、その一冊をすべて理解したとも限らない。

だから赤羽南では、

「どこまで進んだか」より、「どう考えたか」

を見たいと思っています。




先生には、その日の授業でやりたいことがある


授業には流れがあります。

今日はこの問題をやってみよう。

この問題で少し悩んでもらおう。

ここで図を書いてみよう。

この考え方に気づくかな。

前回できなかったことを、今日は少し違う角度からやってみよう。

先生は、子どもの様子を見ながら授業を組み立てています。

ところが教材を自由に進めてしまうと、

その流れが壊れてしまうことがあります。

本来今日やろうと思っていたことより、

家で間違えてきた問題の処理が優先される。

授業が、

「今日、何を学ぶか」ではなく、「昨日までの残務処理」

になってしまう。

私は、それを避けたいと思っています。




教室での学びは、教室が責任を持つ


前回の「なぜ、赤羽南は宿題を出さないのか」でも書きましたが、私は家庭を第二の教室にしたいとは思っていません。

塾で学ぶことについては、まず塾が責任を持つ。

教材の進め方。

問題の選び方。

どこで声をかけるのか。

どこまで1人で考えさせるか。

どの問題は飛ばすのか。

どの問題はもう一度やるのか。

それを考えることも、先生の仕事だと思っています。

だから教材を教室で管理するということは、

子どもから教材を取り上げているのではありません。

むしろ、

学習を設計する責任を、家庭に渡さず教室側が持つ

ということです。




では、家では勉強しなくていいのか


もちろん、そういう意味ではありません。

自分から本を読む。

パズルをする。

別の問題集を解く。

興味を持ったことを調べる。

学校の勉強をする。

家庭で何かを学ぶことを、私たちが止める理由はありません。

むしろ、

「もっとやってみたい」

と思うことは、とても良いことです。

ただ、りんご塾の教材を進めることだけが、家庭学習ではない

と思っています。

子どもには、塾の教材以外にも学ぶべき世界がたくさんあります。




教材は「学習そのもの」ではない


教材は、とても大切です。

良い教材がなければ、良い授業をすることは難しい。

でも教材は、

学ぶための道具です。

教材を終わらせることが目的ではありません。

宿題も同じです。

途中式も同じです。

テストも同じです。

本来はすべて、

子どもが学ぶための手段

だったはずです。

ところが教育では、ときどき手段が目的に変わります。

宿題を提出すること。

教材を終わらせること。

間違いを全部直すこと。

決められた方法で解くこと。

それ自体が目的になってしまう。

私は、そこを一度立ち止まって考えたいと思っています。




持ち帰らせないことにも、理由がある


赤羽南では、原則として教材を家に持ち帰らせません。

それは、

家庭で勉強してほしくないからでも、

子どものやる気を止めたいからでも、

教材を大切に隠しているからでもありません(笑)。


その子にとって、今何を学ぶことが一番いいのか。


それを考えながら授業を組み立てたいからです。


必要な問題を選ぶ。

考える時間をつくる。

間違いの意味を見る。

必要なら戻る。

必要なら飛ばす。

そして、次へ進む。

一冊の教材を最初から最後まで終わらせることより、

私はその方が大切だと思っています。




教材に子どもを合わせない


教育では、とても良い教材に出会うことがあります。

でも、どれだけ良い教材でも、目の前の子どもより大切になることはありません。

教材が先にあって、

「この教材を、この順番で、ここまでやる」

と子どもを合わせるのではなく、

まず子どもを見る。

その子が今どこにいるのかを見る。

そして、

その子に教材を合わせる。

これが、赤羽南で大切にしていることです。


だから私たちは教材を教室で管理しています。

教材を管理したいからではありません。

学びの流れを、大切にしたいからです。


前回の記事と同じ問いに、最後は戻ります。

「それは、何のためにやるのか。」


教材を持ち帰ることにも。

持ち帰らないことにも。

理由が必要です。

そして今の赤羽南では、

持ち帰らせない方が、私たちがやりたい教育ができる。

だから、そうしています。



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ブーーーーーーッン!!





2026.08.26

皆さんこんにちは!!!

りんご塾赤羽南教室の天羽です!



夏休みに入り、

「宿題が大変!」という生徒もいれば、

「宿題全部終わらせたから、勉強はりんご塾で頑張るよ~!」

という生徒もいて、

たくさんの夏休みのお話を聞きました。




私はというと、

宿題を早く終わらせるより、

期限が迫ると頑張れるタイプだったので、


「遊ぶときは宿題のことを忘れて楽しむ!」

「勉強するときは切り替えてやる!」


という夏休みを過ごしていたな~と思い返していました。


母からは、

「夏休みは家にいる時間が長いから、

どこかに連れて行ってあげないと!って大変だったよ(笑)」

と言われました。


子どもの頃はそんなことも知らず、

夏休みを満喫していました(笑)




さて今回は、年中の生徒さんの授業のお話です。


りんご塾に通い始めて3か月ほどなのですが、

字もしっかりと力強く書くことができ、

お話もとても上手な生徒です。



問題文を読むスピードも速く、

一度読んだだけでルールを理解してしまうこともあります。



最初は幼児用のテキストから始めたのですが、


今はなんと・・・


小学生も取り組んでいる


「天才テキスト」を頑張っています!

IMG_2758.JPG

天才テキストを始めることになった経緯を聞くと、

さらに驚くと思います。



幼児用のテキストでは、

「簡単でつまらない!」

となってしまいました。


幼児向けのテキストは、

子どもたちが取り組みやすいように、

挿絵やヒントがたくさん入っているものが多いです。

IMG_2757.JPG


絵が勉強へのきっかけになることも多く、

講師としてはすごく助かっています。



そのため、

試しに天才テキストをやってみることになったとき、

「色や絵も少なくて、The 問題!!という感じだけど大丈夫かな?」

と、少し心配していました。



ところが実際に取り組んでみると、

間違えたり、

迷ったりしながらも、


「楽しいからこっちをやりたい!」


と言ったんです。


「正解したい!」ということだけではなく、

考えている時間そのものを楽しんでいる

ように見えました。



現在は幼児用のテキストではなく、

天才テキストに着々と取り組んでいます。


そして、集中力もすごいです。

1時間集中力が切れることがほとんどありません。

おしゃべりが大好きなので、

たまに話が盛り上がって脱線しそうになることもあります(笑)


でも、

「じゃあ、次やろう!」

となると、パッと鉛筆を持って、

視線が一気に問題へ向かいます。



5歳でこの切り替えができるのはすごいな~と、

いつも感心しています。


授業中に大笑いしているときもありますが、

問題に向かうときは集中して、たくさん考える。



そして授業が終わる頃には、

いつも充実感にあふれた表情で帰っていきます。


先日も授業後に、お母様が生徒へ、

「楽しそうでよかったね!元気になったね~」

と声をかけているのが聞こえてきました。



その会話を聞いて、とても嬉しい気持ちになりました。


勉強をするために塾に来て、

たくさん頭を使って、

難しい問題にも挑戦して、

それでも帰るときには元気になっている。



「楽しいからやる」

「やってみるから、できることが増える」

「できることが増えるから、もっと楽しくなる」



そんな良い循環が、

この生徒の中で少しずつ生まれているのかもしれません。


勉強というと、

「頑張らなければいけないもの」というイメージもあります。


もちろん、難しくても頑張らなければならないときはあります。



でも、その中に、

「考えるのって楽しい!」

「もっとやりたい!」

という気持ちがあったら、とても強いと思いました。



今回の生徒の姿を見て、

「楽しく勉強する!」をそのまま体現しているみたいだな~

と感じました。


そんな姿を見ることができる「りんご塾っていいな~」と、

私自身も改めて感じた授業でした!



どんな風に成長していくのか、すごく楽しみです!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!




5.png城南コベッツ赤羽南教室
りんご塾赤羽南教室

・りんご塾といえば、東は赤羽!西は滋賀!
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2026.08.25

りんご塾赤羽南教室では、原則として宿題を出していません。

先取り学習をしています。

難しい問題にも挑戦します。

算数オリンピックを目指す子もいます。

それなのに、宿題はありません。

「それで、本当に学力が伸びるのですか?」

そう思われる方もいるかもしれません。


もちろん、私は宿題そのものを否定しているわけではありません。

必要な宿題もあるでしょう。

家庭で反復した方がいいこともあります。

もっと勉強したい子が、自分から家庭で学習することも素晴らしいと思います。

それでも赤羽南では、原則として宿題を出しません。

なぜなのか。

その理由を考えていくと、私がずっと教育に対して持ってきた、ある疑問にたどり着きます。




「これ、何のためにやっているんだろう」


私は中学生の頃から、宿題というものがよく分かりませんでした。

数学の宿題が出ます。

解ける問題は、解ける。

解けない問題は、解けない。

そして解けなかった問題は、解答を見て赤ペンで写していく。

そうすれば、宿題をやったことになる。

先生から特に何か言われることもありません。

当時の私は、それがとても不思議でした。

なんなんだ、これは。


解けなかった問題の答えを赤ペンで写したことで、何ができるようになったのだろう。

理解したのだろうか。

数学ができるようになったのだろうか。

それとも、

「宿題をやった」

という形を完成させただけなのだろうか。

私は宿題が嫌だったというより、

何のためにやっているのか分からないことを、決まりだからやること

に違和感があったのだと思います。




教える側になって、もう一度驚いた


その後、私は塾で数学を教えるようになりました。


ある中学生が計算問題を解いているところを見ていて、気になったことがありました。

かなり細かく途中式を書いていたので、

「その途中式、必要?」

と聞きました。

すると生徒は、

「学校で習った通りに書かないと、やり直しになる」

と言いました。


驚きました。

もちろん、途中式は大切です。

頭の中だけで計算して間違える子には、途中式を書かせた方がいい。

考え方を確認するために、途中式が必要な場合もあります。


でも、すべての子どもに同じ途中式が必要なのでしょうか。

理解度も違う。

計算力も違う。

考え方も違う。

それなのに、

全員が同じ方法で、同じように書くこと自体が目的になってしまう。

私はそこに、とても違和感を持ちました。

教育には、ある程度の「型」が必要です。

でも型は、本来、学ぶための手段です。

いつの間にか、

型を守ることそのものが目的になってはいないだろうか。

そんなことを考えるようになりました。




実際に宿題を出してみたこともあります


小学生を教えるようになってから、保護者の方のご要望で宿題を出したことがあります。

すると、いろいろなことが起こりました。

家庭で丸付けをしてくださる場合があります。

丸付けをしない場合もあります。

全部やってくる子もいれば、途中までの子もいます。


当然、間違えている問題もあります。

そうすると次の授業では、

解いていない問題をやる。

間違えた問題をもう一度やる。

理解できていないところを確認する。


気がつけば、その日の授業が、

前回の宿題の後処理

になってしまいます。

しかも、子どもからすれば、

教室に来て最初から、

「ここが間違っている」

「ここもできていない」

「これを直そう」

となる。

間違えたところばかりを指摘される授業です。

当然、テンションも下がります。

そして指導する側も、本来その日にやりたかったことができなくなる。

私は、

何のために宿題を出したんだろう。

と思いました。




宿題を出さなくても、同じことは起きる


では、

「宿題にはしないけれど、教材は自由に持ち帰っていい」

ならどうでしょう。

これも実際にやってみると、同じようなことが起きました。


勉強が意欲的な子は、どんどん進めます。

場合によっては、一冊全部やってきます。

一見、とても良いことのように思えます。

もちろん、自分から勉強すること自体は素晴らしいことです。

でも教室では、その後、

大量に採点する。

間違えた問題を探す。

解いていない問題を拾う。

理解できていないところを確認する。

そして次の授業が、

虫食いになった部分を埋める時間

になってしまう。

これでは、教室として学習の流れを設計することが難しくなります。

だから赤羽南では、原則として教材も教室で管理しています。

家で勉強してほしくないからではありません。

教室での学びを、教室できちんと設計したいからです。




私は「予習」もよく分かりませんでした


宿題とは少し違いますが、同じような経験があります。

私自身が大学受験のために予備校へ通ったときのことです。

その授業では、予習を前提としていました。

そこで最初に思ったのが、

「数学の予習って、何をするんだ?」

ということでした。

とりあえず問題を解いてみる。

解ける問題は、解けます。

でも解けない問題は、解けない。

難しい問題になると、

「これはアラビア語ですか?」

と思うくらい、何をしたらいいのか分からない(笑)。

その状態で授業に出席する。

問題の意味もよく分かっていない。

自分が何を分かっていないのかさえ、よく分からない。

それでも授業は進んでいきます。

私はとにかく黒板をノートに写しました。

そして家に帰ってから、

今度はそのノートを解読する。

それが、私にはとても苦痛でした。

途中から、

「これなら参考書を自分で読んだ方がいいんじゃないか」

と思うようになりました。

だから自分が大学受験生を教える立場になってから、私は予習を前提とした授業を一度もしていません。

予習そのものが悪いとは思いません。

予習することで授業の理解が深まる生徒もいます。

でも、

「授業とは予習してくるものだから」

という理由だけで、全員に同じことを求める必要はないと思っています。




宿題が嫌いなのではありません


ここは誤解されたくないところです。

私は、

宿題反対。

予習反対。

途中式反対。

家庭学習反対。

と言いたいわけではありません。

全部、必要ならやればいいと思っています。

途中式を書いた方がいい子には、書いてもらいます。

反復が必要なら、反復します。

予習が効果的なら、予習すればいい。

大切なのは、

「なぜ、それをするのか」

です。

子どもによって違っていい。

学習段階によって違っていい。

目的によって違っていい。

「昔からそうだから」

「みんなそうしているから」

「学校でそう習ったから」

それだけでは、私は子どもに何かをさせる理由として十分だとは思っていません。




宿題はない。でも、約束には厳しい


赤羽南には原則として宿題はありません。

でも、何をしてもいい教室ではありません。

むしろ、約束については大切にしています。

私は宿題と約束は違うものだと考えています。

宿題は、大人から与えられた課題です。

一方、約束は、

自分が引き受けたことに責任を持つこと。


自分で「やる」と言った。

人と決めた。

自分で選んだ。

それなら、きちんとやる。

これは学力以前に、とても大切なことだと思っています。

だから、

宿題はない。でも、約束には厳しい。

私の中では、これはまったく矛盾していません。




宿題がないから、楽な教室でもありません


赤羽南では先取りをします。

難しい問題も扱います。

算数オリンピックにも挑戦します。

問題文も、できる限り本人に読んでもらいます。

分からないからといって、先生がすぐ答えを教えるとも限りません。

考える。

試してみる。

間違える。

また考える。

必要なら先生と一緒に考える。

教室にいる時間には、かなり頭を使ってもらいます。

だから、

家では追い込まない。でも、教室ではとことん考える。

これが赤羽南の学び方です。




「宿題を出さない」は目的ではない


赤羽南が宿題を出さないこと自体には、それほど価値はないと思っています。

「宿題のない塾です」

ということを売りにしたいわけでもありません。

大切なのは、その理由です。

私は長い間、

宿題をする生徒として。

予備校に通う受験生として。

中学生を教える塾講師として。

小学生を教える先生として。

そして今、幼児から大学受験までの数学教育を考える立場として、

同じような場面に何度も出会ってきました。

そのたびに思います。

「これは、何のためにやっているんだろう。」

宿題が必要なら、出せばいい。

予習が必要なら、すればいい。

途中式が必要なら、書けばいい。

反復が必要なら、何度でもやればいい。

でも、その前に一度考えたい。

それは、何のためにやるのか。

その問いに、私たち教える側が答えられないことを、

子どもに、

「決まりだからやりなさい」

とは言いたくありません。

りんご塾赤羽南教室が宿題を出さない理由は、

「宿題が嫌いだから」ではありません。

子どもに何かをさせるなら、そこには意味があってほしい。

ただ、それだけです。

そして私は、その「なぜ?」を考えることこそ、

教育する側が手放してはいけないものだと思っています。




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ブンブンブーーーン!!!










2026.08.22

こんにちは!

りんご塾赤羽南教室の東木です。

8月30日、長谷先生と一緒に、先生の母校である東京都立国立高等学校の文化祭

「国高祭」へ行ってきます!



昨日、長谷先生も国高祭についてブログを書いていました。

自由な校風。
生徒の自主性。
高校生が自分たちの手でつくり上げる文化祭。

......なんだか、ずいぶん真面目でカッコいいことを書いていました。


なので今日は教え子である私が、

「でも長谷先生本人は、高校時代どうだったの?」

という話を書こうと思います(笑)。




そもそも、行事に熱心な高校生ではなかったらしい


国高祭といえば、高校生たちが本気でクラスの出し物をつくり上げることで有名な文化祭です。

私も当然、

「先生も高校生のとき、文化祭に一生懸命取り組んでいたんですよね?」

くらいに思っていました。

ところが本人に聞いてみると、

「俺、行事とかそんなに真面目に参加してなかったよ」

とのこと。

え。

話が違う(笑)。

ただ、まったく何もしなかったわけではないそうです。


当時、クラスでは喫茶店をやったそうなのですが、大量の買い出しが必要になった。

そこで長谷青年。

実家の鉄工所の従業員の方にお願いして軽トラックを出してもらい、大量の買い物を学校まで運んでもらったそうです。

これは相当な貢献度。(拍手)

みんなと一緒にせっせと準備をするタイプではないけれど、違うところでちゃんと役には立っている。

なんとも長谷先生らしい(笑)。

ちなみに、この文化祭ではほかにも、かなり長谷先生らしい「独自の活躍」をしていたそうなのですが......

それは公式HPにはちょっと書けません!(笑)(残念!)

直接会う機会があったら、本人に聞いてみてください。

たぶん嬉しそうに話すと思います(笑)。




柔道部では、ちゃんと青春していたらしい


そんな長谷先生ですが、柔道部ではかなり本気で活動していたそうです。

高校から柔道を始めた初心者。

当然、最初は経験者にはなかなか勝てません。

そこで長谷青年、たくさん試合を見て研究をしました。

そして、

「寝技なら勝てる」

と考えたそうです。

そこから寝技を徹底的に磨き、実力をつけ、さらに部活動の練習方法まで改革。

最終的には部長としてチームを率い、

東京都大会・団体戦ベスト8。

おぉ~!(拍手 二度目)

初心者で柔道部に入って、最後は部長として都大会ベスト8ですから、ここは普通にすごい。

しかも試合では、相手校の監督から、

「寝るな!一本取られるぞ!」

と声が飛ぶくらい、寝技を警戒されていたとか。

私は実際に見たことがありません。

ただ、この話をするときの長谷先生がものすごく自信満々なのと、都大会ベスト8という結果もちゃんとあるので、

どうやら本当に強かったようです(笑)。




制服が嫌なら、制服のない学校に行けばいい?


長谷先生は、国立高校の校風はかなり合っていたと語ります。

その理由の一つが、制服がないこと。(笑)


長谷先生は、中学生の頃から制服があまり好きではなかったそうです。

では何を着ていたのか聞いてみると、

「制服に近いもの」

だそうです。

......制服に近いもの?

私もよく分かりません(笑)。

ただ、

「なんで全員が同じ服を着なきゃいけないの?」

ということは、当時から思っていたそうです。

そして高校は、制服のない国立高校へ。

制服が嫌なら、制服のない学校に行けばいい。

うん、たしかに、なるほどね。(笑)

昔から「みんなと同じ」にあまり興味がなかったことは、よく分かります。

そんな長谷先生に、自由で生徒の自主性を重んじる国立高校は、かなり居心地のいい学校だったようです。




「自由」なのに、ものすごい文化祭


長谷先生から国高の話を聞くようになって、私自身も国立高校という学校にずっと興味を持っていました。

特にすごいのが、もちろん国高祭です。

写真で見るだけでも、

「これ、本当に高校生がつくっているの?」

と思うようなものばかり。

ネットに2016年の国校祭の外装をブログとして掲載している方がいらっしゃいました。
これを読むだけでも、如何に"本気"で取り組んでいるのかがよくわかります。
https://romuncandy416.hatenablog.com/entry/2016/09/21/214234

文化祭そのものに来場者の抽選があるというだけでも、私はびっくりしました。

高校の文化祭ですよ?

それだけ多くの人が「見に行きたい」と思っているということですよね。

しかも今回は、ありがたいことに抽選に当選!(やった~!拍手 三度目!)

さらに、国高祭の名物ともいえる高校3年生の演劇にも当選しました。

これはもう、楽しみで仕方ありません。

帰ってきたら、

今度は「実際に国高祭へ行ってみた東木のレポート」としてご報告しま~す!





images.jpg
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2026.08.21

今年、久しぶりに母校の文化祭へ行きます。

8月29日(土)、30日(日)の2日間で開催されます。

都立国立高校は、私の母校です。

そして今回は、一人では行きません。

りんご塾赤羽南教室の教室長、東木を連れていきます(笑)。


国高祭は事前申込制なのですが、無事に抽選にも当選しました。
(↓HPから拾ってきた写真です)

国立高校文化祭門.png

さらに、国高祭名物の高校3年生のクラス演劇の抽選にも当選。

国立高校文化祭看板.png
ということで、今年は久しぶりに国高祭をしっかり見てくることができそうです。


実は今から、かなり楽しみにしています(笑)。

僭越ながら、今日は卒業生の目線から学校紹介をしたいと思います。




国立高校という、ちょっと変わった学校


国立高校をご存じない方のために、少しだけ。

東京都国立市にある都立高校です。

いわゆる進学校で、昔から難関大学へ進学する生徒が多い学校です。

1980年には夏の甲子園に出場し、都立高校として甲子園初勝利を挙げたことでも知られています。

進学校なのに甲子園。

そして文化祭にも、とんでもないエネルギーを使う。


少なくとも私が高校生だった頃は、

何かをやるなら、とことんやる。

そんな人間がたくさんいる学校でした。

国立高校文化祭装飾.png


高1のとき、私たちは映画を作った


国立高校の文化祭は「国高祭」と呼ばれています。

現在では、3年生全クラスが取り組む演劇が有名です。

舞台、衣装、照明、音響。

さらに教室そのものを劇場のように作り替える外装まで、生徒たちが作り込みます。

かなり本格的です。

では、私が高校生だった約40年前から、ずっと同じだったのか。

少し違います。

私が高校1年生のとき、私のクラスは映画を作りました。

どんな映画だったのか。

申し訳ありません。

まったく覚えていません(笑)。

ただ、

ものすごくくだらない内容だったことだけは覚えています(笑)。


そして私が高校3年生になった頃には、私の記憶では、少なくとも半分くらいのクラスが演劇をやっていました。

それが今では、3年生全クラスが演劇に取り組むことが国高祭の伝統になっています。

約40年という時間の中で、形は少しずつ変わってきたのでしょう。

でも、変わっていないものもあるように思います。

それは、

生徒が自分たちで考えて、自分たちで作ること。

です。




「自分でなんとかする力」は、いつ身につくのか


私は普段、教室で、

「自分で考えること」

をとても大切にしています。

大人が先回りして全部教える。

困ったらすぐに助ける。

失敗しそうになったら、失敗しないように道を作ってあげる。

その方が、その場はスムーズに進みます。

でも、それをずっと繰り返していたら、

「自分でなんとかする力」は、いつ身につくのでしょうか。

もちろん、幼児や小学生と高校生は違います。

いきなり高校生と同じことができるわけではありません。

だからこそ、その年齢でできる範囲で、

考える。

迷う。

失敗する。

やり直す。

人に伝える。

人と協力する。

そして、自分でなんとかする。

そんな経験を少しずつ積んでほしいと思っています。

私たちが算数を教えているのも、最終的に「算数ができる子」を作りたいからではありません。

算数という学びを通して、

自分の頭で考え、自分で前へ進もうとする人間になってほしい。

私はそう考えています。




もしかすると、私の教育観の原点なのかもしれない


今回、東木を国高祭に連れていこうと思って、改めて自分の高校時代について考えました。

すると、ふと思ったことがあります。

私が今大切にしている教育観の一部は、

もしかすると、国高で過ごした時間から来ているのかもしれない。


私は昔から、

「なぜ、そうするのか」

が気になる人間でした。


決まりだから。

みんながやっているから。

先生に言われたから。

それだけでは、なかなか納得できませんでした。


そんな私の周りには、

勉強するなら、本気。

部活をやるなら、本気。

文化祭をやるなら、本気。

自分が面白いと思ったことには、とことん時間を使う。

そんな人間がたくさんいました。

高校1年生で作った、ものすごくくだらない映画も(笑)、今考えればその一つだったのかもしれません。


誰かに、

「これを作りなさい」

と言われて作ったものではありません。

自分たちで考えて、自分たちで作った。

出来が良かったかどうかは、また別の話です(笑)。


でも、

自分たちで何かを作るという経験そのものに意味があった。

今になって、そんな気がしています。




約40年後、もう一度見てみたい


高校生だった私は、そんなことを考えて国高祭を見ていたわけではありません。

当然です(笑)。

文化祭は文化祭。

面白ければいい。

そんなものだったと思います。


でも、今は教育を仕事にしています。

幼児から高校生までを見ながら、

どうすれば自分で考える人間になるのか。

どうすれば簡単に諦めない人間になるのか。

大人はどこまで教え、どこから待つべきなのか。

そんなことを毎日のように考えています。

その立場になって、約40年ぶりに国高祭を見る。

高校生だった頃とは、まったく違うものが見えるのかもしれません。

だから私自身、少し楽しみにしています。




そして、東木には何も教えない(笑)


東木は、りんご塾赤羽南教室の立ち上げ当初から関わり、現在は教室長をしています。

だから今回、

「国高祭とはこういうものだ」

と私が説明するのではなく、

実際に見てもらおう

と思いました。


ただし、一つ決めています。

事前にあまり説明しないことです(笑)。

「ここを見て」

「これがすごいんだよ」

「これは教育的にはこういう意味があって......」

そんなことを隣で延々と話していたら、せっかく連れていく意味がありません。

好きに歩いて、

好きに見て、

好きに感じてもらう。

高3の劇も一緒に見ます。

そして全部見終わったあとに、一言だけ聞いてみようと思っています。

「どうだった?」

演劇の完成度に驚くのか。

外装を見るのか。

生徒たちの動き方を見るのか。

先生と生徒の関係を見るのか。

それとも、

私がまったく気づかなかったところを見るのか。

実は私は、国高祭そのものと同じくらい、

東木が何を見るのかを楽しみにしています。




答えは、文化祭のあとに


約40年前。

私は国高祭を作る側にいました。

そして今年は、

教育を仕事にする人間として、

今の国高生たちが作る国高祭を見に行きます。

東木も連れていきます。

私が何を感じるのか。

東木が何を見るのか。

そして、そこから赤羽南に持ち帰れるものがあるのか。

文化祭が終わったら、また書きます。



ChatGPT Image 2026年8月21日 15_38_36.png
※国立高校の文化祭に行くということで、RINGOJUKUデモカーを展示させてもらったイメージです。

ブォンブォンブォーーーン!





2026.08.20

りんご塾は、全国にあります。

同じ「りんご塾」という名前で、

同じ教材を使い、

算数オリンピックを目標の一つに掲げています。

では、

どこのりんご塾に通っても、同じなのでしょうか。


もちろん、基本となる考え方や教材は同じです。

私たちも、りんご塾という仕組みや教材に大きな魅力を感じたからこそ、赤羽南教室を始めました。


ただ、教室を運営していくうちに、

少しずつ、

「赤羽南らしさ」

というものが生まれてきたように思います。




なぜ、宿題を出さないのか。


赤羽南教室では、原則として宿題を出していません。

教材も持ち帰らせていません。

これは、

勉強を軽く考えているからではありません。


むしろ逆です。

教室にいる時間に、本気で取り組んでほしい。

そして家に帰ってまで塾の課題に追われるのではなく、

家では家でしかできない経験をしてほしい。

そんな考えがあります。


だから、

「宿題を出さない」

というルールが先にあるわけではありません。

なぜ出さないのか。

そこに、私たちなりの理由があります。




なぜ、先取りをするのか。


赤羽南教室は、かなり先取りをします。

進度をお話しすると、

「そこまでやるんですか?」

と驚かれることもあります。

でも、

私たちは「先取りすること」そのものを目的にしているわけではありません。

小学1年生だから、ここまで。

小学2年生だから、ここまで。

学校ではまだ習っていないから、ここで止める。

その線を、大人が必要以上に引く必要はないと思っています。

理解できる。

面白がっている。

もっと先を知りたがっている。

だったら、進めばいい。

小学生に「微積分」を教えるのだって、

全然いいじゃないかと思うんです。

逆に、分からないのであれば、戻ればいい。

その子がどこまで進めるかを、学年だけで決めない。


その結果として、

先取りになっているだけです。




なぜ、すぐに教えないのか。


子どもが問題を解けずに困っている。

大人からすると、

つい教えてあげたくなります。

「ここはこうやるんだよ」と言えば、

すぐに解けるかもしれません。

でも、私たちはできるだけ待ちます。


考える。

やってみる。

間違える。

もう一度やってみる。

それでもダメなら、

違う方法を試してみる。


その時間こそが、

私たちが大切にしている時間だからです。


答えにたどり着いたことだけではなく、

自分でなんとかしようとした時間。

そこに「考える」という行為の原点があると思っています。




なぜ、算数オリンピックを目指すのか。


赤羽南教室では、

算数オリンピックにも本気で取り組んでいます。

ありがたいことに、

挑戦する生徒も増え、

少しずつ結果も出るようになりました。

もちろん、決勝に進めたら嬉しい。

メダルを取れたら嬉しい。

でも、それだけが目的ではありません。

簡単には解けない問題を前にして、

「無理」

で終わらせない。

知っていることを総動員して、

ああでもない。

こうでもない。

と考えてみる。

算数オリンピックの問題には、そういう経験がたくさんあります。

だから私たちは、本気で挑戦します。




大学受験の数学と、幼児の算数。


私は長く、

大学受験の数学を教えてきました。

その人間が、

年中や年長の子どもたちが通う教室を作っている。

少し不思議に見えるかもしれません。

でも、私の中ではそれほど離れていません。

大学受験の数学を教えてきたからこそ、

最後に必要になるものが見えます。

公式をたくさん知っていることだけではありません。

初めて見る問題を前にして、

何が分かっているのか。

何が分からないのか。

条件をどう言い換えるのか。

どこから手をつけるのか。

そして、

うまくいかなかったときに、

別の方法を考えられるのか。

そういう力です。

だったら、

それを高校3年生になって突然求めるのではなく、

もっと小さい頃から、

考えることそのものを楽しめるようにしたい。

赤羽南教室の教育は、

そんなところから逆算して作っています。




「りんご塾だから赤羽南」から。


教室を始めた頃は、

当然、「りんご塾に通いたい」

と思って赤羽南を見つけてくださる方がほとんどでした。

それでいいと思っています。

りんご塾という素晴らしい仕組みがあったからこそ、

私たちもこの教室を始めることができました。

ただ最近、

少し違うことを感じるようになりました。

遠くから通ってくださる方がいます。

数ある教室の中から、赤羽南を探して来てくださる方がいます。

もしかすると少しずつ、

「りんご塾だから赤羽南へ行く」から、

「赤羽南だから、りんご塾へ行く」へ。

そんな変化が起き始めているのかもしれません。

この二つは、

似ているようで、違います。

「りんご塾だから赤羽南へ行く」は、

まず「りんご塾」という塾を選び、

その中から赤羽南教室を選ぶということ。

一方、

「赤羽南だから、りんご塾へ行く」は、

宿題を出さないことも、

先取りをすることも、

すぐに教えないことも、

難しい問題に本気で挑戦することも含めて、

「赤羽南の考え方に共感したから、この教室に通わせたい」

と思っていただくことです。

これは、

『赤羽南』教室が

どこかの教室より優れている、

という話ではありません。

同じ教材を使っていても、

そこにいる人間が何を考え、

子どもをどう見て、

何を大切にするかによって、

教室には少しずつ、

その教室らしい文化が生まれていく。

りんご塾という素晴らしい土台の上に、

少しずつ、

「赤羽南らしい教育」

が育ってきた、ということだと思います。

もし、

そんな部分まで含めて赤羽南を選んでいただけるようになったとしたら、

私たちにとって、

これ以上嬉しいことはありません。




RINGOJUKU WORKS


だから、

RINGOJUKU WORKSでは、

赤羽南が「何をやっているのか」だけを書くつもりはありません。

なぜ宿題を出さないのか。

なぜ先取りするのか。

なぜすぐに教えないのか。

なぜ難しい問題に挑戦するのか。

なぜ幼児期から大学受験までを、

一つの線で考えるのか。

一つ一つの方法だけを切り取れば、

少し変わった教室に見えるかもしれません。


でも、

私たちにとって大切なのは、

「何をしているか」よりも、
「なぜそうしているのか」。

RINGOJUKU WORKSは、

その「なぜ」を、少しずつ言葉にして残していく場所です。

赤羽南を特別な教室に見せるためではありません。

私たち自身が、何のためにこの教室をやっているのかを忘れないために。

そして、

私たちの考え方を知ったうえで、

「ここに通わせたい」

と思ってくださる方に出会うために。

「りんご塾だから、赤羽南へ。」

そしていつか、

「赤羽南だから、りんご塾へ。」

そんな教室になれたら、

とても嬉しく思います。




陽だまりの中庭とりんご塾レーシングカー.png
ブーーーーーーン!







2026.08.19

先日、GoogleのAIに、

「東京23区内のりんご塾で、個性の強い教室は?」

というような質問をしてみました。

すると、ありがたいことに、

りんご塾赤羽南教室

を挙げてくれました。


ところが、その説明を読んでみると、

「凄まじい実績への執念」

「超・先取りのスパルタ気質」

「熱血なプロに引っ張ってほしいタイプに向いている」

......。

なかなか濃い教室です(笑)。

そこまで強烈かな...(笑)。


もちろん、まったく身に覚えがないわけではありません。

算数オリンピックには本気で取り組んでいます。

学年に関係なく、できる子は先へ進みます。

幼児・小学生の段階から、大学受験までを一本の線として考えています。

やると決めたことには、本気で取り組んでほしい。

そういう教室ではあります。

でも、実際に毎日子どもたちと接している私たちが感じている赤羽南とは、どこか違う。



そこで、せっかくなのでAIに聞いてみました。

「なぜ、赤羽南をそう解釈したの?」

AIに、AI自身の解釈について聞いてみる。

なかなか変な話です(笑)。



AIが見ていたもの


AIの説明を整理してみると、

理由は意外と分かりやすいものでした。

算数オリンピックで結果を出している。

学年を超えて先の内容を学んでいる。

大学受験まで見据えて指導している。

難しい問題にも積極的に挑戦している。

募集する学年を限定している。

こうしたインターネット上の情報を組み合わせて、

AIは、

「競争意識が強い」

「実績を重視している」

「厳しく鍛える」

という教室像を作ったようです。

なるほど。

確かに、

一つ一つを外から見れば、

そういう解釈になるのかもしれません。

でも、ここで一つ気づいたことがありました。

もしかするとAIが赤羽南を理解しにくかった理由は、

情報が足りなかったことだけではないのかもしれません。



一つ一つなら、珍しくない


先取りをする塾はあります。

算数オリンピックに力を入れる塾もあります。

幼児教育を行う教室もあります。

大学受験を専門にする予備校もあります。

宿題を出さない教室もあるでしょう。

子どもの自主性を大切にする教育も、決して珍しいものではありません。

一つ一つなら、それほど珍しくありません。

でも、全部が一つの教室に入っている。

だから、既存のカテゴリーに収まりにくいのかもしれません。


そして、さらに面白いと思ったのは、

赤羽南には、普通なら一緒にならなそうなものが、いくつも同居していることです。



先取りする。でも、宿題はない


普通、かなり先取りをする教室と聞けば、大量の宿題を想像するかもしれません。

家庭でもどんどん勉強する。

演習量を増やす。

そして進度を上げていく。

ところが、

赤羽南は基本的に宿題を出しません。

それでも、

かなり先まで進む子がいます。

なぜか。

私たちは、先取りそのものを目的にしていないからです。

たくさん勉強させて、無理に先へ進ませたいわけではありません。

ただ、できる子に対して、

「まだこの学年だから」

という理由だけで止める必要もないと思っています。

できるなら進めばいい。

まだ考えたいなら、

立ち止まればいい。

だから、

先取りする × 宿題なし。

一見すると矛盾しているようですが、

私たちの中では、それほど矛盾していません。



難問をやる。でも、子どもが笑っている


算数オリンピックに本気で取り組む。

メダルも本気で目指す。

こう書くと、ピリピリした英才教育の教室を想像するかもしれません。

でも、実際の教室では、子どもたちが笑っています。

先生とくだらない話もします。

難しい問題を前にして、

「あーでもない」

「こーでもない」

と楽しそうに考えています。

もちろん、できなくて悔しがることもあります。

泣くことだってあります。

でも、

難しいことに挑戦することと、

楽しく学ぶことは、

反対ではないと思っています。

むしろ、

本当に考えることが好きになれば、難しいから面白い。

そんな瞬間があります。

だから、

難問に本気で挑む × 子どもが笑っている。

これも、

赤羽南では普通の光景です。



大学受験から逆算する。でも、年中から見る


これも、少し変わっているのかもしれません。

大学受験数学を教えてきた人間が、

幼児教育を考える。

普通なら、

あまり交わらない世界です。

でも私たちは、むしろつながっていると思っています。

高校生になって、

数学ができなくなった子をたくさん見てきました。

公式を覚えている。

解法も覚えている。

でも、

初めて見る問題になると手が止まる。

「どう考えればいいのか分からない」

という高校生は、決して少なくありません。

だからこそ、

もっとずっと前に、

大切にしたいことがあります。

問題文を自分で読むこと。

分からなくても少し考えること。

自分なりの方法を試してみること。

間違えた理由を考えること。

言葉を使って考えること。

簡単に諦めないこと。

そう考えると、大学受験と幼児教育は、

私たちの中では一本につながっています。

だから、

大学受験から逆算する × 年中から受け入れる。

これも、

私たちにとっては矛盾ではありません。




赤羽南には、こんな「矛盾」がたくさんある


考えてみると、

他にもあります。


結果にはこだわる × 結果だけでは評価しない。


挑戦する以上、結果は真剣に目指します。

算数オリンピックに出るなら、本気でメダルを取りにいく。

でも、メダルを取った子が偉くて、

取れなかった子がダメだとは全く思いません。

先へ進ませる × 急がせない。


できるなら先へ進む。

でも、一問をずっと考えているなら、

待つ。

自分で考えさせる × 一人にはしない。


答えは簡単に教えない。

でも、

困っている子を放っておくわけでもない。


子どもを尊重する × 子ども扱いしすぎない。


一人の人間として尊重する。

だからこそ、

約束したことには責任を持ってほしい。

自由に考えさせる × 約束には厳しい。

考え方は一人ひとり自由です。

でも、

人との約束は、自由とは別の話です。




こうやって並べてみると、

確かに少し変な教室かな...と思ったり。

でもあたりまえのことしか言ってないじゃないか、と思ったり(笑)。

私たちの中では、

どれも矛盾していません。




AIは、赤羽南を誤解したのか


ここまで考えて、

少し見方が変わりました。

AIが赤羽南を理解できなかったというより、

既存のカテゴリーに当てはめようとしたのかもしれません。


先取り。

算数オリンピック。

大学受験。

実績。


これらの言葉を並べれば、

「熱血」「競争」「スパルタ」

というカテゴリーに入れるのは、ある意味では自然です。


でも、そこに、

宿題なし。

待つ。

教えすぎない。

失敗させる。

笑っている。

という情報が入ってくる。

途端に、

カテゴリーにはまりにくくなる。

一つ一つなら珍しくない。

でも、普通なら一緒にならないものが、一つの教室に入っている。

だから、外から見ると説明しにくい、のかな?



そして、少し怖くなった


ここまでAIについて考えていて、ふと思いました。

AIは、見えている情報から、

「赤羽南とはこういう教室だ」

とカテゴリー分けしましたよね。


では、

私たちは子どもを見るとき、

同じことをしていないでしょうか。


テストで100点を取った。

「頭のいい子」。

授業中に落ち着かない。

「集中力のない子」。

すぐに答えられない。

「算数が苦手な子」。

宿題を忘れた。

「やる気のない子」。

目の前に現れた一つの事実から、その子全体を説明できる言葉を、私たちはつい探してしまいます。

でも、人間はそんなに単純ではありません。

算数が得意なのに、

失敗することをものすごく怖がる子もいる。

普段は諦めないのに、

ある問題だけはすぐに「無理」と言う子もいる。

いつも笑っているのに、

実は自信がない子もいる。

落ち着いて見えるのに、

頭の中ではものすごい速さで考えている子もいる。

矛盾して見えるものが、一人の中にいくつも同居している。

それが、人間なのだと思います。




カテゴリーから外れたところを見る


AIが赤羽南を一つのカテゴリーに入れようとしたことで、

現場とのズレが生まれました。

だとしたら、

私たちも、

子どもを分かりやすいカテゴリーに入れた瞬間、その子の大切な部分を見失うのかもしれません。


「この子はこういう子」

と理解した瞬間こそ、少し疑ったほうがいい。

本当にそうだろうか。

その子の中に、

まだ自分が見ていないものはないだろうか。

AIに対して、

「赤羽南をちゃんと見てほしい」

と思った私ですが、

でも最後には、別の問いが生まれました。

私たちは、目の前にいる子どもたちを、ちゃんと見ているだろうか。

一つ一つの特徴ではなく、

一見矛盾して見えるものまで含めて、

その子を見ているだろうか。

AIに赤羽南について聞いただけだったのですが、

ずいぶん遠いところまで来てしまいました(笑)。

長くなってしまって、読んで頂いた方も疲れたかもしれません。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

でも、こういうところまで考えてしまう教室だから、

AIにも、少し説明しにくいのかもしれませんね、、、。


BMWE36デモカー子どもたち勉強.png
ワイワイ、ガヤガヤ、カリカリカリ。











2026.08.18

「算数の文章題ができないのは、国語力がないから」

「算数も結局は読解力です」

最近、このような言葉をよく耳にするようになりました。

もちろん、問題文を正しく読む力は大切です。

書かれていることが理解できなければ、問題を解くことはできません。

ただ、りんご塾赤羽南教室では、

「算数の力は国語力で決まる」

という言い方には、少し違和感があります。

もしこの言い方をそのまま受け取ると、

「国語の点が高い生徒は算数もできる」

「現代文ができる人は数学もできる」

というように、やや単純な対応関係になってしまいます。

しかし、実際の学習現場では必ずしもそうはなりません。

私たちが算数を指導していて重要だと感じているのは、もう少し根本にある力です。

それが、

「語彙を、どれだけ正確に持っているか」

ということです。



「なんとなく分かる語彙」では思考は進まない


語彙を増やすこと自体は、とても大切です。

しかしここで注意したいのは、

「なんとなく意味が分かっている語彙を増やすこと」では不十分だということです。

たとえば、

「合計」「差」「残り」「全部で」

といった言葉を、子どもたちは一度は学びます。

しかし、その意味が曖昧なままだと、問題が少し変わっただけで手が止まってしまいます。

一方で、

「合計=すべてを合わせること」

「差=どれだけ違うかを表すこと」

「残り=もともとあったものから引いた後に残るもの」

というように、意味をできるだけ正確に持っている子は、問題の中で言葉を自由に扱うことができます。

ここに大きな差が生まれます。




考えるとは「言葉を正確に置き換えること」


算数の問題を解くとき、頭の中では何が起きているのでしょうか。

たとえば、

「全部で」

という言葉を見たときに、

「合わせる」

「足す」

「ひとまとめにする」

と正確に言い換えられるかどうか。

あるいは、

「残りはいくつ」

を見て、

「最初の数から減った分を引く」

と構造として理解できるかどうか。

さらに進むと、

問題文を図にする

図を式にする

式を言葉に戻す

というように、何度も変換が起こります。

このとき重要なのは、

「なんとなく分かる」ではなく、「正確に言い換えられる」ことです。

考えるとは、実はこの「言い換え」の連続だと私たちは考えています。




語彙は「思考の材料」である


では、なぜ語彙が重要なのでしょうか。

それは、語彙がそのまま思考の材料になるからです。

材料が曖昧であれば、組み立てられる思考も曖昧になります。

逆に、

一つひとつの言葉の意味が正確であれば、

「これはこういうことではないか」

「この条件はこう整理できるのではないか」

と、思考を動かすことができます。

つまり、

語彙の質が、そのまま思考の質につながる

ということです。




だから「ことばの学校」を併設しています


赤羽南教室は、算数・数学を非常に大切にしている教室です。

りんご塾では、幼児・低学年のうちから、自分で考え、試行錯誤し、簡単にあきらめないことを大切にしています。

そして城南コベッツでは、その先の大学受験数学までを見据えて指導しています。

そんな教室が、なぜ「ことばの学校」を併設しているのか。

理由はここにあります。

ことばの学校でたくさんの本を読む目的は、単に国語の点数を上げるためではありません。

さまざまな言葉に出会う。

同じことを表す違う表現に出会う。

その中で、

「なんとなく分かる言葉」を「正確に分かる言葉」に変えていく。

それが、算数にも、その先の学習にもつながっていくと私たちは考えています。




「読める」と「考えられる」は同じではありません


問題文を正確に読める。

これはもちろん大切です。

しかし、読めたからといって、その問題について考えられるとは限りません。

一方で、

言葉の意味を正確に捉え、

それを別の形に言い換えられる子は、

そこから初めて「考える」ことができます。

私たちが育てたいのは、

文章を読むことが上手な子だけではありません。

言葉を使って、

比べる。

分ける。

つなげる。

置き換える。

そして、自分の頭で考える。

そんな子どもです。




算数と国語を分けて考えない


学校では、算数と国語は別々の教科です。

しかし、子どもの頭の中では本来つながっています。

国語で出会った言葉が、算数の思考を支えます。

算数で鍛えた論理が、国語の理解を深めます。

だから赤羽南教室では、

算数だから数字だけ。
国語だから文章だけ。

とは考えていません。

りんご塾で「考える」。

ことばの学校で「言葉の意味を正確にする」。

そして、その両方を行き来しながら学びを深めていく。

そのために、幼児期から大学受験までを一貫して見据えています。




私たちが大切にしていること


私たちは、

算数の力は国語力で決まる

という単純な言い方では捉えていません。

それよりも大切なのは、

語彙を、どれだけ正確に持てているか。
言葉を、どれだけ正確に言い換えられるか。
そして、それを使って自分で考えられるか。

ということです。

ことばの学校も、りんご塾も、目指している方向は同じです。

子どもが、自分の頭で正確に考えられるようになること。

赤羽南教室では、そのための学びをこれからも大切にしていきます。


BMWE36デモカー図書館.png
ブロロロロロローブゥン...




2026.08.14

皆さんこんにちは!!

りんご塾赤羽南教室の中村です!

今日は小学1年生の男の子の話をしたいと思います。



その子は最近入ったばかりの子で私が担当するのはその日が初めてでした。


初めは話しかけても、

「いや1人でできるから」と言うので、

クールな子なのかなと思い、様子を見ていました。


すると、本当に1人ですらすら進めていて、

時間も気にしながら黙々と解いていました。


「ああ本当に1人で解きたいんだな」と思い、あまり声をかけずにいました。



その日は隣にもう1人担当の子がいて、その子は良く話す子でした。

「この問題出来た!」

「ここが難しい....」

などと話しかけてくれるので、


難しい問題が出来たときには

「すごいじゃん!」

「え、もう出来たの」

と声をかけていました。




すると、男の子の耳にもその言葉が聞こえてきたのか

男の子から「もうここまで出来たんだよ!」「ここも終わっちゃった~」

と、男の子の方からアピールしてくれるようになりました。


そして、隣の子より速く解こうとさらに1人でどんどん問題を解き進め始めました。


解くスピードがびっくりするほど速くて、


「丸付けが追いつかなくなっちゃうよ~」


と私が言うと、

さらにエンジンがかかり、

こちらがちょっと待ってと声をかけたくなるほどたくさん解き進めていました!


授業が終わったあと、私は少し面白いなと思いました。


最初は、

「1人でできるから」

と言って、黙々と問題を解いていた男の子。


もちろん、そのときも十分集中して取り組んでいました!


でも、隣の子が先生と話しているのを聞いて、

「自分だってこんなにできるよ!」

「もっとできるよ!」

そんな気持ちが少しずつ芽生えて、さらにやる気に火がついたのだと思います。


そして、その気持ちが出てきてからの集中力とスピードは、本当にすごいものでした(笑)。



そして次の週、彼が来校したときには、

小学3年生の子と積み木をどっちが速く作れるか勝負をすることになりました。

相手は年上なので、なかなか勝てません。


それでも、


「もうやらない!」


とは言いません。


負けても負けても、何も言わずに一生懸命考えて、また挑戦していました。

でも、その「負けたくない」という気持ちがあるからこそ、

どうしたらもっと速くできるのかを考えたり、

もう一回やってみようと思えたりするのだと思いました。


負けても、また挑戦する!


そんな姿がとても素敵だなと思いました。





子どもたちを見ていると、


「誰かよりできるようになりたい」


という気持ちは、決して悪いものではないのだなと感じます。


「人と比べなくていいよ」


という言葉も、もちろん大切です。

私自身、人と比べがちなところがあり、

どちらかというと、それを良くない方向に捉えてしまうことが多くありました。


しかし、


「隣の子よりたくさん解きたい!」

「先生をびっくりさせたい!」

「こんなにできたよ!って言いたい!」

「すごいって言われたい!」


そういう気持ちも子どもが頑張るためのエネルギーになるのだと気付かされました。


今回の男の子も、誰かに「もっとやりなさい」と言われたわけではありません。

自分からどんどん問題を解いて、

自分から「ここまでできたよ!」と教えてくれました。


そんな姿を見ていると、

子どものやる気スイッチって、本当にどこにあるかわからないなと思います。



だからこそ私は、

「あ、今この子のエンジンがかかったな」

と、その瞬間を見逃さないようにしたいと思いました。

そして少しずつ


「隣の子より解きたい!」

「先生より速く解きたい!」


などの経験をたくさん重ねながら、自分ってこんなにできるんだ!と気付き、


いつか、


「今までよりもできるようになりたい!」


に変わっていったら、とても素敵だと思います。



やる気スイッチが入った子どもたちの解くスピードは本当にすごいです!

丸付けが追いつくように、私も負けずに頑張りたいと思います!!(笑)


IMG_0823.JPG
城南コベッツ赤羽南教室
りんご塾赤羽南教室
・りんご塾といえば、東は赤羽!西は滋賀!
・全国で唯一、大学受験まで指導できるりんご塾
・人間的成長なくして学力の向上なし
・語彙力なくして思考なし、思考なくして学力なし

東京都北区赤羽南1-3-7 セキネビル3F
(赤羽駅南改札より徒歩2分)
℡.:03-6903-8030  
Mail: covez_akabaneminami@johnan.co.jp
※電話対応時間:㈫~㈮ 15:30~21:00 / ㈯ 11:30~20:30

2026.08.13

「考える力を育てます。」

教育の世界では、よく聞く言葉です。

思考力。

論理的思考力。

問題解決能力。

最近では、どんな塾や教材を見ても、こうした言葉が並んでいます。

もちろん、私たちも「考える力」はとても大切だと思っています。

では、

「考える」って、いったい何なのでしょうか。

「考える」というのが、どういうことなのかを

はっきりと定義している人には、あまり出会いません。


難しい問題が解けること?

計算が速いこと?

論理的に説明できること?

知識をたくさん持っていること?

どれも関係していると思います。

でも私は、もっと手前にあるものだと考えています。

私たちが子どもたちに身につけてほしい「考える力」を、ものすごく簡単な言葉で定義すると、

「自分の力で、なんとかしようとすること」

です。



「わからない」の次に何をするか


子どもたちを教えていると、難しい問題に出会ったときの反応は本当にさまざまです。

問題を何度も読む子。

図を描く子。

手を動かして試す子。

前にやった問題を思い出そうとする子。

先生に質問する子。

そして、

「わかりません」

と言って、手を止めてしまう子。

私は、「わからない」こと自体はまったく悪いことだと思っていません。

わからないものは、わからない。

大人だって同じです。

問題は、

「わからない」と感じたあとです。

わからない。

じゃあ、どうする?

もう一度読むのか。

図を描いてみるのか。

小さい数字で試してみるのか。

似た問題を思い出してみるのか。

先生の説明を聞くのか。

友達の考え方を聞くのか。

何か一つでも、自分から動いてみる。

私は、そこから「考える」が始まると思っています。




頭の中だけで考える必要はない


「考える」というと、

じっと問題を見つめて、頭の中だけで答えを導き出す姿を想像するかもしれません。

でも、そんな必要はありません。

紙に書けばいい。

図を描けばいい。

具体的な数字を入れてみればいい。

手を動かせばいい。

誰かに聞いたっていい。

辞書を引いたっていい。

本を調べたっていい。

大切なのは、

自分が今持っているものを使って、なんとか前に進もうとすること。

私は、それが思考するということの原点だと思っています。




「自分で考える」とは、「自分だけで考える」ことではない

ここは、とても大切だと思っています。

「自分で考えなさい」

と言うと、

誰にも聞かず、

何も見ず、

最初から最後まで一人で解決することだと思われることがあります。

しかし、私が伝えたい「自分で考える」とは、そういう意味ではありません。

むしろ、自分の頭で考えるということは、必要に応じて人の力を借りることも含まれています。

先生の考え方を聞くこと。

友達の解き方を知ること。

別の方法がないかを調べること。

よりよい考え方に出会うこと。

こうしたことはすべて、「考えること」を深めるための大切な材料になります。

大事なのは、それらをそのまま受け取ることではありません。

一度自分の頭で整理し、

「なぜそうなるのか」

「自分の考えとどこが違うのか」

と考え直すことです。

そうして初めて、他人の考えは自分の力になります。

そして次に似た問題に出会ったとき、それを自分の判断として使えるようになります。

それもまた、立派な「考える」です。

「自分で考える」とは、「自分だけで考える」ことではないのです。




答えを教えないことが「考えさせる」ことでもない


もう一つ、教育の現場で少し気になることがあります。

「思考力を育てるために、答えを教えません」

という考え方です。

もちろん、すぐに答えを教えてしまえば、子どもが考える機会を奪ってしまいます。

だから、待つことは大切です。

でも私は、

教えなければ考えるようになる

とも思っていません。

知らないことは、いくら考えてもわからないことがあります。

経験がなければ思いつかないこともあります。

そこで必要なのが、教師です。

ヒントを出す。

別の見方を示す。

似た問題を思い出させる。

必要なら解き方を見せる。

そして、

「先生は、なぜこう考えたと思う?」

と問い返す。

考えさせることと、教えることは対立するものではありません。

むしろ、

どこまで待って、どこから教えるのか。

そこを判断することこそ、教師の大切な仕事だと思っています。




正解したから「考えた」とは限らない


算数では、答えが合っていれば○がつきます。

でも、

正解した=考えた

とは限りません。

やり方を丸暗記して、その通りに計算しただけかもしれない。

なんとなく数字を入れたら偶然合ったのかもしれない。

逆に、

答えは間違っていても、ものすごく考えていることがあります。

図を描いた。

場合分けをした。

途中までは正しかった。

でも最後に計算を間違えた。

私は、こういう答案を見るとつい笑ってしまいます。

なぜなら、その子が何を考えたのかが見えるからです。

どんな様子で解いていたのか、その必死な姿が目に浮かびます。

答えだけを見るのではなく、

そこに至るまでに、何をしたのか。

教育では、そこを見なければならないと思っています。




「すぐにできる子」が必ずしも強いわけではない


小さい頃から算数が得意な子の中には、非常に速く答えを出す子がいます。

それは素晴らしい能力です。

でも、そういう子ほど気をつけなければならないこともあります。

今まで、少し考えれば何でもできてしまった。

だから、本当に難しい問題に出会った経験が少ない。

初めて自分の力ではどうにもならない問題に出会ったとき、

急に手が止まることがあります。

「できない」

「わからない」

「やりたくない」

となってしまう。

私は、算数が得意と感じている子にこそ、

簡単には解けない問題に出会ってほしい

と思っています。

すぐにはできない。

考えてもわからない。

やり直しても間違える。

それでも、もう一回やってみる。

そこで初めて、

その子の「考える力」が試されます。




「無理」で終わらせない


私たちの教室では、

「無理」

「やだ」

「めんどくさい」

という言葉を、できるだけ簡単には使わせたくないと思っています。

もちろん、本当にできないことはあります。

嫌なこともあります。

面倒なことだってあります。

でも、

「無理」

と言った瞬間、思考が止まります。

できるか、できないかは、そのあとでいい。

まず、

「どうしたらできるだろう?」

と考えてみる。

全部できなければ、どこまでならできるのか。

一人でできなければ、誰に聞けばいいのか。

今できなければ、何を覚えればできるようになるのか。

この習慣は、算数だけの話ではないと思っています。



大人になってからの問題には、答えが書いていない


子どもたちが大人になったときに出会う問題には、教科書のような答えがありません。

仕事がうまくいかない。

人間関係で困る。

思った通りにいかない。

自分の知らないことに出会う。

突然、予定が変わる。

失敗する。

そんなとき、

誰かが横に座って、

「この公式を使えば解けますよ」

とは教えてくれません。

自分が持っている知識でなんとかしようとする。

それでだめなら、

調べる。

試す。

人に聞く。

失敗する。

やり方を変える。

そして、また試す。

結局、大人になってからも私たちがやっていることは、

自分の力でなんとかすること

なのだと思います。




算数は、その練習ができる


私は、算数の素晴らしさの一つはここにあると思っています。

わからない問題が目の前にある。

でも、必ずどこかに突破口がある。

まさに、自分がもっている道具や知識で、何とかできないか工夫する訓練です。

図を描く。

与えられた条件を整理する。

小さな場合から考える。

知っていることと結びつける。

試してみる。

間違えたら戻る。

そして、

「あ、わかった。」

という瞬間が来る。

この経験を、子どもの頃に何度もしてほしい。

なぜなら、その経験が、

「わからないものに出会っても、自分はなんとかできるかもしれない」

という感覚につながると思うからです。




私たちが育てたい「考える力」


RINGO JUKU WORKSが考える「思考力」は、難しい言葉ではありません。

知識をたくさん持っていることだけでもない。

難問を速く解けることだけでもない。

誰にも頼らず、一人ですべて解決することでもない。

わからないものに出会ったとき、

そこで止まらず、

「さて、どうしよう」

と考えられること。

前提やルールからは、誰も逃れられません。

そのうえで、

自分の持っているものを使う。

必要なら、人の力も借りる。

教えてもらったら、その考え方を自分のものにする。

失敗したら、別の方法を試す。

それでもダメなら、また考える。

私は、それが「考える力」だと思っています。

そして、その力は算数のためだけに身につけるものではありません。

子どもたちがこれから生きていく長い人生の中で、

答えのない問題に出会ったとき、

簡単に、

「無理」

で終わらせないための力です。

考えるとは、自分の力でなんとかしようとすること。

とても単純な言葉ですが、

RINGO JUKU WORKSでは、この力を何より大切にしていきたいと思っています。


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ブンブンブーーーーーン!











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