城南コベッツ赤羽南教室

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赤羽南教室のメッセージ

2026.09.11

先日のRINGOJUKU WORKS番外編で、

私はこんなことを書きました。

「待つことが大切」と書いている本人が、待てない。

教育について文章を書いていると、どうしても話はきれいになります。

子どもが考えるまで待つ。

すぐに答えを教えない。

失敗を奪わない。

自分で気づくまで見守る。

どれも、私が本当に大切だと思っていることです。

でも実際の教室では、そんなに簡単ではありません。

もう少し待つべきか。

ここでヒントを出すべきか。

今日は教えてしまった方がいいのか。

授業時間には限りもあります。

私自身、待ちきれずにヒントを出してしまい、

授業が終わってから、

「あそこ、あと30秒待てたな」

と思うことがあります。

それでも私は、

「教えすぎない」ということを、赤羽南の教育で大切にしたいと思っています。

なぜなら、先生という仕事をしていると、子どもが分からない問題に出会ったとき、どうしても教えたくなるからです。

「ここは、こう考えるんだよ」

「この図を描いてみよう」

「この式を使えば解けるよ」

先生は答えを知っています。

だから、教えることはそれほど難しくありません。

説明すれば、授業はスムーズに進みます。

教材も先へ進みます。

一見すると、とても良い授業に見えます。

でも私は、ときどき思います。

先生が教えれば教えるほど、子どもが考える時間は減っていないだろうか。

今回は、そんな「教える」ということについて、もう少し深く考えてみたいと思います。

分からないと、先生を見る子

子どもたちを教えていると、問題を少し読んだだけで先生の顔を見る子がいます。

まだ何も試していません。

図も描いていません。

もう一度、問題を読み直してもいません。

それでも先生を見る。

そして、あっさり「分からない」と言います。

もちろん、本当に分からないのだと思います。

問題は、そのあとです。

先生が毎回、「これはこうやるんだよ」と教えてくれる。

すると子どもは、あることを学習します。

「分からなければ、先生に聞けばいい」

ということです。

私は、これは少し怖いと思っています。

その問題を解いたのは、本当に子どもなのか

先生がヒントを出す。

子どもが解く。

「できた!」

もちろん、それも大切な経験です。

でも、少し意地悪な見方をすると、その問題を解いたのは本当に子どもなのでしょうか。

先生が問題を整理して、

見るべきところを教えて、

考える方向を決めて、

最後の計算だけを子どもがした。

それでも答案には○がつきます。

けれど、

○がついたことと、その子が考えられるようになったことは同じではありません。

「分からない」から、考えることが始まる

教育では、「分かった」ことが良くて、「分からない」ことが悪いように扱われることがあります。

私は、そうは思いません。

むしろ、分からないときこそ、考えることが始まると思っています。

分からない。

もう一度読む。

図を描く。

数字をいれてみる。

違ったら消す。

別の数字や方法を試す。

また違ったら、そこで、もう一度考える。

この時間は、とても大切です。

先生がすぐに教えてしまえば、この時間はなくなります。

子どもが困っている時間を短くすることが、必ずしも良い教育とは限りません。

「教えるか」ではなく、「いつ、どこまで教えるか」

だからといって、「分からない」と言っている子を放っておくわけではありません。

先生は見ています。

どこまで分かっているのか。

問題文を正しく理解しているのか。

何を勘違いしているのか。

もう少し待てば、自分で気づきそうなのか。

それとも、このまま考え続けても進めないのか。

必要なら声をかけます。

必要ならヒントも出します。

一緒に考えることもあります。

そして、本当に必要なら教えます。

大切なのは、

「教えるか、教えないか」ではなく、「いつ、どこまで、教えるか」。

だと思っています。

実は、教えない方が難しい

先生が解き方を説明することは、ある意味では簡単です。

先生は答えを知っていますから、自分が知っている解き方を説明すればいい。

でも、子ども自身に考えさせながら、必要なところを少しだけ支えるとなると、一気に難しくなります。

この子には、もう少し待った方がいい。

この子には、一言だけ必要。

この子には、図を描くところまで手伝おう。

この子には、今日は最初から説明した方がいい。

同じ問題でも、子どもによって、あるいはその子の体調や気分によって違います。

だから赤羽南では、

「先生がどれだけ上手に説明したか」だけを、良い授業の基準にはしていません。

先生が話していなくても、子どもが考えている。

そんな時間も、授業だと思っています。

沈黙している時間も、授業です

教室で子どもが黙って問題を見ている。

先生も黙っている。

外から見ると、「先生、何もしていないのでは?」と思われるかもしれません(笑)。

でも、その子どもの頭の中では、いろいろなことが起きています。

考えている。

試している。

迷っている。

頭の中で図を動かしている。

以前に解いた問題を思い出している。

私は、この時間を簡単に壊したくありません。

先生が何か言えば、沈黙はなくなってしまいます。

と同時に、

子どもの思考を途中で止めてしまうこともあります。

だから、よく観察し、そして待ちます。

教育では、

何を言うかと同じくらい、いつ黙っているかが大切です。

「それだけしか進んでいないんですか?」

ただ、実際にこの教育を現場で続けるのは簡単ではありません。

赤羽南では、授業後に講師から保護者の方へ、その日の授業についてフィードバックをしています。

そのとき、ときどき、

「それだけしか進んでいないんですか?」

と言われることがあります。

保護者の方の立場から考えれば、その気持ちも分かります。

同じ授業時間なら、5ページより10ページ。

10ページより20ページ。

たくさん進んだ方が、たくさん勉強したように見えます。

でも、たとえば一つの難しい問題に20分かかったとします。

教材としては、たった一問です。

でも私は、その20分を、

「一問しか進まなかった20分」

とは考えていません。

教材は一問しか進まなかった。
でも、その子自身は大きく成長した。

そんな瞬間が授業の中には確かにあります。

学生講師一人に、教育方針の責任を背負わせない

これは、教えている講師にとっても簡単なことではありません。

赤羽南では、大学生の講師も子どもたちを指導しています。

授業後、保護者の方に進捗を報告したとき、

「それだけですか?」

と言われれば、当然気になります。

真面目な講師ほど、

「もっと進めなければ」

と思います。

すると次の授業では、少し早くヒントを出す。

少し早く説明する。

迷っていたら正解の方向を示す。

答えまで誘導する。

そうすれば教材は進みます。

授業後も、「今日はここまで進みました」と言いやすくなります。

でも、それを続けていけば、

赤羽南がやりたい教育から、少しずつ離れていきます。

だから私は、講師にも繰り返し伝えています。

その子が本当に考えている時間なら、それは授業です。

ページ数が少ないことを、必要以上に気にしなくていい。

教育方針の責任を、学生講師一人に背負わせるべきではありません。

それは、教室が持つべき責任です。

「何ページ進んだか」ではなく、「何が変わったか」

授業後のフィードバックも、

「今日は○ページから○ページまで進みました」

だけでは足りないと思っています。

たとえば、

「今日は一つの問題に時間を使いました。最初は手が止まっていましたが、すぐには解き方を教えずに待ちました。すると、自分から図を描き始めました。一度間違えましたが、自分で気づいて修正し、最後は自力で答えまでたどり着きました」

これも立派な授業報告です。

むしろ私が保護者の方に知っていただきたいのは、こちらです。

何ページ進んだかではなく、今日、その子の中で何が起きたのか。
何に困って、どう考えて正解にたどり着いたのか。

昨日まで先生の顔を見ていた子が、今日は自分で考えた。

何も書かなかった子が、図を描いた。

間違えたら止まっていた子が、もう一度やった。

そういう変化を、私たちは見ています。

答えを教えないことが目的ではない

もちろん、何が何でも答えを教えないわけではありません。

子どもが長い時間考えても、まったく進まないことがあります。

まだ知らない知識が必要な場合もあります。

そこまでの理解が足りていないこともあります。

そういうときには教えます。

場合によっては、最初から丁寧に全部説明します。

私は「自分で考えさせる教育」という言葉そのものにも、少し注意が必要だと思っています。

何でも一人で考えさせればいいわけではありません。

知らないことは、教えてもらえばいい。

人に聞くことも大切です。

一緒に考えることも大切です。

大事なのは、本人が考えるべきところまで、大人が先回りしないことです。

大学受験でも、同じことが起きる

これは、幼児や小学生だけの話ではありません。

大学受験生でも同じです。

見たことのない問題が出たとき、少し考えて、

「この問題は、どうやって解くんですか?」と聞く。

あるいは解説を見る。

でも入試問題では、

「この問題には、この解法を使います」

と誘導してはくれません。

自分で判断しなければなりません。

何を使うのか。

どこから始めるのか。

何が分かっているのか。

何を求めるのか。

だから私は大学受験数学を教えるときも、解法を覚えることだけではなく、

「最初の一手を自分で考えること」

を大切にしてきました。

そして、この力は高校3年生になって突然身につくものではありません。

年中と高3の「どうしよう」

年中の子が積み木を前にして、「どうしよう」と考えている。

高校3年生が入試問題を前にして、「どうしよう」と考えている。

扱っている内容は、まったく違います。

でも私は、この二つをそれほど別のものだとは思っていません。

分からなくても、何かやってみる。

違ったら、また考える。

この経験を、小さい頃から何度もしてほしい。

だから赤羽南では、子どもが困っているとき、すぐには助けないことがあります。

冷たいからではありません。

その「どうしよう」の時間に、育っているものがあると思っているからです。

同じ「できた」なら、「自分でできた」を

先生に教えてもらって正解する。

それも「できた」です。

でも、

ずっと考えて、

何度か間違えて、

最後に自分で気づいて、

「あっ!」となる。

同じ○でも、私は少し違うと思っています。

子どもに残るのは、「自分でなんとかできた」という経験です。

その経験が積み重なると、次に難しい問題が出たとき、すぐに先生に助けを求めるのではなく、

「ちょっとやってみよう」と思えるようになります。

私は、それを育てたいと思っています。

教えるために、教えすぎない

ここまで書くと、

「では赤羽南では、先生たちがいつも完璧に待てているのか」

と思われるかもしれません。

もちろん、そんなことはありません(笑)。

私自身、待てないことがあります。

ヒントを早く出しすぎたと反省することもあります。

学生の先生たちも迷います。

「ここは教えた方がいいですか?」

「もう少し待った方がいいですか?」

そんな相談もあります。

だからこそ、これはマニュアルにはできません。

「何分待ったらヒントを出す」

「何回間違えたら教える」

そんなルールで決められるものではないからです。

目の前の子どもを見て、その都度考える。

うまくいかなければ、授業が終わってからまた考える。

次は少し待ってみる。

次はもう少し早く助けてみる。

番外編でも書いたように、

理念とは、子どもをその通りに動かすためのマニュアルではなく、先生が迷ったときに戻る場所なのだと思います。

「教えすぎない」というのも、まさにそうです。

完璧にできているから掲げているのではありません。

難しいからこそ、大切にしたい。

そう思っています。

教えすぎない教育には、子どもの我慢だけが必要なのではありません。

先生にも我慢が必要です。

すぐ教えない。

すぐ助けない。

すぐページ数を稼ごうとしない。

そして保護者の方にも、

「考えている時間にも、学習としての価値がある」

ことを、少しずつ、そして繰り返し伝えていく必要があります。

子ども。

先生。

保護者。

そして教室。

みんなが同じ方向を向かなければ、この教育を続けることはできません。

先生の仕事は、教えることです。

これは間違いありません。

でも私は、教えることと、答えまで連れていくことは同じではないと思っています。

必要な知識は教える。

困っていれば支える。

でも、子どもが自分で歩けるところまで、先生が抱えて運ばない。

少し待つ。

少し離れる。

必要なときだけ手を貸す。

そして、自分でたどり着いたら一緒に喜ぶ。

それが、私たちの考える「教える」です。

だから赤羽南では、教えるために、教えすぎない。

教材が一問しか進まない日があってもいい。

教材よりも、その子自身が進んでいる。

私たちが見たいのは、そちらです。

そして、この教育を続けるためには、子どもだけではなく、

教える側も、待てる大人でなければならない。

いや、正確には、

待てる大人でありたい。

私自身も含めて、そう思っています。



ChatGPT Image 2026年9月9日 20_05_12.png
うーんうーんうーん.........ピピン(!!)



2026.09.10

皆さんこんにちは!

りんご塾赤羽南教室の天羽です!




夏休みが明け、楽しい夏休みの話から、

少しずつ学校での話を聞くようになりました。


最近では、

「運動会の練習が始まった!」

という話や、

「ダンスの練習が難しくて......」

など、思い思いの話を、教室に来てすぐに聞かせてくれます。


授業中も話が盛り上がることもありますが、

「約束のテキストが全部できたら話聞きたいな~」

と伝えると、しっかりと集中して取り組んでくれます。


みんなの元気な姿を見ることができ、

学校での出来事もたくさん聞けて嬉しい限りです。



さて本日は、

いつもの授業での出来事ではなく、

幼児用のテキストを見ていて考えたことについて書いてみようと思います。




先日、テキストを見ていると、

「これ、大学で勉強したことに似ているかも!」

と思う問題がありました。


IMG_2793.JPG



それが、

「三ツ山課題」

です。


三ツ山課題とは、

幼児が他者の視点をどの程度理解できているかを見るものです。



こちらの画像も参考になると嬉しいです!!

三ツ山課題_具体画像.png

例えば、子どもの前に高さや形の違う3つの山があるとします。


自分がいる場所から見える山の景色と、

反対側にいる人から見える山の景色は違いますよね。



そこで、

「反対側にいる人には、どんなふうに見えているかな?」

と考えます。


大人にとっては、

それほど難しいことではないように感じます。



でも、小さな子どもにとっては意外と難しいんです。



私が大学で「三ツ山課題」について学習したとき印象に残ったのは、

幼児期の子どもは、自分を中心に世界を捉えているということでした。



発達心理学では、このような特徴を「自己中心性」といいます。


ここでいう「自己中心性」は、

「自分勝手」

「わがまま」

という意味ではありません。



小さいうちは、

自分が見えているものを、

他の人も同じように見ていると思ってしまう。



「自分に見えているんだから、相手にも見えているよね」

という感覚です。



これは子どもにとって自然なことで、

幼児期の発達の一つとして考えられています。



でも、成長していろいろな人と関わっていく中で、

「自分と相手は違うんだ」

「同じものを見ていても、違う見え方をするんだ」

ということに少しずつ気づいていきます。



そして小学生くらいになると、

少しずつ「自分の視点と相手の視点を分けて考えられる」ようになっていきます。



大学でこの話を聞いたとき、

「そういえば、小さい頃って自分を中心に世界が回っているように思っていたかもな~」

と、自分自身の幼い頃を思い出しました。


そして、成長するということは、

自分以外の人の存在を知り、

その人からは世界がどう見えているのかを、

少しずつ想像できるようになることでもあるのだと知りました。



そんなことを大学で学んでいたので、

りんご塾の幼児用テキストの中に似た考え方の問題を見つけたとき、

「これって、三ツ山課題と同じだ!」

と嬉しくなりました。



大学では発達心理学として学んだことが、

りんご塾では子どもたちが実際に取り組む問題になっていたんです。



そして今回、

改めて教材を見ながら、

もう一つ気づいたことがありました。



それは、

「教材が何を求めて作られているのかを知ることで、

 先生の教え方も変わるのではないか」

ということです。



例えば、人形から物がどう見えるのかを考える問題で、

子どもが分からず困っていたとします。



そんなとき、

「この人形さんには、どう見えると思う?」

と聞くこともできます。



でも、

「○○ちゃんが、この人形さんのところに立っていたら、どう見えるかな?」

と聞くこともできます。



一見すると、同じことを聞いているように思います。

でも私は、この二つは少し違うのではないかなと思いました。




後者では、一度自分が今いる場所を離れて、


「もし自分が相手の場所にいたら?」


と考えることになります。



実際にその場所へ自分を置き換えて想像してみる。


そうすると、今までとは少し違った見方ができるかもしれません。


私はこの考え方が、とても面白いなと思いました。




「この人のところに自分が立ったら、どう見えるかな?」

という考え方は、算数や図形の問題だけのものではないように感じたからです。



人と関わるときにも、

「自分だったらどう思うか」

だけではなく、


「この子の立場だったら、どう感じるかな?」

と考えることがあります。



もちろん、

三ツ山課題ができることと、

人の気持ちを思いやれることがそのまま同じというわけではありません。



でも、

自分とは違う場所から物事を見てみる。

その経験を積み重ねていくことは、

他者の存在に気づき、

相手の立場について考えることにもつながっていくのではないかな、と私は感じました。



先生が、

「この力を見るために作られているんだな」

「こんな力を伸ばしたいんだな」

と分かっていれば、

子どもが止まったときに出すヒントも変わります。



すぐに答えにつながるヒントを出すのではなく、

「○○ちゃんだったらどう見える?」

「○○ちゃんがここに立っていたら?」

と、その子自身が視点を動かすためのヒントを出すことができます。



問題を解かせることだけを考えれば、

どちらのヒントでも正解にたどり着けるかもしれません。



でも、

「何のためにこの問題を解いているのか」

まで考えると、先生の一言も変わってくるのだと思いました。



そう考えると、

先生自身が教材について学ぶことも、

とても大切だと気付かされました。



大学で学んだときには、

「発達心理学の三ツ山課題」として覚えていたものが、

実際に子どもたちと関わりながら見ると、全く違って見えました。



大学で学んだことを教室で見つける。

教室で見つけたことから、大学で学んだ意味をもう一度考える。

最近、この行き来がとても面白いです!


これからも、

「あ!これ大学で勉強したことだ!」

という発見があったら、皆さんにもご紹介していきたいと思います。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました!



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城南コベッツ赤羽南教室
りんご塾赤羽南教室

・りんご塾といえば、東は赤羽!西は滋賀!
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2026.09.09

RINGOJUKU WORKSを始めてから、私は教育についていろいろなことを書いてきました。

自分で考えることが大切だ。

簡単に答えを教えてはいけない。

大人は待たなければいけない。

失敗を奪ってはいけない。

簡単に諦めない子を育てたい。

先取りをしても、急がせてはいけない。

答えより、考えた時間が残る。

こうして並べてみると、

我ながら、ずいぶん格好いいことを書いています(笑)。

では私は、毎日の授業で、そんな理想通りの指導ができているのか。

今日は、そのことについて正直に書いてみようと思います。

結論から言います。

全然できていません(笑)。

教育の現場は、そんなにきれいではない

私は長い間、教育の仕事をしてきました。

小学生、中学生、高校生、大学受験生。

いろいろな年代の子どもたちを教えてきました。

自分自身の子育ても、もう終わっています。

だから、子どもというものを、それなりに分かっているつもりでした。

ところが今、りんご塾で年中、年長、小学校低学年の子どもたちを毎日のように教えていると、

そんな自信は簡単に吹き飛ばされます(笑)。

4歳、5歳、6歳の子どもたちです。

昨日できたことを、今日はやらない。

先週あれだけ頑張ったのに、今週は最初から「やりたくない」。

問題を読んでほしいのに、隣の子の積み木が気になる。

「もう一回考えてみよう」

と言った瞬間に、

「わかんなーい」

と返ってくる。

こちらが一生懸命話しているのに、そもそも聞いていない(笑)。

ブログには、

「子どもが考えるまで待つことが大切です」

と書いている私が、

「ちょっと先生の話聞こうか(笑)」

と言っている。

これが現実です。

子育ても教育も、理想と現実の差がものすごい

私は、子育てと教育には、とてもよく似たところがあると思っています。

それは、

理想と現実のギャップが、とにかく大きいことです。

子育ての本を読めば、いろいろなことが書いてあります。

子どもの話をよく聞きましょう。

感情的に怒らないようにしましょう。

子どもの自主性を大切にしましょう。

他の子と比べないようにしましょう。

その通りです。

全部正しい。

教育も同じです。

自分で考えさせましょう。

すぐに答えを教えないようにしましょう。

子どもを待ちましょう。

成功体験を積ませましょう。

これも全部正しい。

でも、

それが毎日できたら苦労しないんです(笑)。

私は自分の子育てを終えています。

教育の仕事も長くやってきました。

それでも、幼児や低学年の子どもたちを前にして、

「今日はどうしたらいいんだろう」

と思うことがあります。

いや、

心が折れている日だって、普通にあります。

何十年やっても、です。

「待つことが大切」と書いている本人が、待てない

例えば、私はRINGOJUKU WORKSで何度も、

「待つことが大切だ」

という話を書いています。

これは本当にそう思っています。

でも、実際の授業では難しい。

目の前の子が考えている。

ここは自分で気づいてほしい。

だから待つ。

30秒。

まだ考えている。

1分。

もう少し待ちたい。

でも授業時間は決まっています。

ほかの子もいます。

子どもの集中力にも限界があります。

さて、どうする。

ヒントを出すか。

もう少し待つか。

今日はここまでにするか。

その判断を、授業中ずっと繰り返しています。

そして私自身、待ちきれずにヒントを出してしまうこともあります。

授業が終わってから、

「あそこ、あと30秒待てたな」

と思う。

逆に、

「今日は頑張らせすぎたかな」

と思う日もあります。

もっと言えば、

「あの言い方は良くなかったな」

と思うこともあります。

先生だって失敗します。

私も失敗します。

今でもです。

昨日うまくいった方法が、今日は通用しない

教育が難しいのは、

同じことをすれば、同じ結果になるわけではない

ところです。

昨日は少し厳しく言ったら頑張った。

だから今日も同じように言ってみる。

今日は泣いてしまった。

昨日はヒントを出したら、そこから一気に解けた。

今日も同じようにヒントを出す。

今日は考えることをやめてしまった。

同じ子でも違います。

その日の体調も違う。

気分も違う。

学校で何かあったかもしれない。

眠いのかもしれない。

お腹がすいているのかもしれない。

特に小さな子どもたちは、こちらの教育計画なんて簡単に壊してくれます(笑)。

だから、

「この指導法が正しい」

「こうすれば子どもは伸びる」

と簡単には言えません。

目の前の子どもを見ながら、

今日は待つ。

今日は教える。

今日は少し厳しく言う。

今日は笑わせる。

今日は進める。

今日は進めない。

その判断を毎回するしかありません。

これが、本当に難しい。

何十年やっても、心が折れる

教育を長くやっていると、

何でも分かっているように見られることがあります。

でも、そんなことはありません。

むしろ長くやればやるほど、

分からないことの多さが分かってきます。

特に幼児や低学年の指導は、本当に難しい。

何回言っても伝わらない。

昨日できたことが今日はできない。

一生懸命考えた授業が、まったくハマらない。

そんな日が続けば、

「自分のやり方が間違っているのかな」

と思うことだってあります。

自分の子育ても終わった。

教育にも長く携わってきた。

だったら、もう少し上手にできてもいいんじゃないか。

そう思います。

でも、できない(笑)。

4歳、5歳、6歳の子どもたちは、

私の経験も、

経歴も、

肩書も、

そんなものにはまったく忖度してくれません。

当たり前です。

だから今でも迷います。

今でも反省します。

そして、ときどき本気で心が折れます。

そんな私を、助けてくれる人たちがいる

そして、今回これを書こうと思った一番の理由は、ここかもしれません。

私は一人でこの教室をやっているわけではありません。

教室長の東木先生がいます。

そして、一緒に子どもたちを見てくれている学生の先生たちがいます。

私は、本当にこの人たちに助けられています。

私自身が少し熱くなってしまったとき。

何度言っても伝わらなくて、

「今日はちょっとキツいな」

と思っているとき。

隣を見ると、東木先生が私とは違う距離感で子どもと話している。

学生の先生が、

同じ説明を嫌な顔ひとつせず、もう一度してくれている。

子どもができた瞬間に、

自分のことのように喜んでくれている。

そんな光景を見て、

私自身が救われることがあります。

年齢も、肩書も、教育歴も関係ない

私は教育の仕事を長くしています。

学生の先生たちから見れば、親より上の世代かもしれません。

でも、だから私の方がいつも正しいなんてことはありません。

子どもへの接し方を見て、

「ああ、その言い方いいな」

と思うこともあります。

「自分だったら、そんなふうに待てなかったな」

と思うこともあります。

学生の先生から教えられることだってあります。

東木先生に助けてもらうことも、本当にたくさんあります。

教育の現場では、

年齢も、

肩書も、

キャリアも、

最後はあまり関係ないのかもしれません。

目の前にいるこの子に、今、何をしてあげるのが一番いいのか。

みんなでそれを考える。

分からなければ相談する。

うまくいかなければ、また考える。

誰かが疲れたら、別の誰かが支える。

先生が子どもを支えているように見えて、

実は先生同士も支え合っています。

華やかな実績の裏側にあるもの

りんご塾赤羽南教室には、外から見える実績があります。

算数オリンピックのメダル。

検定の合格。

学年を越えた先取り。

難しい問題を解けるようになった子どもたち。

もちろん、どれもうれしいことです。

でも、実際の教室で圧倒的に多いのは、

そんな華やかな瞬間ではありません。

「問題を読もう」

「もう一回やってみよう」

「鉛筆持とうか」

「人の話を聞こう」

「"むり"って言わないでね」

「とりあえず椅子に座ろっか(笑)」

「さっき約束したよね」

そんなことの繰り返しです。

今日言ったことを、来週また言う。

来週言ったことを、その次の週にもまた言う(笑)。

それでも言い続ける。

できなかったら、またやる。

泣いたら、落ち着くまで待つ。

嫌になったら、どうすればもう一度向き合えるか考える。

できたら一緒に喜ぶ。

外からは見えない、

名前すらつかない仕事の積み重ね。

それが、教室の日常です。

そして私は、その一つひとつをやってくれている先生たちに、本当に感謝しています。

教育は、一人の「すごい先生」がつくるものではない

若い頃の私は、今とは少し違ったかもしれません。

いい授業をする先生がいて、

その先生が生徒を引っ張って、

結果を出す。

そんなイメージをどこかに持っていたように思います。

でも今は違います。

教育は、一人の「すごい先生」がつくるものではない。

少なくとも、小さな子どもたちを育てていく教室は、そんな単純なものではありません。

子どもがいて、

保護者の方がいて、

先生たちがいて、

みんなで少しずつつくっていく。

私一人だったら、今の赤羽南教室は絶対にできません。

これは謙遜でも何でもありません。

本当にそう思っています。

東木先生。

学生の先生たち。

毎日、子どもたちに向き合ってくれて、本当にありがとうございます。

私が心折れているときに助けてもらっていることも、

実は結構あります(笑)。

それでも、私は理想を書き続ける

ここまで書いて、

ではRINGOJUKU WORKSで理想を語ることに意味があるのか。

もちろん、あると思っています。

むしろ、

理想通りにいかないからこそ、理想が必要なのです。

理念は、子どもを思い通りに動かすためのマニュアルではありません。

先生が迷ったときに戻る場所です。

今日、教えすぎた。

だったら次は、もう少し待ってみよう。

今日、言いすぎた。

だったら次は、違う言葉を使ってみよう。

今日は手を貸しすぎた。

だったら次は、少し離れてみよう。

完璧にできなくてもいい。

でも、

自分は何を大切にして教育をしているのか。

そこだけは忘れない。

だから私は、これからもRINGOJUKU WORKSで、

「自分で考えることが大切だ」

「待つことが大切だ」

「簡単に諦めてはいけない」

と、たぶん偉そうに書き続けます(笑)。

そして、その数時間後には教室で、

「いったん、先生の話、聞こうか(笑)」

と言っているかもしれません。

それでいいと思っています。

理想と現実の間で、今日も教える

子育ても、教育も、

理想通りにはいきません。

むしろ、

理想通りにいかない日の方が多いのかもしれません。

でも、理想通りにいかないから、

考える。

悩む。

反省する。

人に助けてもらう。

そして、また次の日にやってみる。

教育とは、

立派な理念を掲げて、

その通りに子どもを動かす仕事ではないのだと思います。

理想と現実の間で泥だらけになりながら、それでも目の前の子どもを諦めない仕事。

そしてもう一つ。

長く教育をやってきた今、強く思うことがあります。

一緒に泥だらけになってくれる人がいることは、本当にありがたい。

私がうまくできないところを誰かが助けてくれる。

誰かが困っていれば、今度は私が助ける。

そうやって教室は続いていく。

明日もきっと、理想通りにはいきません(笑)。

また同じことを何回も言うでしょう。

「さっきも言ったよね」と言ってしまうこともあるでしょう。

待つつもりだったのに、待てないこともあるでしょう。

私も失敗するでしょう。

心が折れる日も、きっとまたあります。

それでも、

東木先生や学生の先生たちと、

また子どもたちを迎えます。

うまくいかなかったら、またみんなで考える。

誰かが疲れていたら、誰かが助ける。

そして子どもが昨日できなかったことを一つできたら、

みんなで喜ぶ。

そんな毎日を、また繰り返します。

華やかではありません。

格好よくもありません。

でも私は、

そんな泥臭い毎日の中にこそ、教育の本当の姿があるのだと思っています。


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ワイワイ、ガヤガヤ、カリカリカリ

2026.09.08

こんにちは!
りんご塾赤羽南教室の東木です。

国立の記録、その2です。

......まだ続くんです(笑)。

正直に言います。

書いている私自身も、

「国立の話、ちょっと長くない?」

と思い始めています(笑)。

国高祭へ行く前の長谷先生の高校時代。

そして実際に行ってきた国高祭。

もう十分書いた気もするのですが、せっかく国立まで行ったので、その日は学校だけではなく、街もいろいろ歩いてきました。

するとですね。

これが、書きたくなることがまだ結構あったんです。

ということで、もう少しだけお付き合いください!


国立駅から、なんだか普通じゃない

まず国立駅。

国立駅は、昔の駅舎が有名なのだそうです。

現在の駅舎とは別に、駅前には昔の駅舎が残されています。

これがかわいい。

IMG_3422.jpgIMG_3421.jpg三角屋根で、白い壁に赤い屋根。

駅前にこういう建物が残っているだけで、なんだか街の雰囲気が違います。

そして駅を出て周りを見てみると、

なんか普通の駅前じゃない。

少し異国情緒があるというか。

道が広くて、緑が多くて、建物もどことなく落ち着いています。

IMG_3477.jpgIMG_3445.jpgIMG_3436.jpgIMG_3434.jpg駅前からまっすぐ伸びている大通りは、

「大学通り」というそうです。

名前の理由はもちろん、この先に一橋大学があるから。

......大学通り。

そのままですね(笑)。



国高生は、毎日ここを歩くんですね

大学通りを歩いていくと、一橋大学があります。

IMG_3432.jpgさらにその先へ進んでいくと、国立高校。

つまり国高生は、国立駅から通学するなら、この街並みの中を毎日歩くことになるんですね。

これ、ちょっと羨ましいなあと思います。

駅を出て、

大学通りを歩いて、

一橋大学の前を通る。

そして高校へ向かう。

毎日のことだから、生徒たちにとっては何でもない景色なのかもしれません。

でも高校生の頃から、大学のキャンパスや学生たちが日常の風景の中にある。

そういう環境って、何かしら影響があるんじゃないのかなあ。

実際に、一橋大学の入学者を最も多く輩出しているのは、国立高校なんだそうです。


一橋大学にも入ってみました

せっかくなので、一橋大学のキャンパスにも少しお邪魔しました。

これがまた、建物が格好いい。

歴史を感じる校舎と緑。

堂々たる風格です。

IMG_3488.jpgそしてここは、長谷先生にとっても思い出の場所なのだそうです。

といっても、一橋大学の卒業生ではありません。

長谷先生が若い頃、この辺りで働いていた時代に、大学の施設をずいぶん利用していたそうです。

特にお世話になったのが、

学食。

長谷先生によると、当時は、

ナポリタン。

スープ。

サラダ。

そして珈琲。

これだけ付いて、

180円。

......180円??

しかも、

1日に2回くらい食べに来ていた

そうです。(爆笑)

どれだけ好きだったんですか。

いや、180円なら来ますね(笑)。

今回、残念ながらその思い出の学食にも図書館にも入ることはできませんでしたが、キャンパスを少し散策して雰囲気だけ味わってきました。



そして「きりとも(?)学園」へ

国立高校を出たあと、さらに歩きました。

向かったのは、桐朋学園。

私、最初、「きりとも学園」と読んでしまいました。

「とうほう」です(笑)。

桐朋1.jpgそして長谷先生によると、この学校、

数学にものすごく本気の学校なんだそうです。

独自の教材を使い、かなり本格的に数学を教えている。

桐朋の教育 数学

長谷先生が若い頃、予備校で数学を教えていたときにも桐朋の生徒が来ていたそうなのですが、

「桐朋の生徒が質問に来ると、すごく緊張した」

と言っていました。

なぜなら、

知識が正確すぎるくらい正確だから。

曖昧な説明ができない。

適当なことを言えない。

もちろん、誤魔化しなんて効かない。

だから質問に来られると、

「怖かった(笑)」

のだそうです。

教える側の人間に緊張感を与える逸材揃いなんですね。

かっこいいなぁ~。

桐朋学園2.jpg桐朋3.jpgこの話を聞きながら、

「うちにもこういう学校が合いそうな子、何人かいるなあ」

と思いました。

りんご塾で難しい問題を見つけるとにやっとして、

答えが合っているだけでは満足せず、

「なんで?」

「本当に?」

「こういう場合は?」

と考え続ける子。

そういう子にとっては、数学を本気でやることが当たり前の環境って、ものすごく楽しいんでしょうね。


そして国立駅前には、塾、塾、塾......

街を歩いていて、もう一つ目についたものがあります。

塾です。

ありますねえ(笑)。

駅前を歩けば、あっちにも塾。

こっちにも塾。

ena、SAPIX、早稲田アカデミー、臨海セミナー......。

ほかにもたくさんあります。

今回ここでは詳しく書きませんが、長谷先生が20代の頃、予備校・塾の世界で本格的に働き始めたのも、この国立周辺だったそうです。

だから国立は、長谷先生にとって、母校がある街というだけではありません。

数学を教える仕事を始めた頃の思い出も、あちこちにある街なんですね。

それにしても。

赤羽で毎日塾をやっている私から見ても、

国立駅前の塾界隈、なんだか緊張感があります(笑)。

教育熱の高い地域というのは聞いていましたが、実際に歩いてみると分かります。

もうなんか、塾がひしめき合っている感じです(笑)。


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最後は、ロージナ茶房へ

いっぱい歩いたので、最後はこちら。

ロージナ茶房。

IMG_3493.jpg

国立では有名な老舗の喫茶店だそうです。

細い路地に入っていくと、青い扉。

外から見ただけでも、

「あ、ここ絶対昔からあるお店だ」

という雰囲気です。

今どきのおしゃれなカフェとは全然違います。

いいですねえ、こういうお店。

国高祭を見て、

一橋大学を歩いて、

桐朋学園まで行って、

最後に昔からある喫茶店。

朝からずいぶん国立を満喫しました。


街を歩くと、ちょっと分かることがある

今回、国立へ来た一番の目的はもちろん国高祭でした。

でも、せっかくなので街を歩いてみたら、

「この街で高校生活を送るって、こういうことなのか」

というものが、ほんの少しだけ見えた気がしました。

国立駅を出ると、まっすぐ伸びる大学通り。

その先には一橋大学。

少し歩けば国立高校があり、桐朋学園がある。

駅前にはたくさんの塾がある。

教育の街だからすごい、と簡単にまとめるつもりはありませんが、

毎日何を見るか。
どんな人たちとすれ違うか。
何が「普通」として身の回りにあるか。

そういう環境は、子どもたちに少なからず影響するんだろうなあと思います。


......と、きれいにまとめようとしましたが、

私が今回いちばん忘れられないのは、

一橋大学で180円のナポリタンセットを1日2回食べていた話かもしれません(笑)。

長い国立シリーズにお付き合いいただき、ありがとうございました!


IMG_3415.jpg城南コベッツ赤羽南教室
りんご塾赤羽南教室

・りんご塾といえば、東は赤羽!西は滋賀!
・全国で唯一、大学受験まで指導できるりんご塾
・人間的成長なくして学力の向上なし
・語彙力なくして思考なし、思考なくして学力なし


東京都北区赤羽南1-3-7 セキネビル3F
(赤羽駅南改札より徒歩2分)
℡.:03-6903-8030  
Mail: covez_akabaneminami@johnan.co.jp
※電話対応時間:㈫~㈮ 15:30~21:00 / ㈯ 11:30~20:30



2026.09.05

こんにちは!

講師の及川です。

本日は授業内で起こった"尊い"出来事を紹介します。

ある幼児の生徒さんのテキストで、

「オバケ迷路」というページがありました。

オバケ迷路とは、

オバケの間を通りながら迷路をするものです。

ここで、私は"尊い"瞬間を目撃しました。

それは、生徒さんが

「オバケから逃げろ~!」と迷路を頑張っている姿です。

問題の解き方は生徒さんそれぞれで特徴がありますが、

こちらの生徒さんは、

まるで自分が問題の中に入り込んでいるように解いていました。

そんな姿がたまらなく愛おしく、

思わず私も「オバケから逃げてー!」と口にしていました。

無事ゴールすると、

「先生逃げれたよ」と伝えてくれたので、

「やったね!」と大きい花丸をあげることができました。

テキストの1ページで、

真剣な表情や笑顔など、

様々な瞬間を見ることができて、嬉しかった1日でした。


IMG_0041.jpg

2026.09.04

みなさん、こんにちは!
りんご塾赤羽南教室です。

うれしいご報告です!

赤羽南教室に通う小学2年生が、
算数検定6級に合格しました~~~!!!!

算数検定6級合格.png算数検定6級は、なんと小学6年生相当です!

小学2年生で、小学6年生相当の内容に合格。
本当にすごいことです!

この生徒さんは、小学1年生のときに算数検定7級(小学5年生相当)に合格し、今回、さらに一つ上の6級に挑戦しました。(→7級に合格したとき)

たくさん頑張っている姿を見てきたので、その努力が報われて、私たちも本当に嬉しいです!!!

そして、もう次の挑戦が始まっています。

赤羽南教室では、10月25日に算数検定を実施します。

彼が次に受検するのは、なんと数学検定5級。
5級は、中学1年生程度の内容です!

images.jpg

「5級の内容、難しい?」と聞いてみたところ、

「一次試験は簡単だよ~」

と、なんとも頼もしい返事が返ってきました(笑)。

小学2年生から聞く言葉とは思えません!

まずは今回の6級合格、本当におめでとう!

そして次は、いよいよ中学生の数学へ。
10月の5級挑戦も楽しみにしていま~~~す!


賞状配布の瞬間.png
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2026.09.04

りんご塾赤羽南教室では、算数オリンピックに本気で取り組んでいます。

キッズBEEをはじめ、子どもたちは難しい問題に挑戦します。

出場するからには、結果も目指します。

ファイナルに進んでほしい。

できることなら、メダルも取ってほしい。

本人が悔しがれば、私たちも悔しい。

結果が出れば、やはり嬉しい。

だから私は、

「結果なんて関係ありません」

とは言いません。

本気で挑戦している子どもたちに対して、それは少し違うと思うからです。


勝ちたいと思っていい。

メダルが欲しいと思っていい。

そのために努力していい。

でも。

メダルより大切にしていることがあります。

今日は、その話を書いてみたいと思います。


簡単には解けない。だから意味がある

算数オリンピックの問題は、学校のテストとはかなり違います。

習った公式に当てはめれば解ける。

計算方法を覚えていれば解ける。

そういう問題ばかりではありません。

問題を読んで、

何を聞かれているのか考える。

図を描いてみたり、

小さな場合で試してみる。

うまくいかななけば消して、

また別の方法を試す。

それでも分からない。

また考える。

私は、算数オリンピックの問題そのものに、とても大きな教育的価値があると思っています。

正解できるからではありません。

むしろ、

簡単には正解できないからです。


「分からない」の次に何をするか

RINGOJUKU WORKSで、これから何度も出てくる言葉だと思います。

私は、「分からない」の次に何をするか

を、とても重要視しています。


難しい問題を見る。

分からない。

ここまでは誰でも同じです。

問題は、その次です。

すぐに、

「先生、分かりません」

と言うのか。

もう一度問題を読むのか。

図を描くのか。

小さい数字で試すのか。

手を動かしてみるのか。

分かっていることだけでも書いてみるのか。

先生が解き方を教えて、その通りに解けば、一問は早く終わります。

でも私は、ときどき思います。

それで、その子の中に何が残ったのだろう。


答案には残らない時間

子どもが難しい問題を考えているところを見ていると、(良い意味で)もどかしいなぁ~という時間があります。

書く。

消す。

また書く。

じっと問題を見る。

図を描く。

違う。

もう一度やる。

先生から見れば、

「ああ、そっちじゃないんだけどなあ(笑)」

と思うこともあります。

答えが見えている大人にとっては、とてももどかしい。(笑)

ついつい口を出したくなります。

一言ヒントを出せば、すぐに進める。

でも、そこはグッと我慢。

待ちます。

なぜなら、

その遠回りをしている時間にこそ、

子どもが自分で試し、考えている時間だからです。

その時間は答案には残りません。

点数にもなりません。

成績表にも書かれません。

でも私は、その時間にこそ、

子どもが学び、育っている瞬間

だと思っています。


正解までの道を、先生が舗装しすぎない

先生は答えを知っています。

だから、

「そこじゃないよ」

「こう考えてみたら?」

「この図を描いてみよう」

と、正解までの道を整えることができます。

もちろん、必要なときには助けます。

待つのと、放置するのとは、全然違うと考えています。

ただ、先生が道をきれいに舗装しすぎると、

子どもは、その道を歩くだけになります。

それでは、先生が考えたことを、子どもが追体験しているだけになってしまうことがあります。

助けることと、

考える時間を奪うことは違う。

この境界は難しいです。

だから私たちも、いつも考えています。


メダルだけが目的なら、もっと違う教え方ができる

もし目的を、

「とにかくメダルを取らせる」

だけにするなら、指導方法は少し変わるかもしれません。

典型的な解法を覚える。

問題のパターンを分類する。

頻出する考え方を先に教える。

効率よく解ける方法を身につける。

もちろん、こうした勉強にも意味があります。

大会なのですから、対策も必要です。

赤羽南でも、必要なことは教えます。

でも、それだけにはしたくありません。

なぜなら、

算数オリンピックが終わったあとにも、その子の学びは続くからです。


小学3年生のメダルの、その先

キッズBEEは小学3年生までの大会です。

でも、子どもの人生は小学3年生で終わりません。

小学4年生になる。

中学生になる。

高校生になる。

大学受験をする子もいるでしょう。

大学へ行き、社会に出て、その先にはもっと長い人生があります。

「あのときキッズBEEでメダルを取った」

という経験は、もちろん素晴らしいものです。

でも私は、それと同じくらい、あるいはそれ以上に残ってほしいものがあります。

難しいものを前にして、簡単に逃げなかった経験です。


分からなかった。

悔しかった。

何度も間違えた。

それでも考えた。

そして最後に、

「あ!分かった!」

となった。

その経験は、きっとメダルより長く、その子の中に残ります。


メダルを取れなかった子にも、成長はある

大会には結果があります。

ファイナルに進む子もいれば、進めない子もいます。

メダルを取る子もいれば、取れない子もいます。

それは当然です。

全員がメダルを取れるなら、大会にはなりません。

だからこそ私は、結果だけで子どもの成長を判断したくありません。

去年ならすぐ諦めていた問題を、今年は10分考えた。

何も書けなかった子が、図を描くようになった。

すぐ先生に聞いていた子が、まず自分で試すようになった。

間違えると泣いていた子が、

「もう一回やる」

と言えるようになった。

こうした変化は、賞状には書かれません。

メダルの色にも表れません。

でも私は、

こちらの成長こそ深く受け止めたい。


その上で、結果を目指す

教育の世界では、

「結果より過程が大切です」

という言葉をよく聞きます。

私は、この言葉を少し慎重に使いたいと思っています。

本気で大会に出るなら、

勝ちたいと思っていい。

ファイナルへ行きたいと思っていい。

メダルが欲しいと思っていい。

負けたら悔しがっていい。

子どもが本気で目指しているのに、大人が先回りして、

「結果なんて関係ないよ」

と言う必要はないと思います。

むしろ、

結果を目指して本気で取り組むからこそ、過程にも意味が生まれる。

私はそう考えています。


メダルは「目的」ではなく「結果」

赤羽南では、算数オリンピックに本気で挑戦します。

ファイナルを目指します。

メダルも目指します。

でも、

メダルを取るためだけに、子どもの学び方をつくりたくはありません。

考える。

試す。

間違える。

悔しがる。

もう一度やる。

そして、自分で分かったときに喜ぶ。

その積み重ねの先に、

結果としてメダルがあれば、とても嬉しい。

私は、そんな順番でありたいと思っています。


なぜ、難しい問題をやるのか

赤羽南が難しい問題を扱うのは、

「こんな問題まで解けます」

と自慢するためではありません。

難しい問題が解ける子を選別するためでもありません。

難しい問題には、

簡単な問題では経験できない時間

があるからです。

分からない時間。

迷う時間。

失敗する時間。

考え直す時間。

そして、

自分で答えにたどり着く時間。

私は、その時間を子どもたちに経験してほしいと思っています。

それは算数オリンピックだけの話ではありません。

大人になれば、答えが用意されていない問題にいくらでも出会います。

「習っていません」

「やり方を教えてください」

だけでは、前へ進めません。

自分で考える。

調べる。

人に聞く。

試す。

失敗する。

修正する。

そして、また試す。

算数オリンピックの難問の中には、

そんな未来につながる小さな練習もあると思っています。


メダルを外したあとに、何が残るか

算数オリンピックには、点数があります。

順位があります。

ファイナルがあります。

そして、メダルがあります。

今年も、それらを本気で目指します。

でも大会が終わったあと。

子どもの首からメダルを外しても、

その子の中に残っているものがあってほしい。

難しいものから逃げなかったこと。

分からなくても考えたこと。

間違えても、もう一度やったこと。

自分で試したこと。

そして最後に、

「自分でなんとかできた」

と思えたこと。

それが残っているなら、

メダルを取った子にも、

取れなかった子にも、

算数オリンピックに挑戦した意味がある。

私はそう思っています。

だから赤羽南では、

メダルを本気で目指します。

でも、

メダルより大切なものを、メダルのために失わない。

それが、私たちが算数オリンピックに取り組むときに、

一番大切にしていることです。


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うーむ、うーんうーん、カリカリカリカリ。









2026.09.03

りんご塾赤羽南教室では、年中・年長の子どもたちから指導しています。

積み木を触る。

数を数える。

図形を見る。

問題文を読む。

分からない問題を前にして、考える。

そんな子どもたちの姿を見ながら、私はときどき大学受験のことを考えています。

こう書くと、

「幼児から大学受験対策をするのですか?」

と思われるかもしれません。

もちろん、違います(笑)。

幼児に高校数学を教えたいわけでもありません。

難しい公式を覚えさせたいわけでもありません。

むしろ逆です。

大学受験まで見てきたからこそ、幼児期に何を急ぐ必要がないのかが分かる。

私はそう考えています。


私は大学受験から教育を見てきた

私の教育の出発点は、幼児教育ではありません。

長い間、大学受験数学を教えてきました。

高校生。

浪人生。

医学部を目指す受験生。

高校の課外授業。

さまざまな場所で、大学入試に向かう生徒たちを見てきました。

当然、最初は高校数学をどう教えるかを考えました。

公式。

解法。

計算。

入試問題。

でも長く教えていると、少しずつ違うものが見えてきます。

数学が伸びない原因が、

高校数学だけにあるとは限らない。

ということです。


数学の問題なのに、数学以前で止まる

難しい大学入試問題を解くためには、数学の知識が必要です。

でも、それだけではありません。

問題文を正確に読む。

条件を整理する。

何を求められているのか理解する。

分かっていることと分かっていないことを分ける。

図を描く。

試してみる。

うまくいかなければ別の方法を考える。

そして、簡単に諦めない。

こうした力が必要になります。

ところが高校生を教えていると、

数学の公式を知らないから解けないのではなく、

その前のところで止まっている生徒に出会います。

文章を読んでも条件が整理できない。

少し見たことのない問題になると手が止まる。

分からないと、すぐに、

「先生、どうやるんですか?」

と聞く。

間違えることを怖がって、何も書かない。

答えが合っているかどうかばかりを気にする。

そこで私は考えるようになりました。

これは、高校3年生になって突然始まったことなのだろうか。


では、いつから始まっているのか

高校数学で困っている。

なら、中学数学まで戻ってみる。

中学数学にも問題がある。

なら、小学校の算数まで戻ってみる。

それでもさらに、

「なぜ、この子は文章を読まないのだろう」

「なぜ、分からないとすぐ答えを聞くのだろう」

「なぜ、間違えることをこんなに怖がるのだろう」

と考えていく。

そうすると、もっと前まで戻ることになります。

そして私は、

幼児教育まで来てしまいました(笑)。

大学受験から、ずっと逆向きにたどってきた結果です。


幼児に必要なのは、大学受験の知識ではない

だからといって、幼児に高校数学を教えれば解決するとは全く思っていません。

むしろ、幼児期には幼児期にしかできないことがあります。

積み木を動かしてみる。

数えてみる。

並べてみる。

違ったら戻してみる。

「なんでだろう」と考える。

言葉の意味を知る。

自分の言葉で話してみる。

先生の話を聞く。

できなくても、もう一度やってみる。

こうした経験です。

大学入試の難問を解く高校生と、積み木を触っている年中の子ども。

見た目はまったく違います。

でも私は、

その間には一本の線がある

と思っています。


「分からない」ときに、どうするか

私はここをとても大切にしています。

難しい問題を前にしたとき、

「分からない」

と思う。

ここまでは誰でも同じです。

その次です。

すぐに先生を見るのか。

答えを見るのか。

諦めるのか。

もう一度問題文を読むのか。

図を描くのか。

何か試してみるのか。

分かっているところだけでも書いてみるのか。

この、

「分からない」の次に何をするか。

これは大学受験でも非常に大切です。

そして私は、高校3年生になって突然身につくものではないと思っています。

幼児でも同じです。

積み木がうまくできない。

先生を見る。

そこで先生がすぐ、

「こうだよ」

と教えてしまえば、その問題は終わります。

でも少し待てば、

子どもが自分で動かすかもしれない。

違う置き方をするかもしれない。

失敗するかもしれない。

そして、

「あっ」

と気づくかもしれない。

私は、その時間を大切にしたいと思っています。


だから、すぐには教えない

先生が答えを教えれば、授業は速く進みます。

一冊の教材も早く終わります。

でも、

先生が解決した問題と、子どもが解決した問題は同じではありません。

時間がかかってもいい。

間違えてもいい。

少しくらい遠回りしてもいい。

自分で考えた経験を残したい。

これは幼児教育だから大切なのではありません。

大学受験まで数学を教えてきたからこそ、

大切だと考えています。


先取りするのに、急がせない

赤羽南では先取り学習をしています。

ここも、一見すると矛盾しているかもしれません。

大学受験から逆算する。

先取りをする。

そう聞くと、

「幼児のうちからどんどん先へ進ませる教室」

と思われるかもしれません。

でも、私が考えているのは少し違います。

10年以上先まで見ているからこそ、

今、この瞬間に急ぐ必要がない

と思っています。

大学入試までの道のりを知っていれば、

今、何を身につけておくと後で大きな力になるのか。

逆に、

今、無理に覚えさせなくてもいいことは何なのか。

少しずつ見えてきます。

だから、

先を見ていることと、先を急ぐことは違います。

早く進むことが、先取りではない

私は、先取りという言葉が少し誤解されやすいと思っています。

小学1年生が小学3年生の教材をやっている。

小学3年生が小学6年生の教材をやっている。

それだけを見れば、確かに分かりやすい。

でも、

何年生の教材をやっているかだけで、その子の数学力は分かりません。

早く公式を覚えること。

早く計算方法を覚えること。

早く教材を終えること。

それだけが先取りなら、私はあまり魅力を感じません。

本当に先に身につけてほしいのは、

考えること。

試すこと。

言葉を理解すること。

分からなくても簡単に諦めないこと。

そして、

自分でなんとかしようとすること。

こうした力です。

これらは何年生の単元というものではありません。

でも10年後、15年後に、とても大きな差になると思っています。


大学受験をゴールにはしていない

ここも大切なところです。

「大学受験から考える」と書きました。

でも、

大学受験に合格することだけを教育のゴールにしているわけではありません。

大学受験は、私が長く見てきた到達点の一つです。

そこまで子どもたちを見てきたから、

幼児期や小学生の頃に何を大切にしたいのかが見える。

その意味で、大学受験から逆算しています。

そして本当は、大学受験は通過点で、さらに先があります。

大学。

仕事。

社会。

人生。

そこで必要になるのは、

誰かに答えを教えてもらう力ではありません。

自分で考える。

分からないことを調べる。

失敗したら修正する。

人の話を聞く。

自分の考えを言葉にする。

そして、自分の行動に責任を持つ。

私は、そういう人になってほしいと思っています。


年中の積み木と、大学入試問題

年中の子どもが、積み木を前にして考えている。

大学受験生が、数学の入試問題を前にして考えている。

見た目はまったく違います。

扱っている内容も違います。

必要な知識も違います。

でも、

分からない。

考える。

試してみる。

違う。

もう一度考える。

そして、

「分かった。」

その瞬間に起きていることは、私はそれほど違わないと思っています。

だから私は、年中の子どもを教えているときにも、ときどき10年、15年先を見ています。

そして大学受験生を教えているときには、

「この力は、もっと小さい頃から育てられたのではないか」

と考えます。

大学受験数学と幼児教育。

私にとって、これらは別々の教育ではありません。


ずっと先を見る。だから、今を急がない。

りんご塾赤羽南教室では、幼児期から大学受験までを一本の線として考えています。

だから先取りもします。

難しい問題にも挑戦します。

でも、

早く進むことだけを求めません。

すぐに答えを教えません。

間違える時間も大切にします。

考えている時間を待ちます。

10年先を見ているからこそ、

今しかできないことを、急いで通り過ぎたくない。

それが、

私が幼児教育を大学受験から考える理由です。

ChatGPT Image 2026年8月25日 20_10_32.png

わいわい、がやがや、カリカリカリ






2026.09.02

先日、教室長の東木を連れて、母校である都立国立高校の文化祭「国高祭」へ行ってきました。

以前このブログで、

「今年、教室長を母校の文化祭に連れていきます(笑)」

という記事を書きました。

その後、ありがたいことに国高祭の入場抽選にも、高校3年生の演劇の抽選にも当選。

ということで、本当に東木を連れて行ってきました(笑)。

東木もすでに国高祭についてブログを書いています。

同じ場所へ行き、同じものを見ていたはずなのですが、読んでみると、見ていたものが少し違っていたようです。

東木は、今の高校生たちを見ていました。

私はたぶん、今の高校生を見ながら、40年近く前の自分を見ていたのだと思います。


想像していた以上でした

久しぶりに訪れた国高祭。

まず驚いたのは、その規模でした。

教室の外装、内装、立て看板。

高校の文化祭という言葉から想像するものを、かなり超えています。

私が高校生だった頃も国高祭にはかなり力を入れていましたが、今の方が明らかに洗練されているように感じました。

当然ですよね。

40年近く経っているのですから(笑)。

そして今回、抽選に当たった高校3年生の演劇「晩餐」を観ました。

これが、本当に素晴らしかった。

高校生の演劇だから、という前置きを付ける必要はないと思います。

演技も、演出も、舞台も、音響も、そして作品そのものも、本当によくできていました。

特に印象に残ったのは、子どもを持つことのできない夫婦の葛藤という、高校生にとって決して身近とは言えない題材を扱っていたことです。

途中、私は泣いてしまいました。

東木も少し泣いたそうです。

58歳と20代の教室長が、高校生のクラス演劇を並んで観ながら二人とも泣いている。

なかなか面白い光景です(笑)。


東木が見ていたもの

後で東木のブログを読んで、面白いと思ったことがあります。

東木は演劇を観ながら、

「この子たちは、ここまでどうやって作ってきたんだろう」と考えていたそうです。

今、目の前にある完成した作品ではなく、そこへたどり着くまでに高校生たちが費やした時間を想像していた。

一方、私は何を見ていたのかというと、たぶん、少し違います。


柔道場の前に立った瞬間

帰る前に、どうしても東木に見せたい場所がありました。

柔道場です。

私は高校時代、柔道ばかりやっていました(笑)。

柔道場の前に立った瞬間、本当に不思議な感覚になりました。

一気に高校生の頃の記憶が戻ってきたのです。

仲間の顔。

練習。

試合。

勝ったこと。

負けたこと。

くだらない話をしたこと。

いろいろな出来事が、突然蘇ってきました。

高校時代の私は、それなりに本気で柔道をやっていました。

個人戦では国体の出場権も獲得しました。

小川直也、古賀稔彦、吉田秀彦。

後に日本を代表する柔道家となった選手たちとも、試合をしたことがあります。

東京都大会の団体戦ではベスト8まで進みました。

私の高校生活を語るうえで、柔道を抜くことはできません。

ところが現在、国高に柔道部はありません。

私が卒業した後に廃部になっています。

柔道場そのものは、まだそこにある。

でも、柔道部はもうない。

それを見たときは、やはり少し寂しかったです。


でも、東木に見てもらえたのが嬉しかった

その一方で、不思議なくらい嬉しい気持ちもありました。

東木に、この柔道場を見てもらえたことです。

「ここで柔道をやっていたんだよ」

そんな話をしました。

東木にとっては、もちろん初めて見る柔道場です。

でも私にとっては違います。

ここに、高校生だった自分がいる。

仲間がいる。

夢中になっていた時間がある。

40年近く経って、自分が教育の仕事をしている。

そして今、一緒に教室をつくっている教え子の教室長を連れて、その場所に立っている。

高校生だった頃の私は、そんな未来を想像するはずもありません。

だからでしょうか。

東木に柔道場を見てもらえたことが、私はとても嬉しかったのです。


そもそも、柔道を始めた理由はものすごく適当でした(笑)

もっとも、そんな私の柔道人生の始まりは、立派なものではありません。

高校1年生のとき。

最初に覗いたのは、実は柔道場ではなく剣道場でした。

ところが、誰もいなくて、隣の柔道場を見ると、見知った顔がありました。

その友人と話しているうちに、

強そうなおじさんみたいな風貌の先輩がやってきて、

「君たち、入部希望?」

「...えっと、、、、一応、そうです、、、。」

そんな流れで、柔道部に入ることになりました(笑)。

人生なんて、分からないものです。

剣道場に誰かいたら、私は剣道部に入っていたのかもしれません。

でも、たまたま誰もいなかった。

隣に友達がいた。

その程度の偶然から始まった柔道に、私は高校生活の多くを費やすことになりました。

そして40年近く経った今でも、柔道場を見ただけで当時のことが一気に蘇る。

人生をつくる出会いというのは、案外そんなものなのかもしれません。

国立の街も、東木と歩きました

国高祭を見た後は、東木と国立の街を少し歩きました。

一橋大学にも行きました。

IMG_3490.jpg国立という街を歩きながら、自分が高校生だった頃の話もいろいろしました。

そして、桐朋学園の前にも行きました。

IMG_3480.jpgそこで東木に、学校について私なりに少し話をしました。

実は、りんご塾に通っている子どもたちの中に、

「この学校は、この子にすごく合うのではないか」

と思っている子がいます。

もちろん、ここで誰なのかは書きません(笑)。

そして、偏差値だけを見てそう思っているわけでもありません。

その子の性格。

興味の持ち方。

ものの考え方。

人との関わり方。

普段その子と接していると、

「こういう環境に行ったら、この子は面白いだろうな」

と思うことがあります。

「どこに入れるか」だけが学校選びではない

塾という仕事をしていると、どうしても学校を数字で見る機会が多くなります。

偏差値。

合格実績。

進学実績。

もちろん、それらも大切な情報です。

でも、58歳になって母校へ戻り、40年近く前に使っていた柔道場を見ていると、改めて思います。

学校という場所が人に与えるものは、それだけではありません。

どんな友達に出会うのか。

どんな先生に出会うのか。

どんな文化があるのか。

何を面白がる人たちが集まっているのか。

何に本気になれるのか。

そして、どんな偶然に出会うのか。

私自身、柔道を始めた理由が、

「剣道場に誰もいなくて、隣の柔道場に友達がいたから」

ですから(笑)。

でも、その偶然が私の高校生活をつくりました。

だから私は、子どもたちの進路を考えるとき、

「どこに入れるか」だけではなく、「その子がどこで育つのか」

を考えたいと思っています。

40年近く前の自分と、今の高校生

今回、国高祭を歩いていると、不思議な感覚になる瞬間が何度もありました。

目の前には、今の高校生たちがいる。

教室をつくり変え、演劇をし、仲間と笑い、文化祭に本気になっている。

一方で私は、その同じ校舎を高校生だった頃に歩いていました。

文化祭では、私たちもくだらないことをたくさんやりました(笑)。

当時のことを全部覚えているわけではありません。

でも、柔道場の前に立っただけで、忘れていたはずの記憶が一気に戻ってきた。

人間の記憶というのは面白いものです。

テストで何点を取ったかなんて、ほとんど覚えていません。

でも、仲間と何かに夢中になった時間は残っている。

くだらないことで笑ったことも残っている。

本気で悔しかったことも残っている。

たぶん、今の国高生たちもそうなのだと思います。

今回の国高祭で起きたことの多くは、いつか忘れるでしょう。

でも30年、40年経ったある日、何かをきっかけに突然思い出すのかもしれません。

東木へ

国校を出て歩いているとき、

「本気になっている姿って、格好いいですね」

と感想を口にしていました。

本当にそうだと思います。

私も高校時代、柔道に本気になりました。

ただし、その始まりは、ものすごく適当でした(笑)。

子どもがいつ、何に出会い、何に夢中になるのか。

大人には分かりません。

最初から「将来役に立つもの」だけを選んで与えることなんて、たぶんできない。

だからこそ、いろいろなものに出会えること。

そして何かに出会ったとき、

本気になれるだけの時間と、本気になってもいい環境があること。

それは、子どもが育つうえで、とても大切なことなのだと思います。

今回、東木を国高祭に連れて行ってよかったです。

今の高校生たちの姿を一緒に見られたことも。

高校生だった私が過ごした柔道場を見てもらえたことも。

そして国立の街を歩きながら、今りんご塾にいる子どもたちの未来について話せたことも。

全部含めて、とてもいい一日になりました。

高校生だった頃、この街を歩いていた私は、40年近く後に自分が教育の仕事をしているとは思っていませんでした。

ましてや、自分の教室の教室長を連れて母校の文化祭へ来るなんて、想像するはずもありません(笑)。

人生、本当に何が起こるか分かりません。

もしかすると教育というのは、

子どもの人生を決めることではなく、その子がいつか本気になれる何かと出会えるように、いろいろな扉を残しておくことなのかもしれません。

......ただし、私の場合、その扉は剣道場ではなく、たまたま隣にあった柔道場でした(笑)。

IMG_3473.jpg

2026.09.01

こんにちは!
東木です。

行ってきました!

長谷先生の母校、東京都立国立高校の文化祭「国高祭」!

IMG_3449.jpg

以前のブログでは、国高祭へ行く前に、長谷先生の高校時代についていろいろ書きました。
→長谷先生、本当に国校で青春してました?(笑)

今回はその後編です。

実際に国立高校へ行って、国高祭を見てきました!
(↓正門の裏側です)

IMG_3452.jpg

そしてですね。想像していた以上でした。


学校に入った瞬間から、すごい

まず校門をくぐって目に入ってくるのが、国高祭の巨大な装飾。

そこから校内へ入っていくと、校舎には各クラスの大きな垂れ幕がずらーーーーっと並んでいます。

IMG_3456.jpg

これ、本当に高校の文化祭?

と思うくらい。

しかも一つひとつ、デザインがまったく違います。

色も違う。

文字も違う。

世界観も違う。

それぞれのクラスが、

「自分たちはこれをやるんだ!」

と主張しているようで、学校中にものすごいエネルギーがあります。

それにしても不思議なのが、

どうしてこれだけのクラス全部に、こんなものを作れる人がいるんでしょう(笑)。

一つ二つなら分かります。

でも、ずらっと並んで全部クオリティが高い。

国高には各クラスに一人ずつ、美術系にものすごく強い人が配置されているのでしょうか(笑)。

ちなみに、よく見ると1年生の垂れ幕は見当たりません。

IMG_3457.jpg2年生と3年生のものばかり。

これにも何か国高祭ならではの理由があるのでしょうか。

いきなり「どういうこと?」がたくさんあります(笑)。

3年4組「晩餐」を観てきました

今回、私たちは抽選に当選していた3年4組の演劇「晩餐」を観てきました。

IMG_3461.jpg開演時刻が近づくと、教室前の廊下は人、人、人。

事前抽選に当選している人だけではありません。

当日、「もしかしたら入れるかも!」

と並んでいる方たちが、それぞれの教室の前に長い列を作っています。

高校のクラス演劇を見るために、こんなに人が並ぶんです。

そして教室へ。

案内された観客は、詰めて、詰めて、さらに詰めて(笑)。

正確な人数は分かりませんが、100人くらい入っていたんじゃないか?

と思うほどの超満員でした。

そして、いよいよ開演。

高校生の演劇だと思って観始めたのですが......


すごかったです。

教室の外装や舞台のクオリティももちろんですが、それ以上に驚いたのが演技でした。

セリフを話している人が上手なのはもちろんですが、私が特に印象に残ったのは、

セリフを話していないときの演技。

観客の視線が自分に集まっていない場面でも、役としてそこにいる。

表情や仕草を止めない。

舞台の中で、本当にその人物として生活しているように見える瞬間がありました。

プロみたいだなあ、と。

「これ、高校生なんだよね?」

と何度も思いました。

そして、扱っているテーマも重いんです。

子どもを持つことのできない夫婦の葛藤。

よく高校生がこの題材を選んだなあ。

そして、よくここまで演じきったなあ。

そう思いました。

隣を見ると、

長谷先生、泣いていました。

私も何度か目頭が熱くなる場面がありました。

演劇を観ながら、なぜか「準備している高校生たち」を想像していました

私がこの演劇を観ながら考えていたのは、実は目の前の演技だけではありませんでした。

途中から、この子たち、ここまでどうやって作ってきたんだろう。

ということが気になって仕方なくなったんです。

衣装。

小道具。

音楽。

照明。

役者の立ち位置。

人の動線。

セリフの言い方。

セリフとセリフの間。

たとえば、

「ここ、もう少しセリフの前の間を長くした方がいいんじゃない?」

「観客の視線はこっちに集まっているけど、後ろでもちゃんと料理しているように見せようよ」

なんて。

もちろん実際にどんな話し合いをしていたのかは知りません(笑)。

でも、そういう細かなことを何度も何度も話し合って、試して、直してきたんだろうな、と。

なぜなら、

今、目の前にあるもの全部に工夫が見えるからです。

衣装から音楽から演技から導線、小道具まで。

今見ているもの全部に、この子たちが考えた跡が残っている。

だから私は、演劇を観ながら演劇だけを見ていなかったのかもしれません。

そこへたどり着くまでの高校生たちの時間を想像していました。


あれ、夏休みに入ってから作ったんですか???

そして、国高祭が終わってから長谷先生と話をしていて、さらに驚きました。

私がてっきり、

「あれだけのものだから、かなり前から準備しているんでしょうね」

という話をしていたら、

長谷先生いわく、

「教室の内装とか外装を本格的に作るのは、夏休みに入ってからだよ」

とのこと。

......え?

あれ、夏休みに入ってから作ったんですか????(笑)

もう一度写真を見返してしまいました。

普段授業をしているはずの教室が、入口から完全に別世界になっています。

中には舞台があり、照明があり、小道具があり、客席がある。

しかも、作るだけではありません。

演劇なら、演技の練習も山場を迎え、音響との兼ね合いや暗転時の動きなんかも、舞台が出来上がってから初めて本番と同じ環境で練習することができます。

一体、夏休みをどんな密度で過ごしているんだろう。

しかも高3なのに。(笑)

また「?」が増えました(笑)。

ちなみに、このあたりのお話は、基本的に数十年前に国高生だった長谷先生の記憶をもとに私が聞いているものです。

現在もまったく同じなのか、そして先生の記憶がどこまで正確なのかは分かりませんので、皆さま、話8割くらいでお読みください(笑)。

ただ、今回実際に国高祭を見てきた私としては、

「この学校なら、それくらいやっていても不思議じゃないな......」

とも思ってしまいます。

3年間、同じクラス?

もう一つ、長谷先生から聞いて驚いた話があります。

先生によると、「国高は基本的に3年間クラス替えをしなかった」とのこと。

これも現在がどうなのかは、私は確認していません。

そして長谷先生の記憶なので、先ほど同様、話8割でお願いします(笑)。

ただ、今回3年生の演劇を観たあとにこの話を聞くと、

「ああ、それならあの団結力も少し分かるような......」

という気はしました。

もし同じメンバーで3年間を過ごしているのなら、

お互いの性格も分かっている。

得意なことも分かっている。

「これはあの人に任せよう」も分かっている。

そして高校生活最後の国高祭。

3年間で培ってきたものを全部出す。

そんな感覚もあるのでしょうか。

もちろん、これは私の想像です。

でも、あの3年生の演劇を観たあとだと、いろいろ想像したくなってしまうんですよね。

「伝統」って、こういうことなのかなあ

国高祭を見ながら、ずっと不思議だったことがあります。

どうして高校生だけで、ここまでのものができるんだろう?

誰かに「国高祭には長い伝統があります」と説明されれば、それで終わる話なのかもしれません。

でも実際にその場所へ行くと、もう少しいろいろ考えてしまいます。

1年生のときに、先輩たちの国高祭を見る。

「すごいなあ」と思う。

次の年には、自分たちがその立場に近づく。

そして3年生になったら、

今度は自分たちが国高祭をつくる側の中心になる。

その姿を、また次の後輩たちが見る。

たぶん、

「先輩と同じものを作ろう」

ではないんですよね。

むしろ、

「先輩たちがあれだけやったんだから、自分たちはもっとすごいことをやろう!」

なのかな、と。

もちろん、これも私が国高祭を見て勝手に感じたことです(笑)。

でも、校舎を歩いて、垂れ幕を見て、教室の外装を見て、3年生の演劇を観ていると、

受け継がれているのは作品そのものではなく、「本気でやる」という姿勢なのかなあ。

そんなことを思いました。

パンフレットからも伝わってくる国高生


そして今回も、いろいろ買ってきました(笑)。

パンフレット、うちわ、文房具、タオルなどなど。

教室に持って帰ってきたら、なかなかの量になりました。

IMG_3505.jpgもう学校行事へ行って、グッズをたくさん買って帰ってくるのが恒例になりつつあります(笑)。

そのパンフレットの最後に、

「国高生に聞いてみた!!2026」

という4ページのコーナーがありました。

これがまた面白い。

PXL_20260901_104941927~2.jpgPXL_20260901_104952529~2.jpg
読んでいるだけで、なんとなく国高生の雰囲気が伝わってきます。

明るい。

元気。

そして、とにかく一生懸命。

文化祭だけを頑張っているというより、

高校生活そのものを本気で楽しんでいる。

そんな印象を受けました。

最後に、長谷先生の柔道場へ

そして帰り際。

もちろん、ここにも寄ってきました。

柔道場です。

IMG_3467.jpg
長谷先生が高校時代、毎日のように練習していた場所。

現在、国立高校には柔道部はないそうです。

柔道場を見た長谷先生は、やっぱり少し嬉しそうでした。

高校生だった頃のことをいろいろ思い出していたようです。

......と、ここまでなら、ちょっといい話で終われるんです。

ところが。

柔道場の隣には剣道場があります。

そこで新事実が判明しました。

高校1年生だった長谷青年。

実は最初から柔道部に入ろうとしていたわけではなかったそうです。

最初に行ったのは、すぐ隣りにある

剣道場。

IMG_3469.jpg

ところが、誰もいない。

隣の柔道場を見ると、友達がいる。

「あ、いるじゃん」

くらいの感じで柔道場に入り、

「よ!」

という感じで友達としゃべっていたそうです。

すると先輩がやってきて、

「君たち、入部希望?」

そして......

そのまま柔道部へ。

......え?(笑)

あれだけ寝技を研究して、

部活動の練習方法まで改革して、

部長になって、

最後には東京都大会団体戦ベスト8まで進んだ柔道人生の始まりが、

「剣道場に誰もいなくて、隣の柔道場に友達がいたから」だったんですか?(笑)

人生、何がきっかけになるか分からないものですね。

今回、国高祭を見ながら、ずっと、人が本気になるって、すごいなあ。

と思っていました。

そして、その「本気になれるもの」との出会いは、案外こんな偶然から始まることもあるのかもしれません。

......ということにしておきます(笑)。

高校生たちが本気でつくった国高祭。

その熱量に圧倒され、たくさんのパワーをもらった一日でした。

国高生のみなさん、素敵な文化祭をありがとうございました!


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